「柳端! 逃げろぉぉぉぉぉ!!」
僕の後ろで小霧くんが何かを叫んでいるのが聞こえたが、その内容まではあまり理解できなかった。
だってそうじゃないか。僕の愛する小霧くんのために、彼に害を為す人間たちにはいなくなってもらう。全ては小霧くんを愛するが故の行動。それを小霧くんが止めようとするなんてことはあり得ない。
だから僕は構わず、小霧くんの友達らしき男の子を黙らせようと、蹴りをお見舞いしてあげた。
「くっ!!」
男の子は見た目通り運動神経は中々よかったようで、跳躍して僕の蹴りを寸前でかわした。そのせいで、彼の背後にあった車に思いっきり蹴りを入れてしまう。
轟音が鳴り響き、まちがって蹴りを入れてしまった車のドアには、大きな凹みができてしまった。ああ、これはまずいなあ。弁償するお金はないんだけどな。まあ、いいか。後で考えれば。
「……おいおい、高校生に向かって繰り出していい威力じゃないだろ」
『ヤナギバタ』とか呼ばれた男の子は凹んだ車のドアを見て青ざめているが、小霧くんを歪めた罪は、身体に穴を開けても足りないくらいだ。
まずはこの子たちを小霧くんの前から消してしまわないと。すばしっこそうなヤナギバタくんは後にして、まずは女の子の方から仕留めるか。
僕が目を向けると、ルリさんともう一人の茶髪の女の子が壁際で柏さんを守っているのが見えた。
「樫添さん! 私がアイツの相手をするから、その隙に警察に通報して!」
「ダメです! 地下だから電波が入りません! 一旦柏ちゃんを連れて地上に行かないと!」
「くっ……!」
ルリさんたちは柏さんを逃がしたいみたいだけど、女の子だけで気絶した人間を運ぶのは無理だよね。だったら僕も一人ずつお仕置きするまでだ。
「黛ぃ! お前らは柏を連れて地上に行け! ここは俺が時間を稼ぐ!」
そんなことを叫んだヤナギバタくんは、今度は僕に向かってくる。
なんだ、そっちから来てくれるんなら、先にこっちを片付けるか。
「柳端、無茶だ!」
「おおおおっ!」
小霧くんがヤナギバタくんを止めてくれるけど、まあ僕は今さら彼を許しはしない。小霧くんは優しいけど、僕はそんなには優しくないからね。
だからヤナギバタくんのお腹に、おもいっきり蹴りをお見舞いしてやった。
「ぐうっ!?」
しっかりヒットしたおかげで、ヤナギバタくんは吹き飛んで地面を転がっていった。うんうん、これくらいお仕置きしないと、彼は反省しないだろうからね。
「ぐ、ああああっ!!」
蹴られたヤナギバタくんは、なぜか左腕を押さえて苦しんでいる。なんだ、お腹に当たったと思ったら、腕でガードしてたのか。全く、見た目通りケンカばかりしてるのかな?
まあいいや。ヤナギバタくんは片付いたから、次はルリさんたちを片付けるか。
だけどそんな僕の前に、信じられない光景が飛び込んできた。
「父さん、もうやめてください!」
なんと、小霧くんがルリさんたちを庇うように両腕を広げて僕の前に立っていたのだ。
「黛さん、父さんの相手は俺に任せてください。樫添先輩は地上に行ってください!」
「わかった! 萱愛、必ず決着を付けて!」
僕が驚いている隙に、カシゾエとか呼ばれた女の子は地上への階段を探しに行ってしまう。追いかけようにも、小霧くんが僕の前に立ちはだかって、どいてくれない。
「小霧くん、どいてくれる?」
「どきません。父さん、もう終わりです。これ以上罪を重ねないでください!」
「罪? 何が罪なの? 愛する小霧くんを守ろうとすることの何が罪なの? いや、例え罪だとしても、僕は小霧くんを守るよ。だって僕は小霧くんを愛しているんだから」
そう、僕は小霧くんを守るためならなんだってする。それが社会における罪であろうとなんだろうと関係ない。
すると、僕の言葉を聞いた小霧くんは、一呼吸置いた後に僕に視線を合わせてきた。
「父さんは、俺を守りたいんですね?」
そして、こんな質問を投げかけてきた。今さら何を言っているんだろう。
「当たり前じゃないか。僕は小霧くんのお父さんだよ?」
「そうですか。それでしたら、ひとつ頼みがあります」
「うん? なんだい?」
小霧くんが僕にお願いをするなんて、いつ以来のことだろう。なんだか嬉しくなっちゃうなあ。今だったら何だって聞いてあげられそうだ。
「もう、俺の前に姿を現さないでください」
……あれ?
なにをいって、るんだろう、小霧くんは。
「え、えーと、何を言ってるのかなあ?」
「父さんは今、俺の大切な人や友人を何人も傷つけました。それだけじゃない。父さんは俺を守るためと言って、人を殺してしまった。だったらもう、父さんは俺の傍にいない方がいい。それが俺の出した結論です」
「いやいやいや、そんなのダメだよ。僕が小霧くんから離れたら、誰が君を守るの? 僕がどんなに罪を犯そうと、それは小霧くんを守るためなんだよ?」
「俺も、そう思いたかったです。でも父さんは、俺を守るためじゃなく、自分の愛を証明するために人を傷つけた。だったらあなたは俺の前にいるべき人間じゃないんです」
何を言ってるのかわからない。小霧くんはどうして僕がわからないことを言うんだろう。僕の大事な大事な息子なのに。
「もしあなたが俺を守りたいのであれば、俺から離れたところで見守っていてください。本当に俺のためを思っているのであれば、それができるはずです」
「そんなことできるわけないじゃないか! 僕がいなくて、誰が君を悪い人から守るの!?」
僕としては当然の疑問を言ったつもりだったけど、なぜか小霧くんは悲しそうな顔をした。
「今、確信しました。あなたは俺のことをまるで信じてない。そして……」
その両目から涙を流し、僕を睨み付けてくる。
「俺のことを、愛してなんていない。あなたが愛しているのは、家族を愛する自分自身だけだ」
――おかしいな。
なんでだ、なんで小霧くんはこんなことを言っているんだろう。これはおかしいぞ。
僕は小霧くんのたった一人の父親だ。その僕が小霧くんを愛していないわけがないじゃないか。
やっぱりおかしい。きっとまだ僕の愛が届いていないだけなんだ。だったら、届くようにしないと。
僕の愛の障害になる人間には、すべていなくなってもらわないと。
そうじゃないと……だれも僕を愛さない。
「ふむ、ここまでのようだね、萱愛陽泉くん」
だけどそんな僕の耳に、どこか懐かしい声が響いた。
声の方向を見ると、今まで意識を失っていたはずの柏さんが立ち上がって、僕を見ている。
「エミ!? 気がついたの!?」
ルリさんが柏さんに声をかけるが、柏さんはまるで意に介していないかのようにこちらをぼんやりと見ている。
なんだろう、どう考えてもあの子は女の子のはずなのに……
その雰囲気は、霧華さんのお父さんに似ていた。
「ここまで、というのはどういう意味で言ってるのかな、柏さん?」
「そのままの意味だよ、陽泉くん。私は君に期待していたのだが、どうやら見込み違いだったようだ」
「期待していたって、僕は君に今日会ったばかり……」
「期待していたのだよ。二十年前に、霧華が君を私の前に連れてきて、識霧を殴った時からね」
「……!?」
「エ、エミ?」
なんだ? なんで柏さんがそのことを知っている? 霧華さんの実家に行った時のことなんて、柏さんが知っているわけがない。彼女はその時、まだ生まれてもいないはずだ。
だけど現実に、柏さんの口からはあの時の出来事が語られている。まるで見たことがあるかのように。
「君の語る『愛』は、小霧にも『この子』にも心地よい絶望をもたらしてくれると思っていたのだがね。どうやら違ったようだ」
「僕は絶望を与えたいんじゃなくて、愛を与えたいんだから当然じゃないか!」
「まあ君はそういうつもりなのだろう。だけど現実に、君は小霧に絶望を与えられなかった。小霧は君の手を離れ、厳しい希望に向かおうとしている。私としては君に失望するには十分すぎる出来事なのだよ」
「柏さんに失望されようが関係ないよ。僕は愛する小霧くんを守るだけだ」
「まだわからないのかね? つくづく鈍い男だよ。仕方ない、直截的に言ってあげよう」
そして柏さんは、その顔を嘲るように歪める。
「君は絶望を与える者としても、父親としても、全くお粗末。そう言っているのだよ」
……は?
僕が、父親としてお粗末?
「そうだろう? 君は息子である小霧を支配下に置くことも、彼の希望を絶つこともできずに、小霧に反抗されて排除されようとしている。これがお粗末と言わずになんと言うのかね?」
僕が小霧くんの父親としてお粗末?
こんなに小霧くんを愛している僕が?
……許せない。許せない。
僕の愛を否定するな。僕の愛を疑うな。僕の愛を拒絶するな。
「僕の、愛を、お前如きが語るなああああああああ!!」
許せるわけがない。僕の愛を知った風に語る人間は、誰であろうと許せない。
だからこの女は二度とそんなことを言えないように、グチャグチャに潰してやる。
そう決心した僕は、柏恵美に向かって走り出す。
「所詮は偽者か。君は行動に移るのが遅すぎるのだよ」
だけど僕の耳に柏恵美が呟いた言葉が届く前に。
「え?」
僕の横から、ライトも点けていない車が猛スピードで突っ込んできて。
――そのまま僕は、急転する景色と赤い血を見た後に、何も見えなくなった。
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