【7月5日 午後3時23分】
「香奈芽さん、萱愛です! 今大丈夫ですか!?」
『……ええ、どうやら何か起こったようですね。お聞きしますよ』
柳端が紅蘭さんと姿を消したことでしばらく呆然としていたが、いつまでも動揺しているわけにはいかない。真っ先に俺がやるべきことは、香奈芽さんに電話して情報を共有することだ。
まずは柳端が俺の前に現れたこと、そして紅蘭と名乗る女子と行動を共にしていること、そして弓長くんの兄、竜樹さんが悪人である可能性を話した。
『ひひっ、柳端氏は相変わらず女性に弱いですねえ……』
「香奈芽さん、今は笑っている場合じゃないです。このままだと柳端は紅蘭さんの思惑通り、竜樹さんに危害を加えるかもしれません」
『これは失礼。それで、小霧さんはその紅蘭という方をご存じないのですか? M高校の生徒なのでしょう?』
「えーと……すみません。実はその、俺は学校内であまり下級生の教室に行くことがないので、見覚えがないですね……」
俺は以前、唐木戸を死に追いやった過去を自ら学校内で広めたため、下級生にも俺の噂は広まっている。
「ただ、それでなくともあんな金髪の女の子は校内で見たことがないです」
『そうなると、その方は変装して小霧さんの前に現れたのでは?』
「え?」
『その方が『スタジオ唐沢』の生徒であるとしたら、弓長氏と同様に何か役割を与えられたのかもしれません』
「役割というと……」
そう言われて考える。弓長くんは黛さんの『理想の恋人』を演じていた。そのために姿を変えることもあった。なら紅蘭さんは……
「柳端の妹という『役割』をこなすために、姿を変えている……?」
『おそらくは、そういうことでしょう』
「ですがそうなると、俺たちは紅蘭さんに対する手掛かりがありません。このままだと打つ手が……」
『そんなことはありませんよ。むしろ判明したことの方が多いでしょう』
「え?」
『紅蘭氏の狙いが、弓長竜樹への襲撃であること。そして柳端氏は何らかの理由で紅蘭氏に協力していること。現時点でこれだけの事実が判明しております』
確かに香奈芽さんの言う通りだ。そもそも俺たちはさっきまで紅蘭さんの存在自体を知らなかったが、今は相手の目的までわかっている。そしてこれだけの情報があれば、香奈芽さんなら次の手を瞬時に考える。
『ならば今の我々がするべきことは、竜樹氏への接触でしょう』
「そうですね。弓長……波瑠樹くんの様子も気になりますし……あ、そういえばさっき、沢渡さんという方からも電話があったんですよ」
『……沢渡?』
「その人は柳端の元恋人だそうでして、竜樹さんとも知り合いみたいです。それで彼女も柳端のことを探しているようなので、話を聞いてみます」
『……』
俺の提案に対して、なぜか香奈芽さんは黙ってしまった。
「あの、香奈芽さん?」
『申し訳ありませんが、その方に接触するのは待っていただけますか?』
「え?」
『できれば沢渡氏に接触するのは私一人の方がいいでしょう。ええ、小霧さんは竜樹氏へ連絡をお願いします』
……なんだか香奈芽さんの声が不機嫌に聞こえるような……気のせいか?
ただ、香奈芽さんは二手に分かれて行動した方が早いと言いたいんだろう。確かにそれには賛成だ。
「わかりました。それじゃまた連絡します」
香奈芽さんとの通話を終えて、今度は竜樹さんの連絡先を呼び出す。
数回の呼び出し音の後、電話は繋がったが相手の声は聞こえてこなかった。
「もしもし? 弓長竜樹さんの連絡先でお間違いないでしょうか?」
『……かや、まな、せんぱい?』
「っ!? 君は……波瑠樹くんか!?」
通話口から聞こえたのは、竜樹さんではなくその弟の波瑠樹くんだった。だが、小さく掠れたような声だ。
「大丈夫か!? 一体何が……」
『波瑠樹!? 何をしている! 貸せ!』
俺の質問への返答はなく、代わりに別の声が電話に出た。
『もしもし?』
「竜樹さんですね? 萱愛です。失礼ですが、何をなさっていたのですか?」
『……別に何もしていない。波瑠樹が勝手に私の電話に出たから注意しただけだ』
「波瑠樹くんが理由もなくそうするとは思えませんが」
『何が言いたい?』
「あなたが波瑠樹くんに暴力を振るっていると、そう疑っています」
この発言は軽率かもしれない。下手に相手を刺激すれば、波瑠樹くんの身がかえって危なくなるかもしれない。
だとしても、今この瞬間に波瑠樹くんに危機が迫っているのであれば、俺がそれを見抜いていると明かすのは相手への抑止力になる。
『……なぜそう思う? そもそも僕は君の要請に従って波瑠樹を迎えに来たんだ。弟に暴力を振るう男がそんなことをすると思うか?』
「ある人から、あなたが波瑠樹くんに暴力を振るっているかもしれないと聞きました。それに先ほどの波瑠樹くんの声を聞いた限り、それが単なる噂とも思えません」
『……紅蘭か?』
「え?」
『君は紅蘭からその話を聞いたのか? まさか君は紅蘭の仲間か?』
「ちょ、ちょっと待ってください。紅蘭さんのことを知って……」
『くそっ! あの女……! どこまで人をコケにすれば済むんだ! ふざけやがって!』
独り言のような怒鳴り声が聞こえたかと思うと、通話は切られてしまった。
まずい、選択を誤った。そもそも紅蘭さんと竜樹さんは敵対しているんだ。迂闊に情報を明かすべきではなかった。
どうする? このままだと波瑠樹くんの身が危ういかもしれない。どうすれば……
「……本当にここにいたんだ、マジメくん」
その時、後ろから声が聞こえた。女性の声だ。
俺に対してこんな呼び方をしてくるのは一人しかいない。この人は……
「綾小路さん?」
「久しぶりだね」
教室の入り口に立っていたのは、かつて香奈芽さんによってその悪事を暴かれた女性、綾小路佳代子だった。
「な、なんでここに……?」
「説明は後でするよ。とにかく急がないと」
「え?」
「柳端くんは、もう動き出してる」
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