授業が終わってからしばらく経っていたので、学校内に残っている生徒はほとんどいなかった。そんな人気の無い学校の敷地内を、俺と仲里先生は歩いていた。
「萱愛くん、閂さんはどういうつもりなんだ? 御神酒先生の死の真相がわかったって……?」
「いや、俺も突然先輩からそう言われたので……とにかく校舎裏に向かいましょう」
閂先輩から仲里先生を呼ぶように言われた俺は、職員室にいる仲里先生を連れ出した。そして先輩にメールを送ると、校舎裏に来てくれという返信が来たのだ。
先輩は何を掴んだのだろう。そして借宿はこの事件にどう関わっているのだろう。
まさか本当に借宿が御神酒先生を……?
「おい、何か騒ぎが聞こえないか?」
仲里先生の言葉で我に返ると、確かに校舎裏から何かの声が聞こえてくる。まさか、先輩の身に何かが――!?
「……っ!」
「お、おい! 萱愛くん!」
仲里先生の制止も聞かず、俺は校舎裏まで走っていった。そして角を曲がった俺が目にしたのは。
「先輩!」
「っ! か、萱愛!?」
閂先輩を植え込みに押しつけて何かを奪おうとしている借宿の姿だった。
「借宿! お前は……!」
「ぐあっ!」
俺はすぐさま借宿に掴みかかり、閂先輩から引き剥がした。そして後から走ってきた仲里先生もこの騒ぎを見る。
「萱愛くん! それに、閂さんに借宿くん!? これはどういうことだ!?」
仲里先生は状況を瞬時に判断し、閂先輩を俺たちから離すと、もみ合いになった俺と借宿を引き剥がす。
「くそっ!」
「待て、借宿くん!」
先生は逃げようとする借宿を瞬時に捕まえた。
「ひひひ、グッドタイミングですよ萱愛氏……まぁ、この事態を見越して仲里先生を呼んでもらったのですがねえ……」
先輩は口に手首を当てた状態で薄笑いを浮かべる。そしてその手には、何かが握られていた。
あれは、仲里先生から渡されたUSBメモリー!?
「ま、待ってくれよ先生! 俺は生徒会長に奪われたUSBメモリーを取り返そうとしただけだ!」
「ウソを言うな借宿! あのUSBメモリーは俺たちが仲里先生から預かったものだ! 何でそれがお前のものになるんだ!」
「な、何!?」
俺の指摘に借宿は意外そうな声を上げる。どういうことだ?
「ひひひ、皆様もそろそろ真相が知りたいでしょう……? では、こちらをご覧ください……」
閂先輩の言葉を受けて、俺も借宿も、そして借宿を押さえつけていた仲里先生も先輩の方を見た。そしてそこには。
「そ、それは!?」
閂先輩の両手に握られた、『同じ見た目をした二つのUSBメモリー』があった。
「ご覧の通り、USBメモリーは二つ存在したのですよ……一つは仲里先生の手に渡り……そしてもう一つは現場から借宿氏が持ち去り、おそらくは廊下の窓から落として、この校舎裏の植え込みに隠していたのです……自分で持っていては、何を言われるかわかりませんからねぇ……ひひ」
「くっ……」
「な、何だって!?」
俺は思わず借宿を見るが、あいつは気まずそうに俺から目を逸らした。
「ひひひ、私が御神酒先生の死体を発見した時、死体のそばには確かにこのUSBメモリーがあったのですよ……そして先生方と共に現場に戻ってきた時にはそれがありませんでした……そう、誰かが持ち去ったとしか考えられないのです……ひひ」
「で、でも、持ち去ったのが何で借宿だと?」
「ひひひひ、萱愛氏、先ほどのやり取りを思い出してください……」
「先ほど……?」
さっき……そうだ、閂先輩は何かを借宿に見せて……そしてそれを見た借宿は動揺して……
「……あ! まさかさっき閂先輩が借宿に見せたのは!?」
「そう、仲里先生のUSBメモリーでございますよ……」
閂先輩は現場でUSBメモリーを見た。そして再び現場に戻ったときにはそれが無くなっていた。そうなると先輩の言う通り、誰かがそれを持ち去って隠したとしか考えられない。
だから先輩は御神酒先生に恨みを持つ借宿にカマをかけたんだ。現場にあったものと同じUSBメモリーを借宿に見せて、動揺するかどうかを確かめた。そしてまんまと動揺した借宿は、本来隠してあるはずのUSBメモリーが無くなっていないかを確かめにここに来たんだ。そしてその現場を閂先輩に押さえられ、そこに俺たちが来た。
「じゃ、じゃあ借宿くん。まさか君が御神酒先生を……? いや、あの死体の状況は自殺以外には考えられない!」
そうだ、あのとき仲里先生も現場の封鎖にあたっていた。その時死体を見ていたはずだ。
「仲里先生! 御神酒先生は、先生はやはり自殺だったのですか!?」
「……ああ、僕が見た時にはもう息を引き取っていた。ご自分の首にペンを刺した状態でね……だがそれを君たち生徒に言うわけにはいかなかった……」
確かに教師が学校内で自殺したことをあまり公にはしたくないだろう。かと言っていつまでも隠しているわけにはいかない。だから御神酒先生は亡くなったという事実だけ伝えられたんだ。
「借宿! 話してもらうぞ……どうして現場からUSBメモリーを持ち去ったんだ!」
「借宿くん、僕もその理由を聞きたい。これは立派な犯罪行為だ」
「そ、それは、その……」
「ひひひ、借宿氏はお話したくないご様子……では私から推論を述べさせて頂きましょう……」
閂先輩は重たい髪で右目を隠しながら俺たちを見つめて宣言した。
「まず借宿氏が持ち去ったUSBメモリーの中身ですが……それはおそらくもう片方のUSBメモリーのパスワードでしょう……」
「何だって!?」
そうだ、御神酒先生の遺書と思われるUSBメモリーにはパスワードが設定されていた。二つのUSBメモリーが同じ目的で存在するとしたら、その推理は当たっている。
「し、しかしなぜ借宿がそれを持ち去ったと?」
「それは、御神酒先生が遺書を残したということを隠すためですよ……つまり、萱愛氏に罪を被せるために遺書の存在が邪魔だったのです……」
「あ……!」
確かに御神酒先生が遺書を残していたら、先生が自殺したことは確定する。借宿が俺に罪を被せるつもりなら、遺書が存在してはならないはずだ。
「そして次になぜ御神酒先生が自殺したのか……それはおそらく、借宿氏が関わっているのでしょう……」
「借宿くんが?」
「萱愛氏、あなたはこう仰っていましたね? 『御神酒先生は誰よりも生徒の幸せを考えている先生だ』と……」
「は、はい」
「そんな御神酒先生が自殺されるとしたら、どのような理由が考えられますかねぇ……」
「そ、それは……」
御神酒先生は生徒の幸せを誰よりも考えていた、それは間違いない。なのに先生は教師の責任を放棄して自殺した。矛盾している。
「……やはり俺には思いつきません。御神酒先生が、生徒を幸せにする信念を放棄して自殺するなんて……」
「ひひ、ならばこう考えてみては如何でしょう……? 『先生が自殺することで、ある生徒が不幸にならずに済んだ』としたら?」
先生が自殺することで、ある生徒が不幸にならずに済んだ?
もし先生が自殺しなかったら、何が起こった?
先生は自分の命を絶ってまで、生徒を守りたかった?
「……まさか!?」
「ひひ、たどり着いたようですね、結論に……」
俺は借宿を見る。御神酒先生を恨んでいたという借宿を見る。
何故かは知らないが、借宿は御神酒先生を殺したいほど恨んでいた。そしてそのことを御神酒先生が知っていたとしたら? そしてこのままだと自分が借宿に殺される、もしくは借宿が犯罪者になることを防げないことを確信していたとしたら?
そうなったら、御神酒先生が取る行動は一つだ。
「御神酒先生は、借宿を殺人犯にしないために自殺した……?」
「その通りでございます」
まさか、それが真実だと言うのか。
たった一人の生徒を救うために、御神酒先生はその命を絶ったと言うのか。
だけど矛盾している。御神酒先生はより多くの生徒を救うために救える見込みの少ない生徒を見捨ててきたはずだ。自分の心が悲鳴を上げようとも。なのにどうして。
『例え私が生徒に殺されても、その生徒を責めないでやって欲しいのです』
しかし俺は思い出す。御神酒先生が言ったというその言葉を。
御神酒先生は本気で自分が生徒に殺される可能性があると思っていたのだ。そして自分を殺したことで、その生徒が責められることがあってはならないと考えていた。なぜなら例えより多くの生徒を救うためといえども、一部の生徒を見捨てた自分は最低の教師だと考えていたから。
本当は、たった一人の生徒も見捨てたくなかった先生だから、借宿を救うために自殺することが出来たとしたら。
「借宿氏。あなたは御神酒先生の死体が見つかる前日、学校に残っていましたね?」
「……」
「ひひ、私はあなたが美術室に鞄を持って入るのを見ていました……その時に凶器を調達したのではないのですか……?」
「そ、そうなのか借宿?」
「そしてその夜、空き教室でいざ御神酒先生を殺そうとしたら、先に御神酒先生に自殺されてしまった。パニックになったあなたは一旦現場から離れましたが、その後に現場に戻った際に御神酒先生のそばにあったUSBメモリーに気づいた……そしてそれを隠して萱愛氏に罪を被せるつもりだった……違いますか?」
閂先輩にまくし立てられても、借宿は黙ったまま動かない。
「ひひひ、どうですかねえ、借宿氏。全ての犯行があっさりと暴かれた気分は?」
だが閂先輩が薄笑いを浮かべながら顔を近づけた時、借宿が動いた。
「ああもう! うるせえなこのブスが!」
そして油断していた仲里先生の顔に肘うちを当てる。
「あぐっ!」
「せ、先生!」
仲里先生から逃れた借宿は、その勢いで閂先輩を校舎の壁に押さえつける。
「先輩!」
「動くんじゃねえ! こいつをぶっ殺すぞ!」
「は、早まるんじゃない、借宿!」
しかし閂先輩が危険にさらされたとなると、俺たちも動けなかった。
「目障りなんだよ、お前も御神酒も閂も! どいつもこいつも俺をバカにしやがって! 大体、御神酒が死んだのもこの閂ってブスのせいだ! 俺は悪くねえ!」
「せ、先輩のせいだって?」
「そうだよ! こいつが俺を挑発するから俺は御神酒を殺して単なる脇役じゃねえって証明するつもりだったんだ! お前が恨むべきなのはこのブスだよ!」
「そんな、そんな理由で御神酒先生を追い詰めたのか!?」
「あいつは勝手に死んだんだよ! 俺がぶっ殺してやろうと思ったら、突然ペンを取り出して自分の首に刺したんだ! しかもその前に『遺書を用意したからお前は何も心配しなくていい』なんてナメたこと言いやがったんだ! ふざけやがって!
……ナメたこと? 御神酒先生の命を懸けた行動が?
「……違う」
「あ?」
「違う!」
おそらくは、その叫びには俺の人生の中で最も感情が入っていたかもしれない。
「御神酒先生は……御神酒先生は生徒をバカにするような先生じゃない! 先生はお前のために遺書を残したんだ! どうして先生の優しさに気づかないんだ!」
「黙れ! お前はいつもそうだ! クズの癖に俺に偉そうに説教垂れやがってよぉ!」
しまった。ここで感情に任せて正論を言うのは逆効果だ。だがそれに俺が気づいた時にはもう遅かった。
「見てろ、俺は脇役じゃねえ! このブスを殺してそれを証明してやる!」
まずい、借宿は自棄になっている。このままでは……!
「ひひひ、私を殺すつもりなのですか?」
だがこの状況に場違いなほど平然とした笑い声が、閂先輩の口から放たれた。
「ああそうだ。お前はこれから死ぬんだよ!」
「ひひ、あなたにそれが出来るとは思いませんがねぇ……」
「何だと、お前……!?」
だがその時、借宿の動きが止まった。突然の事態に対応できない俺だったが、目を凝らして二人を見る。
よく見ると、閂先輩が右手で何かを借宿の首に押しつけていた。
「あ、ああ……」
「私が何の準備もせずに、この場に現れると思ったのですかねぇ……ひひひ、実に浅い考えと言わざるを得ません……」
まさか、閂先輩は刃物か何かを隠し持っていたのか!? そしてそれを借宿の首筋に当てている……?
恐怖に顔を歪めて涙目になっている借宿は、閂先輩を押さえつけていた手を離す。
「た、助けて……」
「おやおや、今度は命乞いですか。ひひひ、実に脇役らしい台詞ですねぇ……」
「あ、あ……」
「これでおわかりになりましたか? あなたは特殊でも特別でもありませんし、あなたの行動は実に単調でつまらない。当然私を楽しませるものでもありませんでしたよ……」
「あ、ひ……」
「こんな杜撰で突発的な犯行など、暴かれて当然でございます……なぜなら世間はあなたが思うほど愚かではないのですから……」
そう言いながら、閂先輩は左に顔を傾ける。
「さて、それがわかったのであれば……」
そして髪の隙間から、閂先輩の右目が見開かれた。
「いい加減に身の程を知れ。このカスが」
その言葉と同時に借宿はその場にへたり込み、この事件は決着を迎えた。
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