『次は、〇×、〇×です』
電車のアナウンスが〇×駅への到着を告げる。それを聞くと同時に、私と柏ちゃんは窓の外を見まわしていた。
「ルリの姿が見えないようだが」
柏ちゃんの疑問は、私が抱いていたものと同じだった。位置関係からして、黛センパイの方が先にこの駅に着いていると思っていただけに、心配になってくる。
「でも、改札の前で待ってるって言ってたんでしょ?」
「確かにそうだが、沢渡くんたちに先回りされた可能性もある」
「それは……」
「ふむ、しかしあのルリが沢渡くんに後れを取るとは思えないがね」
「……」
そう言った柏ちゃんの顔は、黛センパイへの信頼を表すかのように微かな笑顔を浮かべていたが、今の言葉には違和感を抱いてしまう。
沢渡“には”後れを取らない。
つまり、柏ちゃんは……
「むっ、電話が鳴っているね。これは……柳端くんからだ」
柏ちゃんは自分のスマートフォンを耳に当てて、電話に出る。
「もしもし、君から私に電話とは珍しいね。え? ルリなら私たちと合流するために〇×駅にいるらしいが……まだ合流できてないよ。ふむ、わかった。今代わるよ」
そう言って、柏ちゃんは私にスマートフォンを差し出してきた。
「柳端くんが、話があるそうだ」
「私に?」
言われた通りに電話に出ると、柳端の低い声が耳に届いた。
『もしもし、樫添か? まだ黛と合流できていないのか? 生花と朝飛さんに襲撃されたらしいな』
「え、ええ。というかアンタ、なんでそのこと知ってるの?」
『その話は後だ。よく聞け、今回狙われているのは柏じゃない。黛の方である可能性が高い』
「え?」
狙われているのは、黛センパイの方?
「なにそれ、どういうことなの?」
『朝飛さんは空木晴天の仲間として動いている。だが、空木晴天の目的は柏に『希望』を抱かせることだ。柏を殺すとは考えにくい』
「だからって、なんで黛センパイを?」
『それはわからない。とにかくお前らは早く黛と合流しろ。俺も曇天さんや夕飛さんを連れてすぐに〇×駅に向かう……んっ?』
「え、どうしたの?」
『すまない、こっちも急用ができた。切るぞ』
「ちょ、ちょっと柳端!?」
有無を言わさず、電話は切られてしまった。
「ふむ、柳端くんの方にも緊急事態が起きているのかね?」
私の様子を見ていた柏ちゃんは、真剣な表情になっている。
「たぶんね。よくわからないけど、柳端も今回の事態をある程度知ってるみたい」
「となると、柳端くんの方には空木晴天が向かっているのかもしれないね。これは由々しき事態だ」
「そうね。とにかく私たちは黛センパイを探しましょう」
そう言って、階段を上って改札に向かった。
数分後。
「……柏ちゃん、そっちはどう?」
「ダメだね。ルリはどこにも見当たらない。まったく、困ったものだよ」
そう言いながらも、柏ちゃんの顔には少しの焦りが浮かんでいた。
改札に着いた私たちの前には、黛センパイの姿はなかった。電話をかけてみても出ないので、仕方なく手分けして改札付近を探したけど、それらしき人はいなかった。
……これは、もしかしたら最悪の事態が起こっているのかもしれない。
「ねえ、柏ちゃん」
「ルリが、危ないと言うのかね?」
「……うん。私はそう思ってる」
「……」
柏ちゃんは数秒の沈黙の後に、口を開いた。
「樫添くん、例え私の身に何があっても、ルリは私を必ず助けに来る。そう言ったのは他ならぬ君自身だ。その君が、ルリの身が危ないと言うのかね?」
「確かに私はそう言ったよ。だけどそれは、柏ちゃんに危害が及んだ時の話。『レプリカ』の一件を忘れてはないでしょ?」
「……確かに『レプリカ』は、飛天阿佐美はルリの身を監禁することに成功したね」
「そう。黛センパイは確かに何があっても柏ちゃんを助けに来る。それは間違いない。だけど完全無欠じゃない」
「……」
「自分の身に迫る危機に鈍いのが、黛瑠璃子という人の弱点なの」
そう、以前から少し考えていたことではあった。
黛センパイは危機察知能力が高い。だけどそれは、柏ちゃんに迫る危機に関しての話だ。
黛瑠璃子は、自分の身に迫る危機に関しては呆れるほどに気付かないのだ。
今に始まったことじゃない。M高の屋上で棗香車と対峙した時も、黛センパイは柏ちゃんの姿を見て、真っ先に飛び出し、棗に命を奪われそうになった。あの時は私と柳端がいたからなんとか棗を止めることができたけど、センパイ一人だったら確実に死んでいた。
なぜかはわからないけど、黛センパイは自分の命が狙われることに対しては鈍い。それが今までの事件を体験した私の結論だ。だから今、黛センパイが沢渡たちに身柄を攫われた可能性は十分にある。
「わかったよ、樫添くん。ルリの身が危ないのかもしれないというのは認めよう。そうなると、我々が次に考えるべきことはなんだね?」
「沢渡が……ひいては空木晴天が、黛センパイを攫って何をしようとしているのか、だと思うの」
そこまで言って、さっきの柳端からの電話を思い出す。
空木晴天の目的は柏ちゃんに『希望』を抱かせること。そのために、黛センパイを狙っているかもしれないとのことだ。その二つの要素が指し示すものは何か。
柏ちゃんにとっての、『希望』?
「……」
これはまだ、推測に過ぎない。だけど私は、思いついてしまった。
というか、もっと早く考えるべきことだった。そもそも柏ちゃんにとっての『希望』とは何か。空木晴天が思い描く、柏恵美に抱かせたい『希望』とはどういうものなのか。
柏ちゃんにとっての『絶望』は、容赦なく完膚なきまでに追い込まれて殺されること。私と出会う前から、彼女はずっとそれを求めている。
だけど今の柏ちゃんには、もう一つの『絶望』がある。それは黛瑠璃子という女性が彼女の隣にいるということ。黛センパイがいる限り、柏ちゃんは自らが望む『絶望』に決してたどり着かない。黛センパイと共に、生きていく他ない。それは柏ちゃんにとって、『絶望』に値するものとして十分だ。
さっきのホームセンターでも考えたことではあるけど、柏ちゃんにとっては黛センパイの存在そのものが『絶望』に値するといっても過言じゃない。
――じゃあその『絶望』を取り去れるとしたら?
柏ちゃんの隣にある『黛瑠璃子』。それがなくなった時、柏ちゃんは何を思うのか。いや、それがなくなるかもしれないという可能性を指し示された時、柏ちゃんは何を抱くのか。柏恵美の隣から黛瑠璃子がいなくなるということは、何を意味するのか。
「なんて、こと……」
『絶望』を求める人間に新たな『絶望』を与えて叩き潰したのが黛センパイだ。だけど空木晴天は、叩き潰すことすらしない。『絶望』に浸ることすら許さない。
そうだ、わかってしまった。空木晴天の目的が。それは……
黛瑠璃子という名の『絶望』を柏ちゃんの前から消し去ることだ。
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