【7月29日 午後4時30分】
「エミ! しっかりして! エミ!」
「う、うう……」
「センパイ! 救急車が来ました!」
地面に横たわって頭を抱えながら呻くエミに声をかけつつ、救急隊員に事情を説明する。
「友達が急に頭をかかえて苦しみ始めたんです!」
「ここ数時間以内に頭を打ったとか転倒したりしましたか?」
「いえ、してません」
「とにかく病院に運びましょう。お連れの方は一人だけ同乗してください」
「わかりました」
担架で運ばれたエミと共に救急車に乗り込み、近くの救急病院に向かった。
【7月29日 午後4時47分】
病院に到着するとエミは治療室に運ばれ、私は待合室で待機することになった。樫添さんたちには病院の場所をメッセージで送ったからもう間もなく到着するはずだ。
何が起こったのか当然気になる。エミは過去の記憶を思い返していた時に急に苦しみだしたから、そこに原因があるのだとは思う。
だけどそれ以上に、私の心には不安と焦りが急速に広がっていた。もしこのままエミが苦しんだままだったら? もしこのままエミが目を覚まさなかったら?
もし、エミが死んでしまったら。
今まで私はエミが誰かに殺されないために動いてきた。でも、エミが原因不明の病気で死ぬなんて可能性はまるで考えてなかったし、彼女がそれを望んでいるとも思ってなかった。
だけど違う。これは本来想定できた事態だ。私とエミの両者が望まない結末。誰の手によるものでもなく、災害や病気でエミが死んでしまうという、圧倒的な理不尽。それがこの世界にあるってことを、私は心のどこかで考えないようにしていた。
いやだ、いやだ。エミが死んじゃうなんていやだ。まだエミと一緒にいたい。まだ私は……
「センパイ! 柏ちゃんは?」
樫添さんと朝飛さんが到着したことで我に返る。まずは状況の整理をしないと。
「まだ治療中。状態はまだわからないわ」
「そうですか……一体何があったんでしょうか」
「子供の頃の記憶が、エミにとって思い出したくないものだった……だから苦しみだしたのかもしれない」
「でも、柏ちゃんが言ってた内容、おかしくなかったですか? 子供の頃の柏ちゃんを、柏ちゃん自身が眺めている記憶だなんて……」
確かにエミは『楢崎久蕗絵に手を引かれて歩いている自分を眺めた記憶がある』と言っていた。普通に考えれば後から記録映像か何かを見たってことなんだろうけど、それであそこまで苦しむのも引っ掛かる。
「……」
ここまで考えて、私はもう一つの可能性にたどり着いてしまった。
「ねえ樫添さん。唐沢が求めてる斧寺霧人って男についてどれくらい話したっけ?」
「え? えーと、萱愛のおじいさんで、柏ちゃんを育てた斧寺識霧さんのお父さんで、柏ちゃんを庇って亡くなったって……」
「そう、唐沢は斧寺霧人の意識がエミの中に入り込んだことで、今のエミが成り立ったって考えてる。だから唐沢はエミから斧寺霧人を切り離す目的で動いてる。普通に考えたら死んだ人間が他人の中に入り込むなんてことはあり得ないけど、さっきのエミの話が真実だとしたらどう?」
「……あ!」
樫添さんも私と同じ可能性にたどり着いたようだ。
「柏ちゃんが語った記憶は……斧寺霧人のもの……?」
つまり斧寺霧人は、十四年前の事件よりも以前からエミと関わっていたのかもしれない。
「エミが語った記憶だと『目の前に白樺隆がいた』ということだけど、もしその視点がエミじゃなくて斧寺霧人のものだとしたら、アイツはエミだけじゃなくて白樺隆とその娘である楢崎久蕗絵とも親交があった。そう考えるべきね」
「で、でも、その人って警察官だったんですよね? 俳優の白樺さんとどこで知り合ったんでしょうか……?」
そんなの、答えはひとつしかない。
「……唐沢ね」
「あ!」
「唐沢は斧寺霧人を信奉してて、何らかの理由で白樺隆に紹介した。そしてその行動が巡り巡って、エミが斧寺霧人の影響を受けて『絶望』を求める心を得る結果に至った」
斧寺霧人と白樺隆の間に何があったのかなんてわからない。ただ少なくとも白樺は斧寺霧人を激しく憎んでいる。
もし唐沢が、最初からこの結果を見越して斧寺霧人を紹介したのだとしたら。悪意を持って白樺を破滅させるために斧寺霧人と会わせたのだとしたら。
その結果、エミが『容赦なく殺される』という生き方を選んでしまったのだとしたら。
「失礼します、柏恵美さんのお連れ様ですね?」
「あ、はい!」
「状態をご説明しますので、こちらに来てください」
病院の職員から声をかけられ、瞬時に頭を切り替える。今はエミの状態を把握するのが先だ。
【7月29日 午後5時11分】
連れてこられた病室のベッドにはエミが寝かされていた。見た感じは苦しんでいる様子もなく、静かに眠っている。
「検査の結果、外傷や内出血等はありませんでした。脈拍や呼吸にも異常はありませんので、おそらくは精神的なショックが原因かもしれません」
「わかりました……ありがとうございます」
「意識が戻られた後に改めて検査を行い、それで異常がなければ退院できるでしょう。その間にご家族への連絡やお着替えの用意はそちらでお願いします」
医者の説明にホッと胸を撫でおろす。よかった、エミはまだ死んでない。
「面会時間の終了時刻は6時ですので、それまではこちらにいて大丈夫です。それでは何かありましたらお知らせください」
医者が退室するのを見届けた後、これからのことを話し合う。
「とにかく、エミがこうなった以上は唐沢のことは後回しね。さすがにアイツらもエミが病院にいたら手出しできないだろうし」
「そうですね。というかなんか疲れちゃいましたね」
樫添さんがぐったりとしながら椅子に座るのを見て、朝飛さんがくすくす笑った。
「樫添さん、今日ずっと走りっぱなしだもんね。まあ、それは私もだけど」
「……余裕って感じの顔してますね」
「そりゃそうだよ。保育士って体力ないとやってられないし。私の場合は子供を落ち着かせるのは得意だからそんなに苦労してないけどね」
『落ち着かせてる』のか、『怖がらせてる』のかは確認しないでおこう。
「とりあえずあなたたちも少し休んだら? 私、飲み物買ってくるよ。なにがいい?」
「いいんですか? じゃあ、麦茶をお願いします」
「ありがとうございます。私はココアをお願いします」
「あれ、黛さんって甘い飲み物好きなんだね。まあいいや、行ってくる」
朝飛さんが出て行ったのを見届けて、改めてエミの顔を覗き込む。
今はただ寝ているだけに見える。でも、エミにとって過去の記憶はあれだけ苦しむほどに思い出したくないものだったのかもしれない。
考えてみれば当たり前だ。エミに何があったのかは知らないけど、何かの事件に巻き込まれていたのは確かで、その結果斧寺霧人は命を落とした。その事件があったからこそ、エミは『絶望』を求めるようになった。
エミにとって『絶望』を求めるようになる前の自分は、切り捨てたい過去なのかもしれない。
「う、ん……?」
その時、エミの口から微かな声が漏れた。さらには両目が少しずつ開かれている。
「エミ、気がついた?」
大声を出しそうになるのを堪えて、小さな声で語り掛ける。よかった……また私はエミと過ごせる。エミはまだ私の前にいてくれる。
「……」
私の顔を見たエミは、なぜか不思議そうな表情でこちらを見つめてくる。なんだろう、いつもだったらこの状況でも余裕のある顔をしてそうなのに、今のエミはどこか無防備というか……うまく言えないけど、『エミ』という人間を感じられない。
私の違和感をよそに、エミは口を開いた。
「……おねえちゃんは、だれ?」
「え?」
「クロエおねえちゃんじゃないよね? だれ?」
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