私はカオルコの友達であり、その友情は何があっても揺るがないものだと信じていた。何もせずとも、その関係が保てると愚かにも思いこんでいた。
だけど違った。たとえどんなにお互いを親友だと思っていても、どちらかがどちらかに合わせないといけない時がある。そうしないと、関係が保てない時がある。
しかしあの時の私は、そんなことを全く理解していなかった。
「カオルコ、今なんて……?」
聞き違いだと思った。カオルコにそんな趣味があるようには見えなかったし、私はカオルコのことをよく理解しているつもりだった。だからその言葉は何かの間違いだと思った。間違いであって欲しかった。
だけど彼女は、もう一度言ってしまった。
「だから、その……私は三年の柏恵美って先輩のことが気になってるんだよね……」
柏恵美。
確認するまでもなく、それは女性の名前だった。そもそも、私も柏恵美という上級生のことは知っている。入学した当初からその名前は何度も耳にしていたからだ。
何でも、『他人に殺されたい』などと狂った思想を持っている異常者だという噂が立っていて、事実として彼女は何人かの生徒から暴力を振るわれてもまるで抵抗しないことで有名らしい。そうしたことから、『カカシ女』などという蔑称まで付いているとか。
一度だけだったが、私も柏恵美の姿を目にしたことはある。怪我をしているせいか腕や足に包帯を巻いている痛々しい姿をしていた。だがその表情はいじめを受けている人間特有の卑屈なものではなく、むしろ不敵とも言える微笑みを浮かべていた。それが何とも異様な雰囲気を醸し出していたことを覚えている。しかし学年も違うし、私とは関わることは無いと思っていたので特に彼女のことを気にしてはいなかった。
だがここに来て、よりによってカオルコの口からその名前が発せられた。しかも、意中の相手の名前として。
それに動揺しないほど、私は世の中の常識から外れた存在ではなかったようだ。
「あ、ははは、びっくりするよね……私もびっくりしてるんだ。でも私ね、柏先輩のこと、本気で格好良いなって思ってるんだよね……」
カオルコにしては珍しく、いつもの人懐っこい笑顔ではない、ひきつった笑顔を浮かべていた。私はそれが無性に腹が立った。カオルコにそんな顔をさせる、柏恵美の存在が気にくわなかった。
「カオルコ、あのさ……柏恵美についての噂は知ってるのかい?」
「うん、知ってる。学校中から嫌われてるんだよね? でも最近じゃそれも収まってきたって聞いたんだ。だから……」
「悪いことは言わない。あの人には関わらない方がいいよ」
確かに入学した直後は柏恵美に対する暴力がひどかったと聞いているが、最近ではそれも収まってきたらしい。代わりに私たちと同じ学年の萱愛とかいう男子が、中学時代に同じ塾に通っていた男子を自殺させたとかで嫌われ始めているらしいが。
要するにカオルコは柏恵美の悪評が収まってきた今なら、自分が柏恵美と付き合っても特に危ない目には遭わないと言いたいのだろう。
だけどその程度では、私を納得させるには足りなかった。
「嫌われていようが嫌われてなかろうが、そもそも柏恵美は女だ。カオルコが付き合うべき相手じゃない」
「だけど、私は……」
「カオルコ、もしかしたら君はただ単に憧れているだけなのを恋愛感情だと誤解……」
「アサミ!」
だがカオルコは私の言葉を大声で制止した。
「……そんなこと、言わないでよ。私は本気なんだよ?」
「カオルコ……」
「私だって、こんなの普通じゃないってわかってる。アサミの言いたいこともわかる。でも私は、本気で柏先輩のことが好きなの。一目見たときから、一緒に暮らしたいって思ったの」
「……」
いつぶりだろうか、カオルコのこんなに真剣な表情を見たのは。どうやら本当に彼女は柏恵美に恋心を抱いているようだ。そうであるなら、例え世間一般では受け入れられない恋だとしても、友人である私は応援するべきではないだろうか。
「……わかったよ。カオルコが本気なのはよくわかった。もう何も言わないよ」
「……ごめんね、いきなりこんなこと言ったらびっくりするよね」
「いいさ。カオルコが本気なら、私も協力する。とりあえず柏恵美について、私も調べてみるよ」
「本当!? ありがとう!」
こうして私は親友の恋を応援するため、柏恵美のことを出来る限り調べることとなった。だけどそう決断した後でも、私の心に残った『ある感情』は消えていなかった。
数日後。
この日は体育館で全校集会があり、校長が学校生活を送る際の心得について挨拶をしていた。『何か思い悩むことがあったら、自分たちだけで抱え込まないように』という内容だった。校長がこんな話をするのは、おそらく私たちが入学する前に学校内で複数の自殺者が出たからだろう。それ以来生徒がなるべくストレスを抱え込まないように教師たちも気を遣っているようだ。
私はあまりその話に興味がなかったので聞き流していたし、周りの生徒たちもあまり真剣には聞いていなかった。そんな集会が終わり、教室に戻ろうとした時だった。
「あの、C組の飛天さんだよね?」
後ろから私に声をかける男子がいた。坊主頭で、いかにも体育会系と言わんばかりの大きな声が特徴的な男だった。
「そうだけど、アンタは?」
「俺、A組の菊江って言うんだけど。後小橋川さんと同じクラスなんだ」
「ああ、カオルコの知り合い?」
「う、その、知り合いに……なりたいっていうか……」
「……?」
見た目に依らず、歯切れの悪い返答をした菊江に少し苛立ちを感じたが、その直後に彼は私の手を引いた。
「お、おい……!」
「ごめん、ちょっと来て」
私は菊江に連れられ、人が滅多に来ないであろう、屋上の扉の前に連れてこられた。
「なんなんだ、こんなところにまで連れてきて」
「ごめんな。ただ俺も聞きたいことがあってさ」
そして菊江は意を決したように言った。
「その……後小橋川さんって、付き合っている人とかいるの?」
「は?」
「いやさ、飛天さんって後小橋川さんと友達なんだろ? だからあの人に好きな人がいるとかって知らないかなって思ってさ」
「……ふーん、そういうことね」
要するに菊江はカオルコのことが好きで、彼女に現在彼氏がいるかどうかを私に確認するためにこんなことをしたということか。なるほどね……
「今、カオルコには彼氏はいないよ」
「そ、そうなのか!?」
私の返答に、菊江は嬉しそうに目を輝かせる。
「ただ、好きな人がいるとは言っていたけどね」
「そ、そうなのか……」
今度は残念そうに肩をガックリと落として息を吐いた。なんともわかりやすい男だ。カオルコの好きな人が女性だということは黙っていた方がいいな。
「まあそんなに気を落とさなくてもいいさ。カオルコの気持ちがアンタに向く可能性だってまだゼロじゃない」
「そ、そうだよな! なあ飛天さん、後小橋川さんの好きな男のタイプとかって知らないか!?」
「うーん、どうだろうなあ……あ、でも髪は短い方が好みなんじゃないかな?」
「お、おお! 俺にも望みがあるな!」
この場合の『髪は短い』は、『女子の中では』というニュアンスを含んでいるのだが、そんなことを言うわけにもいかなかった。
「よしわかった! 俺、ちょっと頑張って後小橋川さんにアタックしてみるよ! ありがとうな、飛天さん!」
「あんまりやり過ぎてストーカー扱いされないように気をつけなよ?」
「わかってるって! よーし、やってやるぜ!」
菊江は身体の前で握り拳を作って気合いを入れるように叫ぶと、勢いよく階段を下りていった。全く、直情的なヤツだ。だけど私は思ってしまった。
菊江と付き合った方が、カオルコのためなのではないかと。
それから。
私はカオルコと約束したこともあり、柏恵美について調べ始めた。三年生たちにそれとなく聞き込みをしてみたが、やはり噂通り、『殺されたがり』の思想を持っている異常者として有名らしい。そして以前は何度も暴力を受けていたのを、樫添保奈美という女子生徒が守っていたということも聞き出した。
だが私が気になったのは、それらとは別のことだった。何でも学校関係者ではないとある女性が、頻繁に学校内に出入りしているらしい。そしてその女性は、決まって柏恵美を迎えにくるそうだ。
同じ学校の生徒ならまだしも、学校関係者でもない人間がわざわざ高校生を迎えに来るなど、どう考えても普通じゃない。聞き込みを続けてみると、その女性はこの高校の卒業生であり、在校している時から樫添と共に柏を守っていたという。おそらく彼女が頻繁に学校に出入りしているのも、柏が気になるからだろうと推測している生徒もいた。
しかし只の友人でしかない人間が、高校を卒業してからも柏恵美を守ろうとするだろうか。自分の生活と柏恵美を守るという行動を両立させようとするだろうか。
つまり、その女性――黛瑠璃子は、柏恵美と『そういう』関係なのではないだろうか。
柏にその気があるとしたらこちらにすれば好都合だが、既に相手がいる状態であればカオルコには勝ち目がない。やはりこの恋は、叶わぬ恋だったのだ。
しかしどうする? カオルコに素直にこのことを伝えるか? しかし柏にその気があると彼女が知ったら、黛を押しのけて自分がその立場に成り代わろうと無茶をするかもしれない。それはダメだ。
だとしたらやはり、柏は女性を恋愛対象とは見れない人間だったとカオルコに伝える他無いだろう。問題はそれでカオルコが諦めるかどうかだ。
そうなると……やはり菊江に動いてもらうしかないか。
私はとある作戦を思いつき、実行に移す準備を始めた。
――それが取り返しのつかない事態を招くとも知らずに。
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