柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第十四話 『レプリカ』の友情・3

公開日時: 2021年1月31日(日) 20:17
更新日時: 2021年2月9日(火) 20:49
文字数:5,395


「飛天さん、話ってなんだい?」


 私は放課後の教室に菊江を呼びだし、話をすることにした。彼はわざわざ部活を抜け出してきたようで、ソワソワと周りを見回している。


「悪かったね、忙しいところ」

「いやいいさ。もしかして後小橋川ついこばしがわさん関連の話?」

「そうさ。確認するけど、アンタはカオルコと付き合いたいってことでいいんだよね?」


 後から『実はその気はありませんでした』と言われても困るので、再度菊江の意志を確認しておく。


「……ああ、そうだよ。はっきり言うのも恥ずかしいけど……」


 真っ直ぐ私の目を見て返答した菊江だったが、直ぐに顔を赤らめて目を逸らしてしまう。どこまでも純情な男ではあったが、こちらとしては好都合だ。


「実はさ……ちょっと聞いたところ、カオルコは好きな人を諦めたって言ってるんだよね」

「え! 本当か!?」


 その質問の答えは『ノー』であるが、それは心の中で留めておく。

 私の作戦はこうだ。まず菊江にカオルコが恋を諦めたと伝える。こうでもしないと純情すぎる菊江はカオルコに好意を伝えようとしないからだ。

 そして次に、カオルコには柏恵美が女性を恋愛対象とは見ていないと伝える。もしかしたらこれだけでは彼女は諦めないかもしれないが、それでもいい。彼女が少しでも『失恋した』という考えを抱けば十分なのだ。

 最後に、カオルコが柏恵美を諦めかけたタイミングを見計らって菊江に告白させる。少し強引な手だが、カオルコも菊江と付き合ううちに考えを改めるかもしれない。そう、それが一番彼女にとっていいはずだ。


 だって、女が女と付き合うなんて――


 しかし私はその感情が言葉になる前に頭を振り、心の外に追いやった。



 翌日、私は始業よりかなり早い時間にカオルコを教室に呼び出し、柏恵美のことを話した。


「そっか……柏先輩には付き合ってる男の人がいるんだ……」

「残念だけどね……」


 カオルコは無理をして笑顔を作っていたが、両手を力一杯握りしめて何かに耐えているようだった。


「は、はは……そうだよね……いくら柏先輩だって、付き合うのは男の人だよね……」


 私を見ながら彼女は再度微笑む。しかしその目尻には微かに涙が溜まっていた。こんな彼女の姿を見たくはない。しかし彼女が柏恵美の真実を知ったとしても、黛瑠璃子という存在がいる限りどの道こうなるのだ。これは仕方のないことだ。


「うん、ありがとうアサミ。私のために色々調べてくれて」

「いいさ。今回のことは残念だけど、まだ高校に入ったばかりだしさ、他に良い人はいっぱいいるよ」

「そうだね……」


 しかしカオルコはまだ納得できない表情をしていた。生まれて初めて経験する失恋を受け入れられないのだろう。私はそんな彼女の様子を見て、しばらくは菊江を紹介するのは止めておくのが得策だと判断した。


「カオルコ、とりあえずこのことは早く忘れよう。そうだ、今日学校が終わったらアイスでも食べに行かないか? 確か好きな店があったろ?」

「う、うん。そうだね、こういう時はパーッと遊んで忘れちゃおうか!」

「はは、いつもの調子に戻ってきたね」


 こうして私たちは、放課後にアイスクリーム店に寄る約束をして、カオルコは自分の教室に戻った。



 放課後。


「あっ! 季節限定のアイス、今日からなんだ!」

「本当だ。今日来てよかっただろ? そうだ、ここは私が出すよ」

「やった! ありがとうアサミ!」


 私たちは朝の約束通り、繁華街にあるアイスクリーム店に寄っていた。この店はファーストフード店のように入り口でフレーバーを購入し、奥のスペースで食事が出来るようになっている。もうすぐ気温も上がって夏が訪れる季節というのもあって、平日でも店内はそれなりに混んでいた。

 しかし運良く、窓際の席が空いていたので私たちはそこに座る。窓からは繁華街の大通りを見ることが出来た。


「んーっ! おいしいねこれ!」

「やっぱりカオルコはシャーベットのタイプが好きなんだね。それって何味?」

「レモンとオレンジが組み合わさっているやつだって書いてあった」

「ああ、柑橘系好きだもんね」

「アサミのは?」

「私はキャラメル味。似合わないでしょ?」

「うん、まあ、アサミは甘いもの食べてること自体、意外に思う人もいるんじゃない?」

「はっきり言うなあ……」

「あはは!」


 取り留めのない会話を続けながら、アイスの味を噛みしめる。少し苦みのあるキャラメル味は私の好きな味というのもあるが、カオルコとの楽しい一時が、私の幸福感をさらに上げているのは間違いなかった。

 

「そういえばさ、あれ……?」


 しかしそんな会話を続けていた最中、突然カオルコが窓の外を見ながら目を見開いた。何かあったのかと、彼女の視線の先を追ってみると……


「え……?」


 そこには――


「か、しわ、先輩……?」


 今朝、カオルコが恋の成就を諦めた相手である柏恵美その人と……


「どういう、こと……?」


 その彼女と腕を組んだ状態で歩いている、黛瑠璃子の姿があった。 

 

「アサミ、あれって……柏先輩、だよね……?」

「あ、ああ……」


 まずい、まさかよりによってこんなタイミングでカオルコが柏と黛の関係を知ってしまうとは。いや待て。まだカオルコには誤魔化せる。私が上手く言えば誤魔化せる。


「どうやら、仲のいいお友達がいるそうだね……」

「え?」

「いや、普通に考えたらそうだろ? 女友達同士で腕を組むことなんて珍しい光景でもない」

「そ、そっか、そうだよね……」


 どうにかこうにか誤魔化す言葉は出てきたが、カオルコはどこか釈然としていないようだ。しかしここで変に言葉を重ねれば疑いを強めるかもしれない。だから私は沈黙するしか無かった。

 だがそんな私をあざ笑うかのように、事態はさらに急転した。


「エミ、ちょっとアイス食べてかない?」

「ほう、アイスか。確かにそろそろ冷たいものが食べたくなる季節だね」


 柏たちが私たちのいる窓の直ぐ向こうにまで近づいて会話を始めたのだ。しかも窓が少し開いていたので、その会話も全て聞こえてしまう。


「ところでルリ、ここはクレープは売っていそうかね?」

「いや……それは売ってないわよ多分。クレープが売ってるお店の方がいい?」

「くふふ、私が君の決定に逆らえるはずがないだろう? 君は私の支配者なのだから」

「も、もう! そういう話をこんな目立つ所でしないでよ!」


 恥ずかしそうに顔を赤らめる黛に対し、柏は芝居がかった口調で日常ではまず耳にしない単語を口にする。


 黛を、自分の『支配者』だと言っている。


 やはりそうだったのだ。この二人は『そういう』関係だったのだ。そして最悪なことに……


「……アサミ」


 カオルコがそれを知ってしまった。


「どういうことなの?」


 カオルコは無表情で私を見ている。そこにはいつもの人懐っこい彼女の姿はまるで重ならない。その顔を見ていると、私の口の中が急速に乾いていく。さっきまで私に幸福感を与えていたアイスの味も、まるで感じられなくなった。


「ねえアサミ、あなた言ってたよね? 柏先輩は女の人を恋愛対象とは見ていないって」

「そ、それは……」

「まさか私に嘘をついていたの? アサミはこのことを知っていたの?」

「いや、私は、知らな、かったさ……」


 だがその拙い嘘が、彼女の疑惑を更に深める結果となった。


「だったら何で柏先輩が女性を恋人にはしないって確信できたの? そもそもあなたは柏先輩は男の人と付き合っているって言ってたよね? なのにこれはおかしいよね?」

「い、いや……」


「アサミ、あなたもしかして、私のことを応援する気はなかったの?」


 その言葉が、私の心を打ち抜いた。確かにそうだ、私はカオルコの恋を応援する気などなかった。だって――


 女が女と付き合うなんて、『気持ち悪い』じゃないか……


「なんで? どうして何も言ってくれないの!?」

「……」

「もういい! アサミなんて大っ嫌い!」


 テーブルを強く叩きながら立ち上がったカオルコは、当然のことながら私のことを振り返ることなくアイス店を出て行った。

 私は窓の外で柏たちが不思議そうに店の入り口を見ているのを、呆然としながら見つめているしかなかった。


 その後。

 帰宅した私は直ぐに自分の部屋に入り、親の呼びかける声にも反応しないまま一夜を過ごした。

 どこだ。どこでこうなってしまった。どこで私は間違えた。私はカオルコのために行動しているつもりだった。だけど結果的に彼女を怒らせてしまった。

 私が彼女の恋を応援しなかったのが間違いだったのか? それとも彼女に嘘を吐いたのが間違いだったのか? もしくはその両方が間違いだったのか?

 いくら考えても私の頭は答えにたどり着かない。それはそうだろう、私はカオルコではないのだから。

 そんなことを考えていたら、ついに眠れないまま朝が来てしまった。


 そしてこの日こそが、私の地獄の始まりだった。



 呼びかけに応じなかった両親の叱責から逃げるようにして、私はいつも通りに登校した。だけど今日の登校は言うまでもなく一人だ。隣にカオルコはいない。学校までの道のりがいつもより遠く感じられる上に、身体も重さを増しているように思えた。これは寝不足だけが原因ではないだろう。

 身体を引きずるようにして、私はいつもより十五分も遅く教室に到着した。教室にいても私に話しかけるクラスメイトはいない。カオルコを失った私は一人ぼっちだ。

 これからどうやって学校生活を過ごそうか。そう考えている時だった。


「おい聞いたかよ?」

「ああ、A組の後小橋川ついこばしがわだろ? 噂になってるよな?」


「ああ、何でもアイツ、あの『カカシ女』が好きらしいぜ」


 ……え?

 クラスメイトたちが顔に嘲るような笑いを貼り付けて会話している。カオルコについて会話している。


 カオルコが柏恵美が好きだということがバレている。


 なんで? なんでコイツ等がそんなことを知っている? まさかあの場にうちのクラスの人間がいたのか!? あの場所にいればカオルコが柏を好きだということは把握できる。そしてそれを知れば、面白半分で噂を広げてもおかしくない。

 

 待て、それだとA組に噂が広まるのは時間の問題じゃないか?


「……っ!」


 私は一目散にA組の教室に向かい、カオルコの姿を探した。どこだ、彼女はどこに……

 しかしいくら探してもカオルコの姿は見あたらなかった。仕方なく、近くにいた女子生徒に質問してみる。


「ちょっと、カオルコ……後小橋川ついこばしがわさんは?」

「え? ああ、教室に来るなり菊江くんにどこかに連れて行かれたけど?」

「菊江に!?」

「あれ、そういえばアンタ、後小橋川ついこばしがわさんの友達だよね? ということは……」


 そして女子生徒は先ほどのクラスメイトたちと同じ種類の笑みを貼り付ける。


「アンタも女の子が好きなの?」


「……!!」


 なんということだ……まさかもう噂がここまで広がっているなんて……

 このままではまずい、一刻も早くカオルコを助け……


 助ける? どうやって?


 私に何が出来る? ここまで噂が広まってしまっては、もうカオルコを助けるなんて私だけに出来るはずがない。

 そもそも私がカオルコを助けようとすれば、私だって危ないんじゃないか? 目の前にいる女子生徒だって、私を『そういう』目で見ていた。このままカオルコを助けようとすれば私まで……


「……そんなわけないだろ」


 だから、恐怖に駆られた私は、言ってしまった。


「女の子が好きなわけないだろ? 私はあの子みたいな異常者じゃない」


 カオルコを、保身のために見捨ててしまった。



 カオルコを探すことなく教室に戻った私は、必死に自分に言い聞かせていた。

 

 私は悪くない。私は悪くない。カオルコが悪いんだ。女を恋愛対象にするカオルコが悪いんだ。

 カオルコだって私のことを大嫌いだと言った。だからこれは仕返しだ。そうだ、これでイーブンのはずだ。私は悪くない。


 だけどそんな自己保身にまみれた最低の女の耳に、つんざくような悲鳴が届いた。


「ああああああっ!!」


 悲鳴はクラスメイトにも届いたようで、彼らは一斉に窓の外を見る。そして窓から地面を見下ろした一人の男子生徒が言った。


「お、おい! あいつ、血を流してるぞ!」


 その言葉に反応して、私も窓から下を見る。そこには――


「カ、カオルコ!?」


 顔から血を流して地面を転げ回っているカオルコと、それを呆然と見つめるい菊江の姿があった。



 ……後から聞いた話だと、事の顛末はこうだ。

 カオルコの噂を知った菊江はすぐさまカオルコを校舎裏に呼び出した。

 そして問いつめたのだそうだ。本当に君は女の子が好きなのか。俺なんかより、柏恵美が好きなのか。

 そしてカオルコは言った。本当だと。それにショックを受けた菊江は、思わずカオルコを突き飛ばしたそうだ。

 

 そして運悪く、突き飛ばされた先には破損して穴が開いたバイプがあった。


 パイプの穴に顔を引っかけたカオルコは、左頬に大きな傷を負って血を流した。私たちが見たのはその場面だ。

 そして菊江は駆けつけた教師によって事情を聞かれることとなった。しかしそんなことはどうでもよかった。

 

 問題は、私がカオルコを助けに行かなかったことだ。


 私は保身のためにカオルコを見捨てた。その結果、彼女は顔に大きな傷を負ってしまった。

 私のせいだ。私のせいでカオルコは普通の幸せを送ることすら出来なくなった。私がカオルコの恋を応援していればこんなことにはならなかった。

 だけどそんなことを後悔しても遅い。私の罪悪感は既にこの身体を焼き始めている。


 こうしてこの日から、私は保身のために友達を見捨てた最低の罪人として、地獄に堕ちた。

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