数時間前。俺は柏と共に、電車に乗っていた。
「ふふふ、君も中々甲斐性があるじゃないか。私と二人きりでの、愛の逃避行を提案するとはね」
「……黙れ、本当はお前を殺すのが一番手っ取り早いことはわかっている。俺が最後の手段をとらないという保障はないぞ」
「その言葉を香車くんが言ったのならば、文字通り天にも昇る気持ちになっただろうな。だからこそ惜しいよ。君が『狩る側』であれば、すぐにでもこの身を捧げているのにね」
……もう、こいつとの会話は必要最低限にしよう。こっちまでおかしくなりそうだ。
三日前。
二度目の廃工場での一件の後。俺は呆然としている黛を置いて、すぐに柏を追った。ヤツに追いつくのにそれほど時間は掛からず、あの時の発言を問いただした。
「本当に、この街を出るんだな?」
「君も心配性だね。私は約束は守るよ」
「俺がお前を信用すると思うか?」
「ふむ、証明する方法は、ないか」
わからない。こいつの意図がわからない。
黛に危険が及ばないとわかった以上、俺の要求を呑む必要はないはずだ。やはり、こいつは何かを企んでいるとしか思えない。
――だが、見くびるなよ柏恵美。
俺だって、手を打っていなかったわけじゃない。
「……街を出るなら、俺が協力してやる」
「ほう? 君が?」
「そうだ、俺の親戚は企業家でな。高校生に住み込みの仕事を紹介するくらいのツテを持っている」
「なるほど、つまり……」
柏は俺の意図を汲み取った。
「私を君の監視下に置くと言っているのかな?」
その言葉に一抹の不安を感じながらも、とりあえず柏の携帯電話を奪い暗証番号を聞き出し、香車の番号とメールをそれぞれ受信拒否にした後、俺は一旦柏と別れて香車を見守ることにした。
そして現在。
俺は事前に両親に頭を下げ、「乱暴された彼女を遠くの街で療養させたい」という名目で、柏と企業家の親戚を会わせる機会を作った。
柏が俺の彼女という設定は正直身震いがしたが、これも香車のためだ。
親戚と話し合うため、学校を休んで泊りがけで隣町の××町にある家に行くことにした。そして目的の駅に着き、約束の時間まで間があるため喫茶店で時間を潰すことになった。
だが、あの女は行く先々でトラブルを起こすようだ。まあ、香車が被害を受けなければいいのだが。
とにかく、現在俺たちは――
目的の親戚の息子、長船道秀と喫茶店で雑談している。
「いやまさか、幸四郎の彼女がこんな美人とはなぁ」
道秀さんは人との距離感がわからないのか、結構、他人の領域に入り込んでくるタイプだった。
「いや、まあ……」
そう、今は柏が俺の彼女という設定なのだ。
自然に振舞わなければならないが、どうもぎこちなくなってしまう。
「道秀さん……彼女はちょっと色々あったので、あまり……」
「私は構わないよ」
せっかく、ボロが出ないよう話を切り上げようとしたのに、柏がそれを遮ってしまった。
「はじめまして、かな? 私の連れは君を知っているようだが」
そして柏は――
「さて、初対面なのだから自己紹介をしようか」
自分の設定を忘れたかの如く――
「私の名前は柏恵美。今から君と関わる者だ」
いつもの微笑みで、自己紹介をした。
「あ、ああ、よろしく。俺は長船道秀だ。ところで……」
道秀さんは、すこし躊躇ったあとに質問を投げかける。
「なんか……柏さんって、随分変わった話し方するけど、最近の流行なの?」
こんな流行があってたまるか。
「ああ、これは癖というか体質のようなものだ。お気に召さないかな?」
「あ、いや、俺は別にいいんだけどね……」
道秀さんは俺を見る。こんな女と付き合って大丈夫なのかと言いたいのだろう。
……まあ、実際付き合ったら大丈夫じゃないだろうな。
「道秀さん、そろそろ約束の時間なのでご自宅に伺いたいのですが」
「ん、そうか。じゃあ俺が家まで案内するよ。歩いて来るのは初めてだろ?」
「ええ、助かります」
そうして俺たちは、道秀さんの家に向かうことになった。
※※※
幸四郎が学校を休んでいるらしい。それを知ったのは、僕が退院した翌日だった。
彼は退院する前日も見舞いに来てくれていたというのに、退院には付き添っていなかった。
一番最近の彼との会話を思い出す。
「香車、お前の携帯電話を貸せ」
「え? なんで?」
「いいから貸せ。やることがある」
仕方なく携帯電話を幸四郎に渡したところ、彼は何か操作をしているようだった。
「よし、これでいい」
そう言って幸四郎はやることがあると言い、病室を出て行った。
返ってきた携帯電話を調べてみる。すると、柏さんの電話番号が着信拒否になっていた。メールも受信できないようになっている。さらに、暗証番号を初期設定から変えられ、着信拒否を解除することが出来ない。
まずいことになった。
柏さんと連絡が取れないことじゃない。幸四郎が僕の意思に感づいたことがまずい。
しかし、退院した後に彼が姿を消したことを考えると、彼は僕ではなく、柏さんをどうにかしようと考えているようだ。つまり、柏さんがいなければ僕が「狩り」をしなくなると考えている。
だけどそれは違う。
彼女を狩るのは僕の意思だし、彼女は僕の獲物だ。幸四郎は大切な友人だ。出来れば、彼とは良い関係を続けていきたい。
――出来れば。
もしかしたら、幸四郎は柏さんを僕から引き離そうとしているのかもしれない。
それはいやだ。僕は一番最初に彼女を狩りたい。
そう、もし彼が僕の「狩り」をどうしても容認せず、邪魔をするというのであれば、その時は非常に残念だけれど……
――容赦は、しない。
そう思いながら、僕は事前に柏さんと決めていたことを思い出し、携帯電話のある機能を起動した。
※※※
エミが休学しているらしい。そのことを、私は目の前にいる人物から聞いた。
「どう思います? この間の事件といい、無関係ではありませんよね?」
目の前の人物――樫添さんは、私に問いただした。
「黛センパイなら、何か知っているんじゃないんですか?」
知っている。そう、私は知っているのだ。エミの失踪が廃工場で起こった二つの出来事と関係していることも。柳端がエミを遠くの街に追いやって、自分の監視下に置こうとしていることも。
でも――
「エミは……色々あったから、疲れているんだよ。きっと」
もう、私はエミの横にはいられなかった。エミが私を拒絶した以上、そこは私の居場所ではなかった。だからもう……私には友達がいない。
「そんな嘘で、私を騙せると思っているの?」
突然、樫添さんの雰囲気が変わった。
「あんたは本当にそれでいいの? 大切な友達が理由も無しにいなくなって、それでいいの?」
いい訳がない。そんなことは分かっている。
だけど私は怖かった。再び、拒絶されるのが怖かった。
エミが私を生贄としか考えていないと言ってくるのが怖かった。
だから――
「……いいわ、柏恵美の居場所を教えてよ。そしたら、私だけであの女を追うから」
まさかの発言に、思わず顔を上げた。
「樫添さん、あなたエミを……」
「あの女のことだから、どうせ殺されるために行動しているんでしょ?だから、私はあの女を追う。あいつの思い通りに事が運ぶのは気に食わない」
樫添さんがエミを追う? いや、この場合は――
エミを助けようとしている?
「エミを……助けてくれるの?」
「勘違いしないで欲しいの。あの女が個人的に気に食わないだけ。まあ……」
その発言の後、樫添さんは……
「柏ちゃんには……借りがあるしね」
顔を赤らめ、目を逸らしながら言った。
「とにかく! あの女の居場所を教えてよ! どうせあんたは何か知っているんでしょ!?」
樫添さんがエミを助けようとしている。私は、どうしたい? 決まっている。
エミと、もう一度会いたい。
「……わかった。だけど、私も行く。私はエミに会いに行く」
そして、エミの真意を聞き出し、彼女を救う。
「決まりですね。準備をして、そこに向かいましょう」
こうして、私と樫添さんは次の日の朝に××町に向かうことにした。
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