「黛の意識を取り戻すための取引だと?」
自分で言ってて意味がわからなかったが、確かに晴天はそう言った。夕飛さんや曇天さんもまだ動揺しているのか、口を開けずにいる。
「あれ、黙ってるってことはボクの取引に乗ってくれるってことでいいんですかね? じゃ、話を進めましょうか」
それに構わず晴天は話を進めようとした。このままペースを握られるのはまずい。
「その前に、今の言葉は黛がお前らの手に落ちたって宣言したようなもんだぞ。場合によっては警察に通報して動いてもらうことになる。そうなったらお前らは終わりだ」
「あーあーあー、そういうこと言いますか。つまり君は黛さんのことはそんなに大切ではないんだね」
「なんだと?」
「だってそうだろう? 君が警察に通報したことで、黛さんが“もしかしたら”危なくなる“かも”しれない。君の行動が、黛さんを脅かす“かも”しれない。それを理解した上で、尚もそれを言うのかな?」
「……!」
確かにそうだ。既に黛が晴天の手に落ちているのであれば、コイツの前で通報をほのめかすのは悪手でしかない。次の瞬間、黛の命はなくなってる可能性すらある。
どうする? このまま晴天の話を聞くべきか?
「兄さん、理由を聞かせてください」
「ん? どんてんくん、理由って?」
「なぜ兄さんが黛さんの意識を左右する権利を握っているのか。そして私たちに何をさせる目的でその取引を持ちかけているのか、です」
「あーあーあー、なるほどね。どんてんくんからしたら、黛さんとの関係は薄いもんね。そこ気になるよね」
曇天さんが動いたことで、晴天はそれに答える形となった。あのまま黙って晴天の話を聞くよりは、まずはこちらが聞きたい情報を聞いた方がいい。
「とりあえず、君たちに何をさせたいかって言うとねえ、柏さんに伝えてほしいことがあるんですよ」
「柏様に伝えてほしいこと、ですか?」
「うん。『黛さんは柏さんから離れて遠くに行った』と伝えてほしいんだ」
「……?」
どういうことだ? 黛を攫ったのは、柏にもう二度と会えないようにするということか?
「私がそれを柏様に伝えたとしても、あの方がそれを受け入れるとは思いませんが?」
「そうかな? 柏さんにとって、黛さんは自分の願いを妨害している人だよ? むしろ彼女からしたら、黛さんは自分の前からいなくなってほしいんじゃないかな?」
「どうやらお前は柏と黛の関係を見誤っているようだな。柏にとって、黛はもう絶対の支配者だ。ヤツが自分の前からいなくなるなんてことを信じるはずがない」
「うん、そうなんだよ柳端くん。柏さんにとって、黛さんはいなくなってほしい人だけどいなくなるなんてことはない人なんだ」
「それがどうしたって言うんだ?」
「あーあーあー、つまりさ、ボクは柏さんに『希望』を持って生き続けてほしいわけ。それは知ってるだろ? 柏さんは容赦なく殺されるという『絶望』を求めてるけど、ボクは彼女に『希望』を抱かせたいんだよ」
その時だ。ここまでの話を聞いた俺の中で、今までの晴天の行動や目的が急速に繋がっていった。
柏は黛が自分の願望を潰す存在だと思っている。そしてそれを新たな『絶望』としている。柏が抱く、殺されるという『絶望』と黛がそれを潰すという『絶望』。それらは相反するものではあるが、同時に潰すことができる方法がある。
「黛が……“生きているかもしれない”という『希望』……!!」
思わず呟いた俺の顔を、夕飛さんと曇天さんが見る。そうだ、それが晴天の狙いだったんだ。柏は黛がいる限り、自分は殺されないと思っている。逆に言えば、黛が死んでいれば自分が殺されるという『絶望』に向かっていく。
だが、そのどちらでもない、『黛が生きているかどうかわからない』という状況だと話は変わってくる。柏は黛によってもたらされる『絶望』と、殺されるという『絶望』、その両方に浸ることができなくなる。
なぜなら柏からすれば、黛が“生きているかもしれない”という『希望』を捨てられないからだ。生きて自分の『絶望』を潰しに来るという可能性を捨てられないからだ。だから死に向かうことができない。かと言って、黛が必ず自分を守るという『絶望』にも浸れない。
「うん、とりあえずボクがやってもらいたいことはわかってもらえたようだね。じゃ、なんでボクが黛さんの意識を左右する権利を握っているかを話そうか。君たちがそれを聞きたいって言ったんだからね」
「待て! お前、そんなことをしたら柏は……!」
「待たない。それでだね、ボクたちは今、黛さんをある場所に連れて行っている。そこで何をするかはまあ君たちの想像に任せるけど、ボクたちは黛さんの意識をまあ、遮断することもできるって状態なんだよね」
「……兄さんは黛さんを殺すつもりなのですか?」
「ボクはそんなつもりはないよ。朝飛さんはどうか知らないけど」
「朝飛……!」
その名前が出れば、夕飛さんが黙っているはずもない。
「そういうことでね、柳端くんには柏さんに『黛さんは柏さんに見切りをつけて遠くに行きました』って伝えてほしいんだよ。柏さんはそれだけ知ってればいいから。それだけ知ってれば彼女は『希望』を持って生きていられる。ああ、これでボクの患者はまた救われたんだ。幸せなことじゃないか」
「ふざけんな! その幸せとやらのために黛を殺すのか!?」
「さっきも言ったけどボクにそんなつもりはないよ。というかさ、それを言ったら黛さんも自分のために柏さんの願いを踏みにじったんだろ? まあ、そのおかげで柏さんが今も生きてるんだからボクとしては助かってるんだけど」
「てめえ!」
「あーあーあー、待ってくれよ。これは取引だって言ってるだろ? 君が柏さんにちゃんと伝言をしてくれれば、黛さんは柏さんの知らないところで幸せに生きている“かも”しれない。朝飛さんも引き下がってくれる“かも”しれない。『希望』を捨てちゃいけないよ」
この男は……!
「柳端くん、柏さんに連絡して頂戴」
だが動けずにいた俺に対して、夕飛さんはきっぱりと言い放った。
「夕飛さん! 連絡したら黛が!」
「いいから連絡して頂戴。少なくともまだ黛さんは生きているし朝飛も殺人犯になってない。そして今ならまだ、私たちの前に晴天がいる。柏さんをここに呼ぶのは間違ってない」
「いーんですか、夕飛さん? あなたの最大の目的は朝飛さんを助けることなんじゃないんですか?」
「よくわかってるじゃない。そう、私は朝飛を止めたいしアンタの元から助け出したい。そしてまだ、あの子は一線を超えていない。だからそうなる前に最善を尽くす。柏さんがいれば黛さんを助けやすくなるだろうからね」
「あーあーあー、そうですかね? 朝飛さん、柏さんを見たらどうなりますかね? 邪魔される前にさっさと済ませたいって思っちゃうんじゃないですかね?」
「確かにそうなる“かも”しれないわね。でも私たちが求めてるのは、“そうなるかもしれない”なんて『希望』じゃなくて、自分が望んだ状態にたどり着くための『手段』なのよ」
「……」
「さっさと朝飛と黛さんの居場所を吐いて頂戴。アンタのご高説に付き合ってる暇はないの。私は家族と平和に過ごしたんだから」
夕飛さんの言葉は揺るがなかった。晴天の腕を掴み、自分の前に引き寄せる。
その隙に俺は、柏に連絡を入れた。
「もしもし、柏か?」
『柳端くんか。どうしたのだね?』
「どうやら黛が晴天の指示で生花たちに連れ去られたらしい。俺たちの前に晴天がいる。お前らもすぐにこちらへ来い」
『……そうか。わかった』
柏の声はトーンが低かった。黛の身に危機が迫っていることはこれで確定したわけだ。無理もない。
『だが、ルリがまだ生きているのであれば、空木晴天などに負けるはずもない。彼女が空木医師を打ち倒すところを見物させてもらうとしようか』
「……ああ、早く来いよ」
こちらの詳細な場所を伝えて、電話を切る。やはり柏は、黛のことを信じているようだ。
「取引は不成立ってことですか」
「ええ、そうよ。そしてアンタはこれでまだ黛さんに手を出せない。なにせアンタが黛さんを攫ったのは確定事項。今の時点で黛さんが姿を消せば、柏さんからすれば黛さんが生きているかもしれないなんて『希望』を抱きようがない。そうなると、アンタの目的は潰えるわよね?」
「……やっぱり夕飛さんのこと、ボクは好きですよ」
そう言いながらも、晴天の顔には少しの怒りが込められていた。
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