「どうしてそんなこと言うんですか? 私……柏さんに憧れてたのに」
「君が憧れる私は、実際の私とはかなり違うのだろうね。私がルリに屈伏し、支配されているという事実からも君は目を逸らしている」
「それは黛さんに付き合ってあげてるだけなんでしょう?」
「違うね。私はルリによって自分の願いを潰された。つまり全てはルリの意志だ」
柏先輩は事実を語っている。だがそう判断できるのは、俺が今までに起こった先輩を巡る数々の戦いを知っているからだ。だから財前さんには先輩の言葉が理解できない。
「……イヤですね。柏さんがなんでここに来たのかは知らないですけど、大方そっちの萱愛くんも黛さんの手下ってことですよね? 樫添さんも萱愛くんも、黛さんと結託して柏さんを苦しめてる! いつも、いつもそう! 結局はアンタたちみたいに、誰かを強引にねじ伏せるような人たちがいつも得してる! 私はそういうのがイヤなんですよ!」
「あなたの事情は知りませんが、あなたも俺たちのことは何も知りません。どちらにしろ、あなたたちの思い通りにはさせません!」
黛さんの前にメイジさんがいる以上、ここで足止めをくらうわけにはいかない。しかしここは校庭の端、周りは塀に囲まれているし、校庭に出る道には財前さんがいる。なら彼女をどうにか止めて、先輩たちを逃がすしかないか。
「柏さん、あなたも結局は私と同じだったんですね。黛さんに逆らえなくて、強い人間にねじ伏せられて、我慢して生きていかないといけない。だったらあなたにはわかるはずです。声が大きくて暴力を振るって自分の言うことを聞かせようとする人がどんなに周りを苦しめてるか」
「……私が君の考えを理解できる。そう思うのかね?」
「思いますよ。だって柏さんは強い意志を持って他人に流されない人なんですから。そんな人が何の理由もなくて黛さんに従ってるわけがありません。あなたは何か弱みを握られてるんですよね? そうじゃないとあんな人に従うメリットがないですよね?」
「……」
……縋るように引きつった笑いを浮かべる財前さんの姿を見ると、かつての自分に重なるものがあった。
この人が『柏先輩は何か理由があって仕方なく黛さんに支配されている』と考えるのは無理もない。というか、むしろそう考えるのが普通だし、先輩と出会う前の俺も同じことを考えていた。
しかし、その普通が今回に限っては通用しない。横目で樫添先輩を見ると、困り果てたようにため息をついていた。たぶん今、樫添先輩と俺は同じことを考えている。
今の言葉で、財前さんは完全に柏先輩の怒りを買ってしまった。
「ルリに従うメリットなど、必要ないよ」
「え?」
「強いて言うなら私が彼女に屈伏し、支配されることそのものが最大のメリットだ。私がルリには絶対に勝てず、自分の願いを叶えられないという実感こそが喜びだ。ああ、そうだよ。私は今、ルリに支配されているという幸福を最大限に享受している」
「なに、言ってるんですか? そんなわけがないじゃないですか! だって、そんな関係が幸せなわけが……!」
「私はルリに支配されることが幸福だと、そう言っているのだよ。聞いていなかったのかね?」
「……!!」
財前さんの顔がますますひきつっていく。だけど柏先輩からしてみれば、財前さんは自分の幸せを否定する人間だ。かつての俺のように。だから先輩は財前さんには従わない。
そして何より。
「あっ!?」
「動かないで。あと萱愛! 教師でも誰でもいいから人を呼んで! 柏ちゃんはさっさとセンパイのところに行って!」
「ちょっ……放してよ!」
「黛センパイを否定するようなヤツを野放しにするわけないでしょ!」
こうもあっさりと樫添先輩に身動きを封じられるような人では、柏先輩の欲求を満たせない。
「柏さん! あなたはこれでいいんですか!? こんな乱暴な人たちが、あなたの周りを取り囲んで、押さえつけてるなんて!」
「おやおや、今まで君は私の何を見ていたのだね? 私は今に至るまでずっと、『容赦なく殺されたい』と願い続けてきた。どんなに手を尽くしても、どんなに泣き叫ぼうとも、絶対に助からない『絶望』こそが私の理想だ。そしてその願いを容赦なく潰し、私を強制的に生かし続ける支配者が、他ならぬルリなのだよ」
「なん、で……」
「財前さん、あなたの目論見はもう崩れてます。柏先輩はあなたに助けられることも、黛さんから解放されることも望んでいません。ここは退いてくれませんか?」
「そんなわけがないでしょ! あの女は柏さんが私と二人で遊びに行くことすら許さない! 黛瑠璃子がいる限り、柏さんはもうどこにも行けない! そんなのおかしいでしょ! 悲しすぎるでしょ!」
財前さんの言葉は痛いほどわかる。俺も柏先輩を『助ける』ために奔走し、結果的に自分の過ちを突き付けられた。その痛みが、俺の心に残り続けている。
だけど……柏先輩にとっては、そのおかしくて悲しすぎる関係が幸せなんだ。
「財前くん」
押さえつけられている財前さんに柏先輩は近づいていった。
「君が私の幸福を理解する必要などない。私は誰にも理解されなくていいと、遊園地の時も言ったはずだよ。私が求めているものは君が苦痛だと断じているものと同じだ」
「なんで……! あんな状態が幸せだなんて思えるんですか! 黛さんに押さえつけられて、ずっと行動を把握されてて、柏さんのやりたいことを何もさせてもらえなくて! そんなのが幸せだなんて! 私、あなたと友達になりたかったのに……やっと対等な友達が出来たと思ったのに……!」
「君が私により大きな幸せを与えたいと思うのなら、ルリの目を掻い潜って私を殺しに来るがいい」
「そ、んな……」
涙を流しながらうなだれるその姿を見て、俺の中で忘れていた思いが蘇っていた。
俺は、いや俺たちは、いつの間にか慣れていたんだ。柏先輩が『絶望』を求め、無残に殺されるという願いを持った人間であることが、自分たちの中では当たり前の事実になっていた。
だけどそれは柏先輩と新たに関わり、友人となろうとする人間からすればとてつもない悲劇なのかもしれない。もう柏先輩と黛さんの間に割って入れる人間なんていない。この二人の関係をいかに異常だと指摘しようといかに怒りを向けようと、先輩たちがその生き方を変えることはない。
財前さんでは、柏先輩を救えないんだ。俺と同じように。
「……樫添先輩。彼女を放してあげてください。あとは俺が送り届けます。先輩たちは、早く黛さんのところへ」
「その前に聞いておかないといけないことがあるの。財前さん、メイジの連絡先を教えて。アンタの目論見は崩れたって伝えれば、あっちも諦めるんじゃないの?」
確かに、財前さんは柏先輩から黛さんを引き離して柏先輩を救うことが目的だったんだ。ならそれが崩れた今、説得次第で相手も諦めるはず……
「……そんなの、知りませんよ」
「え?」
「あの男が姉さんの同級生なのは知ってましたけど、黛瑠璃子とまで繋がりがあったなんて知らなかったし、あっちだって私のことなんて知らないはずです。だからあの男が何を企んでるかも知りませんよ」
「じゃ、じゃあ……」
工藤メイジと結託していた協力者。それは……
「萱愛くん、どうやら急ぐ必要がありそうだ」
「え?」
「おそらく、既に敵は動き出している」
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