【7月29日 午後3時42分】
「樫添さんが朝飛さんと一緒にいる!?」
『待って黛さん。朝飛は樫添さんと一緒に逃げてきたって言ってたの。だからたぶん、助けたって意味だと思う』
夕飛さんの言葉をもう一度考えてみると、『一緒に逃げてきた』ということは朝飛さんも捕まっていたということだ。
だとしても私からしてみれば全然安心はできない。樫添さんに迫る危険が『スタジオ唐沢』から棗朝飛に変わったに過ぎない。
『黛さんが電話に全然出ないから、先に私の方に状況を伝えてきたってことなんだけど。着信記録とか残ってない?』
「えーと……あ、確かに樫添さんから来てます」
『それじゃ、すぐ樫添さんに連絡してあげて。私は曇天くんの様子を見に行くわ。一応、『死体同盟』のメンバーではあるからね』
「は、はい。あの……」
『朝飛のこと? あなたからしたら意外でしょうね。あの子が誰かを助けるだなんて』
「……」
『責めてるわけじゃないわ。そう思われて当然のことをしたんだもの。だけど黛さん、私はあの子が自分の行動であなたの認識を改めさせるって信じてる。それじゃ、また連絡するわ』
電話が切られた後、夕飛さんの発言の意味を考える。
朝飛さんはもう、以前のように『夜』を解放して他人を壊す道は選ばない。そのことを、朝飛さん自身を見て実感してほしい。そう言っているんだ。
だったら見せてもらおうじゃないか。仮に樫添さんがもう死んでいるのだとしたら、アンタたち二人とも一生恨んでやる。
「どうしたのだね?」
エミは私の顔を不思議そうにのぞき込んでいる。そうだ、エミを朝飛さんに会わせるのはまずい。
「棗朝飛が樫添くんと共にいるのだろう?」
「……!」
「君の考えは理解している。棗朝飛と再会すれば、彼女が私を殺すのではないか。その可能性を考慮しているのは私も同じなのだよ。だが残念なことに、今の彼女が私を殺してくれるとはどうしても思えないのだ」
エミの考えは夕飛さんと同じだった。だとしても、私の頭にはまだ数か月前の記憶が残っている。
『ああ。本当に黛さんはいい子。私にとって、すごく都合のいい子。よかった、こんな子に会えて。これで私の願いがようやく叶う。私の『夜』を、解放できる』
エミを守るために自ら命を差し出した私を殺そうとした姿が残っている。
「恐ろしいものだよ、ルリは」
「え?」
「君と関わってきた人間は悉く変えられている。この私もそうだし、棗朝飛も結果的には『狩る側の存在』ではなくなった。君はいつだって戦いに勝利し、私を屈伏させてきた」
「エ、エミ?」
「君は私に容赦なく殺されるという『絶望』を諦めさせるほどに強い。そう言っているのだよ」
……ああ、そうだ。この間言われたばかりじゃないか。
『お前がいたから、オレは救われた。お前の強さが、オレを変えた』
私を縛り付けていたはずの元カレから、自分の強さを認められたばかりじゃないか。
大丈夫だ。仮に朝飛がエミを殺そうとしても、今の私なら撃退できる。
「行くよ。エミ」
「ああ」
今の私がするべきことは、ごちゃごちゃ考える前に樫添さんと合流することだ。
【7月29日 午後4時15分】
お互いの居場所を確認した後、ちょうど中間地点にあったスーパーの駐車場で合流することになった。開けた場所で人通りもあるから、いきなり襲撃が来ても対処できるという理由で選んだ場所だ。
しばらくすると樫添さんたちが走ってきた。
「黛センパイ!」
「樫添さん! よかった……ケガはない!?」
エミの傍から離れずに樫添さんの状態を確認する。見たところ目立った外傷はないし、問題なく動けている。だけど私に駆け寄ってきた後に、顔をしかめて左肩を押さえたていた。
「実は左肩がちょっと痛いです……唐沢の仲間にやられました」
「だったらあんまり無理はできないわね。腕は動く?」
「問題ないです」
「とりあえずお互いの状況を確認しましょう。それと……」
そう、それとハッキリさせなきゃいけないことがある。
「久しぶりだね、黛さん」
朝飛さんが敵ではないかどうか。今この場で判断しなければならない。
「まず聞かせてもらうわ。なんであなたがこの件に関わってるの?」
「別に関わる気なんてなかったよ。クロエちゃんっていう知り合いの女の子に呼ばれて行ったら、なんか変な人たちに取り囲まれたから逃げてきただけ」
「じゃあ、巻き込まれただけってこと?」
「センパイ、朝飛さんは本当に私を助けてくれたんです。とりあえずは協力してくれるって判断してもいいと思います」
樫添さんがウソを言っているようにも見えないし、その理由も思い当たらない。樫添さんを無事に連れてきた事実があるなら、ひとまずは危険はないと考えていいだろう。
「わかった。とりあえず今日あった出来事を整理しましょう」
朝飛さんをエミに近づけないようにしながら、お互いの身に起こった出来事を話した。
【7月29日 午後4時22分】
「……なるほど。敵は唐沢を含めて4人。それに……柳端が向こうに捕まってるって状況ってわけね」
「センパイが会った白樺隆って人も唐沢たちに味方するんでしょうか?」
「わからない。でもアイツが楢崎の父親なのが本当なら、その可能性は高いわね」
楢崎久蕗絵に父親を慕うなんてまともな感覚が存在すればという話ではあるけど。
「現段階だと、私たちにとって一番脅威なのは楢崎ね。アイツが正面から襲ってきたらまず勝てない」
信じられないことだけど、楢崎は朝飛さんの殺意を正面から受けても全く怯まずに襲ってきたらしい。そんなヤツと真っ向から戦っても勝ち目はない。どうにかアイツの性格なり弱点がわかればいいんだけど……
「……子供の頃、か」
エミはスマートフォンを見ながらぽつりと呟いていた。
「どうしたのエミ?」
「昼間に楢崎くんと出会ってからずっと引っ掛かっていたのだよ。彼女は私と子供の頃に出会っていると言っていた。そして先ほどの白樺くんも、小さいころの私に会ったことがあると言っていた」
「あ……」
「何か覚えていることはないかと、ネットで白樺隆の若い頃の画像を探してみたのだが……確かにこの人物には見覚えがあるね」
「本当!?」
白樺隆がエミの伯父なら、その娘である楢崎はエミの従姉ということになる。それならその二人は親戚として一緒にエミと会っていたのだろう。
「何か楢崎の性格とか苦手なこととか、覚えていることない?」
「少しずつ思い出してきたのだが……これはどういうことだ?」
「どうしたの?」
「ふむ、目つきの鋭い男性……白樺くんらしき人物の姿の隣に楢崎くんらしき少女がいて……もう一人の少女と手を繋いでいる記憶がある」
「もう一人?」
白樺にはもう一人の子供がいるということだろうか。
「そのもう一人の女の子が誰か覚えてる?」
「……私だね」
「は?」
「間違いない。幼い頃の私が楢崎くんに手を引かれて歩いているのを、『私が』眺めている記憶だ」
「え? どういうこと?」
子供の頃のエミをエミ自身が見てる記憶ってこと? 普通に考えたらあり得ない状況だ。
「……ん? それに……私の目の前に白樺くんがいて……何かを話しているね……これは……」
エミがそう言いながら目を閉じた直後。
「あ、ぐっ!?」
両手で頭を押さえてその場にしゃがみ込んだ。
「エミ!? 大丈夫!?」
「柏ちゃん!?」
「ぐ、うう……こ、れ、は……」
「しっかりして! エミ!」
「ぐ、う……!」
苦しんでその場に蹲る姿を見て、緊急事態だと判断した私はすぐに救急車を呼ぶことにした。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!