空木の突然の行動により、大広間に緊張が走った。
俺も、他のメンバーも口を開くことなく、その場に沈黙が流れている。無理もない。今まで俺たちは『死』を疑似体験しながらも、実際に殺意を持って他人の目にペンを突き刺そうとする人間を見れば驚いてしまう。
しかし俺は、今の空木の姿に見覚えがある。いや、明確な殺意を持って、人を殺そうとした人間を他にも見たことがある。
今の空木の殺意は、まさしくあの時の香車に――
パン、パン、パン。
そんな沈黙の中、手を叩く軽い音が大広間に響き渡る。その方向を見ると、この場には似つかわしくないほどに大きな笑い声を上げながら、生花が両手を叩いていた。
「ヒャヒャヒャ、いいじゃないか。やっぱり、リーダーと恵美嬢を引き合わせて正解だったよ。まさか初日からこんな楽しいことしてくれるとは思ってなかったけどね」
「生花。何がおかしい?」
「わからないのかい、幸四郎? リーダーは今、仮に恵美嬢が避けようとする素振りを見せていたら、右目を潰すどころじゃなかっただろうねえ」
「なんだと?」
「つまりアタシたちのリーダーは、そういうことができる人だってことさね。もしアタシたちがリーダーの機嫌を損ねれば、たちまち命はない。いいねえ、今のアタシは『生きていてよかった』と思えるよ」
この状況で大きく笑う生花を下品だと感じつつも、俺には確かめなれければならないことがあった。
「空木さん。アンタ、柏を殺すつもりだったのか?」
「私としては、柏様を殺すような事態は避けたいと思っていますが」
「つまりこの先、柏を殺すという選択肢がアンタの心にはあるのか?」
「……」
俺の質問に対して沈黙した空木は、柏に目を向ける。
「柏様。試すような行いをしてしまい、申し訳ございませんでした。どうしても私は、あなたが『死体同盟』を導くにふさわしいお方か、この目で確かめたかったのです」
「気にすることはないのだよ。いや、むしろ避けようとすればよかったのかな? そうすれば君の殺意をこの身体に受けることができたのだが。全く、とんだ矛盾だ。攻撃を避けないことが、まさか私の命を長らえる結果になるとは思わなかったよ」
「確かにあなたにとっては、望む結果ではないでしょう。しかし私は今、感激しております。これほどまでに自らの『死』を受けて入れているお方を、私は見たことがありません」
そう言って、空木は柏の前に跪く。
「柏恵美様。あなたこそ、私が求めていた存在です。あなたの『死』にどうか私も導いていただきたいのです」
その異常とも言える光景に、俺たちは圧倒されてしまった。俺も綾小路も、他のメンバーも何も言えずにいる。唯一生花だけは、相変わらず面白そうに笑っていた。
しかし俺は我に返り、空木に詰め寄った。
「俺の質問に答えろ、空木! アンタは柏を殺すつもりなのか!?」
「私はそうなることは避けたいと申し上げたはずですが」
「そういう問題じゃない! 俺は柏を殺すつもりなんてなかった! それに他のヤツらにも許可は取っているのか!?」
「……今の行動は私の独断です。あなた方が気に病む必要はございませんよ」
「そういう問題じゃないだろう! お前は……!」
空木に掴みかかろうとした直後、俺の視界が突如として回転し、気づいたときには身体が床に倒れていた。
「ぐっ!?」
思わず声を上げてしまったが、思ったより痛みはなかった。俺が床に打ち付けられる直前に空木が俺の腕を引っ張り、衝撃をやわらげたようだ。
だが俺が起き上がる前に、空木は俺の喉にペンを当てていた。
「……俺を殺すのか?」
「あなたがそう望むのであれば、そうしますが」
「だったら俺が、いち早く『死体』になるってわけか」
構いはしない。どうせ俺は許しを得るために、香車に許されたいがために『死体同盟』に入ったのだ。いずれは来る時が、今来たというだけだ。
香車。俺もお前のところに行くぞ。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
目を閉じてその時を待っていた俺の耳に、綾小路の声が届いた。目を開くと、空木の腕を掴む綾小路の姿が見えた。
「空木さん! なんで柳端くんを殺そうとするんですか!? 彼も『死体同盟』の一員なんですから、柏さんに導かれる人間なんじゃないんですか!?」
「……そうですね。私も少し熱くなってしまったようです」
綾小路の説得に応じ、空木は俺の喉からペンを離して立ち上がる。それを見た俺の口から、深い吐息が漏れた。
安心……したのだろうか。俺は命拾いしたことで安心したのだろうか。やはり柏の言うとおり、俺たちはまだ心のどこかで『生きたい』と思っているのかもしれない。
しかし空木の殺意を受けて、死を覚悟した俺がいるのも確かだ。綾小路が止めていなかったら、無抵抗で殺されていただろう。
「柳端くん、大丈夫?」
俺の額に手を当てて、泣きそうな顔で俺を覗き込んでくる。その顔を見ると、やはり俺は綾小路を魅力的だと思ってしまう。
「ああ……大丈夫だ。お前こそ大丈夫か?」
「え?」
「あの状況でよく、空木を止めようと思ったな。怖くなかったのか?」
以前の綾小路なら、他人のために命がけで動くなんてことができるはずがなかった。だけどさっきは俺のために命がけで空木を止めた。並大抵の覚悟では出来ない行動だ。
そう思っていると、綾小路はその場に座り込んだ。
「おい、どうした!?」
「……あはは。なんか今ごろになって怖くなってきたみたい」
「そうか。立てるか? 少しそこのソファーで休め」
「そうする……」
綾小路を肩を貸してソファーに座らせた後、俺はもう一度空木に向き直った。
「空木さん。改めて言っておくが、俺は柏を殺すためにここにいるんじゃない。俺は人を殺すことに向いていないと、アンタが言ったんだ。もしもう一度さっきのようなことが起こるなら、俺はその場で降りるぞ」
「かしこまりました。ご心配なさらずとも、もうあのようなことは致しませんよ」
「口だけならなんとでも言える。行動で示してもらいたい」
「そうですか。では、こう致しましょう」
そう言うと、空木はさっき俺に向けたペンを左手に持ち、右手をテーブルに置く。
そして――
「ふっ!!」
一声と共に、ペンを思い切り右手の甲に突き刺した。
「……ぐ、うっ!」
「ちょ、ちょっと空木さん、なにしてるのよ!」
ペンが突き刺さった右手からは、赤黒い血が流れ始めている。それを見た鎚屋が杖を投げ出し、足を引きずりながら空木の身体を支えた。
「……ありがとうございます、鎚屋さん」
「ありがとうじゃないでしょ! どういうつもりなの!?」
「ええ、利き手を潰せば、柳端さんも納得して下さると思いまして」
「そんな……それだけのために?」
「いえ、それだけではございません。さきほど柏様に無礼を働いてしまったことへの罰でもあります」
確かに空木は右利きのはず。右手を使えなくすれば、柏や俺に危害を加えるのは難しくなるだろう。行動で示せとは言ったが、ここまでやるとは思わなかった。
「納得して下さいましたか? 柳端さん」
「……ああ、わかった。アンタが柏に危害を加えないというのは信用する」
「ありがとうございます」
だが自分の右手をためらいもなく潰すなんてのは、常人の行動じゃない。この空木曇天という男もまた、柏と同じ異常者だ。
決して信用してはならないのかもしれないが、これだけは言える。
おそらくこいつは、自分をどんなに傷つけても構わないと思っている。自分がどんな状態になろうとも構わないと思っている。
こいつが語る、『死を前向きなものとして捉えたい』という言葉はおそらく本音だ。こいつは自分をどんなに傷つけてでも、柏の境地に至りたいと思っている。
その証拠に、空木は柏に語りかける。
「いかがでしょうか、柏様。私はこれから先は、あなたのことを疑いません。先ほどの無礼は、この右手の傷をもって、贖わせていただきます」
「ふむ。私のことを疑った罰、かね。確かに君の覚悟は受け取った。私に危害を加えないというのは気にくわないが、もう少し君たちと付き合おうではないか」
「ありがとうございます」
柏は空木の自傷行為を見ても、眉一つ動かさない。この女の異常性はもう十分思い知っていたが、それでも異常に見えてしまう。
だがそんな柏に匹敵するほどの異常性が、空木曇天という男にはある。こいつと関わり続けるのは間違いなく危険だと俺の理性が訴えかける。
しかし俺は、『死』を望む自分の心からは逃れることができなかった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!