数日後。
俺は柳端に何度か話しかけようとしていたが、あいつは俺を避けるようになっていた。
仕方がなく、別のクラスメイトと話すことにして、割と話の合う相手を見つけることが出来た。
「へー、萱愛くんって入学案内の時に、柏先輩と会ったんだ。いいなあ~」
特によく話しているのは、入学当日に柳端と俺の話を聞いていて、俺に興味を持ったという女子、佐奈霧緑だ。
しかし、この佐奈霧さんだが……結構変わった人らしい。
「柏先輩ってすごいミステリアスな感じがかっこいいよね~。私、すごい憧れているんだ!」
……なんで入学直後から柏先輩を知っているのかはさておき。彼女は柏先輩の大ファンを自称し、既に三年の教室にことあるごとに顔を出しているらしい。
「ほどほどにしときなよ? 新入生が三年の教室に行ってばかりだと、変に思われるよ」
「え~、別にいいじゃん! 柏先輩とお近づきになりたいし!」
正直、佐奈霧さんが三年の教室に頻繁に行くのはあまりいいことだとは思わない。
折角同じクラスになった仲間たちとも仲良くならずに柏先輩ばかり追いかけていれば、クラスメイトの輪に入れなくなるかもしれない。
それに、今はまだいいが、柏先輩が受験勉強を本格的に始めることになれば迷惑になるだろう。さりげなく、佐奈霧さんをクラスに溶け込ませないと……
「そういえば、萱愛くんって今日の部活見学にはどこか行くの?」
今日は新入生の部活見学がある日だった。一応、目星はつけている。
「ああ、俺は将棋部を見に行こうと思ってる」
「将棋部?」
「うん、なんか同じ塾に通っていた友達に強く勧められてさ……」
そこまで言って、俺はあいつのことを思い出す。
『萱愛、あのさ、君は高校入ったら将棋とか始めてみたらどうかな、なんて思うんだけど……』
あいつは、唐木戸はなんであんなことを言ったのだろう。
「へ~、私は歴史研究部を見に行くんだ!」
そんな会話をしていたら、始業のチャイムが鳴り、俺たちは席に戻った。
放課後。
俺は予定通り将棋部の活動を見学しようと、文化部の部室がある校舎に来ていた。そして、将棋部の部室を見つけ、中に入る。
「失礼します、部活見学を希望している者ですが」
中では数人の先輩たちが、雑誌を読んだり電話で話したりしていた。
一人だけ真剣に将棋盤に駒を並べている人はいたが、他の部員には目もくれていない。
……なんだこれは。
「ん、見学希望者か? よく来たね、まあ座りなよ」
先輩の一人が席に座るよう促したので、それに従って座る。だがそれきりで、俺に何かを説明する様子もない。
「あの、ここは将棋部ですよね?」
不安になりながらも、一応聞いてみた。
「え? そうだよ。何かおかしいか?」
「いや……なんで皆さん、遊んでいるんですか?」
正直、とても真剣に活動しているようには見えなかった。気になるところは他にもある。
「それに、学校への雑誌の持ち込みや、校内での携帯電話の通話は禁止されています。知らないんですか?」
「なんだなんだ新入生くん、なんか堅いなぁ」
「質問に答えてください。なぜ、こんなことをしているんですか?」
あまり考えたくないが……もしかしたら、この人たちは規律を守らない人たちなのか?
それじゃダメだ。校則は守らなくてはならないし、ちゃんと活動をするように促さなければ。
そうだ、俺がこの部を変えよう。うん、決めた。
「実元、熱意のある新入生が来たんだから、からかうなよ」
奥にいた、一人で将棋を指している先輩が、俺が話していた先輩に話しかける。
「群青さん……わかりました、すみません」
「よし、じゃあ新入生。僕がこの部の説明をしようか」
群青さんと呼ばれた先輩は、俺の前の席に座る。
「初めまして、部長の枝垂群青だ。よろしく」
「は、はい! 一年の萱愛 小霧です。よろしくお願いします!」
よかった、どうやら枝垂先輩は真剣に活動しているようだ。
「それで、この部なんだが……まあ、あまり強いわけではないからな。いつも将棋盤に向かっているわけじゃない。まあ、割と将棋が好きなやつらが集まったって程度かな」
「そ、そうなんですか?」
いいのかそれで? 将棋部っていうのは、いつも戦略を研究しているものじゃないのか?
「何言っているんですか、群青さん。自分だけ全国大会の出場経験あるくせに」
「えっ!?」
「いや、まあな。出場したといっても、一回戦で負けたよ」
でも、全国大会に出たってことは、県大会を制覇したってことだ。こんな人が、この環境にいていいのか?
「ただまあ、萱愛くん。そんな固くならなくていいよ。将棋っていうのはどうしても肩に力を入れてしまうからな。将棋をしないときは楽にいこうっていうのがここのモットーだ」
「ですが、枝垂先輩が折角努力しているのに、なぜ周りの皆さんはそれに協力しないんですか?」
「おいおい、新入生。努力するかどうかは、俺たちの自由だろ?」
「違います! 部活に入った以上、全力でやるべきです!」
俺が叫ぶと、枝垂先輩以外の人が機嫌が悪そうな顔をする。
だが、仕方がない。説教をされれば、最初は気分がよくないものだ。でも、近いうちに俺の言ったことがわかるはずだ。
「まあまあ、まだ見学しにきただけだろ? とりあえず、萱愛くんに質問でもしようか」
「は、はい……」
枝垂先輩が、仕切り直しと言わんばかりに話題を変えてくる。
「それで君、好きな女子とかいるの?」
「え!? いきなりその質問を!?」
「まあまあ、いいじゃないか。数日経ったし、可愛い子とか目星つけたろ?」
「そんなのつけてません!」
何を言っているんだこの人は。学校は学業と人間的な成長をするための場だ。そんなものは、卒業してからでもいいはずだ。
しかし、俺はふとあのことを思い出したので、話の流れに合わせて聞いてみることにした。
「好きというか、気になるひとはいます」
「おっ、聞かせて聞かせて」
「あの、三年に柏って先輩がいますよね?」
しかし……
「え……君、あいつの知り合いなの?」
柏先輩の名前を出したとたん、先輩たちが目を丸くしながら、俺を見た。
「いや、知り合いというか入学案内の時に少しお話ししただけですが。ただ、柏先輩が全身にケガを負っているようなので、気になりまして」
そこまで言うと、枝垂先輩が真剣な表情で俺に話しかけた。
「悪いことは言わない。あの『カカシ女』には関わるな」
「は? ……『カカシ女』?」
「柏のあだ名だよ。実を言うと僕はあいつと去年から同じクラスなんだが、あいつは何かと周りのやつから、やれ気持ち悪いだの、生意気だの言いがかりをつけられて、暴力を受け続けているんだ」
「なっ……やっぱり、柏先輩はいじめを受けているんですね!?」
信じたくはなかったが、この学校にはいじめが存在するようだ。そして柏先輩は、それに抵抗することを恐れている。
「しかし、なぜ皆さんは柏先輩を助けないんですか!? クラスメイトなんでしょう!?」
「あー……それなんだがな……」
枝垂先輩はばつの悪そうな顔をしながら、頭を掻く。
どんな理由があろうと、いじめを見て見ぬふりをするなど許されることではないが、理由を聞くことにした。
「あの女……なんというか、いやがっているように見えないんだよ」
「え?」
「いやさ、いじめを受ける側って、例え報復が怖くてへらへら笑っていたとしても、どこかしらひきつった表情だろ? あいつはそうじゃないんだよ。殴られても蹴られても不気味に微笑むだけで、もっとやってくれと言わんばかりなんだ。それこそ、『カカシ』みたいに全く抵抗しない」
「し、しかし、彼女は内心で助けを求めているかもしれない!」
「そう、君みたいに思った奴が救いの手をさしのべたことがあったんだよ。でも柏は、『いずれ彼が迎えにくる。それまで楽しませて欲しい』とか、わけのわからないことを言うから、みんな見て見ぬふりをしてるんだ」
「そんな……」
柏先輩は「いじめを楽しんでいる」と言っていた。
だが違う。彼女はきっと自分の状況をもっともらしく正当化しているだけだ。いじめに立ち向かう勇気がない自分を誤魔化しているだけだ。
「それにな、妙なんだよ」
「妙……ですか?」
「ああ、この学校ってこの辺じゃ偏差値が高いって有名だろ? だから、いじめというか暴力を振るいそうなやつなんて今までいなかったんだ。それが、一昨年から急に柏をターゲットにした暴力事件が増えて、停学になる奴や、自主退学する奴が何人も出たんだ」
「そ、そんなことが!?」
「この学校としても、暴力事件を表沙汰にしたくないから、警察には言ってないらしいが、ここまで処分を受ける生徒が増えたのは前代未聞らしい。だけど見方を変えれば、柏の存在がこの学校にいる危険人物をあぶりだしているんだ」
「危険人物を……あぶりだす?」
「そう、あぶり出して、この学校から追い出している。それこそ『カカシ』みたいにな」
だから『カカシ女』……柏先輩の存在は他の生徒にとっては救いなのか?
柏先輩がいることで、自分に危害が及ばないから。
……そんなもの。
「そんなものは、間違っています! 誰かの犠牲の上の平和なんて……!」
「待ってくれよ、萱愛くん。当の柏が救いを求めてないんだぜ?」
「しかし……!」
「それに、また一人危険人物があぶり出されつつあるんだ。祠堂祈里っていう……」
その時、部室の扉が開いた。
「その辺にしておけ、枝垂」
部室に入ってきたのは、スーツ姿に眼鏡を掛けた男性だった。黒髪をきっちりセットしてあるが、前髪が妙に長い。さらに、中性的な彼の顔のおかげで、服装の堅さの割には若々しい印象を受ける。だが、相手に有無を言わせないその口調は、威圧感を与えるに十分だった。
「御神酒先生……」
枝垂先輩が男性の名前であろう単語を口にする。その名前、というか彼の顔には見覚えがあった。
この学校の数学教師である、御神酒汰助先生。確か三年生の担当だったと聞いている。
「新入生に妙なことを吹き込むな。余計な情報は学業の邪魔でしかない」
「……はい、すみません」
御神酒先生は枝垂先輩を窘めると、俺に視線を向けた。
「……入部希望者か。この部の顧問をしている御神酒だ」
「は、はい。一年の萱愛です」
「部室は放課後になったら開放を許可している。下校時間まで自由に使え。他に質問はあるか?」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
なんだこの簡潔過ぎる説明は!?
そもそも、この人は顧問のはずだ。なぜ、この部の状況に何も言わないんだ?
「御神酒先生。先生は、いつもはこの部活動に指導とかはしているんですか?」
「枝垂に対しては、よく戦略や陣形の指導をしている。他の部員については知らん」
「なっ!?」
なんだこの人は!? まさか、特定の部員に対して贔屓をしているというのか!?
「なぜそんなことを!? 今見ただけで、この部活には後四人の部員がいます! その人たちに対して指導はしないんですか!?」
「必要ない。この部で私が気にしているのは枝垂だけだ」
「そんな!? それじゃえこひいきじゃないですか! 枝垂先輩が優秀だからって、他の人たちをないがしろにするんですか!?」
こんな、こんな横暴があっていいものか! 教師は生徒に対して、平等に接するべきだ!
「勘違いするな、萱愛。私が枝垂だけを優遇しているのは、他の部員が将棋を強くなろうとする意志がないことを明確にしているからだ」
「え……?」
驚いた俺は、実元先輩を見る。
「驚いたか新入生? 御神酒先生はこういう人なんだよ。努力する人間の手助けはするが、努力しない人間は放置。その代わり、失敗しても文句は言うなってスタンスだ」
努力しない人間は放置? 違う! この人は、自分の仕事を放棄しているだけだ!
「先生! やる気のない人たちをやる気にさせるのも教師の仕事ではないのですか!?」
「違うな。高校生にもなれば、努力するしないは自分で決められる。私の指導方法に誤りがあれば、相手に謝罪もするが、私の指導をそもそも受ける気のない人間に下げる頭など無い。つまり、失敗しても自己責任ということだ」
こんな……こんなことって……
「すみません! 今日は失礼します!」
あまりの言葉にショックを受けた俺は、飛び出すように将棋部の部室を後にした。
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