柏恵美の理想的な殺され方

さらす
さらす

第二話 ボンド

公開日時: 2020年9月24日(木) 20:02
文字数:3,482


 横井さん騒動から一週間が過ぎた。

 その日の朝、私はいつも通り教室に入る。そこには……


 ボンドでベタベタになった私の机と椅子があった。


「なにこれ」


 思わず呟いてしまったが、どうやら一週間前の報復を今更やってきたようだ。こんなことはやられてからすぐやらないと意味がないのに。

 私は件のグループの方を見る。こちらを見て、嘲るように笑っている。


 別に腹は立たなかったが、とりあえず私は無言で女子グループに近づいて行った。


「なあに、黛さん?」

「ちょっと、あの机なら私たちが来たときにはもうああなっていたからね。変な疑い向けるの止めてよ」


 ……ここまでテンプレートないじめっ子の台詞をよくもまあ吐けるものだ。恥ずかしくないのだろうか。

 しかし、そんなことは関係ない。とりあえず行動を起こそう。


「……え?」


 私は授業で使うはずだった墨汁のボトルを鞄から取り出して蓋を開け……


「きゃあああああ!」


 女子グループの全体にまんべんなく墨汁を振りかけた。


「ちょっと、何するのよ! 私たちじゃないって言っているでしょ!」

「そうよ! こんなのひどすぎるわ! 私たちがやったって証拠あるの!?」


 あくまでしらを切るつもりだ。


「証拠なんてないよ」


 まあ、そんなことは私には関係ないが。


「私はあんたたちが気に入らない。だからやった。私の机をああした犯人かどうかなんて、どうでもいい」

「何よそれ!? あんたおかしいんじゃないの!?」

「そうよ! こんなことして先生が黙ってると思っているの!?」


 自分たちは他人の机をボンドまみれにしたのを忘れているのだろうか。いや、本当に忘れているのだろう。彼女たちにとって重要なのは、『自分が被害者である』という事実。それだけ。

 そもそも、いじめとはそういうものなのだ。いじめっ子は自分を被害者に仕立て上げて相手に罪悪感を抱かせ、いじめられっ子に反撃されないようにする。今回の場合も、『自分たちは証拠も無いのに疑われている被害者』の地位を築こうとしたのだろう。

 だが、そんなことは関係ない。私は彼女たちがやってようとやってなかろうと彼女たちを攻撃する。まあ、十中八九彼女たちが犯人だろうが、そうじゃなくても攻撃する。


 何事にも興味が無く、何者にも興味が無い私にはそれが出来る。今の私に守るものなど無いのだから。


 その時、騒ぎを聞きつけた男性教師が教室に入ってくる。


「どうした!?」

「聞いてください! 私たちは何もしていないのに、黛さんがいきなり墨汁をかけてきたんです!」

「なに!? そうなのか黛!?」

「……」


 彼女たちは『被害者』の地位を手に入れることには徹底している。『自分たちは何も悪くない』という事実を真っ先に他人に伝える。そうなると、こちらの潔白を証明するのは難しい。

 ならば、私は逆の行動をとることにした。


「そうですよ」


 あっさりと犯行を認めた私に、教師も、女子グループも目を丸くした。どうやら予想していなかった言動のようだ。


「な、なんでそんなことをしたんだ!?」

「私はこの人たちが気に入らないからです」

「そんな理由でこんなことをしていいと思っているのか!?」

「いいえ。ですが、私の机を見てください」


 男性教師はボンドまみれの私の机を見て、合点がいったようだ。


「あれをやったのが、この子たちだっていうのか? 証拠はあるのか?」

「ありません」

「だったら、これはやりすぎだろう!」

「そうかもしれません。ですがこの場で宣言します。もしこの先、また私の持ち物や私自身に異変が起こるようであれば、その度にこの人たちを攻撃します。この人たちが犯人かどうかなんて関係なく攻撃します。もし先生がそれを阻止したいのであれば、死に物狂いで私を守ってください。そうすれば私も何もしません」


 唖然とする教師たちを尻目に、私は代わりの机と椅子を取りに教室を出た。



 さらに一週間後。

 

 私へのいたずらはあれ以来一度も無かった。件の女子グループも、私とは距離を取っている。まあ距離を取っているのはあの女子だけでなくクラスメイトの大多数がそうだが。

 無理もない。あそこまで派手な行動を起こせば、誰も関わりたくなくなるだろう。でも私にはどうでもよかった。そんなクラスメイトたちと仲良くなろうとする気も起きなかった。

 しかし、異変はあった。何やら噂を聞きつけた妙な男子が、私に近づいてきたのだ。


「ま、黛さん。あの、ちょっといいかな?」


 脂ぎった髪に、ニキビだらけの顔。鼻毛が出て、小太り。異様なまでに細い目。

 確か名前は……沼田ぬまたみつると言ったか。


「なにか用?」

「え、その、う、ぐふふ……」


 自分の席に座っている私に近づいてきた男子、沼田はなぜか黄色い前歯を覗かせて膨らんだ鼻から鼻毛を見せつけながら笑っている。

 それも、大声で笑うと言うより、口の中で含もうとしたが漏れ出てしまったような笑いだ。

 

 ……気持ち悪い。


 人は外見ではないなどという綺麗ごとを言うつもりはないが、この男の場合、醜い性根が外見にまで漏れ出ているような印象を抱かせた。

 正直、関わりたくなかったので、無視を貫こうとしたが、


「ま、黛さん……ぼ、ぼ、僕と一緒にご飯食べようよ……えへへ……」


 ……は?

 話が突飛すぎてよくわからない。そもそも私はこの男とクラスも違うし、何より初めて会話する。

 それなのに、なんでこの男と一緒にご飯を食べなければならないのか。

 もしそんなことになったら、どんな極上の料理だったとしても沼田への嫌悪感に上書きされて、その味を味わうことなく喉を通過してしまう。

 うん、だめだ。心の底から願い下げだ。

 しかしどうしよう。こういう輩にはきっぱり言った方がいいとは思うけど、逆恨みされないだろうか。


「ね、ねえ、いいでしょ、いいでしょ?」


 沼田はどんどんこちらに顔を近づけていく。

 うん、逆恨みされたらその時に考えよう。


「アンタ気持ち悪いから、お断り」


 きっぱり断ったら、なぜか沼田は信じられないと言わんばかりに鼻を膨らます。


「え? え? 何言ってるの?」


 さらに、フガフガ言いながらこちらに聞き返してくる。一度言っただけではわからないらしい。


「だから、アンタって気持ち悪いの。少なくとも私にとっては。だからアンタと一緒にご飯食べるのなんて願い下げ。わかった?」


 もう少し具体的に言ってやったら、今度は鼻水を垂らし始めた。


「そ、そんな……」


『ズッ、ズビビッ!』

 そんな音を立てながら、沼田は鼻水を啜り、素手でぬぐう。この男の中には、身だしなみという言葉が存在しないのだろうか。


「ちょっと黛さん、いくらなんでも可哀そうじゃない?」


 その時、私に声をかけてきたのはクラスメイトの女子だった。確か名前は……竹林たけばやしと言ったか。分厚いメガネをかけた、見るからに優等生といった風貌で、何かと口うるさい。

 だが一番気に入らないのは、綺麗ごとばかり言ってそれを周囲に押し付ける所だ。綺麗な自分に酔っている所だ。だから言ってやった。


「そんなに言うなら、竹林さんが沼田くんと一緒に食べればいいじゃない」

「私は友達と一緒に食べるもん。黛さんはどうせ一人なんだから、一緒に食べてあげなさいよ」


 すると、先日私の机にボンドをかけた女子グループが、そうだそうだと囃し立てる。竹林の言葉に乗っかり、私を苦しめようという魂胆だろう。

 もう一度沼田を見てみる。ニキビだらけの顔は、所々黒く変色し、よく見たら黄色い脂が漏れ出ていた。

 無理、絶対無理。しかしこのままでは多勢に無勢だ。どうしたものか。


「ねえ沼田くん、ちょっと話があるんだけど」


 そこに現れたのは、意外な人物だった。


「……横井さん?」

「は、あ、え? 僕? う、うん、わかった!」


 女子からの申し出に鼻を膨らませながら応じた沼田は、横井と一緒に教室を出て行った。


 ……助かった、のかな? まあ、この場は逃れたのだからいいとしよう。


 しかし、異変はすぐに起きた。




「ね、ねえ黛さん、一緒に帰ろう?」

「ま、黛さん、家はこっち?」

「黛さん、黛さん」


 沼田が私の行く先々で現れ始めたのだ。

 どういうことだろう、私はきっぱりと断ったのに、こいつはそれを理解していないのだろうか。

 どうしよう、教師に相談しようか? でも、教師たちは今までの行いのせいで私を敬遠している。下手をしたら沼田の肩を持つかもしれない。

 かと言って、このまま手をこまねいていたら沼田のせいでノイローゼになりそうだ。

 そもそもどういうことだろう、何で沼田は私を追い掛け回すのだろうか。

 考えられるのは……


 …………


 そうか、そういうことか。

 全く、どうしてこうも、面倒なトラブルに巻き込まれるのだろう。私はそういう体質なのだろうか。



 ともかく、私は明日ある人物と接触を試みることにした。




読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート