柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第二十一話 どうだっていい

公開日時: 2023年5月8日(月) 19:05
文字数:4,098


 週明けの月曜日。樫添さんにエミを任せた私は、メイジとの決着をつけるべく動くことにした。

 アイツに情報を漏らしている協力者、“腹黒”の正体はまだ掴めていない。ただ少なくとも、そいつは私が先週の金曜日に『スタジオ唐沢』に来ることを知っていた。なら私にかなり身近で、それもここ数日の行動を把握している人間なのは間違いない。

 特定はできなくても、私が誰にも行先や情報を告げなければ、メイジが私の前に突然現れることもない。弓長くんには悪いけど、彼にメイジと戦う役目は任せる必要はなくなった。当然のことながら、エミに頼るなんて情けないこともしない。


 初めから、工藤メイジに立ち向かうのは私一人であるべきだったんだ。


 今日は大学の講義は一限しかない。仮にメイジが私のカリキュラムまで把握しているなら、アイツが来るタイミングは私が大学にいる可能性がある時間に限られる。だったらそこを狙って待ち構えていればいい。次にメイジが来た時、アイツを叩き潰す。


 大丈夫だ、今の私ならできる。工藤メイジは既に私に消えない過去を刻み付けた男じゃない。私とエミを引き剥がそうとした、単なる敵の一人だ。


 だから今、私は講義が終わっても大学の敷地内にいた。開けた場所で周囲を警戒しながら、GPSでエミの動向も確認しておく。


「あれ? 場所がM高になってる?」


 なぜかエミの現在位置はM高の敷地内になっていた。樫添さんからの連絡はないし、たぶん緊急事態は起こってないとは思うけど、一応確認しておくか。


『もしかして、エミと一緒にM高校にいるの?』


 樫添さんの携帯電話にメッセージを送り、再度周囲を見渡す。メイジの見た目は結構目立つし、アイツが来ればすぐにわかるはず……


「黛さん」

「えっ?」


 いきなり名前を呼ばれたけど、近くに知り合いがいた様子はなかった。いや、周りを見ても私を知ってるような人はいない。今のは?


「こっちですよ。僕です。弓長です」

「え? 弓長、くん?」


 声のする方向を見てみると、そこに立っていたのは栗色のショートボブカットとレザージャケットとデニムパンツを合わせた細身の女の子だった。

 いや違う。今の声は高いけど男性のものだった。じゃあ、まさかこの子って……


「どうしました? 僕のこと、わかりません?」

「いや、その……また随分と雰囲気変わったわね……」


 言われてみればその顔は弓長くんのものだとわかる。あまりに予想外だから気づかなかった。


「黛さん、どうしちゃったの? 今日はあの男が来ても大丈夫だから、安心して!」

「えーと、いろいろ聞きたいことがあるんだけど、そもそもその格好はなに?」

「うん。黛さんの『オーダー』はメイジを力づくで排除しちゃだめってものだったでしょ? だから今日はそういう見た目にしてみたの!」

「……何を言ってるの?」


 いや、本当に何を言ってるのこの子? 確かに私はあの時、『メイジから手を放せ』と言った。つまり彼は『力づく』というイメージを排除するために女装してきたってことなんだろうか。いつの間にか口調まで変わってるし。

 いずれにしろ、私の知ってる彼とはかなりかけ離れているから、どういう反応をしていいのかわからな……


 ……あれ? そういえば、私の知ってる弓長くんって、そもそもどんな子だったっけ?


「弓長くん」

「どうしたの?」

「君の好きなものって、なに?」

「私が好きなのは黛さんだよ」

「いや、そうじゃなくて。君の趣味とか、好きなドラマとかアニメとか、私とは関係ない弓長くん本人の情報が聞きたいんだけど」


 彼と知り合ってまだ二週間弱くらいしか経っていないけど、それでも遊園地に行ったり演劇教室に行ったり、彼と関わる時間はそれなりにあった。にも関わらず、いまだに彼の人間性が見えてこない。私のことが好きで、私の『オーダー』に合わせてくれて、私にとって都合のいい言葉をかけてくれる子だという情報しかない。

 今までの彼を思い返してみても、会う度に印象が違いすぎて、彼がどういう人間なのかわからない。それを知らなければ、付き合うも何もない。

 私としては当然の質問をしたつもりだった。


「私がどういう人間かなんて、そんなに重要なこと?」


 なのに弓長くんの顔からはいきなり感情が消えて、無機質にこちらを見つめてきている。質問に対する返答以上に、まるで意味がわからないと言ったその表情が、私には異様なものに感じた。


「私は黛さんのことが好きだよ。あなたのためならどんな人間にもなるよ。あなたの『オーダー』があれば、家族だって捨てられる、友達だって捨てられる、『オーダー』次第なら私自身の命だって捨てられるよ。それだけじゃない、黛さんの『オーダー』があるなら、それまで憎くて仕方なかったものでも好きになれるし、昨日まで好きだったものも殺したいほど憎める。全部、あなたの『オーダー』に合わせる。私はそういう人間なの」


 まるで当然だと言わんばかりに、弓長くんの口からスラスラと異様な発言が飛び出してくる。

 そうだ、思い返してみれば、初めから彼は私にふさわしい男になると言っていた。全ての行動の基準は私なんだ。


「私は黛さんが好きで、あなたの『オーダー』に応えられる人間。重要なのはそこだけでしょ? それ以外の私がどんな人間かなんて、別にどうだっていいじゃない」


 ……なにこれ?

 私は確かに彼に惹かれていた。私のことを好きだと言ってくれる人がいたのが嬉しかったし、私を支えてくれる男の存在に安らぎを感じたのも確かだ。

 だけど、それは……全部私が『そういう人がいてほしいと望んでいた』からだ。彼はそれに合わせただけに過ぎない。

 私が彼に惹かれたのも、私のことが好きだと言ってくれたからだ。メイジとの過去があったから、自分は誰にも好かれないと思っていた私にとって、彼はまさに理想的な男だった。そう、あまりにも理想的すぎた。


 まるで私のために、作られたように。


「……気持ち悪い」


 遊園地の時は彼のことを魅力的だと感じていたのに、今では口に出して呟いてしまうほどに不自然な気持ち悪さを感じている。ああそうだ、彼は最初から私に合わせて作られていたんだ。そこには彼自身の願望も思惑もない、ただ私の『オーダー』を受けてその通りになるだけ。

 

「黛さん、どうしたの? まだ私、あなたの『オーダー』に応えられてない?」


 私の呟きが聞こえてなかったのか、弓長くんは再度、私に向ける表情を作り始めている。だったらもう、言ってやる。


「弓長くん」

「はい」

「告白の返事、改めて聞かせてあげる」

「え?」


「アンタ、私のことなんて何も見てなさそうだから、お断り」


 そういえば、男からの告白を断ったのって、これで二回目だったっけ? 告白を断るのって、もっと罪悪感のあるものだと思ってたけど、そうでもないんだね。

 だから目の前の勘違い男が信じられないような顔で驚いてても、何も思わない。


「……あれ? 私、ちゃんと、黛さんからの『オーダー』に応えたんだけど、なあ。なんで、『何も見てなさそう』なんて、言われ、てるの?」


 ああ、やっぱりそうだ。コイツは私にフラれたことに驚いてるんじゃない。『自分が相手を見ていない』と指摘されたことに驚いてるんだ。

 考えてみれば、私は自分のことを好きだと言ってくれる男がいると浮かれていただけだった。弓長波瑠樹という男がそもそもどういう人間なのか、それをもっと早く知ろうとしていれば、コイツの気持ち悪さにも言動の不自然さにもとっくに気づいていたはずだ。


「アンタは私のことなんて見ちゃいない。だってアンタは私を好きになった理由を、『誰かのために必死に動ける、綺麗な心の持ち主だから』って言っていた。それがまず間違いなのよ」

「それがどうして黛さんを見ていないことになるの? 私はウソなんてついてないよ」

「私がエミを守るのは、エミに生きていて欲しいという私自身のエゴのため。エミは自分が守られることなんて望んじゃいない。もし私が『誰かのために必死に動いている』なら、エミの願いを尊重して彼女を黙って見送ったはず。だから私にあるのは綺麗な心なんかじゃない。自分の欲を満たそうとする汚い心だけよ」


 もしかしたら、私は心の奥底で望んでいたのかもしれない。自分の行動を無条件で肯定してくれる人間を。そして弓長波瑠樹はその『オーダー』を汲み取り、私にとって都合のいい言葉を投げかけてくれたのだ。

 でもあくまでそれは、『私にとって都合のいい言葉』でしかない。私を好きだから言っているんじゃなくて、私を気持ちよくさせるために言っている。その歪な思いが何を招くのか、私はよく知っている。


『やっぱりお前、オレに興味ないのか?』

『前から思ってはいたんだよ。お前、オレに好かれているという立場を利用してるだけで、別にオレ自身に興味あるわけじゃないだろ?』


『瑠璃子さぁ、勘違いしてるっぽいけど、オレがお前を好きになるわけなくない?』


 身をもって、体験したんだから。


 私の言葉を受けて、弓長くんは顔の前で両手を叩いていた。すると、彼の顔が初めて会った時のような少年の顔に戻る。


「……うーん……黛さん、もう一度『オーダー』をくれませんか? 今度はもっと上手くやりますから」

「アンタにもう『今度』なんてないわよ。お断りって言ったの聞こえなかった?」

「でも僕ならあなたの『オーダー』に応えられますよ。あなたに断られたら“あの人”の『オーダー』に応えられないんですよ。それはダメなんです」


 彼は何度も両手を叩いて、その度にそれぞれ違った表情になっていく。でも今の私には、それら全てが表層をそれっぽく変えただけの欺瞞だとわかる。


「ならないと、ならないと、あなたの理想にならないと。それが僕の役割なんだから」


 ブツブツと呟くその姿を見て、確信した。


「アンタは最初から……私を手籠めにするために作られた存在ってわけね」


 そう、コイツの背後には別に敵がいる。そしてそいつこそが……



「よくわかってるじゃねえか、瑠璃子」



 その声を、聞き間違えるわけがない。


「メイジ……!!」


 私の後ろ、大学の正門から歩いてきたこの男。

 弓長波瑠樹は最初から、工藤メイジによって私を苦しめるために送り出された手先だったのだ。

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