亜流川さんと出会った次の日の放課後。
閂先輩は学校に残るとのことで先に帰っていてくれと言われ、俺は一人で下校することになった。
学校の門を出て、しばらく歩く。すると……
「おお、マジメ君じゃーん」
昨日に引き続き、ハデなファッションをした亜流川さんが俺の前に現れた。
「……何か用ですか?」
「ちょうど良かった。俺さ、お前に頼みたいことがあんだけどさ」
「頼みたいこと?」
亜流川さんは相変わらずのヘラヘラとした笑顔で俺に接する。正直、頼みごとをする態度とは思えなかった。
というか昨日もだけど、何でこの人こんな時間に学校の通学路で私服姿で歩いていたんだ? 仕事をしていないのか?
しかしあまり他人の私生活に首を突っ込むのも野暮なので、俺はそれについては黙っていることにした。
「いやさ、頼みごとの前にちょっと質問があんだけど」
「なんですか?」
「マジメ君って、もうカナメちゃんとはヤッたの?」
「……は?」
ヤッた? 何を閂先輩とやったと聞いているんだこの人は?
「あ、あの、何をですか?」
「え、今のでわかんねえの!? う~わ、お前予想以上にお堅いマジメ君なんだな。正直ヒくわー」
「話を逸らさないでもらえますか? 一体何を……」
「わかったわかった。マジメ君にもわかるように言ってやる」
そして亜流川さんは俺に顔を近づけて囁いた。
「カナメちゃんとはもうセックスしたのかって聞いてんだよ」
「……!?」
その質問に、思わず顔が赤くなってしまった。
「な、なな、何を言ってるんですかあなたは!」
「ああ? お前ら付き合ってんだから一回や二回くらいヤッててもおかしくねえだろ? だからそれを確認するために聞いてんだよ」
「そんな話題をこんな公共の場でしないでください! それに俺たちはまだ高校生ですよ!? そんなことしているわけないでしょう!」
俺がそう言うと、亜流川さんは目を見開いた後に俺を指さしながら頬を吊り上げて笑い出した。
「お、お前、マジで言ってんの!? え、なに、『不純異性交遊は断じて許しません』ってか!? うわ~俺いま貴重なもん見てるわ~。いや、お前みたいな絶滅危惧種ってまだいたんだね!?」
……この人は一々こちらをバカにしないと会話が出来ないのだろうか。
「確かに世の中には高校生のうちからちょっと進んだ関係になる人もいるでしょうけど、俺はそんなんじゃありません! そういう行為はちゃんとお互いが大人になってから意志を確かめ合った上で……」
「はいはいわかった。『初めては結婚初夜で』って言いたいのね。うわー、この話絶対今度のキャバ飲みでのネタにするわ。大ウケ確定だろこれ」
なんというか、この人とはとことん会話がかみ合わない。まるで別の言語を話す人間と話しているみたいだ。正直言って、はやく会話を切り上げたかった。
「あの、それで俺への頼みごとっていうのはなんなんですか?」
若干声が荒くなってしまったが、こればかりは仕方がない。
「あーわりぃわりぃ。マジメ君への頼みごとね。つまりお前とカナメちゃんはヤッてないってことでいいんだな?」
「……そうですよ」
「それなら丁度良かった。いやー、助かったわ」
助かった? 何がだろう。
「いやさ、マジメ君」
「はい?」
「カナメちゃんをさ、ちょっと貸してくんない?」
「え?」
閂先輩を……貸す?
「あのさ、俺の先輩が世話になっている人がさ、結構変わった趣味なんだよ。なんかロリ趣味っていうか、要はカナメちゃんみたいに貧相な体したオンナが趣味なわけ。んで、カナメちゃんが一晩その人のベッドの上で付き合ってくれればさ、その人が俺の借金をチャラにしてくれるように口きいてくれるって言うんだよ」
「……」
――何、を、言っているんだ、この人は。
「でもさ、俺って優しいじゃん? カナメちゃんの彼氏であるマジメ君の許可も一応取っておこうかなーと思って聞いてるわけよ」
――何を、言っているんだこの人は?
「だからさ、カノジョのオジサンを助けると思って、ここはひとつ……」
――何を
「何を言っているんですかあなたは!!!」
気づけば、俺は道端であることも忘れ、腹の底から怒鳴っていた。
「あ、あなたは! 自分の姪を! 自分の保身のために、見ず知らずの人間に差し出そうとしているんですよ! それが、それが人間のすることですか!? 良識のある大人のすることですか!? 一体、何を考えているんですか!?」
ここまで大声を張り上げて他人に怒りをぶつけたのは初めてかもしれない。だけど今回は、それが許されてもいいはずだ。
「おーこわ。やっぱり高校生は血気盛んだねえ」
だが俺が自分の全ての感情をぶつけても、亜流川さんは動じなかった。
「あー、確かなんだっけ? 『それが大人のすることか』って言ってたっけ? そうだよ、それが大人のすることだよ」
「……!!」
まるで当然のように答えたその言葉に、俺は拳を握りしめてしまう。
「教えてやるよマジメ君。大人ってのはな、ごく一部の人間以外は自分が『弱者』だってのがわかってんだ。世の中が自分の思い通りになんてならねえのがわかってんだ」
俺は歯を食いしばりながら言葉を聞く。
「だから『弱者』である自分を守るために何でも使う。それが大人だ。もちろん俺も何でも使う。そうやって生きてきた」
「だからって……何で閂先輩を!」
「あーそうだなー。確かにカナメちゃんじゃなくても他にオンナ見つければいいんだけどよ」
そして亜流川さんはその腹立たしい笑顔を近づけて、言った。
「お前やカナメちゃんみたいな、なんつーの? 『草食系』? そういうのを見るとつい、いじめたくなるんだよねー。俺ちょっとS入ってるからさー」
「そんな、ことで……」
「やっぱさ、『弱者』である俺は先輩とかのご機嫌取らないと生きていけねえじゃん? でもそれだとストレス溜まるだろ? だからこうしてストレス発散して、ついでに借金もチャラになって一石二鳥ってわけ……」
「ふざけるな!」
思わず拳を振り上げようとしたが、相手は尚もヘラヘラした笑いを止めなかった。それに何か嫌な予感がした俺は、寸前で拳を止める。
「……あーあ、マジメ君が俺を殴ってくれたら警察に突きだしている間にカナメちゃんを頂こうと思ったんだけどなあ」
「あ、なたは……!!」
「おうおう、俺がムカつくか。だけど一つ教えてやるよ」
「何を……」
「俺の借金の保証人になっているのが、「閂真守」っていうオバサンなんだけどよー。どういう意味かわかるよな?」
「かんぬき、まもり……?」
待て、そういえばこの人は閂先輩の叔父と言っていた。でも苗字が違う。それはどうしてか?
決まっている。この人は閂先輩の母方の叔父だからだ。じゃあ、まさか……
「俺が借金を返せないと、その借金は俺の姉貴、つまりカナメちゃんのママが背負うことになるんだよねー。多分姉貴もすぐには借金を返せないだろうし、それを知ったカナメちゃんはどう思うかなぁ?」
「……ぐ、うう」
どうしてだ。
どうしてこの人は血の繋がった家族に対してここまで冷酷になれるんだ。これが大人だと言うのか?
だけど俺は思った。この人は今まで俺が対峙したどの人間とも違う。自分が『小者』で『弱者』だということを最大限に利用する人間だ。自分を大きく見せようとしていない人間だ。
「じゃあなマジメ君。よーく考えて答えを出すんだぞ」
亜流川さんは腹立たしいウインクをして、その場を立ち去った。
「……絶対に、こんなことがいいわけがない!」
そして俺はいてもたってもいられず、先輩がまだ残っているであろう学校に全速力で戻った。
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