それは、俺が高校二年生になって一月が経った頃のことだった。
その日は週の始めに恒例になっている朝の全校集会が体育館で行われる日だった。楽しそうに雑談をしながらクラスメイトたちが歩く中、俺、萱愛小霧は一人で誰とも話すことなく、体育館に向かっていた。
いつも通りに整列をして、全校生徒が集まった後に集会が始まる。
「えー、新年度が始まり一月が経ちましたが、暖かくなったことによる気の緩みに負けないように……」
校長先生が当たり障りもなく、特に面白味もない挨拶をしているのを俺は雑談をすることなく真剣に聞いていたが、周りのクラスメイトたちは欠伸をしながら、校長先生の話を明らかに聞き流していた。
以前の俺であればその様子に憤って、彼らに正論という名の言葉の暴力を振るっただろうが、今の俺は自分にそんな資格が無いことがわかっている。だから何も言わずにただ先生の話を聞いていた。
「えー、では最後に、新生徒会長の閂さんに挨拶をしていただきます」
新生徒会長という言葉に一瞬疑問を抱いた俺だったが、先月に生徒会長が病気で長期入院することが決まり、代わりの生徒会長を決める選挙が行われたことを思い出した。そうでなければ、五月というこの時期に生徒会長が新しく選ばれるはずもない。
そう考えていると、壇上に一人の女生徒が現れた。
俺はその顔を生徒会長の選挙で見知っていたが、あまり選挙に興味が無かった生徒たちは、新生徒会長の顔を見るのは初めてのようで、ざわめく声が聞こえてくる。
確かに印象に残りやすい容姿ではあった。新たな生徒会長となった彼女は、黒く重たい印象を受ける髪を前と後ろ共に長く伸ばし、前髪で顔の右半分が隠れてしまっている。さらに少し猫背であるその姿勢が、只でさえ小さいその体をいっそう小さく見せている。そして遠くからではわからないだろうが、露わになっている左目にはうっすらとクマが浮かんでいた。
見るからに生徒会長として生徒の代表となるには不向きなタイプではあった。しかし、生徒会長に立候補したのは彼女だけだったようで、信任投票で彼女に決まったようだ。
「ひひひ……皆様おはようございます……新生徒会長となりました、三年C組の、閂香奈芽と申します……ひひひ……」
閂と名乗ったその先輩は、その容姿が与えるイメージと違わない不気味な笑い声をあげながら挨拶をした。それを聞いた生徒たちの中から、一層ざわめきが広がる。
彼らが抱いている考えはわかる。『こんな人が生徒会長で大丈夫なのか?』ということだろう。俺も彼女がこのような話し方をするのは初めて知った。少なくとも生徒会長に向いているとはお世辞にも言えないだろう。
「ひひ、長い挨拶をしても皆様が飽きてしまうでしょうから、短めに致しましょう……ひひ……」
マイクでその声は体育館全体に伝わってはいるものの、彼女の声は高く、そして小さかった。しかしその顔は大勢を前にして緊張をしているというそれではなく、口角を吊り上げて尚も不気味に笑っている。
以前の俺であれば、生徒会長の挨拶を笑いながら行う態度に怒り、リコールを要求したかもしれない。いや、俺でなくとも彼女が生徒会長を務めることを問題視する生徒は少なからず存在するだろう。
だけど俺は、彼女は彼女なりの意志があると思うようにした。どんな理由であれ、面倒な仕事が付きまとう生徒会長という役職を務めると決心してくれたのだ。だから俺は、彼女が悪い人ではないと思うようにした。
だが、そんな俺の考えはこの後の言葉で否定された。
「皆様は脇役でございます」
少なくとも俺には、彼女の言葉が生徒会長就任の挨拶というものだとは受け取れなかった。そしてそれは、周りの生徒たちも同じのようだった。
インパクトを与えるという意味では成功していたかもしれない。しかし一方で、生徒会長としての自分への印象を好意的なものにする試みとしては、どう考えてみても発言が過激すぎる。
だがこの一言だけで判断するのは軽率かもしれない。俺は閂先輩の次の言葉を待った。
「皆様はご自分が『特殊』な存在だと考えているでしょう? ひひ、違うとおっしゃりたいですか? ですが……皆様は間違いなく考えているはずです……『この進学校に入った自分はすごい人間だ』……こういった考えを……ひひひ」
しかし閂先輩から発せられる言葉は、尚も俺たちを揶揄するようなものだった。そしてこの場にいる全員が感じ始めていた。彼女の言葉が何を意味するか。
「皆様は表面では『普通』であることを善しとしながらも、心の底では『特殊』であることを望み、自らが『特別』な人間だという幻想を心に抱き、周りの人間を見下している……ひひ、違いますか?」
体育館の中にざわめきが広がる。おそらくはここにいる全員がこれが『挨拶』ではないことに気づきかけている。
これは、閂先輩による『挑発』。
「ですがその考えこそがまさに陳腐。ひひひ……そう、まさに凡夫の思考。そしてこの私も『特殊』で『特別』な存在に憧れている点では皆様と同じ凡夫でございます……」
閂先輩は尚もその口から不気味な笑い声を出しながら口を吊り上げる。
「そんな皆様は決してこの社会、この世の中の主役になどはなれません。脇役としての人生を歩み続け、脇役としての死を迎えるでしょう……ひひひ……そして死の間際に『特別』で『特殊』と言われなかったご自分の人生を呪うのです……」
その言葉の直後、頭を左に傾けた。
「ひひ、悔しいですか? 悔しいのであれば……」
そして重たい黒髪が流れてその隙間から右目が覗く。
その目は恐ろしいほどに大きく見開かれ、体育館にいる人間たち逃れようのない圧力を与えた。
「この私を死ぬほど楽しませてみろよ」
その後、閂先輩は元通りに髪を戻し、形だけの一礼をした後に退場した。
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