柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第四話 バケモノ

公開日時: 2022年5月15日(日) 12:38
文字数:4,553


 ……ここは、どこなんだろう?

 オレは、どうなったんだろう?

 オレは……



 涼子ちゃんに押されて車に轢かれたはずのオレは、何故か痛みを感じることも無かった。そして今、うすぼんやりと意識が戻り、少しずつ目の前が明るくなっていく。


 ……ここは、どこだ?


 目の前がはっきりしていくと、そこは知らない建物だった。妙に白い壁がオレの気分を悪くさせる上に、目の前の景色にどこか違和感があった。

 じっとしててもしょうがないので歩きだそうとする。だけど、そこでオレはようやく気が付いた。


 足が、地面についていない!?


 オレの体は宙に浮いていた。そうだ、よく見ればオレの視界がいつもより高い位置にある。これが違和感の正体だったんだ。

 そしてオレは壁を触ってみようとする。だけどオレの手は壁に触れることなく、すり抜けてしまった。

 

 まさか、オレは……


 オレはそのまま壁に近づいてみる。やはり何の抵抗もなく、壁をすり抜けることが出来た。そしてその先にある景色を見た。

 そこには、たくさんの黒い服を着た人たちが椅子に座っていた。最前列には、兄ちゃんと母ちゃんもいる。そしてその人たちの前にあるのは……


 笑顔を浮かべているオレの写真が、たくさんの花に囲まれた状態で置かれていた。


 小学生のオレでも、ここまで来たらもうわかった。今ここで行われているのは、オレの葬式だ。


 やっぱり、オレは死んじゃったんだ……


 その事実に、どうしても悲しさと悔しさがこみ上げてくる。もっと生きたかった。もっと強くなりたかった。大人になりたかった。周りの人に、認められたかった。

 オレの心に、次々と叶えられなかった願いが浮かぶ。だけど、一番悔しいことは別にあった。


 兄ちゃん……


 オレは祭壇の一番近くの列に座っている兄ちゃんを見る。がっくりと肩を落とし、母ちゃんに背中をさすられている兄ちゃん。そう、オレは兄ちゃんとの約束を果たせなかった。兄ちゃんより先に、死んでしまった。

 そのことが、オレの心に大きな苦しみとしてのし掛かる。

 オレはなんて悪いヤツなんだ。兄ちゃんとの約束を破って、こんなにも兄ちゃんを悲しませてしまった。オレを守ってくれた、オレを理解してくれた兄ちゃんを悲しませてしまった。

 どうしてだ、どうしてこうなってしまったんだ。どうしてこんなことになってしまったんだ。

 そしてオレは思い出す。オレを殺したのは誰なのか。


 涼子ちゃんは、何でオレを殺したんだ?


 涼子ちゃんは自分と兄ちゃんのために、オレに死んでくれと言った。でもそれがわからない。どうしてオレが死ぬことが、涼子ちゃんと兄ちゃんのためになるんだ。

 現に兄ちゃんはオレが死んであんなに悲しんでいる。涼子ちゃんがやったことは、誰も幸せにしていない。むしろ皆を悲しませている。

 だけど考えても答えは出なかった。その間にオレの葬式は終わり、皆が部屋から出ていく。


『あ、兄ちゃん!!』


 オレは声を出して兄ちゃんを呼び止めようとするが、やっぱりオレの声は届かなかった。幽霊になっても、オレの動く速度は生きている時とあまり変わらなかった。必死に兄ちゃんについていき、一緒に車に乗る。

 車が向かった場所は火葬場だった。テレビドラマとかで見たことがある。ここで、死体を焼いて骨にするんだ。

 オレの体が入った棺桶が焼却炉に入れられ、焼かれていく。その光景が、改めてオレが死んだのだという事実を突きつけてきた。


 そしてオレの骨が壷に入れられ、兄ちゃんと母ちゃんによって家に運ばれていった。母ちゃんはまだ葬式の後かたづけがあるみたいで家から出かけていったが、兄ちゃんはオレの骨が入った壷を抱えてしばらくじっとしていた。


 兄ちゃん……本当にごめんなさい。本当に、ダメな弟で、迷惑をかけてばかりでごめんさない……


 オレは兄ちゃんに向かっていつまでも謝り続けたが、やっぱりそれが届くことはなかった。


 だがその時、兄ちゃんは突然立ち上がり、家の倉庫にあった金属バットを取り出して走り出していった。

 どこへ行くのかと思ったが、兄ちゃんが向かったのはオレが死んだあの公園だった。そして……

 その公園には、涼子ちゃんがいた。涼子ちゃんは兄ちゃんを見ると、喜びの笑顔を浮かべる。


 だけど兄ちゃんは、その涼子ちゃんに向かって思いっきりバットを振り下ろした。


「きゃあっ!!」


 涼子ちゃんは悲鳴を上げてその場に倒れ込む。どうやらバットが肩に当たったらしく、右肩を押さえている。


「きょ、香車さん! 何をするんですか!?」

「……」


 兄ちゃんは涼子ちゃんを見下ろしたまま答えない。その目は、あの暗く冷たいものになっていた。

 だけどそんな兄ちゃんに向かって涼子ちゃんは言った。


「わ、私は、あなたのためにちゃんと槍哉を殺しましたよ!?」


 ……は?


「香車さん、槍哉が鬱陶しかったんですよね? そう言ってましたもんね? だから私はあなたのために……」


 涼子ちゃんは何を言ってるんだ? 兄ちゃんがオレを鬱陶しいと思っていた? 

 そんなわけはない。兄ちゃんはオレが死んでこんなに悲しんでいるのに。


「やっぱり、君が槍哉を殺したのか?」

「そ、そうですよ。だってまだ子供の私なら、槍哉を殺したとしても大した罪にならないって、あなたが……」


 どういうことだ? 兄ちゃんと涼子ちゃんの会話がかみ合ってない。涼子ちゃんは兄ちゃんのためにオレを殺したと言っている。だけど兄ちゃんがそんなことをするはずがない。


「あなたが、子供の私なら安全に人を殺せるって言ったんじゃないですか!」


 わけのわからないことを言いながら戸惑う涼子ちゃんを、兄ちゃんは冷ややかに見下ろしていた。


「……湖森さん。僕は確かに君が槍哉を殺したとしても、大した罪にはならないだろうって言ったよ」

「そ、そうです、だから……」

「だけどそれは、物の例えだよ。本当に槍哉を殺して欲しかったわけじゃない。だから僕は悪くない」

「え……?」


 怯える涼子ちゃんだったが、話を聞いていたオレも戸惑っていた。兄ちゃんは何を言ってるんだ?


「ところでさ、君は僕の弟である槍哉を殺した。そして僕はそのことを『偶然』知ってしまった」

「香車さん……?」

「じゃあさ、僕が槍哉を殺した君を殺したとしても……」


 そして兄ちゃんは、涼子ちゃんを見て……


「誰も僕を責めたりなんかしないよねぇ?」


 『心底嬉しそうに』、笑った。


 ……違う。

 これは、兄ちゃんじゃない。少なくとも、愛する弟が死んでその仇を今から討とうとしいている人間の顔じゃない。


 これは、心から楽しんでいる顔だ。


「ひっ……!」


 涼子ちゃんが涙を流して怯えている。見ると、スカートが少しずつ濡れ始めていた。


「ま、待ってください香車さん! 私はあなたのことが好きなんです!」

「だから何?」

「そ、それに私、女の子なんですよ!?」

「だから何?」

「わた、私は、あなたのためにあんなことを……」

「だから何?」


 涼子ちゃんの必死の言葉も、兄ちゃんにはまるで届かない。

 待ってよ兄ちゃん。どういうことだよ。兄ちゃんは、どうして涼子ちゃんを殺すの?

 オレの仇を討つためじゃなかったの?


 そしてオレは思い出す。兄ちゃんがいじめっこの男子に仕返しをしに行ったときのことを。


 兄ちゃんはあの時も、暗く冷たい目をしていた。もしあれが、オレが殴られて怒っているための目ではないとしたら。


『槍哉……言ってくれてありがとう』


 もしあの言葉が、オレが正直にいじめっこの名前を出したことに対しての言葉じゃなかったとしたら。


 『自分が他人を殴っても仕方がない状況を作ってくれたこと』に対する言葉だったとしたら。


「や、やだ、死にたくない! 死にたくない!」

「そうだろうね。死にたくないよね。でも、君は槍哉を殺したんだよね。だから僕が仇を討つのは『仕方がない』よね?」


 まさか、兄ちゃんは最初から……


 『自分が安全に人を殺すための状況』を作るために、オレの死を利用するつもりだったのか?


 この時オレは、ようやく気づいた。兄ちゃんは『バケモノ』に取り憑かれていたわけじゃなかったんだ。


 兄ちゃんは最初から、他人を殺すことを楽しむ『バケモノ』だったんだ。


 そして兄ちゃんは、バットを振り上げる。


「さようなら、湖森さん。そして、槍哉を殺してくれて……」


 しかし、兄ちゃんが何かを言おうとする前に……


「香車!!」


 その腕が、後ろから来た幸四郎に掴まれた。


「何やってるんだ香車!」

「……幸四郎」


 幸四郎に腕を掴まれた兄ちゃんは、それまでとは打って変わって大人しくなり、その目もいつものものに戻っていた。


「ひ、ひいっ!」

 

 涼子ちゃんはその隙に、二人の前から走って離れていった。


「どういうことだこれは! 説明しろ!」

「……あの子が、槍哉を殺したんだ」

「なに!? だけど、あいつは事故で死んだって……」

「あの子がふざけて槍哉を突き飛ばしたんだ。本人もそう言ってた」

「じゃあ、お前は槍哉の仇を……?」

「……うん、でも止めてくれてありがとう。もう少しで取り返しのつかないことになるところだったよ」

「……香車、大丈夫だ。お前の苦しみは俺も背負ってやる。だから一人で抱え込まないでくれ」

「幸四郎……何があっても、僕の友達でいてくれる?」

「ああ、もちろんだ!」


 その光景を見ていたオレは、心が震えた。

 兄ちゃんは、幸四郎の前ではまるで本性を見せていなかったんだ。自分の本性を隠したまま、幸四郎と付き合っていたんだ。

 だめだ、このままじゃだめだ。誰も兄ちゃんを止められない。あの『バケモノ』を止められない。


 そしてオレはその時見てしまった。公園の外から兄ちゃんを見る、一人の女の人を。

 その目は明らかに、人を殺そうとしていた人間を見て怯えているものではなかった。むしろさっきの兄ちゃんと同じく、心から喜んでいる目だった。


 オレは直感した。あの人と兄ちゃんが出会ってしまうのは絶対にダメだ。もし出会ってしまったら、今度こそ兄ちゃんは身も心も完全に『バケモノ』になってしまう。

 誰か止めてくれ。兄ちゃんが完全に『バケモノ』になるのを止めてくれ。このままじゃ、幸四郎も、母ちゃんも、あらゆる人が殺されてしまう。


 だけどオレの最後の願いは、誰にも聞き入れられることなく……


 そのまま、オレの意識は完全に消滅した。


 ※※※


 自分でも驚いている。まさかここまで上手く行ってしまうとは。

 槍哉が鬱陶うっとうしいと言ったのはウソだ。あいつは本当によく出来た弟だし、僕もあいつのことは好きだった。

 だけど僕は思ってしまった。あいつを誰かが殺したら、僕がその犯人を殺しても誰にも咎められないのではないかと。

 だから試しに、僕に好意を向けている湖森涼子で試してみることにした。結果は見事なまでに、僕の思い通りだった。

 槍哉の葬式が終わった後、彼女を公園に呼び出して襲いかかった。


 その時の気分は、僕の人生の中でも最も高揚していたことを覚えている。


 しかし僕としても、自分にこんな一面があるのはかなり驚いているし、僕が平和な日常生活を送るには邪魔な一面だということも自覚していた。

 だから僕は、この一面を意識的に封印することにした。全て忘れることにした。


 だけどもし、何かのきっかけでこの一面の封印が解けるようなことがあったとしたら。例えば、僕の前に『自分から殺されにくるような人間』が現れたとしたら……



 僕は再び、自分の衝動を抑えようとは思わないだろう。



棗槍哉の切なる願い 完

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