「ソーヤ! ボール回すぞ!」
「オッケー!!」
オレは友達がぎこちない動きでパスしたサッカーボールを上手く足で受け止め、慣れた動きでドリブルをする。
「やべえ! ソーヤが来るぞ、止めろ!」
「お前等なんかに止められるかよ!」
敵チームの友達が二人がかりでオレの前進を止めようとするが、そんなもんで止められるオレじゃない。一度ボールを後ろに回してステップを踏み、瞬時にかわしてやった。
「しまった!! おい、行ったぞ!」
かわされた友達が慌ててキーパーに呼びかけるがもう遅い。一回フェイントを入れてキーパーの注意を本来の狙いから逸らし、全力でシュートを打った。
「うわあ! やられた!」
オレが蹴ったボールは見事にゴールネットを揺らし、文句の付けようもないほどに見事なシュートが決まった。
「見たか! オレの華麗なシュートを!」
「あーあ、ソーヤが敵に回るとやっぱり勝てないんだなあ」
オレがさっきかわした友達を指さしてポーズを決めると、相手はため息を吐いて肩を落とした。やったぜ、今のオレ格好いい。
「さて、得点も入ったしもう一回チーム替えしようぜ」
「今度はソーヤと同じチームにしてくれよ。これじゃいつまで経っても勝てねえよ」
「その前にお前がもっと上手くなれっつーの」
「ちぇー」
目を細めて口を尖らせる友達を見て、少し言い過ぎたかなと反省する。オレとしたことが、弱いものイジメとはよくないな。
「おいソーヤ、あれお前の兄ちゃんじゃないか?」
友達の一人がそう言って校庭の隅を指さすと、たしかにそこには見慣れた顔があった。
「あ、兄ちゃん!」
「槍哉、もう暗くなってきたから家に帰ろう?」
「ちょ、ちょっと待って! もう一回、もう一試合したら帰るからさ!」
「しょうがないな、もう一試合だけだよ? 僕もあまり待ちたくないんだから」
「ありがとう、兄ちゃん!」
そうお礼を告げると、オレは、兄ちゃんに背を向けてこの日の最後の試合に臨んだ。
オレの名前は、棗槍哉。もう小学五年生になる。周りの大人たちはオレのことをまだ子供だと言っているが、オレは勉強はともかく運動はそこらの子供には絶対負けない自信があるから、あまり子供扱いされたくはない。だけどそんなことを言うと、兄ちゃんに怒られるから言わない。
あと、オレには父ちゃんがいない。生まれたときから母ちゃんと朝飛姉さん(母ちゃんの妹らしい)の二人がオレと兄ちゃんを育ててくれた。母ちゃんは仕事で帰るのが遅くなるから、オレは学校が終わった後も校庭でサッカーをしていることが多い。そして中学校から兄ちゃんがオレを迎えにくるのが、いつもの流れになっていた。
「あー、今日も勝った勝った。やっぱりオレって最強だな!」
「すごいね槍哉、またサッカー上手くなったんじゃない?」
オレは学校から家に向かう道で、兄ちゃん――棗香車と話していた。兄ちゃんは相変わらず大人しそうな顔をしていて、もう中学生なのに背もオレより少し高い程度だ。だから一見、兄ちゃんは頼りなさそうに見える。
だけどオレは知っている。兄ちゃんは本当はとっても頼りになるし、実は怒るとすごい怖いんだ。
あれは二年前のことだった。その時まだ三年生だったオレは、今とは比べものにならないほどにひ弱で、内気な性格だった。だからクラスの体の大きな男子によくからかわれていたりした。でもオレは怖くてそいつに反撃することも出来ず、やられるままになっていた。そしてある時、その男子に殴られて泣いて家に帰ってきたことがあったのだ。
泣いて帰ってきたオレを、兄ちゃんが問いつめた。『一体誰にやられたのか』『誰がお前を傷つけたのか』、そういったことを真剣な顔で聞いてきた。
いつもとは違う兄ちゃんの様子に戸惑いながらも、殴られて悔しかったオレは兄ちゃんに殴ってきた男子の名前と特徴を言った。だが、その時だ。
『……槍哉、言ってくれてありがとう』
兄ちゃんがそう言いながら、今まで見たこともないほどに暗く冷たい目をしたのは。
『に、兄ちゃん?』
『今からその子に会ってくるよ。大丈夫、お前は何も心配しなくていいから』
そう言って兄ちゃんは家を出て、どこかへ出かけて行ってしまった。帰ってきたのは、日が沈んでしばらく経った後だった。
『兄ちゃん!』
『ただいま、槍哉。ちゃんと話をつけてきたよ』
兄ちゃんは特にケガはしていないように見えたが、服に少し血が付いているのを見てしまった。
『だ、大丈夫!?』
『ん、何が?』
『いやだって、血が付いてるけど……』
『ああこれ? 僕の血じゃないから大丈夫だよ。心配してくれてありがとう』
兄ちゃんはそう言うと、母ちゃんに『ただいま』と言って晩ご飯の支度の手伝いを始めた。オレは兄ちゃんがあの男子に何をしたのかが気になったけど、またあの冷たい目をされるかもしれないと考えたら、怖くて聞けなかった。
そしてその次の日。オレは教室に入る前に担任の先生に呼び止められた。
『槍哉くん、ちょっと話があるから来てくれ』
不思議に思いながらもオレは先生に着いていくと、先生は校長室の前で止まった。校長室に入ったことのなかったオレは、これから何をされるのかわからず、泣き出しそうになっていた。
『失礼します。槍哉くん、君も入って』
しかし真剣な顔でオレを見る先生に逆らえず、しぶしぶ校長室に入る。そこには明らかに怒ったような顔をした校長先生と知らないオバサン、そして……
『あれ、兄ちゃん!?』
『槍哉……』
いつもと同じ、優しそうな顔をした香車兄ちゃんが立っていた。
『あなたが槍哉くん?』
なぜ兄ちゃんがここにいるのか聞く前に、知らないオバサンがオレの名前を呼ぶ。
『そ、そうだけど、オバサンは誰?』
『まあ、口の利き方がなってないわね。私は君のお兄さんにケガをさせられた子の母親です!』
『え、え?』
『すみません。槍哉くんはまだ事情が呑み込めていないようなので、まずは私から説明をさせてください』
担任の先生がオバサンをなだめて、屈んでオレに目を合わせる。
『槍哉くん、先生が今から君にいくつか質問をするから正直に答えてくれ』
『は、はい……』
『まず、君は自分のお兄さんが何をしたか、なぜここに呼ばれているかわかっているかい?』
『うんうん、全然わかりません』
『そうか……』
先生はオレから一旦目を逸らした後、兄ちゃんの方をチラリと見た後に、再びオレに目を合わせた。
『槍哉くん、驚かずに聞いてくれ』
『は、はい』
『君のお兄さんは、君と同じクラスの男の子に後ろから殴りかかってケガを負わせたんだ』
『えっ!?』
先生の言ったことが信じられなかった。あの兄ちゃんが、優しい兄ちゃんが、人に殴りかかってケガを負わせたなんて信じられなかった。
だけどオレは、昨日のことを思い出した。兄ちゃんのあの暗く冷たい目。そして帰ってきた兄ちゃんの服に付いていた血。
まさか、まさか、まさか!!
『槍哉くん、もう一つ質問するよ。お兄さんが男の子に殴りかかったことは、君は知らなかったんだね?』
『は、はい!』
『じゃあ、君はお兄さんが起こした事件とは何も関わりがないんだね?』
『それは……』
とっさに言葉が出なかった。だってもうオレの中で、大体の予想がついてしまっていたからだ。
兄ちゃんは、オレが殴られた仕返しをするつもりで、男子に殴りかかったんだ。
先生の後ろに立つ兄ちゃんを見る。兄ちゃんは校長先生やオバサンに睨まれているのに平気そうな顔をしていた。きっと、校長室に呼ばれてからずっとそうだったはずなのに、兄ちゃんはまるで堪えていなかった。
そして兄ちゃんはオレの仕返しで男子に殴りかかったことをずっと黙っていたんだ。自分が勝手にやったことにしようとしているんだ。オレを、守るために……
その時、自分がすごいみっともないヤツだと思った。男のくせに、兄ちゃんに守ってもらわないと仕返しも出来ないような弱いヤツ。そう思うと、すごい恥ずかしかった。
だからオレは、本当のことを言おうとした。
『あ、あの!!』
『どうしたの?』
『……』
怖い、すごく怖い。これを言ったら、校長先生やオバサンに何て言われるかわからない。
でもダメだ、オレはここで言わないといけないんだ。
『兄ちゃんは悪くない! 悪いのは全部オレです!』
『え?』
『オレがあいつに殴られたから……兄ちゃんはあいつに注意しに行ったんです! だから、兄ちゃんを怒らないでください!』
『槍哉くん……』
オレの精一杯の勇気を込めた言葉を、先生は静かに聞いていた。だけどその後ろにいたオバサンはオレを睨みつける。
『やっぱりあなたが原因なのね! うちの子になんてことしてくれたの!』
『う、うう……』
『奥さん、槍哉くんは何も知らなかったんです。それに先に手を出したのはお宅のお子さんです。ここであなたが怒るべき相手は槍哉くんじゃない。やりすぎた香車くんです』
『……』
先生がオバサンを説得すると、オバサンはオレの代わりに兄ちゃんを睨みつけた。だけどそれでも兄ちゃんは平然としている。
『香車くん、弟が殴られて怒る気持ちはよくわかる。だけど君はやりすぎた。君が殴った子のお母さんに、そして迷惑をかけた槍哉くんに謝るんだ』
『……はい』
兄ちゃんは先生の言葉を受けて、オバサンに頭を下げる。
『本当に、申し訳ありませんでした』
その後、オレの方に向き直り、オレにも頭を下げる。
『迷惑かけてごめんね、槍哉』
違う、謝らないといけないのはオレの方だ。兄ちゃんに守ってもらわないと何も出来ない弱いオレが悪いんだ。
だからオレはこの時決心した。強くなろうと。兄ちゃんが守らなくてもいいくらいに強い男になろうと。
オレを守ってくれた、兄ちゃんのためにも。
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