私が起こしたボヤ騒ぎは、大ごとにはならなかったけど、家族間の関係を大きく変えることとなった。
まず、父親が私を見る目が明らかに変わった。今までも私に大きな興味を示していたわけじゃなかったけど、お姉ちゃんに向けるような大きな敵意を向けてはいなかった。だけどあのボヤ騒ぎ以来、父親は私をお姉ちゃんと同じように家庭内の異物として扱い始めた。
火を点けた現場は両親には見られていないし、お姉ちゃんも気づいた時には燃えていたと言い張ってくれたけど、たぶん父親は私が犯人だと気づいてたんだろう。だから私もあの人にとっては異物になった。
母親はまだ私のことを信じたい気持ちがあったようだけど、それでも私のことを恐れるようになっていた。だから私たち姉妹は、二人とも両親に受け入れられない存在になっていた。
私としてはそれで構わなかった。どうせ消すはずだった二人だ。元から家族に入れていない。
だけど一方で、お姉ちゃんが私を扱いかねているのを感じていた。
「ねえ朝飛。何かあったらすぐに私に言いなさい。どんな小さな悩みごとでも、どんな小さなモヤモヤでも、まずは私に相談して頂戴。いいわね?」
「大丈夫だよお姉ちゃん。わたし、なんともないよ?」
「自分では何ともないことかもしれないけど、周りからしたら大ごとだったってこともあるのよ。朝飛、アンタは自分が何をしたのかまだわからないかもしれない。それでも私は……私だけはアンタを見捨てない。切り捨てたくないのよ」
「なにを言ってるの?」
「何でもないわ。とにかく、お姉ちゃんは仕事に行ってくるからいい子にしてるのよ」
お姉ちゃんは何かと私の様子を気にしていた。後から知ったが、小学校の教師にも何度も連絡を取り、私が学校でどんな様子なのかを聞いているようだった。その理由はわかっている。
結局は、お姉ちゃんも私のことを重荷に感じていたのだ。いつ問題を起こすかわからない私を、恐れていたのだ。
別にそのことを責める気なんてない。そもそも、15歳も離れている上に半分しか血が繋がってないんだから、それは自然な感情だと今では思う。
だけど子供の頃の私は、それなりにショックを受けた。大好きなお姉ちゃんが私のことを嫌いになったのだと思った。だから私は、その感情をお姉ちゃんにぶつけたことがあった。
「お姉ちゃん。なんでわたしのことを信じてくれないの!? わたしは学校でも家でもいい子にしてるじゃない!」
「私もアンタのことを信じたいよ。アンタと一緒に家族として生きていたい。だから、そんなウソをつかないでほしいのよ」
「ウソなんてついてない!」
「だったら、なんで私との約束を守らないの? アンタ、学校で友達を泣かせちゃったんだってね? 先生から聞いたよ? なんでそうする前に、お姉ちゃんに何も相談しなかったの? 私は、アンタに家族だと思われてないの?」
「あれは、あの子が勝手に泣いたんだよ! わたしはなにもしてないもん!」
「アンタが何もしてないと思ってても、相手はそう思ってないかもしれないよ。だからね、朝飛。私はアンタの身勝手さをなんとかしたいと思ってるのよ」
「もういい!」
私が怒りの感情を見せた時、お姉ちゃんは決まって悲しそうな顔になった。父親に火を点けようとしたのを見た時と同じ顔だ。その顔を見るのがとても嫌だったので、私は怒ることをやめた。怒りを感じたら、代わりに笑うことにした。
笑顔を浮かべる習慣を身に着けると、学校のクラスメイトたちや先生たち、そして両親やお姉ちゃんも私に対しての警戒心を少しずつ解いていった。ああ、こうすれば相手は安心するのか。それを理解した頃、私が小学二年生になったある日のことだった。
「なに? 結婚する?」
「ええ、そうです。前からお付き合いしていた方から、結婚を申し込まれたので、受け入れたいと思ってます」
家に帰ってきたお姉ちゃんは、両親と私の前でそんなことを言い出した。
「結婚ってお前、相手はどんなヤツなんだ?」
「12歳上の警察官の方です。それ以外に聞きたいことは?」
「……フン、いいんじゃないのか? お前に引っかかる男にしちゃ上等だ」
「そうですか。では籍を入れたら私はこの家を出ていきますから」
「ああ、出てけ出てけ」
お姉ちゃんの結婚の報告はそんな感じであっさりと終わった。当時の私は「そういうものなんだな」くらいにしか思わなかったけど、今考えれば一般的な結婚の報告とはずいぶんと異なっていたんだと思う。
だけどその後、お姉ちゃんは私と二人きりになった時に改めて話をした。
「朝飛。お姉ちゃんはこれから家を出ていくわ。だけどね、アンタのことが気がかりなの」
「わたしの?」
「もしアンタが望むなら、私と一緒にこの家を出ることも出来る。その用意もしているわ。だから、ここで選んでほしいの。私と一緒にこの家を出るか。それとも、この家に残るか」
「なんでお姉ちゃんはそんなことを聞くの?」
「それは……いえ。いいから選んで頂戴」
私の質問に対して、お姉ちゃんは一瞬目を逸らした。だけど私は、その態度を見て悟ってしまった。
たぶんお姉ちゃんは、本心では私をこの家に残して出ていきたいのだ。だけど家族を切り捨てたという負い目を感じたくないのだ。だから私に選ばせている。
そこまで私の存在がお姉ちゃんを苦しめているなら、選択肢はひとつしかない。
「わたし、この家に残るよ。お父さんたちと一緒に過ごす」
「……そう、わかったわ」
私の返答に対して、お姉ちゃんは喜ぶことも悲しむこともしなかった。
それから五年後。
お姉ちゃんは旦那さんとの間に二人の息子を授かったが、その後にあっさり離婚して『真田夕飛』から『棗夕飛』に戻ってしまった。それを知ったのは、お姉ちゃんが私に会うために実家の近くに戻ってきた時だ。
「子供の面倒を見るのに協力してほしい?」
「……ええ。勝手なお願いだってわかってる。だけど、どうしてもアンタの協力が必要なの。特に、上の息子の香車を育てるには」
香車くんにはその前にも一度会っていたけど、その時もお姉ちゃんは香車くんを心配しているように見えた。いや違う。あれは、恐れていたんだ。私を恐れていたのと同じように。
だけどお姉ちゃんは自分の子供を切り捨てるなんてことはできない。異母妹である私を置いていくこともためらったような人だ。そんなやさしいお姉ちゃんだから、私は一緒に過ごしたいと思っていたんだ。
「槍哉はまだわからないけど、香車はこのままだと間違いなく悲劇を起こす。あの子の中には『夜』があるのよ。子供の頃のアンタが父さんに火を点けた時のような……残虐性が」
『夜』か。確かにその表現は合っているかもしれない。私の中にも、その『夜』がある。
「だからお願い。アンタは『夜』をもう抑えられてる。香車がそれを抱えたままでも、普通に生きていけるように導いてほしいの」
「……」
お姉ちゃんは頭を下げてきたけど、私がそのお願いを叶えられるとは思えない。
私が『夜』を抑えられてる? お姉ちゃんはそう思ってるんだ。
半分は間違ってはない。両親を燃やすのをやめたのは、お姉ちゃんが悲しむからだ。お姉ちゃんが悲しむ顔を見たくないからだ。
逆に言えば、お姉ちゃんが悲しまなければあんな人たちはすぐに燃やしてしまいたい。
だから私の『夜』を抑えているのは私自身じゃなくてお姉ちゃんだ。『夜』を抑える方法なんて、教えられるわけもない。だけどそのことを伝えたら、お姉ちゃんは私をまた警戒するかもしれない。
それに、香車くんにも興味があった。あの子の心の中はどうなっているのか、私も見てみたい。
「いいよ。お姉ちゃんにそこまでされたら、応えないわけにはいかないよ」
「朝飛……! ごめんね……アンタのことを最後まで見てあげられなかった、こんな私のために……」
「うん。大丈夫だよ、お姉ちゃん」
大丈夫だ。お姉ちゃんは何も心配しなくていい。
仮に私や香車くんが自分の中の『夜』を解放しようと、お姉ちゃんはそれを知らないままでいればいい。
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