指し示められた校舎に走って向かっていた俺は、ふと違和感を感じて立ち止まった。
「ど、どうしたの萱愛くん? 柏先輩が危ないんじゃないの?」
「……あの人はどうして俺に声を掛けたんだ?」
「え?」
よく考えてみれば、俺とあの人は一回しか話したことがない。お互いの名前も知らないし、そもそも俺は走っていた。
なのにわざわざ走っていた俺を呼び止めて、親切にも柏先輩の居場所を教えてくれた?
おかしくないか、それ?
そもそもあの人はあそこで何をしていたんだ?
柏先輩の言った通り、あの校舎は昼休みにはほとんど人気がない。校舎裏となれば、もっとだ。
それなのに都合良く俺と遭遇し、向こうの校舎に行くように言った。
まるで、俺をあそこから遠ざけようとするかのように。
だから俺はさっきまでいた校舎裏に戻ってきた。
そして俺は確信した。
「やはり、ここにいましたか……祠堂先輩!」
柏先輩の前で木刀を握っている人物が、朝に俺が話しかけた男子生徒こそが、祠堂祈里だということを。
「お前、なぜ私のことを……!」
男子生徒――祠堂先輩が苛ついた表情を浮かべる。そうだ、この人が祠堂先輩だったんだ。
さりげなく祠堂祈里が女子生徒だと俺に思わせたのも。
友人を使って俺と柏先輩を引き離したのも。
俺に柏先輩の居場所を偽ったのも。
全ては、柏先輩を襲うため。
おそらく、祠堂先輩は柏先輩を校舎の中に隠して、俺を追い払ってからここに来たんだ。
「くふふ、祠堂くん。中々目を見張る手際の良さだったが、彼に見破られたようだね」
柏先輩が笑う。
だが、その笑いは助けが来たことを喜ぶものではないことは俺にもわかった。
しかし、そんなことを気にしている暇はない。祠堂先輩を止めなければ。
「祠堂先輩、その木刀を捨ててください! 今ならまだやり直せます!」
俺は祠堂先輩に必死に説得を試みる。
「黙れ! 知った風な口を利くんじゃない!」
「柏先輩に何か気に入らないところがあるのなら、話し合って解決しましょう! こんなやり方は間違っています!」
「……お前にわかるというのか?」
「え?」
そうして、祠堂先輩は柏先輩を指さして自身の心中を語り始める。
「私はこの女を壊したい、傷つけたい、殺したい。この二年前からその考えに支配されてきた。それだけしか考えられなかった。そんな日常がお前に想像できるのか? 自分の意志でない衝動に支配される日常を想像できるのか?自分が制御できない気持ち悪さをお前に想像できるのか!?」
な、何を言っているんだ先輩は?
だけど、今の祠堂先輩は普通じゃない。自分を見失っているようだ。
このままでは柏先輩が危ない!
「柏先輩、こっちに来てください!」
「断るよ。祠堂くんがここにいる人間を皆殺しにすれば、彼の犯行は暴かれないで済むかもしれない。つまり、私は狩られる可能性は残っているんだ。これは私にとってもチャンスなのだよ」
「何を言っているんですか!? 早く!」
思わず柏先輩に駆け寄ってしまう。だが、
「エミ!」
その前に、祠堂先輩に飛びかかる人物がいた。
「なっ、お前は!」
ここには俺たち以外には誰もいないはずだった。
しかし、校舎の窓から一気に飛び出したその人物は、
黛さんは、俺が気づいた時には祠堂先輩に飛びついていた。
「黛さん!?」
「萱愛! 早くエミを!」
黛さんが祠堂先輩を抑えている間に、俺は柏先輩に駆け寄った。
「先輩!」
「……なるほどね、黛くんは君と接触したわけか。恐ろしい存在になったものだ」
「は?」
「何でもないよ。さて、祠堂くん。こうなったら私たちの負けかな?」
柏先輩は祠堂先輩に呼びかけるが、彼はまだ諦めていないようだった。
「まだだ! 私はお前を殺さない限り解放されない! お前が死んだとき、私の日常が取り戻せるんだ!」
「きゃあっ!?」
黛さんが、祠堂先輩に突き飛ばされる。
まずい! 俺は丸腰だ。柏先輩を守りきれるか!?
「……ふむ、どうやら祠堂くんは『彼』に振り回されているようだね。これでは難しいか」
柏先輩が、どこか失望したかのように呟く。
この状況で何を言っているんだ?
「祠堂くん。この状況では私を殺すのは難しい。それがわからないようでは、君が私に絶望を与えることなどできない。つまりだね」
そして柏先輩は、
「君は『狩る側』ではない、只の『偽物』だ」
祠堂先輩を、見捨てた。俺にはそう見えた。
「だ、まれ、だまれええええええええ!」
祠堂先輩がもはや正気を失っているかのようにこちらに突っ込んでくる。
俺は柏先輩を守るように身構えた。
守りきれるか!?
……だが、その時。
「そこまでだ、祠堂」
祠堂先輩の腕が新たな乱入者によって掴まれる。
「萱愛くん!」
「佐奈霧さん! よかった……」
佐奈霧さんが連れてきた、御神酒先生によって。
「なっ、離せよ!」
「祠堂、この状況で教師である私が黙っていると思うのか?」
「くっ……!」
「他の先生方にも来るように言ってある。観念するんだな」
「く、そおおおおお!」
だが、俺は意外に思っていた。
佐奈霧さんには先生を呼ぶように言っただけだ。
おそらくたまたま御神酒先生に声を掛けたのだろうけど、柏先輩の危機に御神酒先生が駆けつけるとは思わなかった。
そして、御神酒先生は祠堂先輩を職員室に連れて行く途中に俺を見た。
「萱愛」
「な、なんですか?」
「祠堂もお前も、自分ではない他人の意志によって動かされている。それがわかるか?」
「俺が、自分の意志で動いていないって言うんですか!?」
「そうだ。私からすればな」
そして御神酒先生は、
「お前も祠堂も、大した違いがあるようには見えない」
俺を見ずに、そう言った。
「さて、我々も帰るとするか。ああそうだ、この場になぜ黛くんがいるのか訊かせてもらってもいいかね?」
柏先輩は、黛さんを見る。
「……萱愛からのメールを見たのよ。エミが危ないって」
「いや、さすがに黛さんがこんなすぐに来るとは思っていなかったですよ」
「お昼には大体この近くにいるって言ったでしょ?」
……昼休みなんだろうけど、大学は大丈夫なのかなこの人。
「そうかそうか、君たちが手を組んだのか。私としても対抗策を練らないとね」
「え? ちょっと待ってください」
「どうしたのかね?」
「祠堂先輩は恐らく停学処分になると思います。もしかしたら、学校に戻ってこないかもしれない。この件はもう終わったんじゃないんですか?」
そうだ、柏先輩を傷つけようとする祠堂先輩を止めることには成功した。
なのになんだ? まだ終わっていないというのか?
「エミ、やっぱりそうなのね」
「……」
「やっぱり、あなたはまだ『あいつ』に殺されようとしている!」
「……まあ、いずれは君に知られることではあったね」
なんだ? この二人は何の話をしている?
「萱愛くん、この前言った通り私が殺されるのを止められれば君の勝ち。私が殺されれば私の勝ち。それは変わらない。『彼』の『槍』はまだ私を狙っている。私が間違っていると言うのであれば、その全てを止めてみたまえ」
「エミ! 私はきっと、もう一度……」
「黛くん。君は私と敵対したのだろう?」
「……!」
「君と私はもう……いや、なんでもないよ。それではこれで失礼する」
悲痛な表情を浮かべる黛さんに背を向けた後、柏先輩は教室に戻って行った。
「黛さん……」
「萱愛、放課後に将棋部に来なさい」
「え?」
「話したいことがあるわ」
放課後。
俺は言われた通り、将棋部の部室に来た。部室の前に立っていた黛さんと共に部室に入る。
「あれ? 黛先輩?」
「久しぶりね、枝垂くん」
どうやら、黛さんは枝垂先輩と知り合いのようだ。
「枝垂くんには、エミの様子をよく教えてもらったの」
「僕は二年の時も柏と同じクラスだったからね」
なるほど、それでか。
「それで、黛さん。話したいことっていうのは?」
「……二年前にこの学校で起こったことよ」
「二年前?」
「あの時、ある男がこの学校でエミを殺そうとしたの」
「なっ!?」
柏先輩は二年前にも殺されそうになっていたのか!?
いや、待て。二年前?
二年前にこの学校で起こったことと言えば。
「その男の名前は、棗 香車」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
まさか、そんな、棗が!?
違う、棗はそんなやつではなかった。柳端と仲が良くて、どちらかというと大人しめのやつだった。
「黛さん、冗談でもそんなことを……」
「これから話すことは、全て実際に起こったことよ」
「ま、黛先輩、まさかあなたも二年前の事件に関わっているんですか?」
驚く俺と枝垂先輩に対し、黛さんは二年前の詳細を語り始めた。
…………
「まさか、棗が柳端を!?」
二年前の事件。
黛さんによると、棗が柏先輩を殺すための場所にこの学校を選び、それを妨害した柳端を刺したというのだ。
「信じられないのはわかるわ。でも、私もあの場にいたから嘘じゃない。すべての罪は長船が被ったけどね」
「長船っていう先輩の名前は聞いたことありますね」
二年前なら枝垂先輩もすでにこの学校にいた。
表向きには、その長船という人が騒動を起こしたということになっていたらしい。
「でも、どうして棗は自殺を? 柳端を刺した罪悪感からでしょうか?」
きっと、棗は祠堂先輩のように自分を見失っていたのではないだろうか。
「いいえ。棗はエミや柳端を傷つけることにまるで罪悪感を感じていなかった。あいつはそういう存在だった」
だが、黛さんはきっぱりと否定した。
「私もなぜ棗があんな行動に出たのか、長い間疑問だった。エミを殺せなくなったことを悲観した結果なのかとも思っていた」
そして、黛さんは将棋盤と駒を取り出した。
「棗は、『エミを殺す』という目的のためなら、親友の柳端を傷つけることも厭わなかった。あいつはそれが出来た。そして、エミの命を躊躇なく狙っていた」
黛さんは、『香車』の駒を一段目、向かいの一番端に置かれた『王将』の駒に近づけていく。
「もちろん、私や樫添さんは必死にそれを妨害した」
そして、『王将』の隣に『金将』と『銀将』を置いた。
「その結果、私たちはあいつを追い詰めることに成功したわ」
『王将』が斜め前に進み、『香車』がさきほどまで『王将』が置いてあった一段目の『金将』と『銀将』の間に置かれる。
「なるほど、『香車』が一段目に行ってしまったらそれ以上進めないから逃げ場がない」
枝垂先輩が解説を入れる。
「そう、そして棗は自ら命を絶った。私たちはこれで終わりだと思っていた」
「棗が死んで終わりじゃなかった?」
「……いつだったか、エミが言っていたわ。『人の死は、他人に大きな影響を与える。私もそうだった』」
……人の死は、他人に大きな影響を与える?
その言葉に、どこか聞き覚えがあるような気がしたが、黛さんの話が続いたのでそれを聞くことにした。
「エミも昔、ある人の死が自分の性格に影響を及ぼして、今の自分があるって言ってた。過去に何があったのかまでは話してくれなかったけど、その話を思い出して、棗の意図が読めたわ」
「ど、どういうことですか?」
「あの事件から、エミに暴力を振るい始める生徒がこの学校に何人も現れたって話は聞いた?」
そういえば、枝垂先輩がそんなことを言っていた。
「は、はい。そうみたいですね」
「そしてさっき、エミは『槍』が自分を狙っているって言っていた。これで確信したわ」
「『槍』って、まさかその棗 香車を指していると!?」
「え?」
話に着いていけていない俺に、枝垂先輩が説明する。
「『香車』は一気に敵の陣地に攻撃を仕掛けられる射程の長さを持っているから、『槍』とも呼ばれているんだ。もし柏が棗を『槍』に見立てているとしたら……」
「ま、まだ棗が柏先輩を狙っていると!? でも、あいつは死んだんでしょう?」
棗が死んだということは、俺たちの中学でも正式に発表されていた。
俺は葬式にも参列したし、実は生きていましたということは無いはずだ。
「そう、あいつは死んだ。でも、もしかしたらエミから聞かされていたのかもしれない。人の死が、他人に大きな影響を与えることを」
「そ、それじゃあ!?」
「棗の目的……それは」
そして、黛さんは『香車』の駒を裏返す。
「今までの自分を捨てて、全く新しい自分に『成る』ことで、改めてエミを殺すことだったのよ」
『香車』が成り、『成香』となったことで、新たな動きが出来るようになった。
当然……改めて『王将』を獲ることも出来る。
「じゃあまさか、この学校で柏先輩に暴力を振るっていた人たちは!?」
「棗の意志に影響された……『成香』たちってことね」
そんなことが現実に起こったというのか?
しかし、祠堂先輩は自分のものではない衝動を抑えられないと言っていた。
まさか、本当に?
「黛先輩。柏がそれを全て知った上で行動していたとしたら……」
「ええ、新たな『成香』に接触するかもしれない」
そんな、どうしてだ。どうしてここまでして、人を殺そうとすると言うんだ。
そして、どうして柏先輩はそこまでして殺されたいんだ。
「黛さん……」
「え?」
「俺は、認めませんよ。柏先輩も、その『成香』の存在も」
「……あなたもエミを守るってこと?」
「それもあります」
でも、それ以上に、
「そんな訳のわからない理由で、人を殺そうとする人たちは間違っている! その人たちを叩き直します!」
そうだ、俺は正しいことをしている。
そんな訳のわからないことで、殺人を正当化されてたまるか。
「……そうね、エミを殺させはしないわ」
だが、黛さんはそんな俺をどこか冷めた目で見ているような気がした。
第二話 完
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