「ひひひひ、そちらからお誘いをするとは珍しいですね、萱愛氏……」
事件の真相が明らかになった翌日。俺は閂先輩を二年A組の教室に呼び出していた。今日も午前中に授業が終わり、教室の中には俺たちしかいない。
「ではでは、ご用件をお聞きしたいのですが……?」
閂先輩は俺からの突然の呼び出しにも戸惑うことなく、相変わらずの不気味とも言える薄笑いを浮かべながらついてきた。その様子を見て、入学した直後に知り合いになり、既にこの学校を卒業した一人の先輩の姿を思い出す。思えば閂先輩は、タイプが違うがその先輩に似ている気がする。
「閂先輩、俺はこの事件を経験して決意したことがあります」
「ほう……?」
俺の言葉に閂先輩は左目を細め、興味深そうな視線を俺に向ける。そして俺は、昨日の出来事を思い出していた。
※※※
「閂先輩、大丈夫ですか!?」
昨日、暴走した借宿から先輩が解放されたのと同時に、俺は直ぐに彼女に駆け寄った。
「ひひ、ご心配してくださり感謝致します萱愛氏……ご覧の通り、私は無傷でございますよ……」
先輩はその場でくるりと回り、自分の無事をアピールする。確かに怪我は無さそうだ、良かった……
「しかし先輩、学校に武器を持ち込むというのはあまり……」
「おや、『武器』というのはこれのことでございますか?」
「え?」
そう言うと先輩は、先ほどまで借宿の首に押し付けていた右手を開いて手に持っているものを見せる。
「こ、これって、さっきのUSBメモリーですか? これを借宿の首に?」
「ひひひ、仰る通りですよ……首に押し付ければ、押し付けられた側からは何があるのかが見えませんので……状況次第で有効な手になるのです、ひひ……」
……なんて人だ。あの状況でそんなとっさの判断をしたのか。
「借宿くん! しっかりしろ!」
そして仲里先生は借宿の無事を確認していた。だが借宿は呆然としていて、先生の呼びかけに応じない。
「……仕方がない。萱愛くん、一緒に彼を保健室に運んでくれないか? その後、僕から彼のご両親に連絡して、迎えに来てもらおう」
「わかりました」
「それと閂さん、君は職員室に行って待機していてくれ。ショックが強いだろうから君のご両親にも連絡して……」
「いえいえ、それには及びませんよ仲里先生……ですが指示通り、私は職員室で待機するとしましょうか。ひひひひ……」
あんな目に逢ったにも関わらず、閂先輩は本当にいつも通りの笑い声を上げて、平然としていた。
「……わかった。とにかく借宿くんを保健室に運ぼう」
「はい」
そして俺は仲里先生と共に借宿を保健室に運び、彼の両親に連絡を取って迎えに来てもらった。俺はこの事態を外部に漏らしていいものかと考えたが、仲里先生は借宿のしたことを全ては話さず、閂さんとケンカをしたとだけ話した。
借宿がご両親に連れられて帰った後で、俺は先生に質問をぶつけた。
「仲里先生、どうして……」
「どうして真実を話さなかったのかって?」
「はい……」
「……教師なら、生徒を守るために彼の行いを公表すべきなんだろうけどね。僕はもう借宿くんが、充分に罰を受けたような気がしたんだ。だからこれ以上の罰は必要ないかなってね」
仲里先生は困ったようでいて、それでいて微笑んでいるようにも見える複雑な表情を浮かべたが、俺も同じ状況ならそうしたかもしれない。
そして俺たちは閂先輩を迎えに、職員室に向かった。
「ひひひ、これはこれは……」
職員室の中では、まだ先生方が忙しく動き回っていて、俺たちに気づいていない。
そして入り口付近にいた閂先輩は俺たちを見ると、例の如くスカートの両端を持ち上げる挨拶をした。
「さてお二方。この事件はまだ終わってはいません」
「え?」
「このUSBメモリーの中身……それを確認せずして事件は終わらないのですよ」
そう言うと、先輩は二つのUSBメモリーを取り出した。そうだ、これはおそらく……御神酒先生の、『遺書』。
「……しかし、それを勝手に我々が見るべきかな?」
「仲里先生。これは御神酒先生が仲里先生に残したものです。少なくとも、先生はこれを見るべきだと、俺は思います」
「……そうか。それなら萱愛くん、君も見るべきだと思う」
「俺も?」
「君はあれほど御神酒先生の死の真実を知りたがっていたんだ。それだけ先生を慕っていた君にはこれを見る権利がある」
「……わかりました」
「ひひ、それでは私は離れていましょうか……」
閂先輩は俺たちにUSBメモリーを渡した後、職員室の入り口で待機した。
二つのUSBメモリーをパソコンに差し、ますは借宿が隠していた方の中にあるファイルを見る。
「これは……ファイル名が「2-C」?」
「……僕が高校二年生の頃に所属していたクラスだよ。もしかしたらこれがパスワードなのかも」
そのファイルには何も書かれていなかったので、今度は仲里先生が持っていたメモリーの中身を見る。そこには無題のテキストファイルが一つだけあり、開こうとするとパスワードを求められた。
「……やっぱりか。ファイルが開いたぞ」
仲里先生の予想通り、入力画面に「2-C」と入れるとファイルが開いた。そしてテキストが表示される。
そこには……
「……『仲里くんと、萱愛くんへ』?」
思わず声に出して呟いてしまったが、横書きのテキストはそのような書き出しで始まっていた。
やはりこれは御神酒先生の遺書だ。そこにはこう書かれていた。
仲里くんと、萱愛くんへ
もしこれを君たちが見ているのだとしたら、私は遂に教師としての終わりを迎えてしまったのでしょう。そう、やはり私は最低の教師だったのです。志半ばで、自らの信念に押し潰されてしまったのですから。
私はより多くの生徒を幸せにしたかった、しかしそのために、例え少数だったとしても一部の生徒を救うことを諦めてしまった。それは私の消えようのない罪だったのです。
私はこれを書いている間も、見捨てた生徒が私に対する恨みの声を上げているのが聞こえてきます。例え物理的に聞こえていなくとも、彼らは間違いなく私に恨みを持っているのです。
私は考えました。『こんな弱い私がこれ以上生徒たちを救えるのか?』と。やがて私の心は壊れ、その結果生徒を不幸にしてしまうのではないかと。
そして私はまた、一人の生徒を突き放してしまいました。そしてその生徒は私のせいで道を踏み外そうとしています。もし私の存在が生徒の幸福にとって邪魔なものであるのならば、私は既に教師では無いのです。
ですが私は最期の時まで教師として生徒を救いたい。いや、それはもう自分が教師という職業から逃げ出す言い訳なのかもしれません。既に私の心は限界を迎えています。弱い私にはもう、選択肢は一つしか無かったのです。
私がいなくなることで生徒が救えるのであれば、こんな罪深い私の命で救えるのであれば、いくらでも差し出しましょう。そして最低の教師として生徒たちに軽蔑されましょう。それが私に相応しい最期です。
ですが私は、君たち二人のことが気がかりでした。私に罪悪感を抱いている仲里くん、私を慕ってくれている萱愛くん。君たちが私の死で不幸になることはあってはなりません。なので私はここに宣言します。
私は教師になったことを決して後悔していません。そしてこの生き方を選ぶきっかけをくれた仲里くんには感謝しております。そして萱愛くん。君は決して私のような生き方を選ばないでください。それが私の教師としても最後のお願いです。
そして、どうか私のことは速やかに忘れてください。私のような最低の教師が君たちの歩みを止めることがあってはならないのですから。
願わくば、君たちが望む幸福を手に入れられますように。
御神酒 汰助
「う、くっ……」
俺は気づけば、歯を食いしばっていた。ここで泣いてはだめだ。こんな苦しみを抱えていたことに全く気づかなかった俺に、そんな資格なんてない。そうだ、やはり御神酒先生も人間だったんだ。そして自分の行いをそれこそ死ぬほど悔やんでいた。その罪悪感に押しつぶされて死を選んでしまうほどに。
「……」
俺は横にいる仲里先生を見る。先生は無表情で天井を見ていた。
「……仲里先生」
「萱愛くん……これから少しだけ、僕を見るのは遠慮してもらえないか?」
「……はい」
察しの悪い俺ではあったが、この先生の言葉の意味は流石にわかった。職員室を出て、閂先輩と合流する。
「ひひひ、これでこの事件は本当に終わりということですか……惜しむらくは、この目で『特殊』である御神酒先生の真実を見届けられなかったことですかねぇ……」
「……違いますよ」
「ひ?」
そう、違う。俺は彼の『遺書』を読んで確信した。
「御神酒先生は『特殊』なんかじゃありません。どこにでもいる、普通の人間だった……そして普通である自分が出来る最大限の行動をした……『最高』の教師でした」
「……」
そう言った俺の顔を、閂先輩は珍しく無表情で見つめていたと思うと、無言でその場を後にした。
※※※
そして現在、俺はある決意を秘めて、閂先輩を呼びだした。
「ひひひ、萱愛氏の決意……興味深いですね……」
……俺は思った。人を救うとはどういうことだろう。どうすれば人を救えるのだろう。
俺はかつて勝手な理想を追い求めて、人を救うつもりの行動で人を追いつめてしまった。そして俺は、自分の罪を背負うことを選んだ。
だけどもしかしたら、それだけではまだ足りないのかもしれない。人を救うには、もっと越えなければならない一線があるのかもしれない。
そして俺は目の前で小さく笑い続ける閂先輩を見る。
結果的にではあるが、彼女がいなければ御神酒先生の真実にはたどり着けなかった。そして俺も仲里先生も御神酒先生の死を引きずり続け、借宿も暴走を続けていたかもしれない。
閂先輩のやり方は決して誉められたものではない。時には他人を脅し、時にはルールを逸脱する行為に手を染めている。
だけど、閂先輩のおかげで俺たちは救われたのだ。だから俺は……
「閂先輩」
「なんでしょう?」
「……俺を、弟子にしてください」
俺はこの人から学びたい。例え誉められたやり方でなくとも人を救う術を。人を救うとは何かを。俺はあの時、借宿を刺激してしまった。正論に囚われすぎて、自分の目的を見失ってしまった。ならば俺は自分をコントロール出来るまで閂先輩に師事をすると決意した。
――この閂に封じられ、制御される道を選ぶことを決意した。
「ひ、ひひ、ひひひ……」
閂先輩は俺の発言を受けても笑い続けている。しかし……
「ひひひ、ひーひひひひひひひひ!!!!」
その顔を至る所に皺が出来るほどに歪め、これまで以上に大きな笑い声を発し始めた。
「ひひ、ああ、失礼いたしました萱愛氏……まさか、まさかそのような選択をなさるとは……やはり貴方は面白い……『特殊』と言わざるを得ません……」
「からかわないでください、俺は本気です!」
「ひひひ、それでは私から一つ提案を致しましょう……」
「はい?」
「私がこれからあなたに『試験』を課し、それに合格できれば萱愛氏の提案を呑むというのは……?」
「『試験』……?」
そして俺は思い知る。この『試験』で思い知る。
人を救うとは、決して単純なことではないということを。
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