数日後。
私はある事実を知ったため、真田と共にある場所を訪れた。
「ここですか? 斧寺さん」
そこは倒産寸前といわれている工場だった。現場の自然公園とも近いので、事件との関わりがあるかもしれないと、真田を連れてきたのだ。
「しかし、ここはもう調べたので手がかりがあるとは思えませんが?」
――手がかりは、ある。私の目の前に。
それを真田に告げると、私はあるものを取り出した。
――拳銃を、取り出した。
「!? 斧寺さん、何をしているんですか!?」
銃口を向けられた真田は、これ以上ないくらいに狼狽えていた。
「冗談でも度が過ぎますよ! 一体、何のつもりですか!?」
何のつもり? 行動で示したのに、わからないのだろうか。
仕方がない。こういう時は、言葉を出すしかないか。
そう、こういう時は――
「直截的な表現をしなければ、わからないかね?」
直截的な表現が一番だ。
「私は君が、柏恵介殺害の犯人だと確信した。だからこそ、銃を向けているのだよ」
これだけ言えば、わかっただろうか。私の目的に。
「……久しぶりにまともに言葉を出したと思ったら、やはりその芝居がかった口調になるんですね」
「済まない。だがこれは癖のようなものだ。どうか寛容な心で受け入れて欲しい」
そう、これは癖だ。
昔、無口を直そうと演劇教室に通ったことがあった。結局無口は直らなかった上に、くだけた話し方をしようとすると、こんな芝居がかった口調になるようになってしまったが。
「それで、私が本部長を殺したというのは?」
「君がこの工場を調べ終わったという報告。それ以外の聞き込みの報告にも、不審なところがあったのだよ。君が担当していた聞き込みの範囲は現場に近い箇所が多かった。にもかかわらず、君の報告では手がかりはゼロだったという。さすがに不審に思ってね。君の担当した聞き込みの範囲に、再度聞き込みを行ったのだよ。そうしたら、事件当日に君を見たという証言が出てきたじゃないか。こんな怪しい人物がほかにいるかね?」
「それだけで、犯人扱いですか!?」
「それだけではないよ。そもそもなぜ本部長があの自然公園に娘を連れていたか、君には想像がついていたのではないかな?」
「……!」
「あの公園は……大きな池が名物のようだね」
「何が言いたいのですか?」
真田は尚もシラを切ろうとする。仕方がない、苦手な会話を続けるか。
「本部長は池に娘を沈めようとした……大方そんなところだろう」
「なっ……」
「先日、本部長が雇った探偵を任意同行してね。やはり虐待していた家族を逃がさないように見張っていたそうだ。だが、それ以上におもしろい証言が出たのだよ」
「……っ、まさか……」
「君はあの探偵からひどく手荒い手段で話を聞いたそうだね。しかも私に無断で。これだけ状況が揃えば答えは明白だよ」
私は結論を言う。
「君は、本部長の虐待に対し自分勝手な正義感を燃え上がらせ、自らの手で彼を殺害した」
これが私の出した結論だった。
「……斧寺さん。私が独断で探偵に接触したことや、事件当日に自然公園に行ったことは認めます。ですが、物的証拠は何もないはず。私はあの公園に息子を連れて行っただけです!」
息子? そう言えば、真田には離婚した奥さんとの間に子供がいるらしい。
「息子を遊ばせていただけだと言うのかね?」
「そうです! 捜査を混乱させまいと黙っていただけで……」
「ふむ、ならば……」
「この工場を調べてもかまわないね?」
私は近くにあった、ロッカーを調べる。
「なっ、やめ……」
やはりそこにいた。
――縛られた、柏恵美が。
彼女は昨日から行方不明になっていた。警察の保護下にいる彼女を連れだせるのは、警察の人間しかいない。
「真田くん、君はこの工場には手がかりは無かったと報告したね?」
「いや、その……」
「ならば、この状況は何だね? こんな異常事態を君は何もない状態と言うのかね?」
真田は顔を俯けて黙っていた。だが、その直後、その口から笑い声が漏れる。
「く、ふふ……」
「真田くん?」
「お見事ですよ、斧寺さん。そうです、私が本部長を……いえ、あの悪魔を殺したのです」
「……ほう?」
「そこにいる恵美ちゃんを見てください。彼女は六歳だというのに、自分の感情を閉ざしている。いや、閉ざさなければならなかった。その原因は、父親からの虐待です」
「やはり虐待はあったのだね」
「ええ、あなたの読み通りあの日、本部長は恵美ちゃんを池に沈めるつもりでした。虐待をする人間の気持ちなどわかりませんが、探偵に誇らしげに話していたそうです」
ふむ、この辺りは予想通りだ。
「私は許せなかった! 実の子供を虐待する父親が! だから正義の鉄槌を……」
「自分の息子は、蔑にしたのに?」
私は、真田の見苦しさを見かねて言った。
「……はい?」
「君の二人の息子……親権は別れた奥さんにあるそうだね。しかも、君は碌に養育費を払っていないそうじゃないか。そんな君が、正義を語るのかね?」
「あ、いや……」
「しかもあの公園に行く理由に、息子を利用した……そんな人間が父親を語るとは、呆れ果てて、笑えもしないよ」
真田の表情がみるみるうちに、下種な感情に染まっていくのがわかる。
私はもうとっくに、彼の本性を見抜いていた。
「……ああそうさ! 俺は娘が欲しかったんだ! それなのに、俺の女は男しか産まなかった! それでちょっと罰を与えてやったら、離婚だとか騒ぎやがって……」
「だから、柏恵美を娘にしようというのかね?」
「そうだよ! 俺は虐待から救ってやったんだ! 恵美も感謝して俺に懐くはずさ! それになあ、斧寺! ここに一人で来たのは失敗だったな!」
真田はそう言うと、催涙スプレーを出して素早い動きで私の顔に吹き付けた。
「ぐっ!」
その隙を突かれ、拳銃を奪われてしまう。
「くっ……」
「やはりあんたも衰えているな。もはやロートルなんだよ。俺が引導を渡してやる!」
抜かったな。あれがないと……
「それがないと、救えないじゃないか……柏恵美を」
「安心しろよ。恵美は俺が大人の女に育ててやる」
「……それが君の『救済』か?」
「なに?」
「それで彼女を救えるのか? よく考えてみたまえよ。犯罪者の娘になった彼女がまっとうに育つと思うのかね?」
「うるせえ! どのみち、俺が本部長を殺さなきゃ、恵美は死んでただろうが!」
「そう、そうなるはずだった。それで……」
「彼女を救えるはずだったのに」
そう、私の狙い通りに本部長が娘を殺すという形で――柏恵美は救われるはずだった。
「……はあ?」
「私も本部長の虐待を確信していた。だが、彼女が助かる希望は限りなく小さかった。母親の柏清美が虐待を止めようとしていたようだが、気の弱い彼女ではとても止められなかった。さらに、柏夫妻には共に親戚がいない。仮に本部長を告発しても、柏清美一人では、娘を育てられないだろう」
「だから、俺が恵美を……」
「さっきも言ったが、君の娘になったところでまっとうな人生は送れない。だが、虐待から解放されたことで彼女はとても小さな希望でも縋らなくてはならない、そう……」
「小さな希望に縋るのは、苦しい」
これは私が刑事を続けてわかったことだ。
人は少しでも希望があれば、それに縋らずにはいられない。だが、そのあまりに小さい希望のために、周囲は人に足掻くことを強制する。自分はなにもしないくせに。だから――
「彼女を救うのは、希望ではなく絶望だよ」
私の決意を真田に言い放つ。
「な、何を言っている!? 絶望で人が救えるか!」
「救えるのだよ。絶望すれば、人は諦めることが出来る。希望に縋って、足掻くことをせずに済む。苦しまずに済む。だから私は、柏恵美に絶望を与えた」
「あ、与えた?」
やれやれ、有能だと思っていたが案外察しが悪いようだ。
仕方がない、ここは――はっきり言うとするか。
「私が柏清美を殺した」
「……は?」
「そう言っているのだよ」
――さて、私の目的がわかってもらえただろうか?
「……バカな! どうかしている! 虐待を止めようとした母親を殺してどうするんだ!?」
だめだ。私と彼は意外に意見が合わないようだ。
「さっきも言っただろう? 私は彼女に絶望を与えたのだよ。彼女を助ける存在がいなくなれば、彼女は全てを諦められる。そうすれば、彼女は心地よい絶望に浸れる」
「イ、イカれてる! あんたは狂っている!」
「何を言っているのかな? 私は至極まっとうなことを言っているだろう? 私がここに一人で来たのも、私だけがこの事件を解決できればよかったからだ。言い換えると、君を殺して彼女に更なる絶望を与えるつもりだった。そのためには、表向きには迷宮入りになったとしても……」
「だまれ、だまれ、だまれええええええ!」
乾いた音とともに、私の腹部に激痛が走った。
――その直後、私のシャツが赤く染まっていく。
「ぐ、は……」
「これ以上あんたの狂った考えを聞いていられるか!」
私は地面に倒れながら、考えを巡らす。
……しまったなあ、やはり私はロートルのようだ。
若いころなら、あんなスプレーなど躱せただろうに。そうしたら、こうして撃たれることもなかった。
後悔しても遅いが、それでも私には願わずにはいられないことがあった。
この状況でも無表情である柏恵美を見る。
とうとう、私はこの子の感情を見ることは出来なかった。彼女を救うことが出来なかった。それでも願わずにはいられない。
もし、私の意志が続くのであれば――
柏恵美を容赦ない絶望で救いたい。
※※※
地面に倒れ伏した斧寺を見て、俺はほっと溜息をついた。
「まさか、あんたがこんなイカれた考えの持ち主だったのとはな」
どう考えても、理解不能だった。絶望が人を救うだと? バカバカしい。人を殺してでも生きていたほうがいいに決まっているだろうが。
……まあいい、これからどうするか考えるか。
とりあえず、恵美を連れて遠くに……
「これからどうするつもりなのかね?」
その声は突然発せられた。
聞き覚えのない声だ。それと同時に違和感のあるものだった。そうだ、口調だ。子供のような高い声なのに、いやに芝居がかった口調だった。
「だ、誰だ!」
どういうことだ!? ここには俺たちしかいなかったはずだ。
まさか今のやりとりを見られたのか!? そうなるとまずい。早めに見つけないと……
「おや、私は突然現れたわけではないだろう? 先ほどから君のそばにいた。それで、私の質問には答えてくれないのかね?」
先ほどから、そばにいた?
いや待て、この場に子供は一人しかいない。
まさか、まさか、まさか!
「やっと、こちらを向いてくれたね。それで、これからどうするつもりなのかね?」
柏恵美!? こいつが、口をきいた!? それに、この口調は――
「お、お前、喋れたのか!? いや、その口調はどういうつもりだ!?」
「ああ、済まない。これは癖というか体質のようなものだ。 どうか寛容な心で受け入れてほしい」
さっきも似たような台詞を聞いた。
まさか、こいつは!?
「お、お前、斧寺か!? 斧寺が乗り移っているのか!?」
自分でもバカなことを言っている気がした。だが、この状況ではそう考えても仕方がない。
「斧寺? それはそこで倒れている男性の名前だろう? 君は私の名前を知っているはずだと思ったのだが。……仕方ない。発声練習も兼ねて、自己紹介をしようか」
そしてこいつは、先ほどまでの無表情とは程遠い、不気味としか思えない微笑を浮かべた。
「私の名前は柏恵美。君が誘拐した者だ」
なんだ、なんだ、なんだ!?
俺の前で何が起こっている!?
「……ふむ、これが私の名前か。気にいった、自己紹介は大切にしよう」
「その口調をやめろ! どういうつもりなんだ!?」
「どうもこうもないさ。私が生まれた、いや『完成した』結果だ」
「……完成?」
「これまでの私は、まるで何かが『足りない』状態だった。それを言葉には出来なかったがね。私がいつまでたっても感情を表に出さないから、父は私を失敗作とみなしたようだ」
「それが、虐待の理由か? いや、それはどうでもいい! 完成ってなんだ!?」
その言葉に対する、恵美の返答は――
「私は斧寺霧人の意志を受け継いだのだよ」
とうてい理解できなかった。
「い、意志?」
「そう、『柏恵美を絶望で救う』という意志。斧寺くんも自分に何かが足りないと思っていたようだ。だが、斧寺くんは死に、私が彼の意志を受け継いだことで、今、私が完成した。つまり、足りない者同士が合わさったことで、『柏恵美』が完成したということだ」
「何を言ってやがる、そんなことがあるわけがない!」
「だが、実際に私はここに存在している。そして、目的も持っている。『柏恵美』として」
「目的……だと!?」
「さっきも言っただろう? 私に必要なものは絶望。そう――」
「私は容赦ない絶望を追い求めるために生きる」
だ、だめだ。理解できない。
だが、一つわかったことがある。こいつの考えは斧寺に似ている。
――だが、少し違う。
絶望を与える者と、絶望を受け入れる者。その点で、違う。
「さて、君は私に絶望を与えてくれるのかね?」
「な、なんの話だ?」
「君が私の父を殺したのだろう? ならば、君は他人に絶望を与える側ではないのかね?」
「い、いや待て! それは違う!」
そうだ、違うんだ。あの時確かに、俺は本部長を刺した。
だが、その後刺さったナイフを『あいつ』が踏みつけて――
「動くな!」
その時、工場の入り口から第三者の声が入り込んだ。
「警察だ! 銃を捨てて投降しろ! さもないと発砲する!」
入り口には大勢の警察官が並び、周囲にも警察官がいるようだった。どうやら、銃声を聞いた人間が通報したらしい。
だけど俺は、心のどこかで安堵した。なぜなら――
「おや、君が私に絶望を与えるのは、まだ先になるようだ」
もう、こいつを育てようなんて考えは微塵も無かったからだ。
※※※
「おい、柏本部長殺害の犯人の取り調べは進んでいるか?」
「はい、おおむね犯行を認めています。あれだけの犯罪を起こしたのに、あっけないですね」
「まあ、そんなものさ。ところで、『おおむね』というのは?」
「はい、どうも真田の奴、「本部長にとどめを刺したのは、自分の長男だ」と供述しているようです」
「はあ? あいつの子供って、まだそんな大きくないだろ?」
「長男が4歳で、二男が2歳ですね。現場に長男を連れていたようです」
「たぶんデタラメだと思うが……一応、その子供も調べておくか。身元はわかるか?」
「ええ、ただ母親の姓になっているのでフルネームは……『棗香車』だそうです」
第七話 完
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