【21年前 5月20日 午後1時30分】
「警察の防犯コマーシャル?」
「ええ。G県警察本部からオファーが来まして……受けてみませんか?」
所属事務所の稽古場でマネージャーが提案してきたのは、警察が制作する防犯コマーシャル映像への出演だった。県内の警察署のモニターで流される5分ほどのドラマ仕立ての映像だそうだ。
それなりに大きな仕事であるにも関わらず、マネージャーの顔は曇っていた。その理由は……
「……この俺に、警察と仕事しろってか?」
俺が警察官という人種を毛嫌いしているからだ。
「し、白樺さんが警察を嫌っているのは知っています。ですが、去年の深夜ドラマでの犯人役が話題になったじゃないですか。それが警察の幹部の目にも止まったそうです」
「つまりその動画に犯人役で出ろってことか。それで最終的に警察に捕まると」
「具体的な内容まではまだ聞かされてませんが、防犯コマーシャルですからね……」
「俺だってプロだ、私情を挟むつもりはねえ。だけどよ、一緒に仕事したくない人間くらいはいるさ」
そう言いながら、渡された資料に書かれた名前を見る。
「警察なんていう、権力に笠を着た連中は特にな」
そこには『G県警察本部警備部長 柏恵介』と書かれていた。
この俺、楢崎隆彦が『白樺隆』の芸名で役者として活動を始めてから10年余が経った。数年前からようやく役名の付く仕事を受けられるようになり、特に去年の年末に出演した刑事ドラマでの犯人役で業界の注目を集めた。その結果、オーディションを受けるのではなくオファーを受けることも多くなったわけだ。俺としちゃ役者として名が売れるのは万々歳だが、その結果としてやりたくない仕事のオファーも来る。今回の警察からの仕事もそのひとつだった。
さっきマネージャーにも言った通り、俺は警察官という人種が何よりも嫌いだ。警察という権力を笠に着て、初対面の相手に対しても高圧的に接してくるからだ。自分に対して高圧的な人間は全て敵だと考えている俺からしたら、最も関わりたくない相手だった。
しかし『白樺隆』の名をさらに売るためには今が正念場なのも事実だ。つまらない私情で仕事を選んでせっかくのチャンスをフイにするなど三流のやることだ。俺はそこそこの役者で終わるつもりはない。役者であれば嫌いな相手とも笑顔で仕事出来て当然だ。
事務所の喫煙所でタバコを吸いながら警察への嫌悪感を隠すイメージトレーニングをしていると、横から大柄の男が声をかけてきた。
「ここにいたんですか、タカさん」
「……唐沢か。なんの用だよ?」
声をかけてきたのは同じ事務所の若手俳優である唐沢清一郎だった。俺より3歳下であり、大柄で筋肉質という外見のイメージからヤクザの用心棒役などの仕事を受けることが多く、本人もそれを足掛かりに売れようとしているようだ。
だが俺に言わせれば、見た目に反して性格が甘すぎる上にそれが演技に出てしまっている。暴力を振るうシーンでも相手に対する申し訳なさを隠しきれていない。厳しいことを言えば、三流役者から脱し切れていない。そのくせ何かと俺の行いに口出ししてくるのが心底気に入らなかった。
「聞きましたよ。警察から仕事もらったんですって?」
「情報早いな。それで自分も出させてほしいって頼みに来たのか?」
「まさか。清美さんが心配してたって伝えに来ただけです」
唐沢が俺の妹である清美と交際を始めたのは去年のことだ。稽古場にやってきた清美が何を思ったか唐沢に自分から声をかけ、唐沢の方もまんざらでもなかったのか、出会ってから一ヶ月半程度でもう交際が始まっていた。大柄の唐沢と女としても小柄な清美という組み合わせは周りにもウケが良かったのか、ウチの事務所の連中も部外者である清美が稽古場に立ち入るのを歓迎している。
「清美の心配っていうのは、俺が警察と揉めるんじゃないかってことか? 余計なお世話だって伝えとけ」
「そうじゃないですよ。タカさんが忙しすぎるから無理するなってことです」
「それこそ余計なお世話だよ。それに清美のヤツは俺を心配なんてしてねえさ。アイツは誰の心配もしないし、自分のことしか考えてねえ」
「タカさん、それはないでしょ。清美さんは優しい人ですよ」
俺の言葉を受けて唐沢の顔がわかりやすいほどに曇るが、すぐに感情が表に出るのがコイツの役者としての甘さだ。それに俺はウソを言ってるわけじゃない。楢崎清美という女は唐沢が考えているほど清廉な女じゃない。
「兄さん、清一郎さん……」
小さく高い声を発しながら、唐沢の隣に小柄な女が不安そうな顔で駆け寄ってきた。
「清美さん! 来てたんですね」
「はい……あの、兄さんと何かあったんですか……?」
「い、いえいえ! ちょっと仕事のことで熱くなっちゃって。大丈夫ですよ」
「よかった……清一郎さん、お仕事頑張ってくださいね」
「はい!」
唐沢は鼻の下を伸ばしているが、俺からしたら清美のいつものやり口としか思えない。
「兄さん、清一郎さんにもっと優しくしてあげてください。兄さんからしたらまだ未熟なのかもしれないけど……頑張ってるんですから」
「頑張っただけで売れるような甘い世界じゃねえよ。それによぉ清美、お前からしたら唐沢が売れない方が都合がいいんじゃねえのか? コイツが売れちまったら、お前になんてすぐ見切りつけるだろうからな」
「そ、そんなこと思ってません!」
「そんな必死になって否定しなくても別に咎めねえよ。お前が周りに媚びて生きてるクソ女だってのはわかってるんだからな」
「わ、私は、そんなつもりじゃ……」
「タカさん! いくら何でも言いすぎじゃないですか? 清美さんに謝ってください」
目を潤ませる清美をかばうように唐沢が声を荒げるが、コイツは清美がどういう人間かまるでわかってない。
清美は昔からいつもビクビクと怯えたような態度を前面に出しているにも関わらず、その小柄で弱々しい姿が男ウケするせいか、不思議とどの集団にも受け入れられていた。本人もそれを自覚しているのか、いつのまにか不安そうに怯える姿でいることが普通になっていた。
だが俺からすれば、清美の生き方は周りに媚びる生き方だ。自分の芯がなく、貫き通したい意地も欲望もないカスの在り方だ。俺が本名の『楢崎隆彦』ではなく『白樺隆』という芸名で活動しているのも、名が売れた時に万が一にもコイツが血縁者だと悟られたくないからだ。
「謝る理由なんてねえな。妹だろうがなんだろうが俺が目障りだと思えば誰だろうと敵だ。清美が俺の成功のために利用できるなら優しくもするが、コイツにはそんな価値もねえ。もちろんお前にもな。だから謝る理由も優しくする理由もねえよ」
「……あなたが清美さんの兄だなんて信じられませんよ」
「俺もコイツが妹だなんて信じられねえよ」
こんなヤツらと話していても時間の無駄だ。俺のスケジュールは詰まっている。タバコの火を灰皿で消して立ち上がると、まだ唐沢は俺を睨んでいた。
「なんだよ、文句あるのか?」
「……タカさん、あなたにとって『絶望』ってなんですか?」
「は?」
突然何を聞いてるのかと思ったが、要は俺の言葉にムカついたから俺が一番苦しむ方法で復讐したいってことか? みみっちい野郎だ。
だったら答えてやるか、どうせコイツに復讐なんてできっこないからな。
「そうだな、俺にとっての『絶望』は……敵意を失うことだな」
「敵意? 誰に対してのですか?」
「権力者への敵意、自分より力のあるヤツへの敵意だよ。俺は権力者をビビらすために役者をやっている。俺の演技を観て、『もしかして自分の権力はこういうヤツの手で一瞬で崩れ去るんじゃないか』と思わせるためにやっている。だからその敵意が消えちまうのが一番の『絶望』だな」
「……そうですか」
唐沢は何かを納得したように頷くとぼそりと呟く。
「霧人さんの言った通りかもしれない……『絶望』は、人を救う……」
その時の俺には唐沢の言葉の意味など知る由もなかった。
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