柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第三十一話 救済欲求

公開日時: 2023年6月26日(月) 06:42
文字数:3,573


「メイジさんに協力しているのが閂先輩だって言うんですか!?」


 バスの車内であることも忘れて思わず大声を出してしまったが、俺としては納得できない言葉だった。


「少なくとも私はそう考えているのだよ。それを君が納得するかは別だがね」


 現在、俺たちはM高校を出て、バスでS市立大学に向かっている。その途中で柏先輩から飛び出したのが、『メイジくんに手を貸しているのはおそらく閂くんだ』という言葉だった。


「柏先輩は、閂先輩がメイジさんと手を組んで黛さんを陥れようとしていると、そう思っているんですか?」

「そうは思っていないよ。むしろ閂くんの狙いはルリを助けることにあると見ている」

「え?」


 柏先輩が言ってることの意味がわからない。メイジさんとの再会が、黛さんを助けることに繋がる? 

 そんなわけがない。あの人はどう見ても黛さんと険悪な関係だった。そんな人との再会が黛さんにとってプラスなはずがない。


「柏ちゃん、私にも説明してほしいの。なんでメイジを連れてくることが黛センパイを助けることになるの?」


 後ろの座席に座っていた樫添先輩も俺と同じ考えのようだ。そしてその隣で俯いている財前さんも柏先輩をチラリと見た。


「先ほどもM高校で話したように、弓長くんの告白とメイジくんの出現は無関係ではない。しかし現状、メイジくんが現れたことでルリは弓長くんを含む周囲の人間たちに不信感を抱き始めた。まあ私の言葉で言うと……『支配者としてのルリが戻ってきた』といったところだね」

「じゃあ、メイジの目的も黛センパイを柏ちゃんの支配者に戻したかったってこと?」

「彼自身はどうか知らないが、閂くんの狙いはそこだろう。彼女はおそらく最初から弓長波瑠樹とその背後にいる唐沢清一郎を警戒していたのだよ。だがその事実を迂闊に口にすることはできなかった。だからこそ、工藤メイジという“対抗策”を用意したのだろう」

「待ってください。じゃあ、弓長くんと唐沢先生が黛さんに何か危害を加えようとしていると言うんですか?」


 仮に柏先輩の推測通りなら、弓長くんと唐沢先生が敵だということになる。だけど納得はいかない。弓長くんはあんなに黛さんを好きなのに、その相手を傷つけるなんてことをするはずがない。


「萱愛くん。少し前から気になっていたが、君がそこまで弓長波瑠樹に肩入れする理由はなんだね?」

「それは、彼が黛さんに思いを伝えるために必死になれる人間だからですよ! 俺はそういう人のことを応援したいと思って……」


 ……ん?

 『応援したい』と思って?


「そうだね、君ならそういう男を気に入るだろう。『自分が応援するに値する人間』を求めていただろう」

「……そんな。いや、そんなはずはありません! 弓長くんは、ずっと俺の前で頑張る姿を見せてくれてて……」


「弓長くんの言葉で言えば、それが君の『オーダー』だったということだ」


 ウソだ。あれは弓長くんの本心じゃないっていうのか? 今までずっと、俺に都合のいい後輩を演じていただけだっていうのか? 黛さんに近づくために俺を利用していただけだっていうのか?

 違う。彼は俺に心を開いてくれたんだ。初めは俺に不信感を抱いていたかもしれないけど、徐々に俺の言葉を聞いてくれて……


『あなたは僕に何を求めてるんですか?』


 ……そうだ。俺はそういう後輩を求めていた。閂先輩のことを最優先すると言いながら、唐木戸のことを救えなかった罪を贖うために、自分が救うにふさわしい人間を求めていた。


 弓長くんが、自分の助言を聞き入れてくれる素直な後輩であることを求めていた。


「閂くんは弓長波瑠樹の人間性を見抜いていたのだろう。だがそれを口にすれば君が悲しむ。下手をすれば君が『スタジオ唐沢』に乗り込む可能性もあると考えた。だから彼女は秘密裏に動いたのだよ」

「……」


 なんでだよ。

 俺は、やっと……やっと……大切な人を守れるって……閂先輩を危ない目に遭わせない強さが自分にあるって……そう思えていたのに……実際は、閂先輩に守られてばかりじゃないか……

 視界が歪み、思わず顔を手で覆ってしまう。このままいつまでも悔んでいたい。だけどそんなことは許されない。そんなことをすれば、俺は何も救えない。


「ふっ!!」


 両手で顔を叩いて、自分を無理やり奮い立たせる。悔むのは後だ。今は出来ることをしないと。


「樫添先輩。黛さんはS市立大学にメイジさんと一緒にいるんですね?」

「うん。もし柏ちゃんの言う通りなら、メイジは今頃センパイに事情を説明しているんじゃないの?」

「それはわからないね。ルリはメイジくんのことを敵だと思っているからすぐに電話を切ったのだろう。そうは思わないかね、財前くん?」

「……なんで私に聞くんですか」

「君からしたら、その方が都合がいいのだろう?」

「……」


 柏先輩の言い方が気になったが、それについて聞く前にバスの車内にアナウンスが響き渡った。


『次はS市立大学前、S市立大学前です』


「ふむ、話しているうちに着いたようだ。行こうか」

「……はい!」


 今回の件は様々な思惑が重なり合っている。正直、なぜ弓長くんが俺の前で演技をしていたのかもわからない。だけど俺が現状で最優先するのはひとつだ。


 閂先輩は俺を助けようとしている。その結果、閂先輩が傷つく結末だけはなんとしても防ぐ。





 大学の正門前に来た俺たちだったが、黛さんたちの姿はなかった。


「柏ちゃん! センパイがいそうなところってどこかわかる!?」

「講義がない時は図書館にいることが多いが……」


 俺たちの中で大学の立地に詳しいのは柏先輩と財前さんだけだ。だったら先輩たちに黛さんを探してもらって、財前さんと俺はここに留まるか?

 だがそう思っていると、俺たちの前にボブカットの女性が現れた。


「早く、しないと。早く、しないと。僕は、早く『オーダー』に、応えないと」


 ブツブツと呟いて通り過ぎようとしたその女性を見る。いや、女性じゃない。彼は……


「弓長くん? なんでここに?」

「……あ」


 弓長くんはなぜか栗色のウイッグを被り、女物のジャケットを着ていた。


「そ、そうだ! 黛さんを見なかったか!? いや、君はここで黛さんに何を……」

「……『オーダー』」

「え?」

「『オーダー』をください……僕、あなたの、『オーダー』を叶えますから……早くしないと、早く『オーダー』に応えないと……」

「弓長くん……?」


 なんだ? 弓長くんはこちらを見ているはずなのに俺を認識できていないように見える。


「弓長くん! 俺だよ、萱愛だ! わかるか!?」

「……僕に、どんな人になってほしいですか? あなたは僕に、何を求めていますか?」

「しっかりしてくれ! ここで何が……」


「波瑠樹、ハルキ、はぁーるーきぃー」


 その時、俺は初めて正門の横の歩道にいた大柄の男性に気づいた。その人が弓長くんの名前を呼ぶことで、ようやく気づいた。


「なーんだ。いるんじゃないか、波瑠樹。ここにいるのに黛さん逃がしちゃったのか?」

「唐沢先生……? なに、してるんですか?」


 こちらに歩いてきた唐沢先生はにこやかな笑顔を浮かべている。


 だがその後ろでは、先日黛さんの前に現れた男性……メイジさんが肩を押さえてうずくまっていた。


「あれ? 小霧くんじゃないか。今日は平日だけども、学校はどうしたんだい?」

「質問に答えてください。メイジさんに何をしたんですか?」

「ああ、彼が私に黛さんの居場所を教えろって殴りかかって来たからさあ。ちょっと抵抗したら大げさに痛がっちゃったんだよね。参ったよ」

「……おい! テメエ、“腹黒”の……閂の彼氏だよな!? 騙されんなよ、コイツが全部裏で仕組んでたんだよ!」

「ああ、ああ、余計なこと言っちゃって」


 ……そうか。

 メイジさんは閂先輩の名前を出した。じゃあやっぱり、柏先輩の推理は当たっていたんだ。


 最初から、閂先輩は俺を助けようとしてくれていた。なのに俺はその思いに全く気づいていなかったんだ。


「どうしてですか?」

「ん? それは私に言ってるのかい、小霧くん?」

「当然ですよ。どうしてこんなことをするんですか? 弓長くんの思いを、俺の思いを、黛さんの思いを踏みにじって、あなたは何をしたいんですか?」

「そんなこと言うんだねー、君は。霧人先生のお孫さんなのに、君はそんなことを言っちゃうんだねー」

「え?」

「波瑠樹、ハルキ、はぁーるーきぃー」


 唐沢先生はなぜか間延びした声で弓長くんを呼んだ。その声に反応した弓長くんの顔に少しずつ生気が戻っていく。


「波瑠樹、『オーダー』だ」

「はい!」

「『小霧くんのことを、親の仇のように恨む人』になってくれ」


 それを聞いた弓長くんは、顔の前で両手を合わせ……


「萱愛小霧……は、僕の両親を殺した……憎い敵!」


 俺に憎しみのこもった視線を向けてきていた。


「弓長くん、なに言って……!」

「バカ野郎! 早く逃げろ!」


 メイジさんの叫びが届く前に、俺の身体は地面に倒れていた。

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