てなわけで一週間前。
「……よし、と」
私たち姉妹は柳生のお屋敷を抜け出して天石立神社にお参りにきたのです。
実のところ、お参りだけなら、柳生一族のご先祖様を弔うだけなら、芳徳寺というお寺があるのだけど、そっちにはもう何回も行ってるからいいかなって。
「お父様、天国でも相変わらず剣をふるってるのかなぁ」
「多分ね。お父様、剣術大好きだったもん」
さて、なぜ私たちがお参りに行っているかというと……お父様、柳生十兵衛が死んでしまったからなの。
お父様は柳生の中でも一番強いといわれた剣士だった。そんなお父様が死んだ理由……それは……。
「でも、お酒の飲みすぎってどうなんでしょう」
「お竹、言わないの。お父様、お酒が好きだったから……」
はい、そうなんです。お父様、本当にお酒が好きで暇さえあれば朝からでも飲んでいたぐらいなんです。
それでお母様がどれだけ雷を落としたか……お医者様からもお酒の飲みすぎはよくないとたしなめられていたのに、お父様ってば「大丈夫、大丈夫! 酒は命の水だからな!」なんて言ってさ。
「鷹狩にいくぞー」って言いながら飛び出した先でもお酒をずっと飲んでたらしくって、それで倒れちゃったって。
お父様のお弟子さんたちはみんなこぞって「お師匠様がこんな事で死ぬはずがない!」って騒いで話がややこしくなっていったけど、お医者様は完全に「酒が原因」ときっぱり。
「とにかく。これで私たちなりのお父様の供養は終わったわ。そろそろお屋敷に戻りましょうか」
お父様が亡くなって、一年が経とうとしていた。ちょうどよい機会、お正月も帰れなかったという事で、私たちはお母様に連れられて柳生の里に帰ってきていたのだけど、正直やる事がなくて暇だった。
お参りも屋敷の整理も、すぐに終わるしあとは里の子たちと剣術の試合や練習をするだけだったし。
だから私はそれなら、お父様の供養という事でこのお参りを計画したというわけなのです。
お参りを終えた私たちはそのままお屋敷に帰ろうとしていたのだけど、私はこの時、ある事を思い出したのだ。
(そういえば、この神社にはひいお爺様が斬ったって言う大きな岩が……)
それは神社の奥にあるのだけど、お母様たちからは危ないからって理由で入っては駄目ときつく言われていた。
だけど、その時の私はどうしても好奇心を抑えられなかったのだ。
「ねぇ、お竹、ひいお爺様が斬ったって岩、見に行ってみない?」
私の提案にお竹は、「えぇ、怒れちゃうよぉ」と言葉では反対して見せたけど、姉たる私にはわかる。お竹も見たいって顔が隠しきれていなかったのだ。
「大丈夫だよ、私たち、もう大きいんだから。それに、ちょっと見に行くだけだよ」
「うーん、でもお母様に知られるとあとが怖いし……」
「大丈夫、そう時は宗冬のおじ様を頼ればいいんだって!」
宗冬のおじ様は私たちのお父様の弟。
とても優しい人で、私たちにだだ甘で、ワガママも聞いてくれるから大好き!
だけど、今のおじ様は柳生家の当主、つまりとても偉いお人だから、私たちがあまり迷惑をかけちゃいけないんだけど、困った事があるとすぐに助けてくれるんだよねぇ。
私としてはちょっと頼りすぎかなぁとは思っているんだけどね……まぁそれはそれとして、おじ様よりもお母様の方が怖いから、やっぱり頼ろう。
ごめんなさい、おじ様!
「う~ん、う~ん……うん、わかった! 見に行く~」
「よし、それじゃ決まり!」
という事で私たちは、その日、初めて神社の奥へと進んでいった。
そして見つけたのが、縦斜めに大きく切り裂かれた岩、通称『一刀岩《いっとういわ》』だった。
「ふわぁ……凄い、真っ二つだ……」
初めて見た一刀岩。どこからどう見ても硬い岩で、いくら刀でも斬れるわけがないのに、ばっさりと見事な切り口だった。
これ、本当にひいお爺様が斬ったのかしら?
だとすると、ひいお爺様って一体どんな鍛え方をしてたんだろう?
なんてことを考えていた時だった。
「どうやったらこんな風に斬れるのかしら?」
「ククク……教えてやろうか?」
「え?」
突然、声が聞こえた者だから私は思わずお竹の方を振り向いた。
「お竹、やめてよね、変な声だすの!」
数えで六歳になるお竹はませていて、しかもお転婆で、イタズラ好きなのだ。
全く、姉を驚かせようだなんてとんだ妹だわ。
「し、知らないよぅ。お姉ちゃんこそ、私を怖がらせようとするのやめてよね。十歳になった癖に、変な声だしてさぁ」
お竹はブーブーと口を尖らせてる。
あぁもう、しらばっくれちゃってぇ。
「なに言ってんのよ。私がそんなくだらない事するわけないでしょ……って、どういう事?
お竹も聞いたの? さっきの声」
「う、うん……お姉ちゃんじゃないの?」
「あんな声、出せるわけないでしょ」
あの声は、間違いなく男の人の声だった。
いくら私たちが声を低くしても、たぶん出ないような声だわ。
「ちょ、ちょっと待って……という事は」
そう考えると、とたんに不安になってくる。
私たちは二人して周りを見渡したのだけど、人の姿も気配もなかった。一刀岩の近くには私たち二人しかいない。他に、声が聞こえてくるわけがないんだ。
なんだか不気味だた……無意識に私たちはお互いの手をつないでぴったりと抱き合って、苦笑い。
「か、風の音ね。うん、よくそういうじゃない。風の葉っぱが擦れると人の声に聞こえるって」
「そ、そうだね!」
と、取り敢えずお屋敷に帰ろうかしら?
もうお昼だし、そろそろお母様が心配する頃だろうし。
「じゃ、じゃあお竹、手つないで帰ろうか! は、走るわよ、着いてきなさいね!」
「うん、そうしよう、そうしよう!」
そうして、走りだそうとしたその時だった。
「カァー! 待て、小娘ども!」
バサバサと何かが羽ばたく音、カラスの鳴き声が響いたと思った瞬間、私たちの目の前に現れたのは、山伏のような姿をした全身真っ黒な羽毛で覆われた大男……そう、それが、天狗様だった。
「うわぁぁぁぁぁ!」
「きゃぁぁぁぁぁ!」
当然、私たち二人は大きな悲鳴を上げて、その場にへたりこんでしまった。
だって、天狗だよ? つまり妖怪だよ? 出会ったら最後、地獄まで連れてかれるとかとって食われるとかなんて言われる怖いものなんだよ?
それに私たちはまだか弱い女の子なのにぃ!
「うるせぇぇぇぇ!」
私たちの悲鳴に負けないぐらいの大声で天狗様が怒鳴ってくるものだから、私たちはぴたりと泣き叫ぶをやめてしまった。
「フン、柳生のニオイを感じて出てきて見れば、小娘か……おい、貴様らの名前はなんだ」
天狗様はぶっきらぼうな言い草でしゃがみこみながら、私たちの名前を聞いてきた。
知らない人に名前を名乗ってはいけないって教えられてたけど、その時の私たちはびっくりしていて、ぼーぜんとしていて、なぜだか素直に答えてしまったのだ。
「あの、お松です」
「お竹……」
「松に竹か……梅はいねぇのか? ガハハ!」
なぜか一人で笑い始めた。
まったく面白くなかったけど、私たちもつられて苦笑い。
「なに笑ってんだお前ら。ずいぶんと余裕があるようだな、うん?」
なんだろう、理不尽だ。
そんなことなどお構いなしに、天狗様は鼻を鳴らして、私たちの着物のニオイをかいでいる。
い、いやだ、気持ち悪い!
「まぁいい。ふんふん、やはり柳生のニオイがする……ククク、これは運がいい」
「あの、あなた……天狗様なんですか? 本物の?」
いきなりニオイを嗅いでくる人が天狗様なんて思いたくないけど、この人の見た目はどこからどう見ても天狗様だし……。
「見て分からんか?」
天狗様はばさりと背中の羽を広げて、胸を張った。作り物じゃない、本当に羽ばたいて、宙に浮かび、真っ黒な羽をまき散らしながら、私たちの周りをぐるりと一周して見せる。
何か縄とかを仕込んでいるようにも見えない。
本当に空を飛んでいる。
天狗は、本当にいたんだ……そして、それはつまり……。
「ひいお爺様に稽古をつけてくれたっていう天狗様なんですか!」
そう、目の前に天狗様がいるって事は、ひいお爺様の伝説は本当なんだ!
天狗様と戦って、大きな岩を斬って、それは全部本当の事だったんだ!
「ひいお爺様だぁ? 稽古……まさか、宗厳の事か?」
「そ、そうです。柳生宗厳は私たちのひいお爺様なんです!」
「宗厳の……」
その時、一瞬だけど、天狗様がフッと小さく笑ったように見えた。
カラスの顔だけど、なんとなくそういう風に感じた。
それに、ひいお爺様の事を知っているという事は、やっぱりこの人なんだ。この人がひいお爺様に剣術を教えた天狗様なんだわ。
「懐かしい名前だな、あのひよっこのひ孫どもというわけか……外ではずいぶんと時代が過ぎているようだな」
天狗様は腕を組んでは、遠くを眺めながらつぶやいた。
そして、すぐさまキッと私たちを睨みつけると、天狗様の嘴がニヤリとゆがむ。
「なら話も早い。宗厳の野郎がこの俺様に何をしたのかも、当然知っておろうな?」
もちろん知ってる。
ひいお爺様は天狗様を斬って、一刀岩に封印したって……でも、天狗様は封印されているようには見えないんだよね。
今も私たちの前に立ってるし。
もしかして、封印が解かれてしまっている!?
「ひいお爺様に、封印されたのですよね? そ、それがなんで、私たちの目の前にぃ!」
「その通りだ。一生の不覚、奴のせいで俺はこの土地に縛り付けられ、外に出る事もできなくなった。あの岩の周りでうろちょろするだけの暇な時間を過ごす事になったわけだが……」
天狗様は忌々しげに一刀岩を睨んだ後、私たちに近寄る。
じょじょに後ろに引き下がる私たち、じりじりと追う天狗様。
「フフフ、暗くみじめであったぞ? この大天狗たる俺様がこんなかび臭い場所で一生を過ごすことになるかもしれんと思うとな」
「そ、そんな事言われましても……」
やったのはひいお爺様であって私たちじゃないし、そのひいお爺様はとっくの昔に亡くなってるし!
「そうですよぉ、私とお姉ちゃんには関係ないじゃないですかぁ」
お竹はもう泣く寸前だった。ぎゅっと私の袖を握りしめて震えた声を出している。
私もお竹の手を握った。お竹だけでも何とか逃がしてあげたいけど、天狗様は私たちを逃がすつもりはないのか、羽を広げて私たちを囲もうとしていた。
「う、これ以上は」
「お、お姉ちゃん!」
気が付くと、私たちは一刀岩のすぐそばまで追い立てられていたのだ。
「フフフ、宗厳の野郎に借りを返せないのはしゃくというものだが、その血筋ならばそれで良い。憎き柳生の血をもって俺様の封印を解かせてもらおうとしようか! くわーっかっかっかっか!」
天狗様の鳴き声がまるで雷様のようにとどろいて私たちに突き刺さる。
ばさりと翼を羽ばたかせて私たちに飛び掛かろうとする……その時だった。
「んぎゃぁぁぁぁ!」
天狗様は悲鳴を上げて、ぼとりとその場に落ちてしまう。
へ? 一体、何が起きたんだ?
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