「あ、ここの料理うまっ」
ネオンは、中庭のテーブルでひとり、食欲を満たしていた。
「同感だよ。ワタシが普段頼んでいるアンダーイーツよりよっぽど美味しいよ! そっちのも取ってくれないか」
「ん、どうぞ」
反射的に取り分けてから、ネオンは隣を二度見する。
七番街の天才、ドクター・ロキが、満足気に肉料理を頬張っていた。
「ロキじゃん。あんた最近よく会うけど、ヒマなの?」
「むぐっ、大天才を前にしてヒマとはよく言えたものだね!」
「十番街に来すぎ」
「いいかい、ここの貴族たちは、下層に比べて魔具に好意的な悪魔が多いんだ! だから、訪れる機会が多いってだけさ! あとワタシは身体を動かしていた方がアイデアが出やすい性質で」
「わかったって、弁解すればするほどそれっぽいから」
ロキは、テーブルワインを手酌で注ぐと、一気に飲み干した。
「それに、ヤドリンから待ち合わせに遅れるって連絡があった」
「はいはい、待ち人が来るまで繋いどいてあげる」
「ありがとう! ……あ、そうだ、キミに会ったら報告したいことがあったんだった」
なに、とネオンが話の続きを促す前に。
パーティ会場に、キラキラした音楽と美しい歌声が響き渡る。
チョコレートムーンが、会場一帯に向かって、フューチャーコアな楽曲を披露していた。
「ああ、美しいお嬢さんだ。それに素敵な歌声」
(あ、いつかの物好き堕天使じゃん。来てたんだ)
パーティにピッタリなようでいて、どこか寂しさも宿る不思議なテンポの曲を背景に、ロキは提案する。
「ネオン嬢、ワタシと一緒に、七番街に来る気はないかい?」
「え?」
「貴族の依頼を定期的に受けてもらう条件付きらしいけど、今のところ上手く取り計らえそうだよ、キミの移住。ワタシも、キミが近くにいてくれたら心強い」
「……ずいぶん急だな」
「おや、キミはずっと以前から、より下層に暮らしたいと願っていたのでは?」
「それはそうだけど」
まさか、こんなにすぐにチャンスが掴めるなんて。
ネオンは選択の重さを感じ始めていた。
(なんだか、私らしくない、ですね……)
ヴェルヴェットは、ぼうっと裏庭に佇んでいた。
今頃、シュガレットはすごすごと帰っているだろう。そしてシーシャは、姉を見送りに、屋敷の外まで付いていくようだった。
(またこの感覚です、身体も意思も、まるで私のものでないみたいにフワフワとして……)
土塊で組み立てた、紛い物の身体だから?
勝手にそう結論づけて納得したけれど、それならこのモヤモヤはどうしたら晴れるのだろうか。
鼓動のない自らの胸に手を当てていると、木々の間からバサバサと翼を広げて着地する影が見えた。
「ん? こっちは裏だったか」
「誰ですかあなた」
目つきの悪いその悪魔の姿に、ヴェルヴェットは心当たりがあったと気づく。
「まあ、ドクター・ヤドリでしたか。レティ様がお世話になっているようで、失礼致しました。でも正門はあちらでございますよ」
「悪い悪い、近道したつもりが余計遠回りだったな」
ヤドリは夜に溶ける翼を引っ込めた。
「あんたはアレだろ、悩めるグール」
「さすがお医者様、悩みなどお見通しというわけですか」
「まあな……」
本当はフルーレティから事前に相談を受けていたとは言えないヤドリ。
ヴェルヴェットは意を決して、胸の内のモヤを吐露した。
「私はグールです。意思のない土人形の使い魔でした。ルシファー様かサタン様の気まぐれか、この身に魂を授かるまでは」
「ふむ、一体いつ頃の話だ?」
「八、九年近く前、でしょうか……」
「それじゃお前は実質、八歳そこらのお嬢サマってことか」
「このお屋敷の中で、ずっと何不自由なく過ごしてきました。レティ様……主様は外に出てもいいと仰ったけれど、私にはその必要性がわかりませんでした。何事も起こらず、余計な人と関わらず、毎日を淡々と過ごしている方が、私にとって心地よかったのです」
でも、とヴェルヴェットは短く息を吐く。
「ある人に会ってから、私の考えはまるで変わってしまった。あの人の顔を見るために、外に出たい。お喋りするために、仕事を早く終わらせたい。そんな感情が、湧くようになりました」
「……」
「それは、今までの私とは全く違う思考でした。同時に、私の身体はフワフワしたり、喉の奥が妙に痺れたり、まるで自分のものではないように疼くようになったのです。私は時折、恐ろしく思います。この身が自分のものではなくなってしまうようで」
ヤドリはそこまで聞いて、あー、と短くぼやいて天を仰いだ。
慎重に言葉を探しながら、少しずつ、少しずつ情報を与える。
「--グールのお嬢サマ」
「はい」
「結論から言うとだな、」
「はい」
「別人の魂なんて、お前の身体にないぞ」
「はい……はい?」
「ああ、こりゃ本当にそう信じ込んでた顔だな……自分の手に負えない感情から、安易に逃避しようとするからだろうな、って私が言えた立場じゃねえけど……」
ヤドリは気まずそうに頭を掻いた。
「あー、私の専門外だけどよ」
「はい」
「多分、だけど」
「はい」
「それは”思春期”だ」
「ししゅんき、ですか」
聞き慣れない言葉を呑み込もうとして、ヴェルヴェットの表情が強張る。
「あるいは……そうだな、」
「はい」
「”初恋”とか」
「はつこい、こい、恋……こ、い」
(あ、完全に固まっちまった)
「恋、というのは、地上の人間を堕落させ破滅させるという、あの……?」
「だいぶ知識が偏ってるが、まあ感情は人それぞれだしな、無い話ではない」
「あのような分別のない、情けないものが、恋……? ああ、しかし、そう考えると私の抱える後ろめたさに納得がいきます……」
ヴェルヴェットは、メイドワンピースの裾を強く握った。
「私は……あの方が私以外とお喋りしていたり、他の方のお名前を出したりすると、胸が苦しくなる。そうですか……この醜い感情が、恋であり、私の新しい自我なのですね……」
「年下のお嬢サマに教えといてやる、恋も感情もキレイなものばっかりじゃねぇよ。それが当然だ。後ろめたさなんか、いちいち感じるな」
「お医者の言葉、痛み入ります」
「医者っつうか……ただの個人的な意見だけどな。一人で後ろめたく思ってた時間なんて、後から思えばバカバカしくなるぜ」
ヤドリは、ポン、とヴェルヴェットの背中を叩いた。
「ああ、それで思い出した、あいつを待たせちまってる」
「それは、申し訳ありません……お待ち合わせのところ、時間を割いていただきありがとうございます」
「いいっていいって、私で役に立てるならな」
じゃあな、困ったらいつでも話聞いてやるぜ、とヤドリは背を向けながら手をひらひらと振った。
「恋……これが……」
パーティ会場に吹く風は、新しいはじまりを告げながら、悪戯に木々を揺らしていった。
【完】
第五章の登場人物
ネオン・ライト
プライドで腹は膨れないのでタダ飯を喰らいに来たボディーガード。
何だかんだ順調に下層との繋がりを増やしている。
シーシャ
綺麗なドレスにつられて来たインスタントコーヒー屋さん。
非力な彼女が十番街に辿り着けたのは、地上の家族のコネのおかげ。
フルーレティ
この後ナベリウスに仕事を手伝ってもらった。
上級悪魔同士の中ではまだまだ”ガキ”と思われている模様。
ヴェルヴェット
もとは自我の乏しいグール。
恋を自覚したことによって自分を再定義した。
シュガレット
シーシャと最も歳の近い姉。亡霊の少女。他にもたくさんの姉たちがおり、地上に隠れ暮らしている。
ナベリウス
九番街の悪魔貴族。フルーレティと仕事を終わらせた後、一緒に純愛ドラマを見て号泣した。
パピエ
大人気百合漫画家パラダイスピエール先生。厳しい検閲を潜り人間を装い、地上でも電子配信をしている。
ロキ
あんまり人の名前を覚える気のない大天才魔学者。お気に入りのヤドリとネオンに会うため七番街からよく遊びに来る。
ヤドリ
お酒が大好きな街医者。今回のパーティの料理より上手い料理が作れる、と本人もロキも思っている。
チョコレートムーン
元天使の少女。地獄アイドルユニットの片割れ。地底のサキュバスと恋仲になり堕天した。
バーバチカ
その後、こっそりチョコレートムーンのアカウントをブクマした。チャンネル登録はなんだか悔しいのでまだしていない。
世界観設定
地獄
地獄の王ルシファーを筆頭に、悪魔貴族が統治する種族主義、実力主義世界。
地層、上層、中層、下層に分かれており、主に能力によって居住できる場所が定められている。下に行くほど偉くてつよい。
十番街
地獄の中層の最下に位置する地区。
実はそこそこ広く、数人の悪魔貴族の手によって治められている。
フルーレティの担当する地区は東の一画。
地上
主に人間の暮らす世界。
地上生まれの異形が身を潜めていることもある。
稀に地獄生まれでも、人間好きという理由で地上に住みたがる種族はいる(特に吸血鬼に多い)。
天界
天上に広がる未知の世界。天使が暮らしている。
地獄とは永い冷戦状態。
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