ハナちゃんとリンジくん

REFRAIN SERIES EPISODE VII
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第四一話:香椎羽奈のお仕事

公開日時: 2021年8月6日(金) 19:00
更新日時: 2022年10月19日(水) 22:28
文字数:6,834

 七本槍ななほんやり市 七本槍南商店街 楽器店兼練習スタジオ EDITIONエディション

 

 ひとしきり事務所の説明をしてもらって、今は使われていない夕衣ゆいさんのデスクを使わせてもらうことになった。まずはたぶんこれが私の仕事の肝になるのであろう発注書の整理。複合機の排紙するラックの近くに、籠が置いてあってそこに何十枚か紙が重なって入れられている。それがお客さんからの発注書で、個人であったり会社であったり、サークルであったりと様々だ。

「あの、莉徒りずさん」

 とんとん、と紙の端を机の上で揃えて莉徒さんに尋ねてみる。夕香ゆうかさんに話すべきことだろうけれど、もしかしたら莉徒さんも何か聞いているかもしれないし。

「ん?」

「昨日夕香さんに、暇そうな友達がいたら声かけてみて、って言われたんですけど」

「あ、いる?」

 私がEDITIONの受発注システムに打ち込んだ発注書に、一つ一つ金額を入れながら莉徒さんが顔を上げずに言う。莉徒さんのデスクは私の正面だ。

「はい。一人ですけど」

「おっけーおっけー。じゃあ夕香さんに言っとく。その子はいつから来られそうなの?」

「多分明日からでも」

 多分昨日のあの勢いだともう履歴書を買って書き終えていそうだ。最近はプリンターさえあればスマートフォンでも充分証明写真を作れるし、準備万端で私からの連絡を待っていそうな気がしないでもない。

「おぉ、いいわね。じゃあ今メッセージだけは入れとこうかな」

 そう言って莉徒さんはスマートフォンを取り出すと、夕香さんにwireワイヤーでメッセージを飛ばしたようだった。

「あ、ついでっちゃあなんだけど、羽奈はなも連絡交換しよ」

「あ、是非是非」

 よしよし、柚机ゆずき莉徒の連絡先もゲットだわ。確か莉徒さんは夕衣さんとやっているバンドのほかにもバンドをやっていると聞いた。もしもライブがあるなら見てみたい。

 二人でスマートフォンをふりふりしてぴんこらりん、と音が鳴る。

「よっし、よろしくね、羽奈」

 にっこりと莉徒さんが笑顔になる。本当に可愛らしい人だな。ハキハキしているし行動力も高そうだし。モテそう。

「こちらこそ!それにしても今日はローディー班っていうのは動いてないんですか」

 もう一つの私の仕事の軸になりそうなローディー班の行程。それも気になる。

「まだ今時期はねー。でももう八月にあちこちで参加するフェスの予定表は作ってあるから、目は通しておいてもらえるとありがたいかな」

 そう言って莉徒さんは窓のすぐ脇にあるホワイトボードに貼られてる模造紙を指差した。日付とか会場、そこに付くローディーの班が振り分けられているようだ。

「了解です。あと、私たちが出るイベントのタイムテーブルとかは出てるんですか?」

 アルバイトのこともそうだけれど、イベントに出演することにも留意しておかないといけない。八月二十四日だということは判ってるけれど、何時に開場でスタート時間は何時か。私たちの出順は何番目か。そうしたことも知っておかないといけない頃合いだ。

「あー、出てる。そろそろ配布しないとやばい」

「あ、してないんですか?」

 なんと。いやもう一か月前だ。多分あちこちの出演者からも問い合わせが来ているのではないだろうか。

「う、うむ……」

「送信リストとかあれば私やりますけど」

 おそらくこのお店公式のwireアカウントから飛ばせば済むだろうし、メールならば一括送信で済みそうだ。

「なんとデキる女だ香椎かしい羽奈……」

「大袈裟ですよ」

 そのくらいのことであれば私でもできる。出演する側でしかなったけれど、今では運営する側にも片足を突っ込んでしまっているのだ。やれることはやっておきたい。

「そっちのパソコンにwireのアプリ入ってるから、メッセージはコピペで面倒だけど、メールは一斉送信で宜しく。

 言いながら莉徒さんは一枚の紙をプリントアウトした。それを受け取って見てみると、出演者リストとタイムテーブルが印字されていた。

「はい、っと……」

「それと共用のフォルダ見れる?その中にえーっと『公園イベント』ってフォルダがあって、その中にこのタイムテーブルのデータ入ってるからコピペ宜しく」

 莉徒さんの言う通り、デスクトップにEDITION共用というフォルダがある。そこを開くとさらにいくつかのフォルダがあって、その中に公園イベントというフォルダがあった。印刷された紙とフォルダの中の表計算ファイルを見比べる。今莉徒さんが印刷したものだから当然相違はない。

「了解です。……全部で十組。中々多いですね」

 私と美雪FanaMyuファナミュ、リンジくんのバンドBrownブラウン BessベスほのかのバンドStokesiaストケシア歩さんのバンドRougeルージュ Assailアセイル、それと、夕衣さん莉徒さんのバンド、これだけでも五組。あとの五組は知らないアーティストばかりということになる。

「そうね。でもま、羽奈たち弾き語りのアーティストは転換時間少ないからいけるんじゃないかな。時間厳守は絶対だとして。あと一組、メジャーのバンド、ぜ、ゼルフォー……?」

「ゼイルフィース・オーバー?」

 らしきバンド名を見つけて補足する。

「そうそれ。メジャーらしいけど、まぁ駆け出しだからイキって迷惑かけてくるかもね。私ら目ぇ光らせてるから余計なことはなんもさせないけど」

  プロも出るんだ。でもGRAMが関わっているイベントだし、そういうことも当然と言えば当然なのかもしれない。

「メジャーも出るんですね……。ちょっと焦ります」

「や、演奏聞いたけど大したことないわよ。なんでメジャー契約取れたのか不思議。っつーかコネ以外考えられない」

「そ、そうなんですね……」

 莉徒さんがそう言うのならば、莉徒さん的にはそうなのかもしれないけれど、莉徒さんの音楽的な嗜好や判断水準は高いような気はする。どちらにしてもプロはプロ。腐ってもプロだ。

「うん。まぁでも羽奈たちが気にすることじゃないから、心配しなくても全然平気よ!」

 そうか。私は莉徒さんに演奏を買われて今回のイベントに出ることになった。だから莉徒さんの言葉を信じよう。それにプロが出るからと臆していては自分らしい演奏だってできなくなってしまうかもしれない。それは莉徒さんの顔に泥を塗ることと同じだ。気持ちはしっかりと切り替えよう。

「了解です。開場が十時で終了が二十時……。ちょうど十時間中々タイトですね」

「巻き巻きでやってくしかないわね」

 出演者リストを見ても私と美雪みゆきのような弾き語りでの参加者は判らない。個人名の参加者が一人だけいるが、この人は恐らく弾き語りだろう。

「ですね。セトリはきちんと考えておきます」

 ぐ、まさかのトリ前。トリは『Medb』というバンドだ。恐らくは莉徒さんと夕衣さんのバンドだろう。そしてその後に、りょうさんとたかさん、そして夕衣さんと莉徒さんのバンドが余興で一、二曲やるはずだ。タムテーブル通りに行けば問題は無さそうだけれど、どんなトラブルが起こるかは判らないのがライブイベントだ。私たちの時間はきっちり守るようにセットリストを組まないといけない。

「ん、宜しく!」

 それにしてもトリ前とは驚きだ。もしかして出順も莉徒さんが考えたのだろうか。

「このメ……メドブ?って莉徒さんたちのバンドですか?」

「うんそう。メイヴって読むんだけどね。しっかり盛り上げといてよねー」

 メイヴっていうのか……。よ、読めないぞ普通。

「いや、そんなわぁ!ってなるような曲、ないですよ」

 明るい曲調はあるにはあるけれど、い、いや莉徒さんたちのバンドだって夕衣さんも歌うはずだからそんなにド派手なロックということではないかもしれない。それを見越しての出順ということは大いに有り得る。

「ま、そこはそれ、しっとりした曲だってきちんと魅せれば良いのよ」

 盛り上がり方は違えど、しっかり伝えることができれば、ということかな。確かに聞いてくれた人たちの心を感動させるのにジャンルはあまり関係ない。それにこうしたイベントは様々なジャンルのアーティストが出るから楽しいということもある。ともかく、自分ができることはしっかりやる。それだけだ。

「はい、そこは勿論頑張ります」

「ん!」

 くい、と親指の腹を私に見せて莉徒さんがサムズアップする。

「あーとーは、そうだそうだ、ポップもさ、そこにチラシの裏紙みたいなのに機種と金額、一言メッセージみたいの書いてあるやつあるでしょ」

 私と莉徒さんがついているデスクは島の端だ。隣にデスクがない右手側には二人掛けのソファーが向かい合わせに置いてあり、その間にはガラステーブル。そしてそのテーブルの上には莉徒さんが言った通りの束ねたチラシの裏紙がある。そしてケント紙とセロハンテープ、マーカーや鋏、カッターナイフもある。描きかけの、やたらうまい、ポップなギタリストのイラストなんかもある。

「ありますね」

「それを元に、あの辺の材料で、ケント紙とかマーカー使ってやってくれるとありがたい!」

「は、はぃ……」

 何かを描けば地獄絵図。そんな私がポップ作りなんてできるのだろうか。いや、お手本があれば私にだってできるはずだ。

「ああいう系苦手?」

「ですね……」

 小学生の頃も図画工作だけはいつも成績があまり宜しくなかった。写生なんかは本当に大嫌いでどれだけ描いても先生に合格を貰えなかった。

「ま、私もそうなんだよね。明後日から歩も来てくれるから、それまでは何とかしのいで」

「歩さんも?」

 ということは歩さんともお近づきになれるということだ。これは嬉しい。大変かもしれないけれどちゃんと頑張れそう。

「あの子は平日もバイトしてるわよ。しかもあいつ絵も巧いから、ポップはほとんど作ってもらってるわ」

 となると、このやたらうまいイラストは歩さんが描いたのか。

「そうなんですか……。神様は不公正ですね……」

 可愛いし、歌も上手いし、ギターも上手い。その上絵まで巧いなんて……。

「まったくだわ!でもま、背の高さだけは勝ってるから!」

「それってあんまりアドバンテージにならない気が……」

 確かに莉徒さんの方は少し背は高い気がするけれど、あまり変わらない気もする。それに莉徒さんだって凄く可愛いし、歌もギターも上手い。

「言うな羽奈!そうとでも思わなきゃやってらんないでしょ!」

「そ、それはあるかもです……」

 音楽をやる人間としてではなく、ごく個人的に、ということなんだろうな。

「あと喧嘩もメチャクチャ強い」

 え、何それ。

「なんでそんなこと知ってるんですか……」

「ナイショ!」

(えぇ……)


 様々な様式の発注書をパソコンのソフトで、EDITION仕様に打ち換える。ひたすらに。それほど量は多くないので、しっかりと確認しながら確実に。莉徒さんは練習スタジオの方に行ってしまったので、今は私一人だ。判らないものは脇に置いて、後で判る人に訊く。ともかく今は打ち込めるものはバンバン打ち込んで行く。

「お、やってるわねー」

 ウィーンと自動ドアが開き、夕香さんが事務所に入ってきた。今日も炎のオーラをまとった爆裂美女だ。呆れるほどに。

「あ、夕香さん!お疲れ様です!」

「あんたらのおかげで少し楽させてもらってるから疲れてないわよ」

 冗談とも取れる言い方で夕香さんはにっこりと笑う。なるほど谷崎諒なら、いや世の男性の大多数がイチコロな笑顔。

「い、いえいえ私なんてまだまだ……」

 まだ始めて数時間しか経っていない。夕香さんに貢献できるほどの働きは当然できていないだろう。

「明日は事務系に強い子来るから、また色々教わるといいわ」

「あ、そうなんですか?」

 でも言われてみれば、私以外に事務仕事をする人がいないのもなんだか変だ。莉徒さんや夕香さんも勿論できるのだろうけれど、事務作業につきっきりという訳にも行かないだろうし。

「うん。昨日今日は休みのシフトの子だからさ」

「なるほど。それは助かります」

 莉徒さんの教育係もそう何日もやってはいられないのだろうし、事務業専門の人がいてくれるのなら、それは私としても助かるし、有難い。

「今日は発注書?」

「あ、はい」

 私のすぐ後ろまで来て打ち込みが終わった発注書を手に取る。

「こっちからもウチ専用の発注書送って、これに書いてくださいねーってやってるんだけどなかなか浸透しないのよね」

「今までのやり方を変えるって、やっちゃえば簡単ですけど、なかなかそう巧くはいかないかもですね」

 判らなくもない。携帯電話でもパソコンでも、今までとは使い方が異なる新しい機種に替えなければならない時は不安があるものだ。慣れてしまえば数日ということも避けたくなるのは人情というものかもしれない。そこは夕香さんも判っているのだろう。

「そ、悪しき風習。こっちの方が効率的だし判りやすいって判ってるのに、今までのやり方を変えるのが面倒、とかで結局古いやり方続けるからね。仕方ないっちゃないんだけど」

「ですね……」

 止む無く変えざるを得なくなってしまえば、新しいものに慣れるだけなのだけれど、発注書ともなると、自分たちが使いやすいもの、市販されているものを使うということが当たり前なのかもしれない。

「あとは本人の気付き、みたいなもんなのよね。あれ、こっちのが楽じゃん、簡単じゃん、って実感値を伴えば納得もさせられるだろうけど」

「新しい物への変化って敬遠されがちですよね」

 それが必要不可欠なものではなければなおのこと。

「そうね。それで少しずつ周りの人が変えて、慣れていって、まだそんなことやってんの?ってなれば変わるんでしょうけど、発注書一枚ってなると中々……」

「ですね。見落とし、ミスリードは気を付けないとです」

 様々な様式で、様々な書き方、音楽業界での専門用語、特定の業界、もしくは年代でしか使われていない言葉など、書き方は様々だ。元来書類とは、小学生の宿題にしたって、会社の資料や報告書にしたって、人に見せるために作るものだ。それは相手に見てもらうことが前提で、相手に解るように書かなければ意味を成さない。そういうことを忘れてしまっている人が多いのかもしれない。

「ん。よろしくね。そういえば羽奈はお昼ご飯どうするの?」

 言われて時計を見るともうお昼だった。結構集中してやっていたから時間の経過をあまり気にしていなかった。なるほど、夕香さんはお昼休憩としてここに来たのかな。

「え、と、今日は何も持ってきていないのでコンビニにでも……」

「じゃあ店屋物でも取る?今日はおごっちゃうからさ、夕香さんに付き合いなさいよ」

「は、はい!」

 有難い気遣いだなぁ。少しでも早く慣れるように時間を使ってくれるんだ。一つの会社の長として信頼されている人なのかもしれない。そんなことを考えていると、うぃーんと自動ドアが開く。

「やったぁ!ご馳走様!」

 飛び込んできたのは莉徒さんだった。莉徒さんもお昼休憩で戻ってきたのかな。

「……莉徒に奢るとは言ってないけど」

「えぇ!いいじゃないすか!減るもんじゃあるまいし!」

「は?食べ物もお金もがっつり減るけど!」

 本当に上下関係が緩いなぁ。でも莉徒さんも夕香さんもなんだか楽しそうだ。これがお互いの信頼関係なのかもしれないな。

「まぁまぁ、そんな細かいところを気にする夕香大明神ではありますまい!」

 夕香大明神。確かにこの美貌、そして誰もがうらやむ超絶スタイル。確かに大明神。意味は良く判らないけれど。

「やかましいわよ。ま、いいわ。でも今日だけだからね」

「やったぁ!」

 ふふ、と笑う夕香さんにぐ、とサムズアップする。

「あ、ご、ごちそうになります!」

 そ、そうだ私もご馳走になるんだった。危ない危ない。

「よっし、何がいいかな!」

 言って複合機の脇の壁にかかっている、何件かのメニューを莉徒さんが手に取った。

「あたし天丼ね!」

「ってことは鶴亀庵ですねーっと。私はカレー丼にしようかな!」

 ということはお蕎麦屋さんか。どうしようかな。天丼、かつ丼、親子丼、カレー丼、カレーうどん、カレーそば、たぬきうどん、きつねうどん。うーん、社長である夕香さんが選んだお店ということは多分美味しいのだろう。迷ってしまう。

「羽奈は?」

「あ、え、ええと……」

 そう莉徒さんにメニューを渡される。メニューは文字だけのものだけれど、どれも美味しそうな予感がする。

「羽奈、こういう時に変な遠慮するとぶっ飛ばされるから気をつけなさいよ」

 う、うーん、とは言うものの、うな重の特上なんて頼む訳にはいかない。それにうな重だったらかつ丼の方が好きだし。でもここはやっぱり定番のカレーうどんにしておこうかな。安いし、多分だけど美味しいに違いないし。

「人聞き悪いこと言うんじゃないわよ。でもホント、遠慮はしないでよね」

「うわ、判りました!……じゃ、じゃあ私はカレーうどんで!」

 結局値段的には遠慮してしまったかもしれないけれど、食べたいと思ったものだし!

「おぉ……。それもいいわね……。よし!私もうどんに変えよ!よーっし羽奈、電話宜しく!」

「あ、は、はい!」

 私がするのか!い、いやこれも新人の仕事!


 第四一話:香椎羽奈のお仕事 終り

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