七本槍市 喫茶店 vulture
注文したものを食べ終えて私は意を決する。昨日リンジくんからお誘いがあった時から思っていた。
「ふぁー、おいしかった!今日は私が奢る!」
涼子先生のナポリタンは神の味がする、という噂を聞いたことがあるけれど、まさに私は今日、神を喰らった!めちゃめちゃおいしかった!
「え、い、いいよ!呼び出したのは僕なんだから!」
「助けてもらったお礼」
リンジくんの行動には本当に感謝している。そしてリンジくんは事の中心にいたのが私だと判っていて、私を助けてくれた。これは偶然でも何でもなく、そこにしっかりとした、リンジくんの意志があっての行動だ。だから私はその行動に対してきちんとお礼をしたかった。
「う……」
「別にそれで手打ち、なんて言うつもりもないけどね」
ちょっと意地悪く笑う。流石にもうリンジくんの前では笑顔が引きつることはない。
「……理由ね」
「そ」
苦笑するリンジくんを余所に短く私は頷いた。
「えと、僕がチームを抜けるきっかけになった人がいる、って話したよね」
「叱ってくれて目を覚まさせてくれた、みたいな人ね」
「うん」
その人には一方ならぬ恩義を感じているということはリンジくんの語り口からも判ったので私もしっかりと覚えている。
「……まさか、その人に公園の平和を守れ、みたいなこと言われたの?」
正義に目覚めた心をどうのとか言われたとかだったらヤバすぎる。
「まぁ色々すっ飛ばして言うならそうなんだけど」
「えぇ!」
まじか……。
「うちの旦那さんなのよ、その人って」
「涼子先生」
食後のコーヒーを運んできてくれた涼子先生がさらりととんでもないことを言う。
「うん、まぁ、そういうこと」
会ったことはないけれど涼子さんの旦那さんまで関わっていたとは……。しかも今のところ私が得ている極少ない情報だと、かなりヤバそうな人だ。涼子先生の旦那さんなのだから、そんなことはないと思うのだけれど。
「どういうことよ!」
一瞬納得しかけたけれど、事態はまったく展開していないし、訳が判らないのは変わらなかった。あぶないあぶない。
「えと、僕が事故を起こす前にね、別のメンバーが昨日みたいに堅気の人に因縁吹っ掛けちゃって」
「……うん」
と、とりあえずリンジくんの話をちゃんと聞いてからにしよう。急いては事をし損じる。感情に任せていらんことを言わないようにしなければ、また羽原君の時のように、後悔することになってしまうかもしれない。
「僕は止めたんだけど、結局色々あって乱闘になっちゃってさ」
「ふむ」
「そこに、ファイヤーマスクともう一人、雷の模様の、まぁサンダーマスクなんだけど、その二人が割り込んできて、その場にいる全員をぶっ飛ばしたんだよね」
ということは初代ファイヤーマスクと、タッグコンビを組んでいるサンダーマスクか。昨日のファイヤーマスクも恐らくかなりの強さだったけれど、初代も相当だったのだろうか。
(ん、あれ?)
「え、リンジくんも?」
「う、うん」
本当に全員だったという訳ね。
「つまり、公衆の面前で、因縁ふかっけた方も、それを止めようとした方も、結果的に大騒ぎになってみんなに迷惑をかけたから、かな」
「流石羽奈ちゃん」
喧嘩両成敗ね。確かに少し俯瞰して見れば判らなくもない。止めようとしたリンジくんも結局は暴走したチームの一員。
「でもその時にね、お前が人にどう見られているか気にしないのは勝手だ。だけれど、それならその評価にケチをつけるな、って」
「見られていることをもっと気にしていれば、立ち振る舞いも変わる?」
「だね」
それは確かに意識するとしないとでは行動も変わってくるかもしれない。私は奇異の目で見られることに慣れてしまっているから、ことさらにそういうことには敏感な方だと思う。ロフストランドクラッチを持っているだけでも人の目を引いてしまう。その視線に悪意はないとしても、哀れみであったり、腫物を見るような視線であったり。
「でもそれは、観られているから着飾れ、とかそういうことではないのよ」
そう、涼子先生が言った。なるほど。だからリンジくんはTRANQUILではなくvultureを選んだという訳か。
「どんな人に見られて、どんな勝手な判断をされても、まっすぐに立っていられるように、っていう意味だね」
「なるほど……」
それには自分の見せ方を考える必要もある。リンジくんが現役時、どんな態度だったのかは知らないけれど、現役だった羽原君や栄吉のことを考えると、大きな声や態度で人を萎縮させようとしていた。本人たちの希望は『ビビれ』だろう。『逆らうと痛い目を見る』かもしれない。ともかく、自分が腕力的に優位であって、腕力的には優位ではない人達に対して精神的優位にも立ちたい。そんなところだろう。
だけれど、多くの人達は、大きな声を出してうるさい。喚き散らしてみっともない。暴力を振るうしか能がない。という判断を下す。本人たちがどう見られるか、を意識していないか、自分たちの見識が狭いせいで、喧嘩の強さでしか色んなことを測れなくなっているからだ。
「その言葉に感化されて、チームにいることに疑問を持つようになったんだ。羽奈ちゃんが正孝君に言ってくれたようにね」
そこは私を態々持ち上げなくても良いです。リンジくんに何かを言ってあげられた訳でもないし、私が言ったことで羽原君は大怪我した訳だし。
「でもその直ぐ後に事故を起こしちゃってさ。病院にサンダーマスクとファイヤーマスクが来て散々小突かれた挙句、お説教されて、やっぱりチームを抜けようって思ったんだ」
「病院に……」
プロレスマスクの男二人が……。
「で、今度はチームを抜けた後に入院した時に、今度はマスクをつけない二人が来て、良くやったな、って。男を見せたな、って言ってくれて……」
リンジくんは終始穏やかな顔をしているけれど、プロレスマスクが引っかかって仕方がない。いや、そんなつまんないこと気にするなよ、と思われるかもしれないけれど、そこは見逃せないでしょう。
「ちょっと待って、良い話なのか冗談なのか良く判らないんだけど」
「騒ぎにはならなかったから、マスクをつけるタイミングとかも気を遣ってたんだと思うよ。それも理由あってのことだしね」
「理由?」
まぁ、暴走族を相手にたった二人で完全勝利を収めてしまうほどだ。顔を隠さなければならない理由は、確かにあるのかもしれないけれど。
「まずは、顔が割れると色々とまずかったってこと」
「それは何で?」
正直理由はどうでもよかったのだけれど。
「サンダーマスクの方は涼子さんの旦那さんだったから」
「……ん?」
それが顔を隠す理由?イマイチピンとこない。確かにリンジくんだって今ではただの社会人だ。とは言え、公園のパトロールをして、必要とあらば喧嘩の相手だってしなければならなくて、騒ぎになれば色々と面倒なこともあるのだろうから。でもそれなら、病院で素顔を隠す理由はあるだろうか。二度目には素顔で会いに行っているのだし。
「え?あれ?」
「え?」
リンジくんは当然知っている、という体だった。しかしながら私は涼子先生が既婚者だということは知っているし、娘さんのみふゆさんとも何度も会ってはいるけれど、涼子先生の旦那様とは会ったことがない。
「あらあら、そういえば羽奈ちゃんに話したこと、なかったかも」
「そうなんですか!」
糸目が少し見開かれてリンジくんが驚く。い、いや涼子先生の旦那さんにどんな秘密があるのよ。まさか改造人間でベルトのバックルに風を当てるとサンダーマスクになる訳じゃあないでしょうに。
「どういうこと?」
「えと、涼子さんのフルネームは知ってるよね?」
「水沢涼子さん、ですよね」
こくり、と涼子先生は頷く。
「旦那さんは水沢貴之さん。……聞いたことある?」
水沢貴之……。確かに聞き覚えがある。うーん、と視線を巡らせて、レジスターの真横に何枚か並べられたCDが視界に入る。あれはリクエストでかけて欲しいCD、というものではなく、売り物だ。ロックバンド-P.S.Y-のCD。何故か喫茶店のこのお店でも売られて……。
「え、まさか-P.S.Y-の?」
「そ」
「えぇーっ!」
そうだ。水沢貴之はロックバンド-P.S.Y-のベーシストだ。確か凄い昔、日本でも有数のロックバンドに所属していて、そのバンドが解散した後に-P.S.Y-を結成して、今に至る。日本でも名前は聴くし、コンスタンスにアルバムも出している。海外展開もしていて、海外からの評価もそこそこ良いらしいことは音楽雑誌で読んだことがある。
「だから顔が割れるとまずかったんだよ」
なるほど。となると自動的に。
「ファイヤーマスクは?」
「-P.S.Y-のドラマーの谷崎諒さんの息子さん。谷崎愁さん」
「……」
ドラマーの谷崎諒ではなく、息子でしたか。サンダーマスクよりも一足早く戦士からは引退したのね。
「な、なんかもう色々ぶっ飛び過ぎてて……」
まさかロックバンド-P.S.Y-に正義の味方がいただなんて誰が信じるだろうか。
(あ)
そう言えばまだ美雪と出会ったばかりの頃に、ファミリーレストランで美雪の中学時代の話を聞いた時、リンジくんは言っていた。僕は正義の味方だって。あの時は自称正義の味方なんて怪しい、と思っていたけれど、まさか本当に本当の事だったなんて。
「愁くんは元々正義感は強いものの大人しい子だからね。初代は諒君がうちの旦那さんとやってたんだけど」
「じゃあリンジくんはファイヤーマスク三世ってこと?」
谷崎諒、谷崎愁、永谷リンジか。三代目にして世襲制ではなくなった、ということなのね。我ながらどうでも良いことを質問してしまったわ。
「うん、まぁ、半ば強引に……」
二度目のお見舞いの時にでも言われたのだろう、きっと。
「サンダーマスクもそろそろ後継ぎが欲しいって言ってるわ」
涼子先生としても旦那様がそんなことをして怪我でもされたらたまらないだろう。何しろプロのミュージシャンなのだから、手を怪我でもされたら商売上がったりだ。
「……全快したらいいのが一人、いるじゃないの」
ふと羽原君を思い起こす。暴走族にいたくらいなのだからそれなりに腕っぷしも強いのだろうし。いやでも昨日の栄吉はリンジ君に一発も攻撃を当てられなかった。あの程度では到底ファイヤーマスクの相棒は務まらないだろう。
「ま、まぁね」
ぽり、と頬を書いてリンジくんは苦笑した。
「ていうかそもそも何のために?」
今度は涼子先生に向き直り、訊ねてみる。
「まぁ街の警備が主なところね。こないだ羽奈ちゃんにも話したでしょ?嫌がらせがあったって」
「そういえば」
「そういう騒ぎが起きたりもするから、街を見回ってはいるんだけど、喧嘩沙汰になると正体は判らない方が色々便利だから」
「……そういうことだったんですね」
とはいえこの街の警備とは恐れ入る。警察も当てにならないこのご時世に、自分たちの街の平和は自分達で守るしかないと。そういうことなのだろう。
「まぁ特に無理強いっていう訳でもないから、公園に行く機会がある時は気にして見回ってたりするくらいなんだけどね」
まぁ仕事終わりに毎晩、帰り道だから、というくらいなら簡単だろうけれど。あれ?
「え、でもまって、リンジくん、七本槍公園も見回ってるの?」
「いや、流石にこっちは。去年くらいからブリザードマスクを鍛え上げて、その人と貴さんでやってるみたい……」
「もう何でもありね」
ブリザードマスクが誕生してもサンダーマスクは引退できないんだ。まだブリザードマスク一人では頼りないということなのかな。……知らんけど。
「ま、男の人の考えることですから」
涼子先生も苦笑して言う。確かにやっていること自体は良いことなのだと思うけれど、発想が男の子だ。私は男のそういう稚気にあふれた考え方は嫌いではないけれど、ことがことだけに度が過ぎると洒落ではなくなってしまう。
「なるほど……。てことはリンジくん、いつもあのファイヤーマスク、持ち歩いてるんだ」
そうなると、本当に秘密のヒーローみたいだ。ボタン一つで変身という訳にはいかないアナログ装着だろうから、様にはならないかもしれないけれど。
「べ、べつに好き好んで持ち歩いてる訳じゃないよ!」
「でも男の子はいつだってヒーロー願望を持ってるものでしょ」
そ、それはもしかしたらそうなのかもしれないけれど、何だかズレたことを言う涼子先生。
「そ、そりゃあ誰かの助けになれたらそれは嬉しいですけど」
ズレた涼子先生の言葉を真面目に打ち返すのはリンジくんらしいけれども。
「あ、でもあれか。腕っぷしが強くないとなれないわよね」
羽原君がリンジくんほど強いかどうかは判らない。
「う、うんまぁ怪我が治ってから散々鍛えられたけどね」
「空手に少林寺拳法に中国拳法も色々やってたみたいだからね、うちの人も諒君も」
バンドの傍らでそんなことまでしているのか。とんでもない武闘派バンドだった。-P.S.Y-。
「となると、色んな意味で師匠みたいな感じなのかしら」
リンジくんの今の性格、というよりも気持ち、なのかな。そういうものを形成した大事な人、なのかもしれない。言動はちょっととんでもないところもあるのかもしれないけれど、そこはそれ、涼子先生が選んだ旦那さんだ。破天荒なのかもしれないけれど、一本筋が通った人なのだろう。
「そうだね。音楽のことも色々教わったしね。僕がとても尊敬してる人だよ」
リンジくんの表情を見て判る。本当に大切な人なんだ。
「なるほどね……。とりあえず色々判ったわ」
やっぱり何となく判ってはいたけれど、私が口を差し挟む余地はないな。折角自らを省みて、見詰め直したリンジくんにはあまり危険なことをしてほしくはないけれど、でもそのおかげで私はリンジくんに出会ってから今まで、色々と助けられてきた訳だし。そういったリンジくん本人の意思に、私が何かを言う資格はない。
「ま、色んな事情があったのよ。それをぉ?リンジくんがぁ?たった一人の女の子に打ち明けるだなんてねぇ?」
銀色の丸いトレーを胸に抱きかかえて涼子先生はウィンクする。四〇代のウィンクがどれだけ可愛いんだよ、と突っ込もうと思ってリンジくんを見る。
「……」
ぼん、と音が出そうなほどにリンジくんは赤面していた。こ、これはつまるところ……。
「ふふ、コーヒーのお変わりはいかが?」
いかにも、本当に、楽しそうに涼子先生は私たちに言ってきた。
「い、頂きます……」
「わ、わたしも……」
第二四話:炎の勇者、ファイヤーマスク誕生秘話! 終り
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