七本槍市 七本槍中央公園
「さてー、終わったねー」
土曜日なのが運の尽き。今日は結構な演奏者がいた。私たちが演奏する時間も割と遅めになってしまったけれど、そうなってはEDITIONで働く身としては後片付けも手伝わずに帰ることが何となく後ろめたくなってしまった。
なので今日の撤収班、ワルタさん達の撤収を手伝ってから帰ることにした。どのみち明日はお休みを貰ってるし、宿題はお昼に集まってやることになっている。少しくらい遅くなっても大丈夫だ。
「ありがとリンジ君、藤木君、山本君、最後まで付き合ってもらっちゃって」
美雪がそんなことを言って頭を下げる。そう、美雪が言った通り、リンジくんも山本も藤木君も残って一緒に作業を手伝ってくれた。
「いやいや、僕だけ帰ったことがバレたら後で何言われるか……」
なんて保身的なこと、そもそもリンジくんは考えていないだろうけれど。
「ま、まぁこんなことで罪滅ぼし、なんて虫の良い話だけどな」
ばつが悪そうに山本も言う。うむ、やっぱりそんなに根が悪い奴ではないんだろうな。
「も、もういいってば……」
美雪が苦笑する。私の勧誘のことは止むに止まれぬ事情があったにせよ、美雪を阻害したのは止むに止まれぬ事情だったのかは疑問が残る。何しろ事の発端は女子グループ内での諍いだ。そこに山本や藤木君が深く関与していたとは思えない。それでも美雪が謝罪を受け入れたのならば、私に何を言う資格も権限もない。
「ま、今後干渉はないと思うしね」
そうリンジくんが糸目のポーカーフェイスで言う。つまりはそういうことだろう。
「え?」
くるりと美雪が振り返る。
「さっきその伝から連絡がきたよ。絶対手は出させないって」
「そ」
「そうなんだ。良かった」
にっこりと美雪が笑って私に目配せする。どこまでお人好しなんだか。
「これで榑井さん達も安心だね」
「……」
(なるほど……)
藤木君がそう言ってきた。なんとなく私の思惑にかちり、とはまった気がして、私は山本に尋ねてみた。
「山本ってさ、藤木君と仲良かったんだね」
「え、や、今日はたまたまだ」
(やっぱりね)
となると、危険は無さそうだけれど、期待はできないな。藤木何某。
「あ、そうなんだ」
務めて明るく、たぶんリンジ君からは懐疑的な糸目で見られているかもしれないけれど、私は藤木君に言ってみた。
「う、うん」
計算ずくのたまたま、だな。だけれどこれはまだ私の推測を出ない。確証は何もない。そしておそらく確証を掴む機会も手立てもない。
「よーっし、オレら撤収すっけど大丈夫か?」
私の思考を断ち切るようにワルタさんの声が耳に飛び込んでくる。見渡すと薄暗い公園の街灯の周囲にもう機材は見受けられなかった。
「お疲れ様です、ワルタさん」
ワルタさんは元気で良い人だ。全然悪くないのにワルタっていうあだ名も可愛い。そりゃあ昔は悪かったのかもしれないけれど、仕事は真面目だし、面倒見も良いし、元気で明るい。昔は良く諒さんや貴さんに小突かれていたらしいけれど、それもなんだかワルタさんっぽいし、いまは悪さのかけらもない。あと奥さんがめっちゃ美人らしい。見てみたい。
「おー、羽奈も美雪もお疲れ。時間外付けといてやっからな」
「そんな、大丈夫です!」
つまり残業手当。アルバイトでも時間外労働をすればきちんと給料をもらえるのだけれど、こんな、この時間まで通常勤務のシフトの人の、簡単な手伝いをしただけでは申し訳なさすぎる。
「ちゃんと働いたんだから、賃金はもらって当たり前だぜ。むしろ労働する者の義務だ。とはいっても三十分くらいだからいくらも足しにならねぇだろうけどな」
わっはっは、と笑ってワルタさんは軽トラックに乗り込んだ。
「い、いや、そんなことないですよ。ありがとうございます」
「なに、助かったのはオレらだっつの。それじゃ男ども、ちゃんと女子たちを送ってけよ!」
アディオス!いや、あばよ!とでも言いたげに、人差し指と中指を立ててぴょこ、と挨拶する。ステレオタイプのカッコイイを再現している感じがしてやっぱりかわいい。
「了解です」
リンジくんが答えて頭を下げる。ま、まぁ気は進まないけど今度リンジくん、山本、藤木君には飲み物くらい奢るか……。三人も手伝ってくれたのに私と美雪だけバイト代が出るのは何となく忍びない。
「じゃあ山本君と藤木君は美雪ちゃんを宜しくね」
「あ、はい」
藤木君が答えて山本が頷く。山本は別に美雪がどうこうよりも、今日は謝りたかったんだろうな。確か以前聞いた話だと、山本も国井もその先輩とやらとバンドをしているっぽかったけれど、山本はそこから抜けちゃったんだろうし、でも音楽への興味は捨てていないってことなのかな。
「じゃ、リンジくんはわたしの大切な相棒を宜しくね!」
「もっちろん!」
ちっきしょう榑井め……。
「んじゃ、とりあえず駅までは一緒に行きますか」
十三橋市 十三橋駅
一駅電車を乗り継いで、すぐに降りる。改札口は一つしかないので、潜ってエスカレーターを利用する。今日は疲れたけれども明日はまた楓と美雪と集まって宿題だ。明日にはあらかたのケリをつけたいところだけれど、たぶん無理だろう。でもやれるところまでやって、次には終わる、くらいの目途は立てたい。
「さて、じゃまた明日ね、美雪」
「うん、お疲れ様。寝坊しないでね、羽奈ちゃん」
「美雪こそ」
これから帰っても睡眠時間は充分だ。でも、その前にリンジくんには話しておきたいことがある。
「もちろん!じゃ」
美雪を伴って山本と藤木君が歩き出したので私も一歩先を踏み出したリンジくんに声をかける。
「リンジくん」
「ん?」
顔だけこちらに向けてリンジくんは頭の上にハテナマークを浮かべた。
「ちょっと、公園、歩かない?」
「うん、いいよ」
にっこり。い、いや、変に勘違いされても困るけれども……。
十三橋市 十三橋公園
少し歩くと遊歩道に並走した人口の川が現れる。七本槍中央公園ほど大きな公園ではないけれど、少し散歩を楽しむには充分な広さがあるこの公園は水場が多く、夏場にもなれば多くの子供たちが膝下程の水位のこの川に入って遊んでいる光景も見かける。私はその遊歩道の途中に設えられているベンチに腰を掛けると、一つ嘆息した。
「どうしたの急に?」
公園に入る前に自動販売機で買った缶コーヒーを取り出して、それを私に手渡しながらリンジくんが言った。多分、美雪に何か危険が及んだり、ということはないように思う。でも、だけれど、私一人の心の中に留めておくには聊か無理がある考えが浮かんでしまったのだ。
「今日いたさ、藤木君」
「うん」
リンジくんが藤木君を見かけるのは確か今日が初めてだ。山本は私に話しかけてきたあの日に会っている。リンジくんの洞察力なら、どんぴしゃりとまではいかないにしてもあらかたの人となりは見抜いているような気もする。そこに、少し縋りたかったのかもしれない。結局、リンジくんを頼ってしまっている。でも、これはリンジくんに危険が及ぶ訳ではない。だから、続きを話すことにする。
「あの人が美雪に手紙、渡した人なんだよね」
「え、そうなの」
私が勝手に話しても良いことなのかどうかは判らない。けれど私と一緒にいる時に美雪を待っていたのだ。当然知られているのは当たり前だと判断しても良いはずだ。それに、私はどうやら藤木君を信頼できないでいる。そんな相手に美雪を任せておけない。大切な、私の親友を。
「うん。どう思った?」
「山本君とやらの連れかと思った」
「だよね」
そんな風に見せていたのかもしれない、という疑いまで持ってしまう。それはつまり打算的な意味で。
「ま、人前で気持ちを出すのが恥ずかしいっていうのは普通にあるけどね」
「てことは、美雪スキスキオーラはリンジくんも感じなかったってことね」
「ま、そうだけど、それ、普通じゃない?」
それは判る。私だってみんなの前でそんな、好き好きオーラは出せないと思う。いや、周囲が感じ取ることなんて自分では判らない。あれで目一杯好き好きオーラを出しているの可能性だって、ない訳じゃあない。でも、何かどこかにそんなものを感じる瞬間があるんじゃないだろうか。私も別に何かを特別に意識していた訳ではないけれど、仄や美雪には気付かれていたみたいだし。
「私がいるとこで美雪を待ち伏せまでしたくせに?」
「うーん、そっか、そういうこともあるのかぁ」
あの行動は確かに、藤木君が憎からず美雪を思っての行動だったのだ、と私でも判った。だけれどそれ以降はそんな、美雪を本当に大切に思うような感じを一切受けなかったのだ。
「まぁでもリンジくんが言うように、人前で気持ちを出すのが恥ずかしいってことがあったとして、ホントに美雪のことを思ってたとして、なんか胡散臭いのよ」
「胡散臭い?」
そういえば一時期はわたしもリンジくんをそう思っていたっけ。私が疑り深い性格なのかもしれない。だけれどその引っかかるような何かを、自分のことならいざ知らず、美雪のことで見て見ぬ振りはしたくなかった。
「さっき私、友達だったのかみたいなこと聞いたでしょ」
「違うみたいだったね」
それが私の中では何となく決定打になったような気がしている。
「うん。それってさ、私の勘でしかないんだけど、美雪のことは好きかもしれないけど、でも美雪の周りで起こった不穏な出来事が、彼の中では不安で仕方がなかった」
「え、と?」
ちょっとまだ説明が足りないか。一旦頭の中を整理する。どう話せばリンジくんに伝わりやすいか。
「……まず彼は、美雪と同じ中学だった。で、美雪が当時虐めに近いことをされていたことも知っていた上で、美雪を無視したグループに併せて笑ってたって……」
「……なるほど」
それは過去のことだ。だからと言って今は違うと言われても、そういう素養を持った人間であることには変わりがない。そういう事実があったことには変わりがない。
「で、それを引きずって、高校に入って、国井と山本が美雪に私のライブに来るな、なんて言ったこと、それと、私を勧誘してきたこと」
「もしかしたら、全部知ってた可能性もある、ってこと?」
「だと私は思ってる」
もしも美雪を中学時代から気にしていたのなら、美雪と私が友達になってからも私やFanaMyuの演奏を見に来ていた可能性だってある。だとするならば、栄吉ともめ事を起こしたあの日の出来事も、見ていた可能性だってある。
「だとすると……」
「でもこれは、私の推測の域を出ないことだから……」
リンジくんを待たずに私は言う。もしかしたらとんでもない見当違いかもしれない。だけれど私は私の中に生まれた疑念を今私が持つ判断材料で考慮して導き出したものだ。もちろんミスリードも抜けも、漏れもあるだろう。だから、それが事実だとは受け止めてほしくなかった。
「うんじゃあ僕もハナちゃんの推測に則って言うけど、それは、藤木君とやらが、自分に危険が及ばないこと、それと、自分の今の立場が悪くなったとしても大丈夫、という確約が欲しい上で、美雪ちゃんと付き合えたら、って考えてるってことだよね」
私の中で燻っている思いをズバリ言い当ててリンジくんは言う。そして別の見方をすれば、危ない連中と何某かのつながりがある女とは付き合いたくはない、というのは正常な考え方だろう。でもそれならば、事実関係が判る前に美雪に手紙を渡すべきではなかったと思うし、それだけ思いが強いのならば、その不穏な関係を断ち切るくらいの覚悟が、ない物だろうか。
(い、いや……)
これは希望的観測でしかない。
「推測」
「判ってるってば。でもね、そのハナちゃんの考えが間違っていても事実だとしても、きっと決めるのは美雪ちゃん、だよね」
「そう、なんだけど……」
そう。それでも美雪が藤木君との仲をどうにかしたい、と思うのであれば。私は何も言わないし、言う権利だってない。
「大丈夫だと思うよ。ていうかさ、ハナちゃんだって判ってるんじゃないの?」
「判ってる?私が……?」
美雪の審美眼?それとも判断基準?そんなものは私が判った気になっているだけだ。
「そ」
「何を……?」
違う。そういうことではなく、もっと根本的なこと。
うん、判った。
それはつまり。
「人を想う、一生懸命さ、かな」
「……かも」
リンジくんの笑顔を真正面から受け止めて。
「でしょ」
でもやっぱり、判らない。かもしれない。ううん。本当は判っている。この先の見えない不安から及び腰になっている。
「……個人的には、羽原君を、推したい、かな」
卑怯にも、話を逸らせてしまった。
おそらく、誰に危害が加わることなく、あとは美雪の判断だというところまでことが落ち着いてしまっている以上、リンジくんにとっては些事なのかもしれない。些事と言ってはいけないかもしれないけれど、干渉する必要性がない事象として、自分事という枠からは外れているのだろう。
「そりゃ僕もそんな話聞いちゃうと、ね。それにチームにいた頃から正孝君はそんなに悪い奴じゃなかったし」
「そうなんだろうね。良くも悪くも素直だし」
しっかりした、明確なビジョンはないにせよ、このままではいけないことに気付いて、先人の歩んだ道、というと少し大げさだけれどリンジくんと同じく自身を正そうとしている。素直さというのはきっと、良くも悪くも誰かに影響されやすいという側面もあるのかもしれない。でも、そうだとしても決めたのは他でもない羽原君自身だ。その、彼が素直に感じた結果の決断をリンジくんは信じたいのだろうし、それは私も同じ気持ちだ。
「だね」
にこ、と笑顔になってリンジ君が言う。なんだかその笑顔に含みを感じる。
「私と違ってね!」
思わず、本当に思わず言ってしまった。ちょっと座りが悪かったせいか墓穴を掘ってしまった。不覚。
「や、僕何も言ってないけど……」
そうね、完全に墓穴外の何物でもなかったわ。
「私が素直じゃないことなんて百も承知ってことね」
取り繕うのも格好悪いけれど、自分で掘った穴は自分で埋めるしかない。
「近頃のハナちゃんは素直だと思うよ、色々とね」
「どうかしらね!」
何なのよそんな優しい笑顔して。糸目が更に細くなってもう目ナシみたいな顔しちゃって。
「そういうの、素直じゃないってハナちゃんは思ってるかもだけど、逆に素直だしね」
「はぁ?」
ま、まぁそうね。言わんとしていることは判らないでもないわ。私のこの取り繕い方が正しくそうだものね。
「知り合って、一緒に時間を過ごしてみてよぉく判ったよ」
く、と私の手を取ってリンジくんが言う。
「な、なにが?」
「僕が、ハナちゃんを好きで好きでしょうがないってこと」
え?
第四六話:人を想う、一生懸命さ 終り
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