神奈川県 藤沢市 江の島
ライブイベントは大盛況だった。後から聞いたのだけれど、七本槍中央公園でやるからなのか『SEVEN LANCES ROCK FESTIVAL Vol.2』というタイトルもあったらしい。
開催中もほとんど聞かなかったのは、もしかしたら諒さんも貴さんも忘れていただけなのかもしれない、と思ってしまった。だってwireに送られてきたタイムテーブルを確認したけれど、タイムテーブルにもイベントタイトルは書かれていなかったし。
それはともかく、おおとりを務めたMedbの演奏の後、最後の余興で、早宮響さん、諒さん、貴さんのプロフェッショナルのアーティストと初めて一緒に演奏をしたのはとても良い経験だった。
諒さんのドラムと貴さんのベースで構成されたリズム隊だったからなのか、まるで自分が巧くなったかのような感覚に陥るほどの一体感があった。プロはレベルを上げ下げできる。私たち素人が混じった演奏では、ぎちぎちに削って尖らせた演奏ではないことは私にも判った。それに臆することなく堂々と叩き切っていた亜依香さんも凄かった。
恐らく本気の演奏ではなかったのだろうけれど、それでも、得られるものは確かにあった。
響さんをあんなに間近で見られてファンとしても嬉しかったし、一つのマイクでデュエットで来たのも一生の思い出だ。
何よりも、リンジくんと同じステージに立てたことが嬉しかった。
「お、海、見えてきたよ」
私の思考を遮ってリンジくんが言った。
「あ、ほんとだ!」
ライブを終えて一週間。
暦も変わり、九月一日。今日は夏休み最後の日曜日だ。折角なので、ライブ前には行けなかったドライブにリンジくんと出かけている。凄いんだ。誰もが憧れる彼氏との江の島デートだぞ。美雪がとてつもなく羨ましがっていたけれど、まぁきみは自分のことをまず何とかしたまえ、と冷静に返してやった。ひと夏のアヴァンチュールとかほざいていた楓は、イベントの日でも誰にもナンパされることもなく、香苗、晴美と女の子同士で帰って行ったらしい。
楓、香苗、晴美ならナンパされてもおかしくないと思うのだけれど、何某かの力が働いていたのだろうか。ま、みょうちきりんな男に引っかからなかっただけ良かったよ逆に。
「やーでも、慌ただしい夏だったなぁ……」
感慨深くリンジくんが笑う。確かに、慌ただしかったし、濃い夏休みだったと思う。来年は大学受験だし、こんなに自由に遊べるのも今年が最後かもしれないけれど、とにかく充実した夏休みではあった。
「そうだね。結果こんなことになっていようとは思いもよらない」
リンジくんと出会った頃はまだ梅雨も明けたばかりの頃だ。一口に数か月前、と言っても中身は本当に濃かったと思う。
「そりゃ僕だって」
道路はものすごく渋滞している。この時期に江の島へ行くのにはどうしても仕方がないことらしいのだけれど、私は渋滞だろうとスムーズに走れようとどちらでも構わなかった。すぐ隣にリンジくんがいて、ゆっくりお喋りができるのなら、渋滞なんてむしろ歓迎したいほどだ。
「僕もちゃんと回ったことはないけど、結構激しい昇り階段とかあるっぽいから、あんまり無理がない歩き方しよう」
「だね」
本当に出会ったばかりの頃は、そうした気遣いも素直に受け入れることが難しかったけれど、今は素直に受け入れることができる。無理をしてわたしが疲れてしまえば、リンジくんを心配させてしまうし、それは二人にとって楽しいことじゃなくなってしまう。
リンジくんが思い悩むことは、この先もあるのかもしれない。でも、私といる時は私がそのことを良い意味で忘れさせたい。まだ、付き合う前、リンジくんが私に、自分の事を話してくれた時。
(私らは、リンジくんがその内罰的な考えを忘れそうなほどに、楽しいことに巻き込んでやるから。これからだってずっと!)
と啖呵を切った。
そう、諭す訳でもなく、言って聞かせるでもなく、啖呵を切った。
あの時から、リンジくんに対しては色々とストレートにものを言うようになったかもしれない。素直な気持ちを言葉にするのとは、もちろん意味は違う。でも最近は少しずつだけれど、色んなことを素直に受け取れるようになってきたように思うし、表現も以前よりは随分と素直になってきた気もする。……自分では。
「わぁ、生しらすだって!食べたい!」
スマートフォンで色々と江の島の情報を探る。江の島をある程度回ったら新江ノ島水族館にも行って、できれば早宮響さんが主題歌を歌った青春映画でも少し話題になった鎌倉駅の時計台も見てみたい。
「確か旬なのは七月と十月らしいから、今だと食べられるかな」
「え、そうなんだ。まぁ釜揚げでもいいし!」
ちょうど間の月だなんて運がないわ。でも夏休み時期に旬じゃないなんてちょっとどうなってるのよ、と言いたい気持ちもあるけれど、ま、そこはそれ。釜揚げでも美味しいし、どうしても生しらすじゃなきゃ、という訳でもない。
「いいんだ」
「うん。旬の時にまた来ればいいでしょ」
その時その時で美味しいものが変わるのなら、その時その時の美味しいものを楽しめば良いのだ。
「それもそうだね」
リンジくんが貯金している手前、あまり派手にあちこちと遊びに行くのは憚れるけれど、息抜きだって必要な訳だし、思い出作りだって大事だし。
水族館にも行けたし時計台も見ることができて大満足だ。江の島は冬になるとイルミネーションでライトアップもされるらしいからまた行きたいな。
「あぁー、明日から学校だぁ」
帰りも渋滞はしていたけれど、もう十三橋公園だ。ライブの時もそうだったけれど、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。ライブの時は色んな人と出会えたし、大勢の仲間に囲まれて、沢山素敵な音楽を聴いて、充実した一日だったけれど、今日はリンジくんとずっと二人きりだった。それでもこんなにも楽しい時間を過ごせたことをとても嬉しく感じる。
「頑張ってね」
私の家のすぐ近くに車を停めて、リンジくんは笑う。
「社会人の人達はもう働いてるんだもんね。頑張る」
社会人の夏休みは一週間あれば長い方だ。私も夏休み中は殆どアルバイトをしていたけれど、社会人はやはり大変なのだと気付くこともできた。毎日きちんと働いて、音楽をやってゲームもして、体も鍛えて、勉強までしているリンジくんの前では、できることなら弱音は吐きたくない。
「うん。そう言えばアルバイト、続けるの?」
「うん、一応そのつもり。日曜日はお休み貰うけど、平日夕方と土曜日はやろっかな、って」
「そか」
夕香さんにも了解を得ている。土曜日はやめて夕方だけにしたら、と夕香さんにも言われたけれど、一駅程度の通いなら全然苦じゃないし、自分のお小遣いくらいは自分で稼ぎたい。それに。
「ま、まぁ厭らしい話だけど、きちんと続けてれば就職にもつながりそうだし」
「確かに。夕香さんとしても優秀な人材なら欲しいだろうしね」
まずは夕香さんにそう思ってもらえるように頑張りたい。歩美さんだって車椅子生活で大変だというのに頑張って働いてるんだ。多少跛行するとはいえ、歩ける私が脚のことで甘えたくない。
「ま、まぁそれはこれからの頑張りってところだけど」
「だね」
流石に受験シーズンともなってしまえば続けるのは難しいかもしれないけれど、今はまだ歩さんもアルバイトを続けているし、大学生になってもまたアルバイトで雇ってくれるという話もできているみたいだから、私のような就職に不利な人間にとっては有難い職場だ。だからきっちり真面目にやりたいし、私を使ってくれた夕香さんにも報いたい。
「それに、莉徒さんとも歩さんとももっと仲良くなりたいし、ライブも一緒にしたい」
莉徒さんはMedbの他にもKool Lipsというバンドをしているらしく、そちらでも割とライブは行っているそうだ。それに時々違うバンドに混じって一緒に演奏をしたり、と随分と楽しそうなことをしているそうなのだ。先週のライブで私も少し、バンドという形態にも興味が湧いたので、機会があれば混ぜてもらいたい。
「うんうん」
「まぁ、あとは、今日みたいに遊びに行く時も、できればリンジくんの負担にならないようにしたいし……」
何かとあっては奢ろうとするので困ってしまう。リンジくんのお給料がいくらかまでは判らないけれど、怪我をさせてしまった人への治療費を返すために貯金もしている訳だし、そう何度も奢ってもらう訳にはいかない。中には全額男に払わせるなんていう女もいるらしいけれど、私はそんなのは嫌だ。呆れるほどのお金持ちで有り余る財力がある人が相手ならばそれも良いかもしれないけれど、私の彼氏はリンジくんだ。自分が冒してしまった罪の責任を自分で果たそうとしている。そんなリンジくんの気持ちを妨げてしまうようなことを、彼女の私がしたくない。
「ありがとね。でも、たまにはカッコつけさせてね」
「たまにならね。クセになっちゃいけないし」
それこそ、今日は奢ってもらえないんだ、と思ってしまうような頻度では困る。今日のように遠出をするときでも、例えばどこかに遊びに入るのだとしても、入場料は自分の分は払いたいと思うし、食事だって割り勘で良い。お金の問題ではなく、一緒に時間を過ごすことに意味があるんだから。
「ま、そこはハナちゃんだし、そうはならないと思ってるけど」
「まぁ、ね」
付き合う前にも一度その話はしているし、それを私が良しと思っていないことも判ってくれている。リンジくんの見栄を張りたい気持ちは正直知ったことではないけれど、リンジくんの私に対する気持ちを折ってしまってもいけない。中々難しいところだけれど、何しろリンジくんに無駄遣いをさせる訳にはいかない。
「ハナちゃんは受験、するんでしょ」
「うん。七大か瀬能かどっちかには行けるかな、って思う」
今の成績ならいけそうだ、と面談でも言われたので、きっちり勉強をしていれば恐らくは大丈夫だろう。
「えー、それって結構凄くない?」
「一応授業はちゃんと受けてるしね。でも多分来年には予備校、行かなきゃだろうけど」
七本槍大学も瀬能学園大学部もそんなに合格ラインが高い訳ではない。とは言っても大学受験そのものがそう簡単ではないことは判っているつもりなので、やはり大学受験シーズンともなれば少しは集中して勉強しないといけないだろうけれど。
「邪魔にならないようにしないとなぁ」
「その心配はしてないけどね。別に私だって受験勉強だから会うの辞めよう、とか言うつもりなんかないし」
「それなら良かった」
ちゃんと勉強も、音楽も、恋愛だってしっかりやりたい。やることがあるというのは充実した生活につながることだ。できることなら勉強はあまりしたくはないけれど、音楽も恋愛もちゃんとやるには、勉強だってしっかりしなければ、そのどれもにきちんと注力ができない気がするのだ。
リンジくんが社長さんに仕事を任せてもらっている様子を見れば、リンジくんが毎日しっかりと仕事に注力しているのは私にも判るし、そんなリンジくんに失望されたくもないし。
「リンジくんは高認頑張らないとね!」
「だね」
その上勉強に正義の味方。まったく真面目過ぎるのも考え物だけれど、リンジくんがそうして日々を過ごしているのだから、私だって関わっているすべてを頑張りたい。忙しさを理由に、忙しさにかまけて、何かの手を抜いてしまったらきっとそれは悪い癖になってしまうような気がする。
「色々頑張りすぎててもう偉いを通り越してなんて言って良いやら……」
私も大変な人を好きになってしまったものだ。
「ま、でもやれることがあるっていうのは充実してる証拠だよ」
リンジくんも私と同じことを考えている。だから、尚のことリンジくんの前でいい加減なことはできない。とは言っても私だって人間だ。何かが手につかなくなることだってもちろんある。リンジくんにだってそういうことは勿論ある。特にリンジくんの場合は、責任がある。そういう時に、お互いに支え合える関係でいたい。
「リンジくんのはちょっと後ろ向きな気がしなくもないけど」
後ろ向きというよりは責任の重さ、だろうか。
「前向きに変えてくれたのはハナちゃんだからね」
「私が何かしてあげるのはこれから、だと思うけど」
リンジくんが私を見て何かを感じたこともあるのかもしれない。だけれどそれは私がリンジくんに対して何かをしてあげた訳ではない。だから、それはまだこれからの話。
「え、何かしてくれるの!」
い、いやそんな糸目を見開いてキラキラされてもね。
「まぁたまにお弁当くらいはさ……。ま、毎日は無理だけど」
「あ、約束覚えててくれたんだ」
見開いた糸目を細くしてリンジくんは笑顔になる。やっぱり彼女の手作りお弁当というのは彼氏にとっては嬉しいものなのだろうか。
「当たり前でしょ。で、でももうちょっと待ってよね。修行中なんだから……」
「うん、楽しみにしてる」
美雪には色々と教わってはいるけれど、まだまだ実習が足りない。お母さんにも少しは料理ができるようになりたい、と言って最近は少しずつ手伝わせてもらってはいるけれど。
「あんまりプレッシャーかけないでよ」
まぁ、あまり待たせても可哀想ではあるし、毒見役にでもなってもらえれば良いのかもしれないけれど、何というか、やはりせっかく作るのだから、美味しいものを食べさせてあげたいし、美味しいと言ってもらいたい。リンジくんは余程のことでもなければ美味しい、と言ってしまいそうなのも問題だ。だから私が納得するまで料理スキルを上げてから挑みたいという気持ちが強い。
「やーでも、前にご馳走になった時も美味しかったしそりゃ期待しちゃうよ」
「ま、頑張るけどね!」
「うん!」
そんな男の子みたいな仕草されてもね。あぁそうだった、今日話そうと思っていたことがもう一つ。思い出せて良かった。
「あ、そうそう、ちょっと提案」
「ん?」
これは忙しくしているリンジくん相手だから、リンジくんにちゃんと決めて欲しいことだ。
「今度、FanaMyuに混ざってやってみない?」
つまり、私と美雪の演奏にリンジくんの声とギターを入れてもらう。歌はわたしも美雪もリンジくんも歌えるから、誰が主体になっても面白そうだし、デュエットのボーカルもできる。それに音色もリンジくんが持っているエレキアコースティックギターはとても良い音が鳴るし、楽曲の幅も広がりそう。
「あー、それ僕も言おうと思ってたんだよね」
「え、そうなの?」
それは僥倖。
「うん。先週のライブ最後に一緒にやった時、凄い楽しかったし、やっぱりハナちゃんと一緒にやれたら楽しそうだなぁ、って思ってさ」
リンジくんも同じように感じてくれてたんだ。それはなんだかとっても嬉しい。
「うん、私もそれ思った。美雪も言ってたんだよね。リンジくんと一緒にやるのも楽しそうって」
「あ、そうなんだ。美雪ちゃんもそう言ってくれてるんだったら是非お願いしたいね」
もしかしたら美雪が変に気を使っているのかも、と思ったのだけれど、だったらその気遣いに少し甘えさせてもらっても良いのかもしれない、と考えた。やってみて上手く回せるようなら、FanaMyuとは別枠で活動すれば良い訳だし、巧く回せないのなら無理してやる必要もないし。
「曲は激しくはならないと思うけど」
美雪はまだ作曲は出来ないだろうから、私の作曲とリンジくんの作曲がメインになってくる。リンジくんは一人でやる時はあまり激しい曲は出来ないようだし。でも、リンジくんが私のために作ってくれた曲のように明るくて楽しい感じの曲なら大歓迎だ。
「それはBrown Bessの方でやるから心配ご無用」
「でも激しいのもあっても良いかもね。折角リンジくんとやるんだからリンジくんの特色は勿論生かしたいし、FanaMyuと同じことやるだけだとあんまり意味がない気もするし」
「ま、それは確かに。ちょっと曲、考えてみるね」
「うん、私も」
うんうん、音楽活動もまた一つ新たな楽しみができた。
「……そろそろいい時間だね」
車のデジタル時計に目をやると、もう二十三時半を過ぎている。本当はもっと一緒にいたいけれど、明日から学校だし、あまり無理もできないか。残念だなぁ。
「……うん、じゃあまたね」
「うん」
一つ頷くと、運転席から助手席に座っている私にがば、っと抱き着いてきた。
「わっ!あ、ちょ……」
抱き着いてきたと、と思ったらキスをされた。ま、まぁ、このくらい良いけど。ていうか、ちょっと期待はしてたけど……。
「……ライブの時のご褒美まだだったし」
照れくさそうに笑うリンジくんを見ると、心拍数が上がる。駄目だ。うん、好き。だから、その思いを……。
「じゃ、じゃあ、待たせちゃったから、もう一回……」
今度は私からリンジくんにキスをする。ふに、とわたしの唇に柔らかな感触が伝わる。上手くできたかな。上手いとか下手とか良く判らないけれど、リンジくんとキスをすると、とてもあったかくて幸せな気持ちになる。
「彼女も、音楽も、ゲームも、まだまだこれからずっと宜しくね」
「うん。じゃまたwire入れるね!」
そう言って私はシートベルトを外してドアを開けると、車の外に出た。
「おっけ」
リンジくんも車から降りて助手席側に回ると、また私を抱きしめてくれる。やっぱりまだ離れたくないな。でもまた会えるんだし、このままこの雰囲気に流されてしまうと、いけない気もする。
「と、とりあえず、リンジくんは無事についたらwire入れてね」
「了解。安全運転で帰ります」
ぱ、と私から離れてリンジくんが敬礼する。
「じゃあ、またね、リンジくん」
「うん、またね」
後ろ髪を引かれる思いってこういうことなんだ。でもまたすぐに会えるんだし、今日はここまで。私はリンジくんに小さく手を振ると、リンジくんに背を向けた。
私のひと夏の思い出はとりあえずここまで。
まだこの先きっと色んなことが待っていると思う。楽しいことも悲しいことも、きっとあるだろうけれど、もう以前までの私じゃあない。一人で塞いでいた香椎羽奈はもうおしまい。
だから、楽しいことは全力で楽しんで、一人で立てなくなりそうなときは、好きな人にも、友達にも支えてもらう。
間違えたら叱ってもらうし、私だって誰かを叱る。
そうして人と人とのつながりを大切にして生きて行く。
それがこれからの香椎羽奈、という人間なんだ。
ハナちゃんとリンジくん 終り
読み終わったら、ポイントを付けましょう!