七本槍市 七本槍中央公園
恨めしそうに私たちを見送る羽原君を尻眼に、私たちは涼子先生のお店で少し早目の夕食を摂った(もちろん割り勘にした)後、中央公園へと向かった。涼子先生も後で来ると言っていたけれど、お店が終わるまでは身動きとれなさそうだったので、樋村さんの演奏に間に合えば良いなぁ。
「もう始まるのかなぁ」
会場になるあたりの広場には軽トラックが一台と二人の人影。七本槍商店街の楽器店の人だろうか。発電機やアンプなどを運んでくれているようだった。
「そうかもね。夕衣さんが何番目かはまだ判らないけれど」
まだ演奏者の姿は見えない。少し早すぎたかな。それでもリンジくんが作業している場所へを近付いて行くので、わたしも美雪もそれに倣う感じで歩を進める。
「でも色んな人が出るなら、樋村さん以外の人の演奏も見てみたいな」
「そりゃもちろんそうよね!」
美雪の意欲はもはや本物だ。おそらく私が勝手に疑っていただけで、美雪はとっくに本気だったんだ。わたしがやってるから一緒にやってみたい。最初の動機はそれだろうけれど、始めてみて、本当に心に火が入ってしまった。そしてそれはきっと今もごうごうと燃え続けている。
「お?リンジじゃねぇか!」
そして準備をしている人達にかなり近づいてしまったので、声を掛けられた。それもリンジくんのことを知っている人だ。街灯のせいで影になって顔は判らないが、一人はリンジくんとそれほど変わらない背丈で、声をかけてきたであろう人はとにかくでかい。一九〇センチ位あるのではないだろうか。
「あ!りょ、諒さん!」
「ん?あ、ホントだ!リンジじゃん!久しぶり!」
「貴さん、お疲れ様です!」
バキィ!と音がしそうなくらい折り目正しく、すばやく、リンジくんがお辞儀する。
な、なんと。リンジくんのお師匠であり、プロのバンド-P.S.Y-のドラマーとベーシストであり、更に株式会社GRAMの代表取締役社長と副社長でもあり、そして水沢さんに至っては涼子先生の旦那さんだ。何故こんなところでアルバイト紛いの事を……。
「その折り目正しい会釈、やめて頂けないだろうか……」
「オレらがやらせてるみてぇだろー」
水沢さんと谷崎さんが口々に言う。とはいうものの、二人は年上で、プロのミュージシャンな上に、リンジくんにとっては色んな意味で師匠に当る二人だ。礼節は欠かずに越したことはない気がする。それでもその二人が言うのだから、あまり形式ばった年功序列の扱いは好まないのかもしれない。
「あ、す、すみませんつい……。えぇと、前に話したと思うけれど、僕の師匠たち。-P.S.Y-のドラマーでGRAMの社長、谷崎諒さん。同じく-P.S.Y-のベーシストでGRAMの副社長、水沢貴之さん」
私と美雪にそう紹介してくれて、谷崎さんも水沢さんもぴょこ、と片手をあげた。そして水沢さんがぐん、と私と美雪に近付いて声を高くした。
「ほぁー!み、見ろよ諒!女の子連れてんだ!」
「しかも二人とも可愛い!何だお前!リンジのくせに何だお前!」
まるでどこかで見たアニメ映画のようなやり取りだ。美雪は確かに可愛いけれど、私は可愛くはないぞ。
「え、あ、い、いや、これはその……」
「と、友達です!」
口ごもるリンジくんにあらぬ疑いがかからないように私は先んじて言う。
「とぉもぉだぁちぃ?……あれ?」
「なした」
更ににじり寄ってくる水沢さんに、半歩後ずさる。
「そっちの子、髪の長い子、会ったことない?」
わ、私か!美雪はショートカットだし、私だ。
「え、えぇと、涼子先生に師事させて頂いてました……。は、か、か、香椎羽奈です!」
「まじか!おれ涼子さんの旦那さん!あとみふゆのお父さん!宜しくな!あ、水沢貴之!」
わたしは水沢さんとは面識がないと思っていたけれど、もしかしたらどこかで見られていたのかもしれない。水沢さんが私を覚えていてくれていて、私が覚えていないのは何となく失礼にあたる気もしないでもないけれど、見たことがなかったものはどうしようもないし、そもそも涼子先生の旦那さんが-P.S.Y-のベーシストだったことだって最近知ったばかりだ。
「よ、宜しくお願い致します!」
気付いたらぐん、と頭を下げていた。これがいわゆる人の格と言うものだろうか。
「だからそのバキィッ!って音鳴りそうな会釈なんてするんじゃないの」
「あ、す、すみません」
苦笑して水沢さんが言う。
「そっちの子は羽奈の友達?」
「ははははははいぃー!くくく榑井みみみみ美雪です!です!」
バキィ!
「だからやめて」
「すすすすみません!」
きっともっとざっくばらんに、気さくにやりたいのだろうことは判る。判るけれど、私たちはどうやら目上の人に対しての最低限の礼儀と言うものが身についているようだ。安心安心。
「あのね、今日はローディーやってるアラフィフのただのおっちゃんだから」
「アラフィフでバイトと同じ仕事ってのも情けねぇ話だがよ」
そうだ、株式会社GRAMはレーベルでもあるし、そこの代表取締役社長、副社長が揃ってローディーをしているというのも妙だ。
「代取自ら現場入り、ですか」
「今日は人手が足りねぇっつーからさ。現場作業も社長業も同じ仕事ってな」
リンジくんが谷崎さんに言うと、言葉とは裏腹に、妙に嬉しそうに谷崎さんが答えた。イメージでしかないけれど、社長業、嫌いそうだなぁ……。
「お疲れ様です。僕も手伝います」
「や、おめー今日は客だろ」
おう、頼むぜ、と言うかと思ったけれど、やはりそこはプロのミュージシャンなのだ。客に労働をさせることが、本意ではないのかもしれない。
「い、いやでもギャランティが発生するライブじゃないですよね。そもそもお二人だっていつもボランティアじゃないですか」
おぉ、口答えした!ただ平伏しているだけではないのは何となくリンジくんらしい気もする。いやこれもリンジくんなりの礼節なのかもしれない。対等に付き合いたいと思っている谷崎さんと水沢さんに対する礼儀、なのかな。
「かっ!言うようになりやがった!でも駄目だ」
「え、な……」
言った谷崎さんの視線に気付く。私と、私の左腕が掴んでいるロフストランドクラッチを見て。
「……なら私もやります。私でもできることはありますよね」
マイク一本、スタンドを立ててマイクを付けることくらい私にもできる。谷崎さんの気遣いは当たり前なのかもしれないし、ありがたいと思う人もいるだろう。だけれど、私はちょっと腹が立った。無条件に守られたり保護されたりする人間の気持ちは、判らないかも知れないけれど。
「見ろ貴。気の強ぇ女だ……」
「うむ。勝てない」
目を丸くして私を見る谷崎さんと水沢さん。そしてあっさりと折れる。
「え、な」
逆に私が尻込みしてしまうほどあっさりと態度を変えて、谷崎さんが少しだけ声を高くした。
「おっし、じゃあリンジはドラムセット頼む。羽奈と美雪はケープルとマイク周りな。数少ないから任せていいよな」
「は、はい!」
「良いお返事!」
く、とサムズアップして水沢さんが笑顔になった。
「悪ぃな、ギャラ出せねぇもんでこんなもんでよ」
「今度うちでおれがおごっから」
谷崎さんと水沢さんが口々に笑う。軽トラックに積まれていた大掛かりな荷物、発電機やアンプ、ドラムセットを谷崎さん、水沢さん、リンジくんで運んで、私と美雪はミキサーとマイクスタンドを運んでセッティングをした。たったそれだけのことだったけれど、谷崎さんと水沢さんは私の意図を汲んでやらせてくれた。谷崎さんは私の脚が弱いことを見越して、手伝わせようとはしてくれなかったのだろうけれど、そうした気遣いを私が散々受けてきて、それを私が良しとしない性格だとういうことに気付いてくれた。
「い、いえ、そういうの目当てでやらせてもらった訳じゃないですから!」
私はそう言った。こんな私にでもできることがあって、それをやらせてくれた。世界進出だってしたバンドに所属している、立派な大人の人に認めてもらえたような気がして、少し嬉しかったのかもしれない。
「しっかりしてんなぁ……。日本の高校生っていつからこんな大人んなった?」
谷崎さんが言って、電子煙草を口にくわえた。しっかりしてるなんて初めて言われたかもしれない。そんな自覚は私にはない。それにどちらかと言えばまだまだ理解のない子供のような気がしている。
「おれが高校卒業した翌年から。知らなかったのか?」
水沢さんも谷崎さんとタイプの違う電子煙草をくわえて、楽しそうに言った。
「え、じゃあ高校生がガキだったのってオレら世代まで?」
「うん」
谷崎さんの言葉に忍び笑いを漏らしながら水沢さんが言う。
「うそやん!」
私と美雪を交互に見て谷崎さんが大げさに言った。つまりこれはあれか、気遣いだ。素直じゃない大人なのかもしれないと思うと、少し可笑しくなる。
「お、大人じゃないですよ……」
俯き加減に美雪が言う。確かに仕事量で言えば大したことはしていない。けれどそれだけのことを言われてしまうと、高校生にもなって一桁の足し算ができたことを褒められているような、もしかしたらどこかばかにされているような気にもなってしまうけれど、恐らく谷崎さんも水沢さんもそんな気持ちを持っていないことも判っているのだろう。
「言質取った!大人じゃないなら奢らせなさい、って誘導だったりしてな」
「ま、大人じゃないかどうかは置いといて、しっかりしてるな、と思ったのは確か」
「だな」
なるほど。年の割にはしっかりしている、ということと、俗に言う大人である振る舞いとは確かに違うような気もする。とはいうものの、私がしっかりしているかもまた別問題のような気がする。
「缶コーヒーの一本や二本、奢り奢られ、なんてジブン達だってすんだろ?」
「ま、しますね」
谷崎さんが手渡した缶コーヒーを受け取ると、それを私と美雪に手渡してリンジくんも笑顔になった。
「うぇーい」
ぱき、とプルタブを引く音がしたので、私もそれに倣う。次いで美雪とリンジくんも缶コーヒーを開けた。
「涼子ちゃんのとこでメシ奢んのはこいつが勝手にやることだから別な」
「そ。勝手にやるぜー。でもま、単純にアラフィフの身体にムチ打ってるとこ手伝ってくれた感謝のシルシ」
お礼をされることでもなかったのだけれど、何か、別の気持ちも感じる。でも今はとりあえず、この缶コーヒーを有難くいただくことにしよう。
「いただきます!」
く、と缶コヒーを軽く持ち上げて私たちは各々缶コーヒーに口をつける。
「そういえばリンジ、八月のライブ出んだろ?」
あ、そうか。確かライブの企画は柚机さんがしたけれど、主催、協賛はGRAMがしてるんだっけ。
「はい。出させて頂きます。この二人も」
リンジくんはなんだか嬉しそう言って私と美雪に視線を巡らせる。
「え、そうなのか!あ、だから今日見に来たとか?」
「はい。樋村夕衣さんが今日出るっていうので……」
以前見た樋村さんの演奏は素晴らしかった。柚机さんとのデュオは私と美雪のデュオにも参考になることが多い。だから見に来たというのが一番大きい。い、いやリンジくんに教えてもらったということも勿論あるけれど。
「あぁ、出るな。そんな大がかりなもんじゃないから来たらすぐやってもらう感じなんだろうけど」
「他にどんな人が出る、とか聞いてますか?」
他にも参考になるようなアーティストがいるのなら是非聞いてみたい。
「あぁあれ、ユニットで出んだろ、いつもバンドで出るあの喧しい子さ、すっげぇイイ女と組んで」
喧しい子といい女。もしかして。
「喧しい……?フィオか?あぁ違うか、歩?」
「そうそれ」
(当たってしまった!)
いや、歩さんをいつも喧しい子だなんて思ってはいないけれど、賑やかなのは確かだ。でも歩さんと綾崎さんのコンビということか。それはそれで興味はある。凄くある。
「イイ女ったってあの子だってまだ高三だかんな」
「え、マジかよ」
綾崎さんか。確かに高校三年生には見えない美貌とスタイルの持ち主。モデルか何かをやっていると聞いてもさして驚かないほどの美人だ。以前ライブを見た時にも思ったことだけれど、演奏も凄くうまかったし、コーラスの声もとても綺麗だった。あんな美人で演奏も歌も上手いなんて神様は不公平だ、と恨みたくなるほどの。
「マジマジ。あのバンドみんな高校生だし同い年だし、その話お前にもう十回はしてるし」
「最近物忘れが激しくてなぁ……」
アラフォーを越えた大人の常套句を谷崎さんが言って嘆息する。何だか生々しい話だ。
「歩さん出るんですね……。めちゃくちゃ興味あります」
歩さんの歌の巧さは本当に凄い。歩さんが持っている発声は例えばカラオケで歌えばうるさいと言われるような発声だけれど、バンドでボーカルをするにはうってつけの発声だ。だから、友達同士でカラオケに行った時には、巧いと認識されないかもしれない。ステージで歌うことと、カラオケで歌うことには差がある。どちらが上という話ではないけれど、カラオケが巧い人間がバンドに誘われても実力が発揮できなことが多いのはそのためだ。
「あぁ歩は歌もギターも巧ぇし度胸もある。妹の方もスジは良いけどもうチョイがんばんねぇとだな」
「え、妹もバンドしてんだっけ?」
仄のバンドもプロの目に見られていたということか。でも水沢さんに筋が良いという言葉を貰えるなんて仄は仄で頑張っているということの証だ。私たちも負けてはいられない。
「お前ねぇ……」
と言われるくらいには谷崎さんも仄のライブを何度か見ているのだろう。
「妹の仄は私の親友です……」
苦笑しつつ私は言う。それなりの評価はされているとしてもやはり歩さんほどの評価は得られていない。仄はまだバンドを初めてやっと一年たつか経たないかというところだろう。歩さんもまだ二年と少し、と考えると、才能の差に悔しい思いもしているかもしれない。
「え、マジか!陰口みたいになっちゃったけど応援はしてるぜ!」
「全然陰口になんてなってないですよ」
苦笑を笑顔に変えて私は言う。上手く笑顔になったかは判らないけれど。むしろ水沢さんにそこまで言わせている仄だって、歩さんとの才能の差に落ち込むこともあるかもしれないけれど、自信を持って良いということだ。まぁ仄がそこまで落ち込むとは考えにくいけれど、仄だって人間だ。私には見えないところで落ち込んでいることだってきっとあるはずだ。その時にもしかしたら仄を勇気付けることができるかもしれない言葉だ。いつか使える時まで取っておこう。
「羽奈と美雪はどんなスタイルなんだ?」
「私はシンセの弾き語りです。美雪はまだスタートしたばかりなので、コード弾きしてもらう感じで、歌は持ち回りで私がメインをしたり、美雪がメインをしたり、の予定です」
つまり、美雪の歌にはそれだけの才能があるということ。谷崎さんと水沢さんには伝わってるだろうけれど。
「ほうほう、なるほどなぁ。今日一緒に出れば?」
「や、楽器持ってきてないですし」
水沢さんの問いにパタパタと手を振る。美雪も隣でうんうんと頷いている。
「眠のシンセ借りれば?シンセなら音階切り替えできるだろうし、連弾しても音階気持ち悪くなんないんじゃん?」
「……そうですね、人の量と時間の都合、それと綾崎さんにシンセ借りられたら考えます」
私は誰かに楽器を貸すことはない。でもこういう状況で頼まれれば抵抗なく貸すと思うけれど、綾崎さんはどうだろう。優しい人というイメージはあるけれど、どこか冷たいイメージも持ち合わせている。もちろん外見や少し話しただけで綾崎さんのことを判断してはいけないことも判っているけれど。
「おれも羽奈と美雪の演奏聞いてみたいしさ」
「それなら、そこだけはプロとしての忌憚なき感想を期待しても良いですか?」
私も良い評価なんて期待していない。長年、それこそ私が生まれる前からプロの、厳しい世界にもまれてきた人たちだ。そんな人たちからの正直な意見を聴きたい。それがもしも耳を塞ぎたくなるような結果だったとしても。
「えぇ……」
「な、何でそんな嫌そうな顔するんですか……」
仄のことは評価していたのに。そんなに嫌そうな顔をしなくても良いのではないだろうか。
「だっておれ評論家じゃないし、ベーシストだし」
むぅ。それは、確かにそうかもしれないけれど、それでも様々な音楽やアーティストを目にしてきたはずだ。
「じゃ、じゃあ谷崎さん」
「えぇ……」
谷崎さんもめちゃくちゃ嫌そうな顔を私に向ける。多分多少の演技も入っているだろうけれど、つまりはそれほど嫌だということなのだろうか。
「折角プロの方に聞いてもらえる機会かもしれないのに……」
「好きか嫌いかしか言えないよなぁ」
それでも良い。仄や歩さんの評価だってその気持ちに基づいているのだとしたら、それでも充分だ。
「畑が違い過ぎるのもあるし、評論しようとしたってどうしたって好みかどうかが判断基準になっちまう」
「鎬を削り合う世界に生きてねぇからな、おれたちはさ」
水沢さんが苦笑する。意外な言葉だ。-P.S.Y-の曲は少しだけれど私も聞いたことがある。ロックは専門外だけれど、それでも技術力は高いし、その楽曲は素晴らしいと思った。それはたゆまぬ努力と誰にも負けたくない、という気持ちから生まれてくる熱意なのだと思っていた。
「え、そ、そうなんですか?」
「ま、そんな時期もあったけどな。年取るとアレな、丸くなるっつーの、ホントだからよ」
あはは、と恥ずかしそうに谷崎さんは言う。丸くなるというよりは、長年音楽と共に生きてきた人たちの、ある意味では一つの答えなのかもしれない。そんな風に思うこともできる。
「そうそう。音楽でラブアンドピースってなもんだぜ」
そんなお気楽に言うけれど、きっと簡単なことではないことは、彼ら自身が判っているのだろう。
「音楽の力なんて恥ずべき!とかいう老害もいるらしいけどなぁ」
最近SNSで話題になったとかいう話か。私も聴いて不快な思いをしたからそれ以上は調べてはいない。
「あぁー最近のアレな、くだらねぇ。テキトーに創った曲がたまたまタイアップ取れて売れました自慢とかぶっこいてご立派な音楽家気取りなんだからよ、こっちが見ちゃいらんねぇよ」
敵意剥き出しで谷崎さんが言う。や、音楽でラブアンドピースはどこへ……。
「売れるまでお前以外の人間がどんだけ東奔西走して苦労したかなんて考えねんだよ、なんせ老害だから」
「やだやだ。ああはなりたくないねぇ」
そうか。音楽でどうのという話ではなく、同じ音楽をするものとして許せない、ということなのかな。
「おれのがあいつより巧ぇとか、あいつは他のメンバーに助けられてるだけであいつ自身は糞下手、だとかくだらねぇ陰口叩く連中とかいるけどさ、まったく嘆かわしいもんですよ」
「それは……」
そういう経験が水沢さん達にもあったということなのかな。きっと長く音楽をしていて、素晴らしい経験も、逆に嫌な経験も沢山してきたのかもしれない。いや、きっとしてきたに違いない。
「ま、まぁどこの世界にもそういう妬み嫉みやっかみは有りますから……」
私ももしかしたらそういうことを言われているかもしれない。SNSをやっていたら、そんな嫌な部分も見えたかもしれない。でも、それをどう受け取るかは自分自身の問題だ。真摯な意見でも辛辣な意見であれば目を閉ざすだけではなく、敵視してしまうかもしれない。それをしっかりと受け止められるほど、私はまだ強くない。
「くだらねぇな。人を悪く言わなきゃ生きてけねぇ奴が多すぎんだよ」
「実力の有る無しだとかセンスの有る無しだとか、素人だとか専門家だとかプロだアマだと鬱陶しいんだよな、ホントに」
本当に、忌々しそうに谷崎さんと水沢さんが言う。鎬を削って、己を高め合う訳ではなく、だれかを傷付けたり貶めたりしてきてしまったことが、きっとあったのだ。それが無自覚なものだったとしても。だからこそ、それに後悔し、後悔を礎に替えてきた人たちの言葉。きっとそうなんだ。
「楽しくやりてぇだけなんだけどなぁー」
「……」
そう遠くを見て言う谷崎さんの言葉を聞いて、もう無理に感想を求めることはやめようと思った。もしも私の演奏でなにかを二人に伝えることができたなら、きっと何かを返してくれるはずだ。そう思える。
「極論!」
「は、はい」
急に態度を変えて、谷崎さんがビッシィ、と指を差す。
「音楽で稼ごうなんて思わなきゃ、楽しく音楽出来る」
「わ、判らなくもないです……」
プロでやっている人の言葉だ。きっとそれは一つの答えなのだろう。それがすべてではないことも、判っていながらの。だから彼らはプロフェッショナルとして今も走り続けているのだろうから。
「ま、学生の内はそれが一番だぞ」
「誰が上手ぇとか下手だとか、気にすることもあるだろうけどさ。お前らの音楽を知らねぇ奴らとか、お前らの音楽を好きになってくれてる奴らとか、そういう連中を大事にしてかないといけねんだよ」
「だな」
そこまで言われてはやらない訳にはいかない。私は今もずっと押し黙っている美雪を見ると、美雪は意外にも力強く頷いてくれた。流石は我が相棒。こうなったらやってやろうじゃないの!
「……綾崎さんが来たらシンセ借りられるかお願いしてみます」
「お?そう来なくっちゃな!」
く、とサムズアップする水沢さん。色んな音楽を聴いてきているのに、私らのような学生アーティストの音楽をそこまで楽しみに出来るものなのかなぁ。
「今日バイトしに来た甲斐があったってもんだぜ!」
ぴゅうと口笛を吹いて谷崎さんもなんだか嬉しそう。
「や、おれらタダ働きだかんね」
「言うなよ……」
息ぴったりだなぁ、流石は-P.S.Y-のリズム隊。
第三四話:削るのは、鎬でなくて、若気の至り 終り
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