七本槍市 七本槍南商店街 楽器店兼練習スタジオ EDITION
今日は夏の売り出しセールのために集中してポップ作り。発注書の方は現時点では夏のセール外だからなのかあまり多くなくて、幸か不幸か私と歩さんで朝からずっと厚紙にイラストやら値段やらを書いている。そして数あるイラストの中に、一つ、とんでもなくへたくそなイラストが混ざっていたのを発見した。いくら私でもここまで画伯ってない。い、いや失敗するとこれに近い物にはなるけれど、それをポップとして使うのは、何かを描けば地獄絵図の私でも、プライドが許さない。
「あ、歩さん……」
歩さんに何か言われる前に身の潔白を証明しておかなければ。
「何!」
イラストに集中していた歩さんが声を上げる。
「こ、これ私じゃないですよ!」
こちらを見る様子がないのでぱ、っとその酷いイラストを手に取って歩さんの目の前に突き出した。
「え?あぁ、それは眠だよ」
手を止めて、あまりに予想外のことを口にする歩さん。
「はい?」
聞こえていたけれど、あまりにもあまりな答えについ訊き返してしまった。
「綾崎眠よ、私の相棒の。呆れるくらい美人なやーつ。覚えてない?」
「あ、い、いや、眠さんのことは覚えてますよ、勿論……」
たかが一つしか違わないのに超絶大人美人で私と同じシンセサイザー弾き。声も綺麗だし歌も巧い。もちろん演奏だって巧い。何よりシンセサイザーを借りて演奏までしたのに忘れることなどあろうはずもない。
「何とか頭下げて一枚だけ描いてもらったんだ」
歩さんがお願いしたのか……。確かにこのレベルでは自分から「私にも一枚描かせて」とは言わないだろうし、納得だ。でもこんな酷いポップ使って大丈夫なのだろうか。
「画伯……」
そう、最近はこういうのを逆に画伯と言う。恐らく数年前の国営放送の歌のお姉さんが描いた番組のマスコットキャラクター。あれからそんな流れができたような気がする。
「そ。あんな美人から、こんなこの世の終わりレベルの絵が出るなんて面白いでしょ!」
それは確かに面白いしかなり意外性もあるし、あんな美人にも欠点が、とちょっと嬉しくなってしまうような案件だけれども、それは私や歩さんが眠さんを知っているからだ。つまり。
「私が描きました、って農家さんのお野菜みたいに顔写真貼りたい……」
そうすれば、この眠画伯の絵にも拍が付く。眠さんクラスならばファンもいるかもしれないし、そのファンが楽器を買う、訳ないか。
「それいいね!絶対やらせてくれないだろうけど」
確かに。私だって画伯レベルではないにしても、絵は壊滅的にヤバイ。その私が描いた絵に、私の顔写真を貼るなんてとんでもなく嫌だ。
「そりゃそうです。で、これ何の絵なんですか?」
「ギターを持つ女の子」
「化け物にしか見えませんが」
まず頭は判る。ギターらしきものも何となくは判るけれど、ギターのネックなのか人間の腕なのか良く判らない。変な風に曲がってるし。それに脚?だとしたら三本に見える。私は視力は悪くはない。見間違いではなく、胴体の部分から三本、下に向かって何かが伸びている。
「だから面白いんじゃん」
や、まぁ確かに面白いですよ。でもポップとしてはどうなんでしょうパイセン。
「そのポップ、どのレベルの楽器に張るつもりです?」
「三十万クラス」
迷いなく言い切る伊月歩。
「お、怒られませんかね……」
夕香さんあたりに見られたら怒られそうだけど……。「あんたこの楽器に何こんなポップ貼ってるのよ!」って。
「多分大丈夫でしょ。とにかく私はその何でもいいから高いギターにこの眠の絵を張り付けて写真を撮りたい!」
「な、何か恨みでも……」
というより僻み、いや、私ならともかく歩さんくらい可愛かったらそれはないか。単純に歩さんにとって面白いからやりたいだけ、なのかもしれないけれど、眠さんも良くOKしたな……。
「ないよそんなの。ただ面白そうなだけ……。は!私気付いたわよ!それを眠の顔写真と一緒にchatterに上げる!」
「バンドで共有してるんでしたっけ、chatter」
歩さん達Rouge Asailもchatterをやっているとは聞いたことがあった。chatterは爆発的に世界中に広がったSNSで世界中の人が使用しているし、日本でも有名人の多くが利用している。確か諒さん達-P.S.Y-もアカウントを持っていたはずだ。何分私がwire以外のSNSを利用していないので、見たことはないのだけれど、この際だから色々訊いてみよう。
「そ。ウチのは主にりーりが書いてるから、バンドってより飯テロchatterだけどね!」
「り……?」
恐らく眠さん以外のバンドメンバーだろう。けれど、りーり?
「あ、うちのベーシストの朝見李依吏!略してりーり!」
李依吏さんのあだ名、といったところか。まぁそれはともかく。
「なるほど。SNSって弊害ないですか?」
「あるよ」
けろり、と言う。それでも利用し続けて、更に更新も考えているということは、慣れっこで気にすることもない、ということなのかな。
「やっぱりあるんですね」
「こっちが気にするかしないか、が重要だと私は思ってる」
それは、そうかもしれない。
「アンチの言うこととか、いちいち気にしてたらやってられない、とかですか?」
一番判り易い喩えを出してみる。
「だねぇ。そもそもSNSなんてのはさ、情報の発信源として使う訳でしょ、chatterなんか特に。最初は誰とも繋がりがなくて、こっちからアクセスして、フォローして、フォローされて、初めて繋がりができる、って」
「ですね」
使ったことはないけれど、そのくらいのことは私にも判る。情報の発信は、アーティストとしてライブを少しでも多くの人に見て欲しいからすることだ。
「だから最初のうちは、こっちからの発信ばかりでしょ。その、最初のうちは、の状態でいいんじゃないかな、って」
「発信だけすれば、みたいなことですか?」
こちらの発信にどんな反応を返されても、相手にしない。一つ一つに反応していてはいくら時間があっても足りないだろうし、良い反応ならまだしも、悪い反応を討論で、しかも文字だけでなんて抑え付けられる訳がない。
「そうそう。個人でやるなら話は別だけど、バンドでやるならそれで充分じゃないかな、って思うな。もちろんライブハウスで知り合ったバンドとか、ライブハウス自体のアカウントとかの相互フォローは大事だけど」
「なるほど……」
そういう毅然とした態度は、確かに大切かもしれない。
「何にしたって、全員に良く思われる訳もないし、アンチなんか大体反射でアンチしたがる人が殆どだし、そんなくだらない連中に時間使うほど暇じゃないし。相互フォローしたバンドだって、全くこっちに関わろうとしないバンドもいるし」
「ふむぅー」
確かに、とある事象に対し、反対意見は馬鹿でも言えると良く言われる。単に反対のことを言えば良いだけだから。それに理屈屁理屈を付けることなんて、確かに馬鹿でもできる。そして理屈屁理屈を付けた反射のアンチ意見は、ある程度説得力を伴って、こういう意見に対してこうこうこれだから間違っている、と言われれば、確かになぁという共感も得やすい。態々そんなことに関わらず、無視すれば良いだけのことだ、と歩さんは言っているのだろう。
「何?始めようと思ってるの?」
「あ、はい。ライブに向けて、少しでも集客になるなら……。仄とは少しお客さん被っちゃうし」
それに美雪の歌声をみんなに聞いてもらいたい。私と美雪の織り成すハーモニーを、少しでも多くの人に知ってもらいたい。それにはやはりインターネットを使うのが一番だ。何だったら美雪を阻害した中学時代の連中に見せてやりたいほどだ。山本か藤木君を巧く使ってどうにかできないものか。
「なるほどね。羽奈も美雪も可愛いからウケるんじゃない?」
「ま、まぁ私はともかく美雪は……」
そうなると美雪を阻害していた連中はアンチに回る可能性が高い。それならば知らせない方が良いかもしれない。それに美雪は恐らく中学の頃から劇的に容姿が変化した訳ではない。元々可愛かったけれど、内気な性格が災いして、ということも充分に有り得る。元から好意を持っていない連中への情報開示は少々危険かもしれない。
「あんまり顔は載せない方が良いと思うけどね。うちなんか私以外みんな可愛いけど、コイツ自分が可愛いと思ってんのかよ、って、眠でも言われるからね」
「……眠さんにそれ書かれたらもう何でもありですね」
人の好みは千差万別とは言え、ある程度スタンダードなラインもあるはずで。例えば涼子先生や晶子さん、みふゆさんはみんなが可愛いと言うし、夕香さんや眠さんであれば誰もが美人だと言うだろう。でも、それでも、本当は美人だと思っていたとしても、反対のことを言う人間はいるということだ。それが悪ふざけだったとしても、そういうのは宜しくない。そしてその宜しくない出来事に一々反応をしていては、こちらの心も持たないということだ。
「でっしょぉ!……なんで溜めた?」
う、鋭いな。流石武士。
「や、歩さんも充分可愛いので……。ナニイッテンダコイツって思ったけど、言いませんでした」
まぁ歩さんが自身を可愛くないと思っているのならばそれは勝手に言っていれば良いことだけれど、例えば歩さんと眠さんのツーショットなんかがSNSに上がってれば、女の私でさえ、なんだこの可愛いのと美人は、と間違いなく思う。歩さんの女としての自信が何故そこまで低いのかは全くの謎だけれど、対外的に見れば歩さんだって充分すぎるほどに可愛い。でもそうか、歩さんからしてみれば、自分がそう言われるのは納得するけれど、眠さんが言われてはもうどうにもならない、という気持ちなのだろう。
「言っちゃってるよ!ていうか、まぁ私だってさ、そりゃ中学の頃から比べたら少しはマシになったって思うけど、眠みたいな人種と比べられたら、ってのはあるわよねー」
「むむ、そ、それなら判らなくもない、かも……」
やはりそうか。まぁこの際歩さんの自信の無さは放置するとして。そうなると、臭いものにはフタ、ということで全てが丸く収まるのだろうか。気にしないとは言ってもそうしたアンチを目にするだけでも、ダメージを喰らうことだってあるはずだ。
「まぁでもSNSってさ、自由に使えるけど自身に発信責任がある、って判っていない人も割と多いから、そういう人からの攻撃は無視に限るよ」
確かに。発信するからにはその言葉には責任が発生する。例えば私がやるとすれば、公園での演奏をする予定だとかライブ告知。それを発信したのに、当日公園にも行かなければライブにも出ない。なんてことになればたちまち信用を失う。嘘を書いてはいけませんというのは常識として、それ以外でも、例えば嫌いな音楽を嫌い、と書くことには立場が邪魔になる。角が立たない言葉を選んだり、そのアーティストを好きな、見えない誰かに気を遣わなければならないことももちろん出てくるだろうし。それも発信責任の一つだ。そんなものにまで気を遣うことはない、という意見もあるのかもしれないけれど、信用を失うような真似をしてはいけないのは何もSNSだけではないし、信用を失う言動は控えておいて損はないだろうし。
「ですね。私なんか悪目立ちしそうですし」
特に私はそうだろう。脚が不自由という表現には振り幅がありすぎる。私は全力で走ることは出来ないし、歩くのにも多少跛行はする。そしていつもロフストランドクラッチを持っているし、普通の人から見れば、充分、脚が不自由なのだろうことも判る。だけれど、車椅子がなければ移動もままならない人と比べられてしまえば、跛行するとはいえロフストランドクラッチを持たなくとも歩ける私など、まだまだ不自由だとは言えない、という見方も普通にできる。そうしてそんな本人が望んでいない身体的ハンデですらも、懐疑的な目で見る人間はいるのだ。
(なんだよ、歩けんのかよ)
何度言われたか判らない。確かに歩ける。平時がそうではないけれど、歩くだけで足の付け根が痛むことだってある。そうした音楽に対して全く意味も関連もない邪魔が、一番不安なのだ。私の脚のことは、私と美雪の音楽や歌声には何の関係もないのに。
「……そこ、気にしてんのね。でもさ、それこそ無視よ、んなもん」
くるり、とペンを回して歩さんは笑顔になる。ペン回し、やたらうまい。
「無視は、出来ます。でも一度見た時のダメージは慣れるしかないじゃないですか」
一度はそうした言葉に触れなければならない。そして触れたことにより、拒絶なり、悪意を向けられるなりしたことが判れば、やはり胸は痛む。精神的にダメージは、負う。
「じゃあ言うけど、ぶっちゃけそんなもの、なれっこなんじゃないの?羽奈は」
「いや、まぁ、そうです、けど……」
確かに私はそうだ。そうした視線に何年も晒されてきた。好奇の目なんてもう何とも思っていないし、何のダメージにもならない。確かに歩さんのいう通り、なれっこだ。だけれど、美雪は違う。まぁメインの管理は私がやれば良いだけのことかも知れないけれど、それでもなるべくなら美雪にそうしたものを見せたくはない。
「それにそういうのが必ず来るって決まった訳じゃないんだし、今のところ杞憂ね。私たちんとこも別にそういうのしょっちゅう来る訳じゃないしさ」
それも、そうなのだろう。いくら無視を徹底したとしても、頻繁にそんな悪意に晒されては続ける気も失くしてしまうだろうし。
「まぁ、そうですね……。何か実害とかってありました?」
一番心配なのはそこだ。発信は全世界にされる。それを拾える人間は限られた人だけだとしても、条件が揃ってしまえば、世界中の人が私たちを検索できる。そうした中で、私たち本人が十三橋公園や七本槍公園で実際に演奏するとなれば、どこの誰であろうと、私たちを実際に見ることができるのだ。そして私は一度、暴走族に襲われている。いくらリンジく、ファイヤーマスクの監視があったとしても、五人も十人も連れてこられては、さしものファイヤーマスクでもひとたまりもない。あの連中が襲ってくることはないだろうと判ってはいても、やはりごく少ない、僅かな可能性でも、不安要素はある。大袈裟、かもしれないけれど。
「ぜーんぜん。実際に面と向ってキチンと意見を言えるような人はSNSで、しかも匿名なんかでコソコソやったりしないし、そういう連中は実際に何かしてやろうって度胸なんか毛の先ほどもないから」
「なるほど……」
良く判っていらっしゃる。仮に何かあったとしても、歩さんの武力をもってすれば、というのも……。いや、ないか。歩さんだって強いとは言え女の子だ。例えばファイヤーマスクくらい強い人となれば勝てないかもしれな……。いや、確か日本で二番目に強い女子高生だったこの人。いやいやそれでも大柄な男性ならば二人も三人も相手にはできないはずだ。それでもそんなものを弊害だとも思わずに続けていられるという事実もある訳か。
「羽奈と美雪ならモテモテだと思うけどなぁ~。ま、彼氏できたんなら別にモテなくてもいっか」
く、やっぱり仄から情報は行っていて当たり前か。それにそう、私はモテたいためにSNSを始めようと思った訳じゃない。
「まぁもしもモテるんだとしたら集客に生かせますからね!」
その場合、多くは美雪の力になるだろうけれども。いやでも歩さん、顔載せない方が良いってさっき言ってたのに……。
「百聞は一見にしかず、とか言いたいの?」
「です」
まぁ私もあまり顔は出したくないし、基本的には顔出しNGで行こう。見たかったら実際に公園やライブハウスに足を運んでね、的なことで良いだろう。
「それはどうかねぇ」
含みのある感じで歩さんがニヤニヤする。なんだかちょっとだけ腹立つな。もう私が可愛いだのモテるだのはどうでも良いのだ。ともかく、少しでも多くの人に私たちFanaMyuの音楽を聴いてもらうこと。それが目的なんだから。
「ま、とにかく始めてみます。折角の良い機会なので」
金額を描き入れた厚紙を鋏で切り終わって、私は一息つく。これだけ喋っている間にも歩さんも私も手を止めずにきちんと仕事はしているのだ。私たち偉すぎる。
「それがいいね!アカウント作ったら教えてよ」
「了解です!」
アカウントを作ったらまずは歩さんたちのバンド、Rouge Assailと相互フォローだ。
「あと諒さんとか夕香さんにも話して、こことか-P.S.Y-と相互フォローとかになっておくとそれだけでも結構いろんなバリア張れて安全なのもあるよ」
「なるほど……。で、でもお店は判るにしても諒さんとかプロのバンドじゃないですか」
EDITIONのアカウントはともかく、公式の有名人が一般人と相互フォローなんてしてくれるのだろうか。
「や、普通に相互してくれるよ。それこそ私らみたいな学生バンドとか護るために色々発言したりしてくれてるし」
「そうなんですね。じゃあアカウント作ったらお願いしておきます」
なるほど。ここいら界隈のバンド者の活性化も目指しているんだっけ。それなら確かに-P.S.Y-の庇護がある、と判るだけでも余計な悪意には触れずに済むかもしれない。
「だね!よぉーしあと一枚、羽奈任せた!」
そう言ってラスト一枚の、金額の方を描く歩さん。歩さんの絵は絶賛可愛いので絶対に歩さんが描いた方が良いのに。私は何枚か描いた自分のイラストを見る。地味にヘタクソだ。特に特徴もなく、ただ下手と判る絵。それならば。
「いっそ画伯の方が良かった……」
インパクトという点ではこの眠さんの描いたイラストの方が遥かに強い。
「大丈夫大丈夫!羽奈のもびみょーにいかしてるって!」
「びみょー……」
一体どこで受けが良いんだろう、私の絵は……。
第五一話:SNS 終り
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