七本槍市 七本槍中央病院
私とリンジくんが病室に入ると、羽原君は相変わらずベッドに括り付けられたまま、私の背後を見たようだった。ま、まぁ気持ちは判らんでもないけれどもね。残念、今日は美雪はいないのよ。
「まぁそうがっかりしなさんな、羽原君」
にやにやして私は言う。いけないいけない。美雪と楓に良いように突っつかれた腹いせを羽原君にしてしまっているわ。
「や、してないすよ!ありがたいっす!」
「そうかね」
ならば今後のお見舞いも美雪抜きで、と思ったところで羽原君は少し下を向いて呟くように言う。
「ま、まぁちょっと寂しいですけど……」
「んむ、正直で宜しい」
私は羽原君の態度にすこぶる満足すると、手を腰に当てた。
「少し、すっきりした感じだね」
「ま、まぁ擦り傷だとか軽傷なところとかはもう治ったんで。足を吊らないで良くなるにはもうちょっと時間かかるらしいっす」
前にお見舞いに来た時よりも包帯や絆創膏の数は随分と減っていたし、羽原君の表情も良く判る。
「鉄骨とか入ってるの?」
脚の骨折だと、部位によってはそんなこともあるらしい。わたしも股関節を患ってはいるけれど、そうした装具や補強のために鉄骨を入れるなどという手術まではしたことがない。
「や、そこまでではないっすね」
苦笑。でもどこか晴れやかなのは、見ていて安心する。羽原君が自分で選んだこの結果に、怪我はともかく、満足しているように思えた。それは、私の言葉に端を発するこの一件に対しての、羽原君の気遣いかもしれないけれど。
「そか。それは良かったけどま、ともかく安静にね」
「うす」
それでも、そんな気遣いができるくらいには、心の余裕があるということなのだろう。
「あの、姐御……。羽奈さん」
「今なんつった」
じろり、と羽原君を睨み付ける。
「い、言い直したじゃないすか!」
そういう問題じゃないのだ、羽原君。
「そんなクセになるまでわたしのこと姐御だと思い込んでるのが嫌なの!」
なんで、そんなに話してもいないのに、癖になるほど姐御だと思い込んでいるのかがもう謎すぎる。もう知り合ってここ一年くらいずっと姐御、と呼んでいたのならば(呼ばせないけど)いざ知らず、私と羽原君が会うのはこれで四度目だ。それなのにもう姐御が染みついているなんて冗談ではない。私はまだうら若き十七歳なのよ。
「さ、させん!」
「で、何?」
嘆息交じりにわたしはそれでも無理に笑顔を作る。話が進まないので、とりあえずこれ以上は突っ込まないでおきたい。それにもう手遅れだとは思うけれど、これ以上リンジくんにきっつい女だな、と思われたくないし……。
「オレみたいなのが、その、美雪さんにメールとかしたら、迷惑っすかね……」
「何!連絡先交換してるの!」
な、まさかそこまでとは!わたしの驚愕に連動したかのようにリンジくんもほう、と短く息を漏らす。
「や、し、してないっす!」
なんだしてないのね。まぁそれもそうか。私が同じ立場でも流石にまだ連絡先を訊き出すのは無理だと思うし。
「ま、まぁしてたらwireのが手っ取り早いしね」
「それもそっか。でもそうかぁ……」
やっぱり羽原君の、美雪を思う気持ちは中々に侮れないということね。そしてこれは中々に難しい問題でもある。よりにもよっての美雪だ。いや、美雪に問題がある訳ではない。無問題でもないとは思うけれど、面倒くさいところなんて人それぞれで、誰しもが持っている部分だからそんな些細なことは脇に置いておくとして、美雪は羽原君が現役バリバリだった時のことを知っている。何もしていない私やリンジくんに、気に入らないという理由だけで絡んできた、という動かせない事実、いやこれは失態ね。それがある。だけれどそんな羽原君が私たちの目の前で改心、というには大げさかもしれないけれど、それなりの覚悟を持って、過ちを正そうとそれを実行してこのありさまにもなってしまっている。だから私は羽原君を信じたいし、美雪は大切な友達だから、変な風にはなってほしくない。
「?」
不思議顔をするリンジくんを余所に、私は見るも痛ましい羽原君に視線を投げる。
「今の羽原君なら平気なんじゃない?口の利き方ってよりは口調ね、そういうの気を付ければ」
本当に、落とし前をつけてチームを抜けて、こんな大怪我までした羽原君はきっと信じられるけれど、私を姐御と呼んでしまう件を鑑みても、染みついた癖はなかなか抜けない。
面白くない、気に入らないことがあればかっとなってしまうこともあるのかもしれない。それが仮に、美雪が変なのに絡まれたとしてのことだとしても、それが暴力を振るって良い免罪符になる訳ではないのだ。そういう危惧は、まだ捨て切ることはできない。
「口調……」
「前に一緒にいた栄吉みたいな喋り方だと、何言ってるのか判んないしね」
でもそれをそのまま伝えることは、今の羽原君にはできない気がした。折角の羽原君の決断に水を差してしまうような気がするのだ。だから、良いお手本をやり玉に上げさせてもらうとしよう。
「そ、そっす、そうですね」
「あんまり堅苦しい敬語もおかしいと思うけど。私ら年下なんだから」
苦笑しつつ私は言う。
「う、ううん……」
普通にタメ口で良いと思うのだけれど、それでは座りが悪いのだろう。そんな羽原君を見て、やはり気が変わる。今の羽原君ならば、きちんと話を聞いてくれる気がした。
「それに、お節介だけどさ、美雪はああいう性格でしょ。粗暴なこととか粗野なこととか、うーん、とにかく、乱暴なのは嫌いだと思うから、何事も丁寧に、って思えるならいいんじゃないかなぁ」
それでも多少、言葉をオブラートに包んでしまう。だけれど、私やリンジくんや美雪を見ていれば、きっと羽原君にも判ることだろう、と思うし、そう期待してしまう。
「じゃ、じゃあもし今度来てくれることがあったら、メアド、訊いてもいっすかね……」
「そこはお好きに。そういうことまで口出しするほど野暮天じゃないし」
基本的に恋愛なんてきっと、自己責任だ。紹介した、された関係であったとしても、どう行動するか決めるのは自分自身でしかない。決断のその直前まで、誰かの言ったことを考えていたとしても、最終決断は本人がするものだ。……多分。
「ハナちゃんから見て、美雪ちゃんてどんな感じなの?」
「羽原君のことどう思ってるか、ってこと?」
リンジくんが羽原君に一目置いているのは判る。自分と同じ様にけじめをつけた羽原君に対して、並々ならぬ同情にも似た気持ちを持つのは当たり前だと思うし、以前から知った仲だった訳だし、羽原君は羽原君で現役の頃からリンジくんのことを慕っていたのだろうし。
「うん」
「判らないわねぇ。私といる時には特に羽原君の話題が出る訳でもないし……」
「そっすかぁ……」
かくん、と頭を落したかったのだろうけれど、まだ首に回されているコルセットで大して頭は動かなかった。ま、でも落ち込むのはまだ早いと思うから、私は羽原君に言ってやる。
「や、でも美雪の性格からして、そこは本当に判んない。もし羽原君のことを気にしてるとしても、自分から進んで羽原君の話題を口にするタイプじゃないと思うし」
それに今は、癪だけれど私たちの中ではリンジくんの話題が多い。今美雪が羽原君のことを話せば、たちまちやり玉に挙げられて、今度は私が美雪を突っつく側に回るのは、美雪にだって充分に判っていることだろう。
美雪は賢いのでそんなことなどとっくに予測しているだろうし。
「まぁそれは、確かにそんな感じするね」
リンジくんも苦笑しながら言う。そもそも美雪が私たちに心を開いてくれたのはリンジくんの存在が大きい。あの晩、国井と山本達が美雪を虐げている理由を聞き出すことができたのは、リンジくんのおかげだ。あの時はリンジくんが元暴走族だったことも、正義の味方だったことも、想像もできなかったけれど。
「あ、そうそう、羽原君」
ふと訊いてみたいことを思いだした。リンジくんにとっては気恥ずかしい話かもしれないけれど。
「はい?」
「リンジくんって、チームにいた頃からこんな感じなの?」
「こんな感じ?」
どんな感じ?と横からリンジくんが首をかしげてきたけれど、今はリンジくんの言葉はどうでも良い。
「や、ほら、初めてあんたらに会った時、日本語かどうかも判んないくらいのものすごい剣幕でリンジくんに言い寄って来たじゃない」
「ちょ、ハナちゃん……」
私の訊きたかったことを敏感に察知したのか、リンジくんが慌てた様子で私の肩をぽんぽんと叩いた。
「あぁ、そっすね。レイジさんは何でチームにいんだろ、って思うくらい最初から今と変わんないくらい穏やかでしたよ」
「あぁ、やっぱりそうなんだ」
「え、えと、どういうこと?」
え、判っていた訳ではないの?何が訊きたかったの、ということかな。
「や、栄吉みたいにイキってたこともあったのかなぁ、って思って」
今のリンジくんからは、あんな乱暴な言葉を使うだなんて想像もできなかったから、何となく安心してしまった。
「ま、まぁ昔はあったよ。それこそチーム入る前後くらいの時だけど、荒れてたし」
「そ、そうなのね」
あんな日本語とも取れないほどの荒れた言葉をリンジくんが使っていたとは中々想像しにくい。
「でも当時のチームのリーダーがまたデキた人でね。その人を見てるとイキって荒ぶることに意味はないっていうか、カッコ悪いかなぁ、とかガキなりに学んだというか……」
なるほどなぁ。なんだか変な感じだけれど、荒れて素行不良をして、暴走族に入ったことで、リンジくんはリンジくんなりに、目上の人からいろんなことを学んで今に至るっていうことになる。不思議なものだ。リンジくんだけに限って言ってしまえば、おとしまえや事故以外のことは、様々な学びがあったのかもしれない。
「それで荒れてた目的、っていうか意味も見失った感があったってこと?」
「うーん、かもね。集会でもぼけっとしてたこともあったし。それで事故を起こしちゃったようなもんだったかな」
いけない。あまり余計には思い出させたくない話になってしまう。リンジ君が自分が必要と判断して、必要に応じて思い出す、ということであればそれは仕方のないことだ。だけれど、私がそれを促すような真似をしてはいけない。だから慌てて話題を変える。というか本来の方向に軌道修正する。
「なるほどね。ま、ともかく、羽原君が急にリンジくんみたいにおっとりしだしたらそれはそれで気持ち悪いかもだけど、栄吉みたいにワケ判んない言葉使わないようにした方が良いよ、特に美雪の前では」
個人的にはリンジくんの過去のことも少し聴けたし。あとは少しだけお節介を焼いておくとしようかな。
「やぁ、流石にレイジさんみたいにはなれないっすけど、了解しました!」
今はまだ痛々しいけれど、早く良くなってくれると良いなぁ。今度は美雪と一緒に来ることにするか。私がお邪魔虫になってしまうので、一人で屋上にでも行って時間を潰すしかなさそうだけれど。
「うん。それに美雪のこと考えればやっぱり荒っぽいのは避けた方が良いかな、って思うし」
「判りました!」
今の羽原君ならきっと大丈夫。そう思いたい。
「姐御だの変な後輩言葉みたいなのとか言わなければ、尚良いけどね」
すぐに直すのは難しいかもしれないけれど、でももしも美雪があの持ち前の優しさでやんわりと注意を促せたら、すぐに直るかもしれない。私ではそれは無理だろうな、と思わず苦笑してしまう。
「ど、努力します」
「うん、頑張って」
く、とサムズアップして私は羽原君に笑顔で言った。
「あぁっ!」
やばい、今になってとんでもないことを思い出してしまった!という気持ちが出過ぎて頓狂な声を上げてしまった。
「え、な、ど、どしたの?」
一瞬、ぐんと車が横に揺れた。いけないいけない。運転手を脅かすほどの声を上げてしまうなんて。
「ご、ごめ……」
「何か忘れ物?」
当然そう訊いてくるわよね。
「……っていうか、なんていうか……」
「ん?」
歯切れの悪い私の言葉にリンジくんは首をかしげたようだった。
「い、いや……」
「もしかして何か、美雪ちゃんのこととか?」
そう、相変わらずリンジくんは察しが良い。状況からの推測で判りそうなものかもしれないけれど、それでもさすがはリンジくんだと思ってしまう。だけれど。
「ちょっと待って!」
「は、はい」
そうおいそれとは話す訳にはいかないことにも気付く。
「これは、私自身、どうして良いか判らない問題。そしてプライベートなお話」
「なら話さなくて良いよ」
即答だ。勿論リンジくんならそう言うだろうことだって判っている。だけれど、もうリンジくんは知らない怪しい人ではない。私の中で何かを相談するに値するポジションであることは、もはや間違いない。リンジくんだってきっと私をそう認めてくれているからこそ、過去の色々を話してくれたんだと思うし。
「……ちょっと待って、冷静になるから」
わたしは両手を開いて、少し指の根元だけを曲げ、両手の指先のみを合せる。左手の人差し指と、右手の人差し指。左手の中指と、右手の中指、と言ったようにすべての指先を合せると、掌と掌の間にできた空間に、宇宙を思い浮かべる。そしてその宇宙の中にぽっかりと浮かぶ地球もイメージする。
「え、何それ」
横目でちらりと見たのだろう。リンジくんがそう言ってきた。
「……コスモ」
「も、もしかして燃やすやつ?」
良くお分かりで。実際には違うけれど、こうすることで気持ちを落ち着かせることができる、と言う。これは涼子先生に教えてもらった精神集中の方法だ。本来は男性がする方法らしいけれど、なんでも荒ぶる魂を鎮める時に効果的なのだという。なので、今とても落ち着いているとは言えない状況の私が試すのにはぴったりの方法だろう。
「そ……。高めてるからちょっと待ってね」
そう言って私は目を閉じる。実際には高める訳でも燃やす訳でもないけれど、気持ちが落ち着くまで目を閉じてもそのイメージを遺すようにして、深呼吸する。
「……これは、リンジくんを信用して、リンジくんにしか話さない」
「う、うん……」
薄目を開けて私は言う。リンジくんはドリンクホルダーに置いてあった缶コーヒーに手を伸ばした。
「すっかり忘れてたんだけどね、テスト期間前にあいつ、誰かから、ラァ、ラァヴレターを貰ってるのよ!」
言ってから顔を手で覆う。恥ずかしい!私が貰ったわけでもないのに!
「えぇ!美雪ちゃんが!」
リンジくんが頓狂な声を上げる。
「しぃー!声が大きい!」
まったくもう。
「誰にも聞こえないと思うけど……」
「黙らっしゃい!気分的な問題よ!」
確かに走る車の中で、誰かに立ち聞きされることなどない。私も言われるまではまったく気付かなかった。だけれどだからと言って開けっ広げに大きな声で話して良いものでもない。事は美雪のプライベートな話なのだから。
「そうかぁ、美雪ちゃん可愛いしなぁ……。良い子だしなぁ……。判らなくもないなぁ……」
「そうよね!そしてそれが、超イケメンで優しくて、頼りがいのある男性だったなら!」
リンジくんも美雪はタイプではない、と言ってはいたけれど、可愛いとは思っている。そして美雪のおっとりしつつ実は芯のある性格は、粗方の人間に好感を持たれるはずだ。
「正孝君に勝ち目はないねぇ……」
「ヤバくない?」
思わず語尾が上がるほどに!
ヤバクネ?って馬鹿な餓鬼みたいな口調になってしまった!でも本質はそんなことじゃない。
「や、美雪が幸せになるんなら、その、ラブレター男でも、羽原君でもどっちでもいいのよ!」
「実も蓋もない!」
確かに!ちょっと言い方を間違えたわ!
「や、まぁ、どっちかと言えば羽原君の方が接触ある分、応援したい感じではあるけれども」
「でもラブレターの人は誰だかは判らないんだよね」
「私もすっかり忘れてたくらいだからね。楓とも仲良くなる前のことだったし」
「な、なるほど……」
とはいってもそんなに前の出来事ではない。テストのせいですっかり忘れてしまっていた。それに美雪だって何も言ってこない。これはつまりどういうことなの?手紙は読んだけれど、実はラブレターでも何でもなかった。ラブレターだったけれど、美雪の全く知らない人だった。知っている人だったけれど、私には相談できない相手だった。この線でほぼ決まりだろう。そしてともあれ、考える。
「競争って訳じゃないし、先着に意味はない気もするけど、でも、美雪に気持ちを伝えた、っていう事実は大きくない?」
「え、中身知ってるの?ハナちゃん!」
「あ、知らない。あ、でもそれを言ったら正確にラブレターかどうかも判らない!」
「え……」
そう、可能性の一つとして、あれはラブレターじゃないということはありえなくもない。
「や、だって中身は知らないし、ピンクのハートマークは付いてたし、でもハートのシールとかサインとかマークなんて女子同士なら普通に使うものでしょ?」
「そうなんだね」
そうね、男には判らないわよね。私にだって良く判っていないのだから。
「や、私もよー使わないから知らない」
「あ、そ、そう……」
ううー、と顎に手を当てて唸る。美雪が幸せになってくれるのが一番。だけれどそれは羽原君か別の誰かか。それすらも確定ではない。美雪が今は恋愛どころではない、と思っていたら、そのラブレター男だって羽原君だって振られる可能性は大きい。
「と、とりあえず様子見かなぁ。美雪には手紙のことは訊いてみるけど」
「そ、それが良いかもね」
そうじゃないと、何も推測が立たない。もしも美雪に好きな人がいるとするのならば、ラブレターを出した奴だって、羽原君だって敵わないはずだし。
「あとでwire飛ばしとこ」
車の中でスマホをいじると酔うことが判った。バスだけかと思ったけれど、乗用車もだめらしい。
「だね。で、ハナちゃん今日はまだ時間ある?」
「はー?」
第二八話:恋バナ? 終り
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