十三橋市 十三橋商店街 ファミリーレストラン
「夏、休、みぃ!」
ファミリーレストランの角のテーブルで楓が中腰になって言う。いや叫ぶ。煩いし周囲の人たちが何事かと視線を飛ばしてくる。今日が一学期の終業式だったのは私の学校十三橋高等学校も、仄の学校、七本槍高等学校も同じだったようで私、美雪、楓、そして仄、香苗、晴美の六人でお昼ご飯を食べようと集まったのだ。
「ちょ、楓、声でっかい!」
気持ちは判らないでもないけれど、ここは私たちだけの場所じゃあない。まぁそもそもそれほど静かな場所でもないから喧しい女子高生がいる、くらいにしか思われていないだろうけれど。
「これが叫ばずにいられるかぁ!」
ぼふ、とソファーを叩いて楓が言う。そんなに楽しみだったか。夏休み。
「楓の言うとーり!」
ぐおぉ、と拳を作って仄も言う。やぁ、ホントに煩いなぁ。
「仄ちゃんまで……」
「ひと夏のアヴァン!ちゅーる!リゾラバ!」
「昭和の女子大生か」
いや勿論昭和の女子大生がみんなそうだったとは思わないけれども、そんなものにどれだけの価値があるか私では理解できない。
「や、私はちゃんと彼氏が欲しい!」
晴美が一応まっとうなことを言う。確かに夏休みに浮かれて火遊びなんてしてほしくないのは友達としての心情だ。
「その前に出会いがなくちゃどうしようもないでしょ!」
確かに、楓の言う通り。その出会いを求めるためにイベント会場に行くのは良いのかもしれないけれど、いやもう後は本人の問題か。いくらなんでもそんなにばかげたことはしないだろう。
「ひと夏のアバンチュールなんて男なら何でもいいみたいな感じでなんか不潔よ!」
「まぁそりゃそうね。基本ナンパしてくる男とかやだし」
晴美と香苗は割と冷静なようで良かったわ。というか香苗と晴美はナンパされたことがあるのだろうか。まぁ二人とも可愛いからあるのかもしれないけれど。それだってナンパしてきた男が二人の好みドストライクだったとしたら判ったもんじゃないと思うのは私だけだろうか。
「それは安心」
ほう、ととりあえず嘆息しながら私はアイスティーを一口。口では何と言っていようと誰だってひと夏だけの遊びの関係なんて嫌なはずだ。一概にそうとは言えないかもしれないけれども、少なくともこの場にいる友達なら。
「何よ羽奈余裕ねぇ」
余裕というよりはそのひと夏のアバンチュールに興味が無いだけだ。勘違いしないでいただきたい。
「ライブってさ、カッコイイ人とか出る?」
ぐいんとテーブルに乗り出して香苗が詰め寄って来る。
「さぁ」
しかし残念ながら私はまだ、ライブに誰が出るのかなんて知らされていない。
「さぁって」
途端に苦笑になる香苗。かわいい。
「だってどんな人が出るかなんて知らないもの」
せいぜいリンジくんのバンド、諒さん、貴さんくらいだ。そろそろ本番一か月前になるのでなにがしかのアクションはあるだろうし、出演アーティストやタイムテーブルは配られるかもしれないけれど、アーティスト名を見ただけではどんなアーティストなのかは判らない。そもそも出演アーティストは恐らくだけれど、諒さんと貴さんを除けばみんなインディーズだ。初めて会う人の方が多いのは間違いない。
「それもそうか。美雪も?」
「う、うん。男の人だとリンジくんくらいしか判らない……」
美雪の方が私より情報持ってたら怖いんですけど。
「そっかぁ、ま、自分の目で探すのが一番だけどね!」
「ま、そうね」
変なのに引っかからなければ良いのだけれども。
「羽奈は余裕でいいわよねぇ」
香苗がそう言ってくる。ふん、このままリンジくんとの話題になんてしてたまるものか。私はジロリと香苗を睨み付ける。
「あんたらねぇ、何しにライブ来るつもりなのよ」
「本命はもちろん仄のバンドと羽奈アンド美雪を見ることだけれども!」
ぎょるぎょると視線を泳がせて香苗は言う。ま、まぁ一抹の不安は残るけれどもそれが一番に出てきたことは褒めて差し上げましょうか。
「それを聞いて安心したわ」
褒められなかった。
「まぁナンパ目当てで来る男もいるだろうし、気を付けないと、とは思ってるわよ」
そこは本当に。ただ単に一晩遊んではいさようなら、だけならまだましかもしれないけれど、もっとヤバイのに引っかかったら助けようにも助けられないかもしれないし。
「みんな可愛いもんね」
美雪が言って一人頷く。まぁ確かに。私的には何でみんなこんなに男に飢えているのだ、と思う程にみんな可愛いのだけれど、多分あれね、高望みし過ぎ。もしくは恋に恋し過ぎ。以前仄に私が高望みをしていると言われたことがあるけれど、それは私だけではなかったということなのかもしれない。
「なんか美雪に言われるとアレね……」
まぁ確かに。美雪も可愛いし。私が知る限り男二人に好かれているのだから。そう言えば手紙の相手とはどうなったのか聞いていなかった!でも聞き出すのもアレだし……。
「でもこんなこと言いたかないけどあれだからね、夏休みの宿題終わらせないと入場させてもらえないかもよ」
仄が私の思考をぶった切ってとても重大なことを言う。確かにそうだ。昨日私にも歩さんや夕衣さんからwireのメッセージが飛んできたんだった。
「えぇ!なにそれ!」
そして私も晴美と全く同じ反応をしたんだったわ。
「運営からのお達しなのよ。学生の出演者、観客は宿題が終わってないと入場させませんって」
仄に続いて私も補足する。
「や、でもそれさ、どうやってチェックするの?」
楓がそう言って、全員が首を捻る。
「まぁできないでしょうね。まさか宿題全部持って会場に行く訳にもいかないし、各学校の先生でもない限り、その宿題が本当に全部なのかも判らないし……」
「そ、そうよね」
ひとまずは安堵したように楓が頷く。でも、甘い。
「要するに、そのお達しを受けて、徹底無視するのかどうかって、良心の問題だって」
「そ、それを言われると……」
「変な強制力より質悪いわね……」
私もそう思う。運営側の人間を知っているのかいないのかでも違いはかなり有る。そしてそれが間接的であっても、だ。直接彼らを知っている私としては、少なくとも腹をくくらなければならない。どのみちやらなければならないことなのだから、早めに終わらせるに限る。とはいえ私も去年まではギリギリまで宿題をやらなかったクチだ。
「まぁでも、やる方も観る方も、何の憂いもなく楽しめる、っていうのは確かに判る話だけれどね」
そう。あぁ、宿題終わってない。でもライブも近い。あぁどうしようどうしよう、という気持ちでステージに上がりたくはない。
「まぁそうか。二四日じゃもう後半だもんね。そのころに宿題やってなかったら集中できなくなっちゃうのは判らないでもないかな」
ふむ、と腕を組んで香苗も言う。
「観る側の方がメリット薄そうだけど」
「そんなことないでしょ。出演するしないにかかわらず、宿題なんて最速でやっちゃえばあとは遊んでてもいいんだしさ」
「まぁそれもそうねぇ」
そもそも学生の本分は学業だ。それを成さずして遊び惚けていては示しがつかない。といったところだろう。もしかしたらここ数年の学力低下や青少年犯罪が多いことも問題視されているのかもしれない。もしも諒さんや貴さんがこの街界隈の若いアーティストを元気付けるために色々と行動を起こしているのならば、頭の固い大人達にある程度の指針は示しておかなければならない、ということも、あるのかもしれない。
「だねぇ」
それに私たちの音楽活動も、そうした理解のない大人達から見ればくだらない遊びと何ら変わらない。悔しいけれどそれが現実でもある。確かに夏休みの宿題を全くやっていなかったり、定期テストでろくに点数も取れないようでは何も言い訳はできない。居直ったところで出てくるのは反感だけだ。それならばやるべきことはきっちりやって、集中すべきところにきちっと注力できる環境を作るのは学生アーティストには確かに必要なことなのだろうことは理解できる。
「よっし、学校違うから全員でってのは無理だろうけど、こっちもそっちも三人いるんだし、協力して終わらせちゃお」
く、と仄が拳を作り声を上げる。
「むぅ、仕方ない。やるしかないか!こうなったらやるわよあんたたち!」
仄の言葉を受けて楓も乗っかる。本気で反対するような子がいなくて本当に良かった。
「あらほらさっさー!」
なんだそれ。
香椎家
午後三時。帰って来てシャワーを浴びて、部屋着に着替えると、ぼふんとベッドに寝転がった。このまま寝れそうだけど寝てしまったら夜になって眼が冴えてしまうかもしれない。ゲームでもしようかな。
(は!)
そうよ今ゲーム、FPO2にログインしてもしもれいと会えれば、れいがリンジくんという線は消える。リンジくんは仕事中のはずだし、いなければれいとリンジくんが同一人物だという可能性は高くなる。流石に今から宿題をやろうという気にはなれない。それに夏休みは明日からだ。
「よっしー、やるかっ!」
ごろりと転がってテレビのリモコンとゲームのコントローラーを手に取る。するとスマートフォンがぶるりと震えた。この震え方はwireだ。ホーム画面のロックを外せばwireを立ち上げなくてもメッセージの一部は読める。
『ハナちゃん今大丈夫?』
「む……」
リンジくんだ。今休仕事中のはず……。いや休憩時間か。
『もし大丈夫なら少し話したいんだけど』
むぅ、これで今ゲームにログインできればほぼ確定かもしれないのに。でもまぁ仕方ない。貴重な休憩時間に態々メッセージを飛ばしてくるほどだ。何かあったのかもしれない。
「……」
スマートフォンを操作してwireを立ち上げると、リンジくんとのトークページを開いて、ディスプレイの右下にある受話器のマークをタップする。
「もしもし」
能天気なぴんぽろぱんという呼び出し音の後、リンジくんが出た。
『あ、ハナちゃん、今大丈夫?』
「大丈夫だから電話したんだけど」
ああああ、すみません何でこんな可愛げのない言い方を!
『ん、そだね。要件はアルバイトしないかな、って』
単刀直入に用件を説明するあたり、リンジくんの方は慣れたものだ。なんかやっぱり憎たらしい。つまり状況はどうあれ、香椎羽奈は可愛げのない女と認識されてしまってるのだろう。ま、まぁ無理もないけれど。え、いや、その前に今何て?
「え?」
『バイト。なんか予定とかある?』
「え、や、ない、けど……」
聞き間違いではなかった。私がアルバイトに?リンジくんは勿論私の脚のことは知っている。でもその私ができるアルバイトということなのだろうか。
『もちろんハナちゃんが危惧してるようなことは何もないと思う』
「え、で、でも私なんて……」
やっぱり判ってくれている。でも、だとしても、多分本当に危惧しているところまで、リンジくんは判っているのだろうか。大丈夫、それくらい迷惑でも何でもない、と声をかけてくれる人が、影では何を言っていたのか、私は知っている。勿論そんな人ばかりではないことも判っている。だけれど、一人がそれを言えば、その負の感情は簡単に人に伝播する。そうして、大丈夫だからと言われた安全地帯のはずの場所で私はダメージを負う。障害と言うには軽すぎる症状だけに。
『大丈夫大丈夫』
それでもリンジくんはそういう訳で。それはつまり、私のことをよく知る人からの依頼なのかもしれない。例えば晶子さんのTRANQUIL。涼子先生のVulture。そして先日思わず啖呵を切ってしまった諒さんがやっているというお店、EDITION。あれは相手が、諒さんと貴さんが大人だったからこそ、私のことを判ってくれて、働かせてくれた。つまりそういう、私のことを知っている人に限られる。
「え、もしかして……」
『EDITION』
「え!」
寄りにも寄って予想した中では一番なじみの薄いところか。い、いやでも相手が諒さんなのだとしたら、そう言った便宜を図ってくれているような気は、しないでもない。
『EDITIONだよ』
あ、いや、聞こえてたけれど。
「それって諒さんの……」
『正確には諒さんの奥さんのお店』
あ、そう言えばそんなことを言っていた。となるとそれはどういうことなのだろう。
「わ、私にできることなんてあるのかな」
例えば簡単な清掃だったとしても、他の人と比べれば作業は遅くなる。アルバイトということは勿論時給制で、仕事の遅い私が仕事の早い人と同じ時給を貰うことに反感を持つ人だっているかもしれない。
『山ほどあるらしいよ』
「そ、そうなの?」
や、山ほど?諒さん達は正確には違う会社なのだろうけれど、今時期は忙しくて社長であろうと副社長であろうと、EDITIONが仕切っているのであろう現場仕事に勤しんでいるほどだ。もしかしたらそれと関連している可能性もあるのかもしれないけれど。だとするならば余計に私にはできない仕事なのではないだろうか。
『うん。今日僕仕事終わったら弦買いに行くから一緒に行って話聞いてみる?』
なんて下手な嘘だろうか。弦なんて今日急に買いに行くものじゃないはずだし、仮にそうだとしても十三橋の楽器店で事は済む。そもそも弦楽器のアーティストが予備の弦を持っていない訳もないし、予備が切れたのだとしても急を要するほどではないはずだ。特にリンジくんの性格なら。だからこれはリンジくんの優しさだと判ってしまう。
「え、あ、う、うん……」
もう!どうしてありがとうの一言くらい素直に言えないんだ私は!
『そんなに心配しないでいいと思うよ。何しろ諒さんに頼まれたから』
「え、そ、そうなの?」
やぱり諒さん絡みなの!い、いや、その上で、私が気を遣われることを嫌うことを知った上で諒さんがそう言うのなら、そこは信じても良いのかもしれない。
『うん。羽奈が暇なんだったら呼んで来いって』
「な、なんかそれはそれで怖い……」
でも、だとするならば、諒さんは信じても大丈夫な気がする。気遣われること自体は、嫌なことではない。だけれど、ロフストランドクラッチを持っているというだけで、何もさせてくれないことは気遣いとは違う。そこを諒さんも貴さんも判ってくれた。だからきっと、私が危惧していることは、もしかしたらないのかもしれない。
『大丈夫だってば。ああ見えて優しい人なんだから』
「う、うん、まぁそれは判るけどさ……」
ああ見えて。本当に失礼な言い方かもしれないけれど、ああ見えて、本当に大人な人たちだ。私では成り得ないかもしれないくらいの。私だけが普通と違う、と塞いでいた私のことなど、丸っと判ってしまうくらいの。多分アルバイトでの働き口が少ないことも判って上で言っているに違いない。
『ともかく、話、聞いてみるだけ聞いてみなよ』
「う、うん。そうする……」
あとは私がどうするか、だ。ここまで色んな人に気遣ってもらって、何もしない訳にはいかない。
『じゃあ七時くらいに七本槍駅で』
「あ、う、うん、判った」
(バイトか……)
気遣いを気遣いじゃないと言ってみたり、私自身が随分と我儘なのは判っている。でも私の中では一貫している。私がどういうことを嫌って、どういうことを有難いと感じるのか。それを私は会う人会う人全てに話して聞かせている訳ではない。だけれど、私が信頼できる人はそれを私から感じ取ってくれている。
それは付き合いの長さだとかそんなものは関係ない。諒さんも貴さんもまだ出会ったばかりだ。だけれど、二人とも私のことを判ってくれた。それは彼らの長い人生の中で培ってきた人との対応がそうさせているのかもしれない。仄は私という腫物を率先して治療にかかった。自分とは明らかに違う何かを、最後まで見放すことなく、関わり切ってくれた。美雪はリンジくんと出会ったことで少しずつ変わったのであろう私を自分の視野に入れてくれた。
私が何かをどうこう言う前に。
彼、彼女らは、そもそもそういう人だった。
恐らく、私が変わったかどうかは、あまり関係のないことなのだろう。だからこそ、変わらないといけないのかもしれない。
「リンジくんかぁ……」
リンジくんも然り。なんだろうな。
やっぱり、一歩踏み出さなきゃいけないんだろうな。
第三八話:関わるということ 終り
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