七本槍市 南商店街
「はー、美味しかったね、羽奈ちゃん!」
うん、眠さんが作ってくれたオムライスも正に神の味がした……。涼子先生が作ってくれたものと何ら遜色ないほどに。
「眠さん凄いなぁ……」
才能の差に思わず溜息が出てしまう。才能というのは大げさかもしれないし、実際唄とシンセサイザーでは負けるつもりは勿論ないけれど、美人度と料理の腕前は明らかに開きがある。まさにハイスペックガール。
「元々料理、上手なんだよきっと。あと涼子さんのやり方にフィーリングが合ってるんだと思うよ」
なるほど。
「そういうこともあるのか」
つまり、美人度の差は埋めようがないけれど、料理は楽器と同じだ。練習すればきっと上手くなるはず。いや、料理においては眠さんに勝ちたいとかそういうことでは一切ないけれど。ないのだけれど!
「どしたの?」
「や、リンジくんにお弁当作る約束してるんだけど、私一人じゃまだまだ人様に食べさせられるようなの、作れる自信なくてさ……」
自分で作って自分で食べるだけなら多少失敗したって構わないけれど、一応、女の見栄とでも言えば良いのか、やはり美味しいと言ってもらいたいし、美味しいものを食べてもらいたい。それも、誰かの力ではなく、自分の力で作ったもので。
「わぁ、なんか彼女っぽくてイイ!」
「ヒトゴト……」
ぽん、と手を打ち合わせて、本当に嬉しそうに美雪は言う。そりゃああんたは可愛らしいし料理も上手だし、その辺の気苦労なんてないだろうけれどもね。
「そ、そんなことないってば!じゃあ特訓しよう!キーボード色々教えてくれたし、わたしが料理教えてあげる!」
ぱたぱたと手を振りつつ言った美雪の言葉に飛びつく。
「お!マジ?」
「まじまじ!」
「やった!」
以前みんなにお弁当を作っていった時にも手伝ってもらったけれど、いや、わたしが手伝ったくらいだったけれど、本当に美雪は手慣れていて、普段から料理をしているのだろうことは私にも良く判った。美雪の協力を得られれば鬼に金棒。待っていやがれ永谷リンジめ。
「ていうか、お母さんは?」
うんまぁ、この手の相談ではまず一番に出てくる存在よね。前のお弁当の時だってやっぱり色々やってもらったし。だけれども。
「や、まだ彼氏できたって言ってない……」
「そ、そうなんだ」
正直いつ母親にそれを言うべきなのか全く想像がつかない。
「まぁ私こんなだからさ、色々苦労かけたぶん、言っちゃうと是が非でもしがみ付いて結婚までこぎつけろ!とか言われそうでさ」
「それは、ちょっと重くなっちゃうね」
私の脚のことを考慮してくれているのは判るし、娘の恋愛に反対する親よりもよほど良いけれど、まだ十六年しか生きていない私に結婚だ何だと言われても何も決心なんてできないし、それはリンジくんだって同じだろう。もちろんこのままきちんと想い合って、たくさんお互いの理解を深め合って結婚出来れば一番だけれど、まだ付き合い始めて数週間だ。一年、二年付き合えばもしかしたらそんなことだって考えるかもしれないけれど、ともかく学生の内はそういうことはあまり考えたくはない。
「そうなのよねぇ……。え、あれ何?」
vultureから駅へと向かう道の途中。何かが道に横たわっているのが見えてしまった。い、いや物の怪やら妖怪やらの類ではない。そんな訳が有り得ない。信じない。例えセーラー服を着た中学生の男の娘が目の前に浮いていたって信じない。
「ひっ」
私が指差した先を見て、美雪が私にしがみ付いてきた。こ、こら、ロフストランドクラッチは武器じゃないのよ。
「人?」
暗がりではっきりとは見えないけれど、人が俯せに横たわっているように見える。モゾリ、とそれが動いた。
「ぐ……」
人が苦しそうに呻く声。その声に少しだけ聞き覚えがあって。
「まさか、栄吉?」
「お、あ……」
倒れたままで顔だけこちらに向けるその人物。
「やっぱり栄吉だ。うわ何その顔……」
街路灯の明かりだけでも判る。ぼこぼこに殴られた跡が栄吉の顔にはあった。一発や二発でこうはならないだろう。と、なると……。
「え、もしかしてまたあの覆面の人にやられた、とか?」
「や、それはち……。そうかも」
一度栄吉がファイヤーマスクにコテンパンにされているところを見ているからなのか、そんなことを美雪が言い出した。一瞬違うと言いかけて慌てて止める。今日はリンジ君もバンド練習のはずで、ここに現れるには少々無理がある。となると、栄吉をやったのは必然的にファイヤーマスクではないということになる。
「す……」
「え?」
喋るのも辛そうな声で栄吉が何かを言う。
「すんません……」
「は?」
何故謝るのか、意味は解らない。だけれどこの状況から推測はできる。
「もう、関わらねっす……」
「あれから関わってきてないでしょ。お灸据えられたんじゃないの?ともかく、ちょっとそこの壁にでも寄っかかりなさいよ」
「……すんませ……」
もぞもぞと動きながら、栄吉はどなたかの家の壁にもたれかかった。あまり長居せず、大きな声は出さないようにすれば大丈夫だろう。
「別に謝んなくても良いけど」
今私と美雪が何かされた訳ではない。だけれど、何か栄吉の中で謝らなければならない何かがあるのだということは判る。
「何か、おかしいね」
「何でこんなところでそんな酷い顔して寝転がってるのよあんたは。ちゃんと話してみてよ」
「……」
俯いたまま無言。ということは私たちにとっては良くない話だ。それだけでも大体の予想はついてしまう。
「もしかして私たちがいると思って公園行った?」
私の言葉に栄吉は小さく、だけれどはっきりと頷いた。つまり、ファイヤーマスクの恩情を無視して、再び私に報復に来たという訳だ。
「やっぱり……。またなんかしでかそうとしたわけね」
「すんませ……」
そうかそうか、そんなに腹に据えかねていたか。でもそんなことに拘ったから今、そうなってるんだと判らなければきっと何回だって繰り返す。今回は怪我で済んだかもしれないけれど、私の思い付きが正しかったとするとそのうち怪我では済まなくなる可能性だってある。
「それはいいから!それで?」
今の栄吉がどういう思いで謝っているのかは知らないけれど、この件に関しては正直、私たちには全く関係のないことだ。その場しのぎだって、本当に反省しているにしたって、今謝られたってこの状況が良くなることはないし、このまま栄吉を捨て置く訳にはいかないんだから。
「こ、公園、行っても、あ、あんたらが、いなかったんで、か、帰ろうと思ったら五、六人に、囲まれて……い、いきなり」
「襲われたの?」
「……」
無言で頷く栄吉。ファイヤーマスクに折檻されたときに大人しくしておけばこんなことにはならなかったというのに。以前私を襲いに来た時、ファイヤーマスクにコテンパンにされた後、ファイヤーマスクは栄吉を見逃して、暴走族のリーダーにも連絡はしていなかったはずだ。いや、連絡くらいはしたのかもしれない。それで多分栄吉に見張りがついた。
「はぁー……」
「羽奈ちゃん?」
「自業自得じゃないの」
私が言うと栄吉はまたしても小さく頷く。それが今は判っている、ということだろうか。
「そ、それで多分、ま、前と違った青い覆面の奴が割って入って、と、止めてくれ、て……」
青い覆面……。赤がファイヤーなら青は何だ。水や氷、時にはそう、雷のイメージでもある。雷というと黄色のイメージが強いから、サンダーとかライトニングとか。まぁそれはともかく、つまり、恐らく、割って入ったのはサンダーマスク。先ほど、EDITIONで死ぬほど退屈そうにしていた人の顔を思い浮かべる。
「なるほど……。それで、ここまではしてやるけどあとは自力で何とかしろ、とかそんなこと言われた、と」
「っす……」
私たちがEDITIONを出る直前、wireが飛んできて、とてつもなくつまらなそうな顔をしていたのは、きっとこのことで貴さんに連絡が行ったのかもしれなかった。
「まったく!」
ふん、と鼻息を荒くして、私は少しだけ声を高くした。びくりと体を震わせて、ぼと、と左腕が地面に着く。
「あ!いっ!」
「うわちゃー。……それ、大丈夫なの?」
ものすごい痣になってる。痣というより内出血か。青黒く膨れ上がってもの凄く腫れ上がっているように見える。
「め、っちゃくちゃ、痛ぇ、っす……」
地面に着いた腕を右手で持って、自分の体の脚の付け根辺りに乗せなおす。痛くて動かせないのはすぐに判った。
「お、折れてるかも……」
「どうする?救急車呼ぶ?」
「い、いや……」
「だよね」
騒ぎを大きくしたくはないだろうし、お金だってかかる。歩けるようになるまで休んで、帰るつもりだったのかな。でも私たちが見つけちゃった以上、放って置く訳にはいかない。となれば、迷惑をかけてしまうことになるけれど、取れる手段は一つしかない。
「一個だけ確認したいんだけど、良い?」
「……」
小さく頷くのを確認して、私は口を開く。
「あんたが羽原君と学校に来た時、私が言ったことに色々ムカついてんのは判るけど、見ての通り私は普通に歩くのもちょっと苦労する人間よ。そういう、そもそも腕力じゃ敵わない女を、ぶちのめしたいわけ?」
「……」
無言。首は縦にも横にも動かない。きっとぶちのめしたかったんだろうな。私を好きなだけぶん殴って蹂躙したかったのだろう。
「や、まぁそうだからあんなことしたんだろうけど、あそこでリ……覆面の人にぶっ飛ばされて、多分チームの人にもお灸据えられて、それで余計にムカついてどうにかしたいと思ってて、こうなったの、何でか考えた?」
あの時、ファイヤーマスクは栄吉を見逃した。恐らく暴走族のリーダーには「こんなことがあったけれど、あんまりいじめないでやって」くらいのことはリンジくんならば言っただろう。だから、調子に乗った。チームのルールを破ったところでこんなものか、と。自分よりも強い人間の言葉も、自分より目上の人間の寛容さも馬鹿にして。
「私はねぇ、あの時、ムカついてたのもあったし口調はかなりきつかったと思うけど、間違ったことなんか言ったつもりはこれっぽっちもないわよ」
特に実害はなかった。先生や同級生に何か言われるかとも思ったけれど、元々私は札付きだ。触らぬ神に祟りなし、と言ったところなのかもしれないけれど、それだって表立ってはいないだけで、香椎羽奈と榑井美雪は暴走族と付き合いがある、だなんて思っている人だってきっといるはずだ。
「最低限、善悪の区別、誰にどんな迷惑がかかるのかを知って欲しかったのよ」
あんな格好で、あんな煩い音が鳴るオートバイで、注目を浴びることが気持ち良いのかもしれないけれど、それが自分たちだけだと判って欲しかったし、自分たちに向けられた視線が、羨望ではなく批難の目だということを知って欲しかった。そしてそれに巻き込まれた人間がどんな思いをして、そのあとどんな風に過ごすことになるのかを想像して欲しかった。
「羽原君は、それを判ってたよ」
美雪がそう優しく声をかける。羽原君はあの後、制服姿で改めて私と美雪に謝ってきた。自分の姿格好が誰にどんな影響を与えるのか、それを判っていなかったとしても、少なくとも、私や美雪が迷惑を被らない形を自分なりに考えて謝罪に来てくれた。謝罪なんていうのはただの言葉だ。ただの言葉だけれど、それでも、自分が謝罪しなければならないと感じ、それを態度に示すことで初めて意味が生まれる行為だ。だから私は、謝れと言われてから謝ることに意味はないと思うし、自ら考えて謝りに来てくれた羽原君の謝罪の気持ちを受け入れた。山本だってそうだ。山本だって何を謝りに来たのかを、自身でしっかり判っていて、美雪と私に謝ってくれた。
「そうね。だから、あんな大怪我をするって判ってても、チームを抜けた。あんたと同じようにはなりたくないって思ったから、でしょ」
反応しない栄吉に更に私は続ける。
「私にも羽原君の怪我のことは責任がある。だから、お見舞いにも行ってるし、羽原君が退院出来たらちゃんと友達として付き合いたいって思ってる」
それが、羽原君に対して何もできなかった私の責任の果たし方だ、って今は思う。
「でも、今、栄吉君はこんなだよ」
「……」
美雪も私に続く。やっぱり美雪は優しい子だ。だから私は思い切って怒ることが、いや叱ることができる。
「自分と違うものに対して憤りを感じたり、ムカついたりするのは判るわよ。私だってあんたにはムカついてるし。でも、そういうのがあって、変わってくものだってあるでしょ」
聞いているかどうかすらも判らない。もしかしたら栄吉に対しての憤りをぶつけてしまっているだけなのかもしれない。でも言いたいことは全部言っておく。言わなかったことで後でもやもやするのは嫌だから。でも、前みたいに感情をぶつけたりはしない。きちんと言葉を選ばなければきっとまた栄吉はむかつくだけで鼬ごっこだ。
「別にあんたが関わらなきゃいいって思うけどさ、でもホントは羽原君みたいに大怪我しろなんて言えないけど、でもあんたも私らの音楽とか聞いてさ、ニコニコ笑顔でいられたら、それが一番なんじゃないの?」
音楽が嫌いな人間だっている。そういう人に無理に聞いて楽しめだなんて言えない。音楽が嫌いなら嫌いで構わない。私のことだって嫌いだって構わない。だけれど、それでも、羽原君がそうしてくれたように、私たちのライブを見てみたい、って言ってくれたら、私だってきっと美雪だって嬉しいのに。
「う……」
一言呻いて顔を上げた栄吉の、晴れ上がった目には涙が滲んでいた。これには私もちょっと驚いた。
「ちょ、何も泣くことないでしょ!」
全く、こんな私の説教一つで泣くくらい素直なところがあるのなら、初めから素直に……。なれないから今こんななのか。まったく!
「すんませんっした!まじで!くっ……」
座ったまま頭を下げたのが怪我に響いたのか、栄吉が苦しそうに呻く。
「ちょっと待ってて……」
スカートのポケットからスマートフォンを取り出して、すぐにリンジくんに電話をかける。
「い、痛そう……。大丈夫?」
泣いているのか、痛さで呻いているのか判らないけれど、とにかく今の栄吉が苦しそうなのは明白だ。
「うっ……。ホントに、すんませんっ」
「う、うん、もういいから……ね?」
しゃがみこんで美雪が優しく言う。うんうん、私は別に栄吉になんて好かれなくても構わないけれど、私があれだけ言ったんだから、フォローも必要だ。任せた美雪。
程なくしてリンジくんが電話に出てくれた。
「あ、リンジくん、急にごめんね。今大丈夫?」
『うん、大丈夫だけど、どうしたの?今日は練習だったよね』
注意深くリンジくんの声を聴く。とくに騒がしい様子も忙しい様子もないような気はする。
「そうだったんだけど、練習終わってvulture寄って、帰ろうと思ったら栄吉がボロボロにやられて道で倒れてて……」
一気に状況を説明する。
『え!な、なんで?』
まぁ、そうなるわよね。
「多分お灸の据え方が足りなかったんじゃない?チームの人達の上位互換の人達っぽいのにどうもやられたみたいで、多分途中でた……サンダーマスクに助けられたっぽい」
上位互換というのはいわゆるチンピラや、上位組織に属する会の構成員。いわゆるヤクザ的な人たちのはず。チームメイトだったのならば栄吉がそう言うだろうし、サンダーマスクならソチラ側と通じていても私は別段驚かない。逆に通じているからこそ、そのチンピラたちが途中で止まって、サンダーマスク、いや水沢貴之の説得に応じたのだろうと睨んでいる。
『なるほど……。怪我の具合は?』
私の考えを察してくれたのか、リンジくんは私を促す。
「腕、折られてるっぽい。あと歩けないみたい」
『判った。車でそっち行くね』
「ほんとにごめんね」
折角のお休みの日だったのに。私ですらちょっと会いたいの我慢してゆっくりしてもらおうと思ったのに。
『や、栄吉君の件は僕にも責任がある。少しだけ、待ってて』
そう、言うよなぁ、リンジくんなら。この結果を見てしまえば甘かったのかもしれないけれど、私はあの時のファイヤーマスクの、リンジくんの判断が間違っていたとは思えない。あそこまで公衆の面前で痛めつけられて、これ以上関わろうものなら次は容赦はしないと注意までして、それを馬鹿にした結果がこれだ。だから、リンジくんが罪悪感を感じる必要はないし、だからと言って二度とこんな気を起こさないように、と手心を加えることなく痛めつけて欲しいとも思わない。
「うん、慌てないで、気を付けてね」
『ありがと、じゃ』
そう言って通話を終える。なんでこんなバカ栄吉のために貴重な通話時間を費やさなければならないんだ。回復したら覚えとけバカ栄吉め!
「ホントに反省してるみたい……」
通話を終えて美雪の隣にしゃがみ込むと、美雪が心配そうな顔でそう言った。
「ま、それは理解しましょ。今リンジくん呼んだから、とりあえずどっか病院には連れてくからね」
流石に自然治癒を待っていては治るものも治らないだろうし、いくら栄吉でも後遺症が残ってしまったら流石に可哀想だ。
「うす……」
ふむ。素直なのは宜しいけれども、そう言えば前に学校に来た時もやったっけ。まずは言葉遣いから。
「はい、でしょ!」
「は、はい……」
第五五話:因果応報 終り
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