七本槍市 七本槍南商店街 楽器店兼練習スタジオ EDITION
「いよっし、羽奈ちゃん、終わったよ!」
ウィーンと自動ドアが開いて美雪が顔を出した。仕事が終わったらタイムカードを押すので事務所には顔を出す。今日は美雪と七本槍公園で演奏をすることにしていたので、楽器持参で来たのだけれど、まだ私の仕事が終わらない。
「えっ、ちょっと待って!」
発注書はあと三枚。寄りにも寄って面倒なタイプのやつだ。急いては事を仕損じる。ここは落ち着いて……。
「わ、わたしも手伝えることある?」
「ない!」
というより、美雪は自分の仕事をきっちり終えてきている。これは私の仕事だ。私の責任として私の手できちんと終わらせなくちゃ。
「うぅ……」
「ちょっと休んでて」
美雪はこの二週間でもう体力が付き始めていて、最近ではヘロヘロになるようなことが少なくなってきていた。可愛い顔してなんと逞しい女なのだろうか。
「あぃー」
はふぅ、と一息つきながら、ソファーに腰を掛ける。体力が付いてきたとはいえ、やっぱり疲れているのは変わらないんだろうな。
「どうしたの?」
私と美雪の慌てようを見てか、歩美さんが声をかけてくれる。
「あ、いや、この後公園で演奏しようと思ってて……」
美雪が腰かけているソファーの脇に立てかけてある私のシンセにチラ、と目をやる。
「え、じゃあわたしやってあげるよ」
「だめです!」
これは私の仕事なのだ。そもそもは歩美さんがいつもやっていることなのかもしれないけれど、歩美さんがやった方が早いのかもしれないけれど、でも今は私の仕事だ。
「は、はい……」
し、しまった私としたことが。ちょっと強めに言ってしまった。
「あ、す、すみません生意気なこと言って!でも私の都合なので歩美さんの手を煩わせる訳にはいきません!」
それに歩美さんは歩美さんの仕事がある。受注したものと一緒に付ける納品書の作成。お客さんに渡す分とEDITIONで保管しておく控えが綴りになっているものだ。
「ふふ、判ったわ、じゃあお互いに頑張って終わらせちゃいましょ!」
「はい!」
いょっし気合だ!
発注書の入力をして、二回見直した。そして残った書類はないかも確認した。全部確認してタイムカードを押して、ロビーに出ると、丁度莉徒さんが帰ってきたところだった。今日は上野の野外音楽堂でライブがあったので、一日そこに張り付いていたらしい。ライブはまだ終わる時間ではないけれど、とりあえずかたは付いたのかな。
「あ、あれ羽奈、美雪、上がり?」
「莉徒さんお疲れ様です!これから中央公園です!」
くい、とサムズアップして背負った楽器を見せる。
「え!何それずるい!」
「ずるいと言われましても……」
莉徒さんが私たちの演奏を聞きたかったのか、自分も出たかったのかは判らないけれど、どちらにしても莉徒さんの反応はちょっと嬉しくなってしまう。
「何時!」
見たかったのか。もっと嬉しくなってしまうなぁ。
「や、ゴハンしてからなので正確には……」
美雪が言って人差し指を顎に当てる。女の子らしい仕草だ。見習え羽奈。
「八時過ぎくらい?……途中で抜けて戻ったとしても……。今日は無理かー!」
うあー、と頭を抱える莉徒さんを見て余計に嬉しくなってしまう。そんなに見たいと思ってくれるなんてミュージシャン冥利に尽きるというものだ。しかもあんなに歌もギターも上手い人に。
「ま、また今度!」
あまり遅くなってしまうと演奏できなくなってしまうかもしれない。莉徒さんの気持ちは本当にありがたいけれど、ここは心を鬼にして。
「あいよー、がんばれー!」
意外と軽いな!
「ありがとうございます!」
七本槍市 七本槍中央公園
「……あれ」
中央公園に付くと、藤木君の隣に山本がいた。美雪も気付いたらしく、小さく声を上げる。
「……無視しときなよ。ここに来るのは自由なんだし」
ここは公園で私有地ではない。気分的に気に入らなかろうと私たちが文句を言える筋合いはどこにもない。それも山本の目的に依っては、だけれど。
「う、うん」
「あ、榑井さん、香椎さん」
「こんばんは、藤木君」
藤木君が私たちに気付いた。今日も聞きに来てくれたのか。でもやっぱりなんか、何だろう……。今日も好きな人に会えた!嬉しい!という感じがしない。しないけれど、そんな感じ、私もリンジくんと会えても出してはいない気がする。うーむ。
「よぉ」
所在なさげに山本が視線を合わせずに言ってきた。ほう、自ら挨拶をしてくるとは。何か思うところでもあるのだろうか。
「誰か知り合いでも出てるの?」
ちょっと攻撃的な言い方になってしまった。でも山本に良い印象を抱くのがまだ難しい。
「いや、お前らの演奏聞きに来た」
「へぇ……。美雪にあんなこと言っといて」
半分は予想していた。楓にもそんなことを言っていたみたいだし。だけれど、それがどうした。一人の人間の心に傷をつけておいてそれを無かったことにしようなんて虫が良すぎる。
「羽奈ちゃん」
美雪が咎めるような声を出す。美雪は人が良すぎるんだ。それが美雪の美徳でもあるのだけれど、それで美雪が傷ついてしまっては本末転倒だ。
「いや、それも謝ろうと思って。榑井、ごめんな」
なんと。そんなに素直に出てくるとは予想していなかった。なんとなく、国井とは考え方が違うのかも知れないということは以前から気付いていたけれど、ここまで来るともう反目しているのではないだろうか。別に山本と国井がどうなろうと私の知ったことではないけれど、山本個人が気持ちを入れ替えて、というか、自分がしたことを悔いて謝っているのだとしたら、私だって考えは変わる。だけれどそれは美雪がこの謝罪を受け入れるかどうかだ。
「え、あ、う、ううん……。わたしは、もういいよ……」
あぁそう、受け入れるのね。
「……ちょっと気になることがあるんだけど、いい?」
美雪が受け入れたんならもうとやかく言わないわ。だから私が気になっていることを訊いてみる。この答え如何では私の態度もまた変わるかもしれない。
「お、おぅ」
「今日はいないみたいだけど国井は?」
それでもきょろきょろと辺りを見回す。どこかに隠れてる、なんてことはないだろうけれども。
「俺は、もう奴とは付き合ってない」
「え、そうなの?」
反目どころか断絶か。これはまた穏やかではないのかもしれない。
「あぁ。奴は……まぁ俺もだけど、先輩のバンドのリーダーの言いなりんなってたっつーか……。その先輩がどうも香椎のこと気に入ったみたいで、メンバーに入れたいとか言い出して」
「そんなこったろうと思ったわ」
そのリーダーとやらもどこかで私のことを見知ったのだろう。自分で言わないで後輩に言わせるその根性からして気に入らない。それを知った以上、今更直接言われたって協力なんてする気はないけれど。
「俺はそもそもあんまその先輩好きじゃなかったんだけど、まぁ言うこと聞かざるを得なかったっつーかで、ちょっと言いなりんなってたことあって、お前等に迷惑かけた。……ごめん」
そう言ってもう一度山本は頭を下げる。……嘘はない、と思う。そう信じたい。直感でしかないけれど、美雪が謝罪を受け入れた以上、ここでそれを受け入れないで突っぱねることにあまり意味はない気がする。
「そっか。じゃあもういいわ。私もこれで手打ち」
「え、い、いいのかよ……」
私があっさり折れたからなのか、山本は少々面食らった顔でそう言ってきた。自分でも謝罪を受け入れてもらえるとは思っていなかったのだろうか。
「え、じゃあなんで謝ったの?」
笑顔になれているかは、判らない。けれどいっそ晴れ晴れとした気持ちになって私は言い返してやる。
「そりゃ迷惑かけたし、悪かったと思って……」
そりゃそうでしょう。
「だからそれで良いって言ってるの。悪いと思って謝ってくれたんなら私もその謝罪は受け入れるわよ」
「そ、そうか」
ちょっと上からの言い方になってしまったかもしれない。でもそれが私なんだ。ごめんよ山本。とは口には出さないけれど。
「で、国井とかその先輩とやらに酷いことされてないの、あんたは」
「まぁ、今んとこはな」
私が気になっているのはそこだ。楓だって元いたグループとは疎遠になってしまった。今は私たちや仄たちも仲良くしてくれているし、元いたグループから何か嫌がらせを受けている訳でもなさそうだし、結果的には良かったのかもしれないけれど。結果が悪ければそこではいそうですか、とも言いにくい。
「……もしなんかあったら教えて。何とかできるかもしれないから」
「お、おう」
最悪リンジくんの力を借りられれば何とかなるかもしれない。もしも山本が変な報復を受けてしまうようなことがあれば。の話だけれど。
「あと、楓になんか言ったのは?」
「まぁ立場的に同じっつーか、悪いことしたけど、なかなか言い出せないみたいだったから、思い切って見に行ってみれば、つっただけ」
人に言うのは、簡単だったけどな、と呟くように山本は付け足した。
「そっか……。国井はどうなの」
「あいつはその先輩に心酔してるっつーか、まぁ離れるとか多分考えてないだろうな……。確実に俺より可愛がられてたし」
なるほどね。つまり迷惑をかけたとか悪いことをしたとか、謝る気だって更々ない訳だ。
「何か暴走族とかヤクザとかとつながりあったりすんの?」
「……あるっぽい」
最悪の馬鹿の顔が脳裏を過る。まさか繋がりでもしていたら……。い、いやあの時、ファイヤーマスクにコテンパンにやられた後、一切の干渉がない。それは良いことだし、もしも栄吉の馬鹿との繋がりがあったとしても、ファイヤーマスクのお灸が効いているのかもしれない。だとするならば態々リンジくんを頼りにしなくても良いはずだ。自分で口に出しておいて何だけれど、あまりリンジくんをこの手の話題に巻き込みたくはないし。
「とりあえず……。なんかあったらすぐ教えなさいよ」
「な、何で香椎に……」
そりゃあそうね。でもリンジくんのことを全て話してやる儀理なんてない。そもそもこの件は自業自得でもある訳だし、助け船を差し出してやる儀理だって本当はありはしない。でも、だけれど、私に関わってそんな目に遭っているのだとしたらそれは、見過ごすことはできない。
「前にあんたと国井が話しかけてきたとき、男の人いたの覚えてる?ちょっとのほーんとしてすっとぼけた感じで糸目の……」
「ヒドくない?」
いきなり背後から、しかも耳元でリンジ君の声がした。
「ぎゃー!リンジくん!立ち聞きなんて悪趣味ね!」
ぞわわわ、と全身に鳥肌が立つ。ぶおん、とロフストランドクラッチが空を切る。
「何で避けるのよ!」
「何で叩くの!ていうか隔てるものもなく、ここは公園で、ハナちゃんと美雪ちゃんがいたら近付きもするよ!」
尤もなことを言う永谷リンジ。だけど私を辱めようとした罪は重い!
「リンジくんこんばんは」
ふーふーと鼻息を荒くする私を他所に美雪が呑気に挨拶をする。
「や、美雪ちゃん。で、僕が何だって?」
ま、まぁこの復讐はいつかするとして、ともかく話しておかなければならないことは話しておこう。美雪に変にぼろを見せたくないのもあるし。
「や、前にこの彼ともう一人、私のこと勧誘しに来たことあったでしょ」
「あぁ。あったねぇ」
流石にリンジくんも覚えてくれていたか。
「なんか暴走族とかに繋がりのある先輩に言われて、ちょっと逆らえなくてやったんだ、って、今聞いたの」
「なるほどー。その先輩とやら、名前は判る?」
呑気だなぁ……。まぁリンジくんほどあっちの世界に政治力的なものを持っているとなると、それも頷けるけれど。でもそれだってリンジくんが関わったチームの人達だけであって、そのリンジくんと関係しているチームと敵対している人と関わっていたとしたら、リンジくんの言葉は通じないはずだ。
「えと、井上浩二、です」
「井上浩二君ね。おけおけ。ちょっと当たってみるよ」
そんなお気楽に言ってしまって大丈夫かな。もしもリンジくんが元いたチームと敵対する側にいるような奴だったら、一筋縄ではいかないのではないだろうか。
「ま、まぁ今美雪のこととかも色々悪いと思って謝ってくれたから、さ……」
それでも、リンジくんが危ない橋を渡る様なことがあるのなら、無茶はしないで欲しい。
「みたいだね。ハナちゃんと美雪ちゃんがそれでいいなら、別に僕は何も言わないよ」
「うん」
にこ、と笑顔になってリンジくんは言う。あ、そうか。もしもリンジくんの手に余るとしても、まだ諒さんや貴さんがいるのか。い、いやでも二人はプロのミュージシャンだし、だからこそ、ミュージシャンたちへの目に余る嫌がらせ行為の防止を、顔を隠してまで行ってきたのだ。表立って何かができる訳ではないような気がする。そして、表立っては出来ないからこそ、裏側から何かができるということも、有りそうで怖い。
「あ、わたしも」
まぁ私としても美雪が納得しているのならそれで良い。だけれどできることならファイヤーマスクが出動するなんて事態は避けて欲しい。私が言いだしてしまったことではあるけれど。
「でもリンジくん、無茶だけはしないでよね……」
「もちろんだよ。僕は臆病だし痛いのは嫌なんだ」
痛いのが嫌なのは誰でもそうだと思うけれど、臆病だなんて。
「どの口が……」
「ん?」
珍しく糸目を見開いて私を見る永谷リンジ。凄い怖いんですけど、その顔。
「なんでもない……」
「そ」
見開いた目がへにゃと糸目に戻る。さて、ここまでで全くの無反応、無関心にも見える藤木何某。
「……」
山本から事情を聴いているのだとしても反応が薄すぎる。ここまで相槌しかしていない。ともすればその存在を忘れてしまいそうなほどだ。本当に美雪のこと好きなのかしら……。
「……どしたの、怖い顔して」
む、寄りにも寄ってリンジくんに変な勘繰りをされてはたまらない。笑え私!にっこりスマイル!
「え!怖い顔なんてしてない!これから演奏だし、めっちゃスマイル!」
「へたくそか……」
ぺち、と手の甲で私の肩を叩いて遠慮がちに突っ込むリンジくん。い、いや多分巧く笑えてないわよね。でも。
「なに?」
ぐに、とリンジくんの頬をつまみ上げる。
「なんれもないれふ」
「よろしい」
ぱと手を離すと、リンジくんは頬をさすって続けた。
「……ま、まぁ力になれるかまではちょっと判らないけれど、ともかく調べてはみるよ。そっちの世界に何人か知り合いがるからね」
「あ、は、はい」
ぺこりと山本は頭を下げる。意外と素直な奴なのかもしれない。まぁ仲良くなりたいとは今のところ、思わないけれど。
「リンジくんもホント、無理はしないでよね」
「それはま、勿論。怪我なんてしたくないし、してる場合じゃないしね。危ない橋は渡りません」
直接リンジくんが手を下したり、なんていうことはないだろうけれど、何をどう逆恨みしてくるか判らないような奴が、栄吉以外にだっているような気がする。あいつの馬鹿は半端じゃなかったけれど、ああいうやつが集まるのが暴走族なんじゃないのだろうか。リンジくんも羽原君もきっと例外中の例外だと思う。
「それならいいんだけど……。さ、じゃあ準備しよっか、美雪」
「うん!」
第四五話:謝罪の意味 終り
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