七本槍市 七本槍中央公園
準備も終えて、缶コーヒーを飲みながら、谷崎さんと水沢さんに色んな話を聞かせてもらった。
その殆どは取るに足らない話のような気がしたけれど、その言葉の端々に学ぶもの、というよりは、私自身が考えるべき事柄があったように感じた。なんとなく、私や美雪の成長そのものを妨げないための、彼らの気遣いもあったように思えた。
それはまるで自分たちが老害であることを悟るかのように、いや、わざとそう振舞って私たち自身に考えさせるために、そんな姿勢を見せているようにも思えたのだ。
色々と考えを巡らせている間に、アーティストがチラホラと姿を見せ始めたので、谷崎さんと水沢さんは機材のセッティングをはじめている。そしてそこに樋村夕衣さんがギターケースを持って現れた。
「あ、羽奈ちゃん美雪ちゃん!来てくれたの?」
私よりもいくらか背が低いというか、体躯が小さいせいかギターが大きく見える。相変わらずの可愛さだ。女としては三〇歳を超えてもこの若さを保てているという点でも是非とも見習いたい。そういう点で言えば涼子先生もそうなのだけれど、何と言うか、涼子先生のアレは人外魔境コブの秘密を見ている気がするので、涼子先生はノーカウント。
「樋村さんこんばんは!」
「こ、こんばんは!」
いけないいけない。挨拶を忘れてしまうところだった。私に続いて美雪も言う。こういう時はまだ引っ込み思案なところが出てしまうんだろうな。でもそれも美雪らしいけれど。私に続いてとは言えきちんと挨拶できたのだし、樋村さんが気分を害していなければ問題はないでしょう。
「夕衣さん、こんばんは」
「リンジくんもありがとうね」
リンジくんも私たちに続く。
「今日はお一人ですか?」
「うん、莉徒は仕事忙しいみたいで。あ、でも今日は歩ちゃんが来るらしいよ」
なるほど。でも落胆する要素はない。樋村さんの一人の演奏が、柚机さんとのデュオに劣る訳ではないから。あのデュオはとても素晴らしかったけれど、二人で歌うものなのだ。ソロで歌うものとは違う。わたしが美雪と一緒にやるようになってから、それは特に良く判るようになった。別物とまでは言わないけれど、何を中心に置いて聞くかは若干重点は違う気がしている。
「みたいですね。歩さんの演奏も楽しみです」
歩さんの声はバンド演奏の中で抜群に光り輝く力がある。あれをそのまま弾き語りの歌い方に持ってくることは難しいだろう。だけれどそこは当然そのままではないだろうし、どんな歌い方をするのかとても楽しみだ。
「歩ちゃんと眠ちゃんの演奏も凄く素敵だよ」
樋村さんのお墨付きとはなんと羨ましい。でもそうなんだろうな。バンドのライブを見た時でもそれは感じた。
「おーユイユイ!」
作業を終えたのであろう水沢さんが戻ってきて声をかけてきた。いやユイユイて。
「ユイユイゆーな!貴さん、諒さん、こんばんは」
突っ込みと挨拶が同時!私も是非とも身に付けた……。いや、どこで使うのそんなの。
「おーぅ。久しぶりだな。それにしても三〇なっても可愛いなぁ夕衣は」
「い、いやもう流石に……」
樋村さんの方もそれなりに付き合いが長いのだろうか。水沢さんや谷崎さんとの対応に随分と慣れているようだった。樋村さんは謙遜しているようには見えないけれど、その言葉自体が樋村さんの口から出ていることに謙遜を感じてしまう人もいるかもしれない。だって本当に三〇歳には見えないもの。
「そそそそんなことないです!」
「うわ、びっくりした!」
美雪が急に大声を出すものだから樋村さんが目を丸くした。
「あ、すすすすみません!」
「あはは、ありがとね美雪ちゃん!」
ぐ、とサムズアップして樋村さんが応えてくれる。こういう対応にも慣れているのかもしれないけれど、何となくまんざらでもなさそうな樋村さんが可愛い。
「誰もやらないのかな?ならわたしやっちゃおうかな!」
演奏する場を見て樋村さんは言った。何組かはアーティストがいるのだけれど、樋村さんの言う通り、誰かが率先して演奏をする感じはしない。見に来てくれる人との時間の都合もあるだろうから仕方がないと言えば仕方がないけれど、時間を持て余すのがもったいない。私たちが演奏している十三橋公園では人が少なければ二度演奏するアーティストだっている。
「おーぅやれやれー。夕衣の唄、久しぶりだー」
電子煙草を手にパタパタと手を振る代表取締役二名。-P.S.Y-の二人でも樋村さんの曲は楽しみなんだなぁ。やっぱりすごいな、樋村さんは。
「頑張って下さい!」
「ありがと!」
「参上仕った!」
「来たな武士」
樋村さんがマイクやギターのでセッティングを始めた途端、一言で判るセリフ回しと声。伊月歩の登場だ。
「そこに見えるは水沢貴之、谷崎諒!そして香椎羽奈に榑井美雪!それとリンジさん!」
「何で僕だけさん付けなんだろ」
言ってベコリ、と会釈する歩さん。前に会ってからそれほど時間は経っていないけれど、今日も素晴らしく可愛い。少し髪、切ったのかな。とても似合っている。
「そうだぞ歩!リンジも呼び捨てじゃないと不公平じゃないですか!」
リンジくんの言葉に即座に反応する水沢さん。おれらもさん付けだろ!の逆ベクトルなのが何と言うか、人となりを表している気がする。つまり呼び方でもさん付けされるのも嫌なのかな。そういう訳にはいかないだろうけれど。
「や、でもフルネーム知らなかったのでつい」
てへぺろり、と頭をかく歩さん。今日は眼鏡をしていない。眼鏡の歩さんも知的美少女な感じがして可愛いけれど、やっぱり眼鏡をしていない歩さんもすごく可愛いな。
「あ、そういうこと」
「納得することですか?」
あっさりと水沢さんが納得するのに驚いて、思わず突っ込んでしまった。本当に思わず、だった。危ない危ない。
「まぁ歩に関してはその程度でいんじゃないですかね」
クスクスと歩さんの後ろにいた綾崎さんがお上品に笑った。本当にこの人、私よりたった一歳上なだけなのよね……。
見るからに美人なのだけれど、目が大きいからなのか、どこか可愛らしさも残っていて、大人過ぎるイメージがない。その優雅な美人さ加減を演出しているのが、肩でふわりと弾むゆるふわウェーブ。顎のラインはしゅっとすっきりしていて、そのあたりが少し鋭さを醸し出しているせいか、何となくだけれど、近寄りがたい雰囲気もほんの少しだけ感じる。
「雑ぅっ!」
そんな私の勘繰りなどまったく無用のものだとばかりに歩さんが目玉をひん剥いて綾崎さんに詰め寄った。
「お、眠。相変わらずやんなるくらい美人だなぁ」
谷崎さんが言って笑う。確かにやんなっちゃうくらい美人だ。背も高すぎるほど高くはなく、とは言え低くはなく、出るところは出て、引っ込むところは見事に引っ込んでいる。何食べたらこうなれるのかしら。
「こんばんは。勝手にやんならないでください」
ふ、と表情を崩して笑顔になる。何という美人だ!この笑顔がいつも絶やさずだったら、近寄りがたいイメージも払拭できそう。い、いやまぁ四六時中こんな表情なんて保てるわけもないのだけれど。いやそんなことを呑気に考えている場合じゃない。シンセサイザーを借りられるかどうか、訊いてみなくちゃ。
「あ、あの、綾崎さん」
「……なに?」
つい、と視線を私に向ける綾崎さん。うぅ、ちょっと冷たい感じがする。いや別に冷たい目線で見られている訳じゃあないけれど。
「え、と、あの……」
い、いけない、つい口ごもってしまった。
「し、シンセ、貸してもらえませんか?」
と思ったらまさかの美雪が助け舟を出してくれた。流石は相棒。助かったわ。
「……順を追って」
またしてもふ、と表情を和らげて綾崎さんは苦笑した。ふおー、何と言う表情か!い、いや阿呆か私、そんなことを考えている場合じゃない。
「あ、えとあの」
今度は美雪が口ごもってしまった。い、いや私が言う。言います。
「眠たちの演奏が終わったら、オレらが羽奈たちの演奏聞きたいから、もし良かったら楽器貸してくんねぇかって話」
あう、谷崎さんが助け舟を出してくださった!すみませんの気持ちを込めて、谷崎さんと綾崎さんに頭を下げる。
「なるほど。全然オーケーですよ。私も香椎さんたちの演奏、興味あるもの」
にっこりにこにこ。はぁう、何と言う破壊力のある笑顔。素敵すぎる。男性か、その気のある人ならイチコロなのではなかろうか!綾崎さんに続いて歩さんが「我も!」と言ってくれている。とてもありがたい。
「あ、ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
バキィ、と音が鳴りそうな会釈をして私は言う。
「どういたしまして」
ふ、と髪を肩にかかる髪を背に払うようなしぐさをして綾崎さんは言った。そうしてにこり。
「ふわぁー」
なんという女らしさだろうか。私の方が髪は長い。だからその仕草は私だってやろうと思えばやれる。だが私にあんな女らしさが出せるだろうか。
(無理だ)
「香椎羽奈も綾崎のテンプテーションに墜ちたな?」
歩さんが奇妙なことを言い出す。も、ということは既に誰かが綾崎眠の魅力に墜ちたということだろうか。流石に私的には女同士はないけれども。
「やめてよ人聞きの悪い。私はノン気ですからね」
それは、そうだろう。い、いや何が普通かなんて安易に線引きするもんじゃない。そもそもそれが普通かどうかではなくて、ノン気かそうじゃないか、というだけの話だ。
「そうだった!カッコカワイイ彼氏もいるしねー!」
「歩にもいるでしょ」
なるほど。二人とも恋人がいるのか。でもそれもそうか。これだけ魅力的な二人だ。世の男どもが放って置く訳がない。いや、でも世の男が放っておかなくとも、誰と付き合うかを決めるのは歩さんであり、綾崎さんだ。可愛かろうが美人だろうか、そうでなかろうが、恋愛の成就とはきっと、そんな簡単なものではないのだろう。
「ま、まぁ可愛げはないけどね……」
ハイハイゴチソウサマ、と言ってやりたい。仄がここにいたら言っていたかも知れない。だけれど、そうだわ思い出した。綾崎眠は私とリンジくんの関係を怪しんでいるんだった。今この場で変に突っつかれても面倒なだけだ。下手なことは言わないように気を付けておこう……。
「でも大好きな癖に」
「そういうことこういう場で言うなー!」
なんだか漫談チックになってきたので、とりあえず私はもう一度綾崎さんに頭を下げる。
「と、ともかく、ありがとうございます!」
「どういたしまして。みんなの演奏も楽しんでってね」
にこり。美人可愛い過ぎるなぁ。
「は、はいぃ!」
「お、そろそろ夕衣、歌うんじゃねぇか?」
私たちのやり取りを楽しそうに眺めていた水沢さんが言った。
「あ、行きましょう」
――
溢れた涙は誰のためなの 歌声響かせて笑顔に変えたい
蒼い月明かり 思い出すのは
風を切り駆けた あの日のあなたの影 そばにいたわたしの影
I believe for myself 女神の羽根 あったなら
どんなにも離れていても 色褪せない 信じたい
青くまぶしい 空に流れてく
あの白い雲を 追いかけて笑うあなた その背に羽をまとって
I believe for myself 女神の羽根 あったなら
どんなにも時が過ぎても 忘れない 羽ばたける
瞳を閉じて 追いかける あの日のあなたの影
強い向かい風の中で
黒髪を揺らす 風がすり抜ける
歌声に変えて 月明かりに乗せて届くように この声が枯れるまで
I believe for myself 女神の羽根 あったなら
この唄もいつか響いて 羽ばたいて 行けるはず
I believe for myself 女神の羽根 あったなら
この胸に誇れるもの ただ一つ 羽ばたける
――
「夕衣でした。ありがとうございました」
アルペジオのサスティンが小さくなると樋村さんがぺこり、とお辞儀をする。最後に歌ってくれた曲は聞き覚えの有る曲だった。
「Ishter Featherだね」
以前リンジくんが車の中で聞かせてくれた曲だ。あの時はバンドアレンジされていたけれど、今聞かせてもらったのは樋村さんの唄とギターのみでのIshtar Feather。いわゆる、これが本家本元、ディーヴァのオリジナルと言われているIshtar Featherだ。とても優しくて綺麗な曲。ただコード弾きをするだけではなく、アルペジオもスラムも綺麗に使っていて歌の邪魔をすることなく、きちんと自分の歌声を引き立てる演奏。実際に生で聞いてみてその完成度の高さに鳥肌が立つ。こんな曲を中学生の時分で創っていたというその才能にも。
「やっぱり凄いな、樋村さんって……」
「うん。歌もギターも上手いけど、曲が凄く素敵」
美雪もそう言って頷く。そして。
「でも、羽奈ちゃんの曲も負けてないよ」
「……へへ、ありがと美雪」
この言葉に謙遜は意味がない。私の曲は私自身が気に入っているのだから、当然。だけれど別に勝ち負けを競うつもりはない。勝てないかも知れないけれど、負ける気も更々ない。だってそれを言ってくれたのは一緒に歌っている美雪なのだから。
「うん。わたし羽奈ちゃんの曲、大好きだもん」
「よっし、その大好き、ぶつけてみよう、美雪」
「うん!」
美雪がそんな返事をしてくれるのであれば、八月のライブにもう不安要素はない。勿論美雪の演奏がどこまでできるようになるか、ということはあるけれど、そんなものは気合と心意気で結果が大きく変わる。わたしは結果なんか求めないけれど、美雪の気持ちは信じるし、その気持ちがあれば上達は早い。
「やー、いいねいいね。若者はこうでなくちゃな!」
谷崎さんが満足そうな笑顔で言う。何となく、ほんの少し人となりが判ったような気がして私は言ってみる。た、たぶん怒られないわよね。
「言うほど谷崎さんも水沢さんも年じゃないですよ」
「あー、羽奈」
「あ、は、はい!」
え、や、ヤバかったかな。何か地雷でも踏んでしまったのだろうか。
「その谷崎さんっての辞めてくれ」
「水沢さんもなー」
苦笑して谷崎さんが言い、嬉しそうに水沢さんが言う。あぁ、そういう……。ま、まぁ名前呼びというのは確かに仲良くなるためにはとても良いことだとは思うけれども、今日初めて会ったというのにいきなり名前呼びとは聊か気が引ける。
「え、や、で、でも」
「諒さん貴さんな!」
ぐ、とサムズアップして谷崎さん、いや諒さんが言った。ま、まぁそうですよね、それしかないですよね。
「お伊勢参りの旅にでも出そうですね」
〇〇さん〇〇さん、と聞くとどうしても日本で最も有名な道中記を思い出してしまう。様々な改定をした作品やパロディなどが出回っている中、少しだけ原作と呼ばれるものを読んだことがあるけれど、所謂美化された伝記や神話と同じような感じで、現代風にアレンジされているものの方が親しまれている。
「ヤメロー!ノン気だ!」
「それに同い年だぞぅ!」
あ、知ってた。
「じょ、冗談ですってば……」
第三五話:七本槍中膝栗毛 終り
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