十三橋市 十三橋公園
「来たわね……」
あれから二週間が過ぎて、今日は久しぶりに公園で演奏することにしたのだけれど、今日は馴染み深い知り合いはいなかった。仄も晴美も香苗もリンジくんも来られないそうだけれど、別に知り合いだけに聞いて欲しい訳ではないし、ちょっと寂しさはあるものの、美雪と二人で場数を増やすためにやっているので何ら問題はなかった。順番がある程度決まって、私たちは次に演奏するようになったのだけれど、遊歩道に現れた吉原楓の姿を見止めて私は言った。
「う、うん……」
緊張する美雪を他所に、こちらを向いた吉原さんに私は小さく手を振った。
「あ、香椎さん、榑井さん」
私たちを見て、吉原さんは小走りに近付いてきた。彼女もまた少しぎこちない表情をしているように思うけれど、険悪な雰囲気は皆無だった。
「吉原さん、ありがとね!」
努めて明るく私は言った。前みたいな作り笑顔ではなかったように思う。
「う、ううん……」
「美雪」
下を向いてしまった美雪の脇腹に、とん、と肘を入れる。
「あ、う、ううん……」
「……」
お互いにどうして良いか判らない空気感が漂っている。でも直ぐに美雪が言うべきことを言った。きっとこの辺りが昔の美雪とは変わったところなのかもしれない。
「あの、吉原さん、そ、その、き、来てくれてありがと……」
「え?あ!う、うん、その、私……榑井さんに謝りたくて……」
本心が前に出すぎているけれど、私はそれが心地良いと思った。演奏を聞きに来るのは事のついでとまでは言わないけれど、とにもかくにも、美雪に謝りたかったのだろう。その気持ちは汲んであげるのが我が相棒、榑井美雪だ。
「……」
ゆっくりと美雪は首を横に振った。
私は額面通りの意味では、虐められる側にも原因があるという理屈は大嫌いだけれど、美雪本人が、虐められていたから可哀想、と無条件に思われることが違うと判っているので、美雪に関してはそうは思わないようにしている。つまりは、美雪自身の意思を尊重したいっていうだけの話なのだけれど。
「ううん。あ、あの時は、わたしが、い、今以上にダメダメだったし……。せっかく私に声をかけてくれた吉原さんを、結果的には傷付けちゃったのは、わ、わたしだし……」
吃音交じりでも必死になっている美雪に是非も問わず、私は静観する。私が口出しして良い問題ではない。
「そんなことないよ。仮にそうだとしたって、だからって、私のしたことが正しいことだなんて、ホントはずっと思えなくて……」
「吉原さん……」
引っ込みがつかなくなってしまった、ということもあるのかもしれない。それが取り返しのつかないミスだと判っていたとしても。
「自分から関わろうって思って声をかけたくせに、最後まで関わり切らなかった私が悪いの。だから、今更だけど、ごめんなさい!」
く、と頭を下げて吉原さんは謝った。やっぱりそういうことだったのね。それならもうこれで手打ちね。
「わ、わたしの方こそ、ごめんなさい。……でも、これで謝り合うのはお互いにお仕舞いにしよ」
まだ緊張した面持ちではあるものの、美雪も笑顔になって言った。うんうん、やっぱり美雪は良い奴だ。そして吉原さんも良い奴じゃないか。自分がしでかしてしまったことを、見て見ぬふりをして、蓋をしてしまう人だって多いのに。違和感をずっと拭いきれなかったのかもしれない。そしてどこかから、私と仲良くしていることを聞いて、ふぅん、じゃあ良かったじゃない、とは思えなかったのかもしれない。そうやって自分を省みることができる人は、きっと良い人だ。
「そうだね。ありがとう榑井さん。それと香椎さん」
「ん?」
私に向き直ってまた頭を下げる。
「きっかけ、作ってくれてありがとね」
「いえいえ、美雪の歌はホントに素敵だから、楽しんで行ってくれると嬉しいな」
「うん!それは勿論!香椎さんの歌も楽しみだし」
苦笑する吉原さんを見て、ふと思う。
リンジくんや羽原君のことがあったからかもしれない。吉原さんがこうして美雪と和解したことによって、今までの仲間から冷遇されてしまうということはないのだろうか。私は仲良しグループ的なものに属したことがないので理解が浅いかもしれないけれど、女同士のそうした裏切っただの仲間外れだの、報復だのというのはかなり強烈な陰鬱さがあるように思える。知った仲ではないとはいえ、こうして関わりを持った以上は、もしそんなことになるのなら捨て置くことは出来ない。
吉原さんも言っていたけれど、一度関わったら、最後まで関わり続けるべきだ。あとで美雪と話をしてみよう。
ともかく。
「へへ、期待してて。ね、美雪!」
お世辞でも嬉しいことを言ってくれる吉原さんに、まずは良いところを見せようではないですか。
「あ、う、うん!」
「わぁー!凄いね!感動した!」
演奏を終えて、吉原さんが小さな拍手で迎えてくれた。素直に嬉しいと思える。今日は五曲。まだ新曲は出来ていないので、私が今まで歌ってきた曲だけれど、美雪には二曲、メインで歌ってもらってわたしがコーラスをした。美雪の声は声量はまだ少し頼りないけれど、綺麗でのびやかなビブラートがかかる。私のビブラートは少し揺れが大きいので、ここぞ、という時にしかかけないようにしているけれど、美雪のビブラートは本当に嫌味がなく、聞いていて心地が良い。そういうところも聞いてくれていると嬉しいな。
「へへ、ありがと!気が向いたらまた来てね!」
「うん、絶対!」
く、とサムズアップして応えてくれる。やっぱり良い奴っぽいな、吉原さん。
「じゃ」
とスマホを取り出して連絡先を訊こうとしたら。
「じゃあ榑井さん、またやる時、wire飛ばしてもらっていい?」
「あ、うん、判った!」
いや、可能性はあるかも、と思ってはいたけれども。
「知ってんのかーい!」
最初に仲良くなった時にはすでにもう連絡先を交換していたのだろう。それなら私をダシに使わずに直接やり取り……ができなかったから、か。メールやwireは文字だけのやり取りだ。こちらの思惑とは違った相手の受け取り方で意味なんて変わってしまうことだってある。それなら電話でも、と思わなくもないけれど、いきなり電話して切られたら、などと考えると、やっぱり間接的にでも繋ぎが取れて、強引にでも顔を合わせることが出来た方が良かった、ということなのかもしれない。
「え、な、何?」
「や、連絡先交換しようかな、って……」
でももはやそれもどうでも良いことだ。私も吉原さんとは連絡先を交換したいって思えたし。
「あ、しよう、香椎さん!」
「う、うん!」
ぽちぽちと操作して、ふるふるっとスマホを振る。ぴんこらりん、と音が鳴り吉原さんの連絡先が登録された。美雪の発音だと、『よしわら』ではなく『よしはら』さんらしい。呼ぶときは注意ね。などと考えていたら。
「ん?」
「わっ!」
「何?」
うわんばりばりばり!と何週間か前に聞いたけたたましい爆音が鳴り響いた。それはすぐさま近付いてきて、私の目の前をぶわ、っと通り過ぎ、直ぐにターンして戻ってくるようだった。奇妙キテレツな形をしたオートバイが一台と、後から二人、オートバイが入ってきたのであろう方向から走って来る。そんな馬鹿な、という思いはすぐにかき消された。
ここは公園内だけれどそんなルールを守るような連中ではない。
「あ、あぶなっ!」
ターンして通り過ぎる時にマイクスタンドがなぎ倒された。武器のようなものは持ってないないだろうけれど通り過ぎ様に足蹴にしたのだろう。ぐい、と美雪に腕を引かれてよろける。
「ぅわ!」
今日はフルバンドで参加している人がいなかったからドラムセットはない。ドラムセットがあったら大変な損失になっていただろう。いやマイクスタンドだってそんなに安いものではない。野外で使うものだとして、安いものだって六千円くらいはするはずだ。それが三本も倒されて、真ん中からひしゃげてしまっている。
「酷い!」
よろけた足を踏ん張って私は声を上げた。
「ちょ、羽奈ちゃん!」
「く……」
美雪が尚も腕を引くけれど、私はロフストランドクラッチを地面に突き立てるような勢いで立てて、それに抵抗した。オートバイに乗っている人物の顔が見えた。見覚えのある顔。忘れもしない。
「栄吉ぃ!」
つきん、と左足の付け根に痛みが走る。でもそんなことに構ってはいられない。多分これは私のせいだ。美雪の腕を振り払って、私は遊歩道の真ん中に踊り出た。他の人を巻き込む訳にはいかない。どうせあいつの狙いは私一人だ。もしかしたら美雪もかもしれないけれど、もう美雪は遊歩道の脇に設えられている植栽の奥にいるから、オートバイに乗ったままでは手出しは出来ないはずだ。
「羽奈ちゃん!」
「香椎さん!」
二人の声を他所に、私は栄吉の顔を睨み付ける。やっぱりこいつは羽原君とは違う。底なしの馬鹿だ。怖いけれど、それにだってかまってはいられない。
理解がないだけじゃない。
言葉が通じないだけじゃない。
私に恨みがあるのなら、こんな形ではなく、堂々と面と向かって直接言いに来れば良いのだ。どちらにしたって腕力では敵わない。それなのに、他人を巻き込んで、仲間まで引き連れて、手出しできそうもないオートバイにまで乗って、公園にまで乗り込んできて。
一番愚劣で、卑怯なやり方で私に報復に来た。
「っ……!」
三度ターンして、今度は私を確実に狙ってくる。腕を振り回して私を殴つるもりだ。私は頭をかばうようにロフストランドクラッチと腕を立てて衝撃に備えた。
「!」
立てた腕にがつ、っと衝撃が来た後にぐらりと身体が揺れる。栄吉の腕がロフストランドクラッチに当たっていれば栄吉だって相当痛いはずだ。倒れた拍子に膝を擦りむいたみたいだけれど、それに構っている暇はない。きっとまたすぐにターンして、また私を殴りに来るはずだ。私はすぐに立ち上がって再び衝撃に備えようと足に力を入れる。左足の付け根に再び痛みが走る。さっきよりも少し強い痛みだ。これはちょっとまずいかもしれない。だけれど、あんなくだらない奴になんて屈してなるものか。
「この!……?」
ターンした栄吉のオートバイを睨み付け、もう一度腕を眼前に立てる。その瞬間、私の目の前に、男性の背中が現れた。
「無茶し過ぎ」
その背中から聞こえた声は、聞き覚えがあるどころの声ではなかった。
「え、リ、リンジ、くん……?」
「絶対に違う!」
私が呼ぶ名をかなり頑なに否定してその人は言うが、どう聞き間違えても永谷リンジの声でしかない。そして振り返ったその顔は、どういう訳なのかまったく理解に苦しむけれども、ファイヤーパターンが施された覆面を被っていた。
「暴虐の嵐吹く所、少女の涙がオレを呼ぶ!街から街へ泣く人の、涙背負って公園掃除!炎の勇者、ファイヤーマスク、定刻通りにただいま見!参!」
凄く無理して低い声を出して、声音を変えているのは正体がばれないようにするためだろう。だけれど都都逸調のその、あんまりにもあんまりな名乗り口上に私は状況も忘れて思わず突っ込んでしまっていた。色々混ざっている上に間違えてるし、古い。
「バカなの……?」
「ハイ……」
かくん、と頭を垂れてリン……、ファイヤーマスクは気落ちした様子で言った。これは何か裏があるわね。そんな呑気なことを考えていると、オートバイがぐん、と近付いてくる。
「ハナちゃんはしゃがんで、しっかり杖も持って!」
「う、うん」
言われるままに私はロフストランドクラッチを抱えるようにしてしゃがみこんだ。確かにこれなら栄吉の腕が届いたとしても力は乗らないかもしれない。
「んだテメごらぁっ!」
人に殴りかかるためと、遊歩道が差して広くないこともあってか、オートバイのスピードそのものはそれほど早くはない。そして良くは見えなかったのだけれど、リン……、ファイヤーマスクは栄吉の拳をひょいと交わした後、直ぐにオートバイに追随するように走り、追い付くと手を伸ばしてハンドルの辺りを操作したように見えた。するとオートバイの爆音が急に小さくなって、エンジン音が止まってしまい、オートバイはのろのろと進むとすぐに止まってしまった。それに追いつくようにダッシュしたファイヤーマスクはまたハンドルの真ん中あたりに手を伸ばして、キーを抜き、美雪たちがいる植栽側とは反対の雑木林に思い切りキーをぶん投げてしまった。
「てめぇ!ゴラッ!」
オートバイから降りた栄吉がぶんぶんと腕を振り回し、ファイヤーマスクに襲い掛かるけれど、その攻撃は一発も当たらない。
「ハ……キミは美……あの子たちの所へ」
ひょいひょいと栄吉の拳を交わしながら、余裕の低音域でファイヤーマスクは言った。演技が徹底しているところを見ると、もしかして噂の喧嘩両成敗の変人の存在は本当で、リンジくんはこんなことを何回も続けているのかもしれない。
「う、うん……」
駆け出すことが出来そうもなかったので、痛む足を気にしながらできるだけ早く美雪たちの元へと戻る。こめかみのあたりが痛い。もしかして倒れた時に頭も打ったのかな。
「無茶して!」
美雪の声にこれほどの怒気が孕んでいるのを初めて聞いた。でもそれは美雪が本当に心配してくれていたからだ。私を一括した美雪を見て吉原さんが目を丸くする。私だって驚いているくらいだ。ここ最近の美雪を知らない吉原さんならば尚の事だろう。
「……栄吉だった」
「え!」
美雪からは見えなかったのかもしれない。でも間違いはない。あの頭の悪そうな叫び方や卑下た厭らしい顔つき。忘れもしない。
「色んな意味で腹いせに来たんだわ、私に」
なんて卑怯でくだらない奴なんだろう。あんな人間がこの世にいると思うと悲しくなる。
「え、あ、あの助けてくれた人は?」
「え、えぇと、ファイヤーマスクって言ってた……」
一応気を遣って正体は隠しておく。流石に覆面姿で背格好だけではリンジくん、と断定することは出来ないだろうし。
「ファ、ファイヤー……?も、もしかして喧嘩騒ぎになると現れる謎の怪人的な?噂の?」
「た、たぶんそう」
まさかその噂が本当で、その怪人の正体がリンジくんだったなんて思いも寄らなかったけれども。
「ホントにいたんだ……」
「え、なにそれ」
この公園の事情を知らない吉原さんが訊いてきた。それも無理はない。
「演奏する人たちの間でね、順番とか、演奏の長さとかで暗黙のルールがあったりして、そういうのを破ったりすると揉め事になることもあるみたいで、それが喧嘩騒ぎにまでなっちゃうと、どこからともなく現れて、喧嘩両成敗的に、どっちもとっちめていく人がいる、って……」
「私も眉唾だと思ってたわ……」
一応話は合わせる。そして栄吉が弱いのか、リンジくんが強いのかは判らないけれど、栄吉の攻撃が全然当たっていないことを見ると、リンジくんは中々に強いのかもしれない。それもそうか。元暴走族で、きっと現役だった頃は他のチームの人達と喧嘩もあったのだろうし、羽原君があれほどリンジくんに懐いているのも、リンジくんの強さに憧れがあったのかもしれない。
「いでっ!いでででぇ!」
いつの間にか栄吉の拳を躱しながら掴んで、何やら関節技のような動きを見せて、リン……ファイヤーマスクは栄吉を地面に組み伏せてしまった。凄い。あれは喧嘩が強いだけじゃなくて、何か武道の習い事でもしていたのかもしれない。
「周りの無関係な人達か、オレに襲い掛かった瞬間に、コイツの腕を折る」
恐らく栄吉を助けようとにじり寄ってきたあとの二人を制するようにファイヤーマスクは言う。声優さんも顔負けというくらい低く変わった声音が板についてきたように聞こえてしまう。でもあれをリンジくんが真剣にやっていると思うと、ちょっと笑ってしまいそうになる。
「ち……。卑怯だぞ!」
滅茶苦茶ばかな理屈を、案の定栄吉は叫んだ。
「無抵抗な堅気さんたちを襲うのは卑怯じゃないのか?」
「るせぇ!」
尤もなことを言うファイヤーマスクに想定通りの返答が返ってきた。
「煩いのは貴様らだ。本当に折るぞ貴様」
「いあーっ!」
曲がらない方向に取った手を捻り上げて、ファイヤーマスクは栄吉の背中にドスンと座った。不謹慎かもしれないけれど、いいぞもっとやれ、と思ってしまう。
「そこかしこの方々が動画を取っていらっしゃる。証拠はばっちり。警察にも恐らく連絡は行っているだろうな。さて、どうする」
きっとSNSに拡散もされているだろうな。遅かれ早かれ色んな人の目につく。
「どけ!ごるぁっ!ってぇんだよ!」
「話を聴け」
ぐい、とまた手を捻り上げる。合気道とか柔術とかそんな格闘技をやっているのかな。だとするならこれほどボディガードとして頼もしい人もいないかもしれない。
「あぎーっ!るっせんだよてめぇぶっ殺すかんな!」
やっぱり話を聞かない栄吉はどう足掻いたって勝てるはずのない状況でも馬鹿なことを喚き散らす。
「……判った」
「あぁ?」
ほんの少し手を緩めたのか、栄吉が奇妙な声を漏らす。
「総長の板谷昭次はオレの友人だ。族のリーダーとは言え堅気には手を出さない、骨のある人物だ。報告させてもらう」
「……は?」
栄吉の顔が凍り付いたように見えた。そういえば前にもそんなことを言っていた。今の総長は勿論ファイヤーマスクよりも年下で、ファイヤーマスクがチームを抜ける際、ファイヤーマスクが制裁を受けた時の男気を見ている。羽原君と同じで頭が上がらないのかもしれない。
「貴様がさっき殴った子は永谷鈴司、羽原正孝の関係者であって当然堅気だ。確かチームの掟では堅気に手を出したことが割れたら制裁を受けるんだったな。貴様も制裁を受けろ」
「え……」
リンジくんにその制裁の内容を聞いて、羽原君のあの有様を見れば、それがどれだけ凄惨な制裁なのかはその世界に全く興味が無い私にだって判る。栄吉の顔は青ざめているに違いない。
「勝手なことを散々しでかしてこちらの話も聞かないんだろう。こちらも貴様の話や言い分など聞かないで勝手なことをすることにした」
またしても尤もな理屈。でもそれだって通じないだろう。せいぜいが保身のために謝り倒すくらいが関の山だ。
「ちょ、待てよ!」
「モノマネか?随分とヘタクソだな」
は、と完全に馬鹿にしてファイヤーマスクは嘲笑した。
「待てって!」
「黙れ」
冷たくファイヤーマスクは言い放つ。良い気味だ。
「いやマジで!」
「こっちは最初からマジだ。こっちの話を無視し続けて自分の話だけ聞いてもらえるとでも思うのか?」
「ちょ……」
多分、リンジくんも相当頭に来ているのかもしれない。私が気に入らなくてこんなことをしでかした栄吉の気持ちなんて判ってやるつもりはないし、私だって事情なんか知りたくもないけれど。
「そもそも聞く価値があるとも思えんがな」
「……」
全く持ってファイヤーマスクの言う通りだ。流石の栄吉も返す言葉を失っているようだった。
「永谷鈴司、羽原正孝がチームを抜ける際、どれほどの気合と男気を見せたか。あの時、少しでも人の話にきちんと耳を傾けていればと後悔しながら、身を持って落とし前を付けるんだな」
自分で言っちゃったよ、とは口には出さない。今の彼はリンジくんではなくファイヤーマスクだ。それもどうなんだよ、と突っ込みたい気持ちは山のように高くそびえ立ってきているけれども。
「す、すんませんっした!もうしません!マジでしませんから!」
地べたに額を付けて栄吉は喚いた。でもそれだって自分が悪いなどとは思っていない。奴のプライドなんか一つだって傷もつかない、口八丁だ。それもきっとファイヤーマスクは判っている。
「じゃあ今すぐ落とし前をつけろ。今からこの腕を折るからな」
「ひ、いぎゃ、ああああああ!」
ぐいい、と手を高く捻り上げて、栄吉が悲鳴を上げる。い、いやまさか本当に折るのだろうか。と思った瞬間。
「なんつってな。行け」
ぱっと手を放して、ファイヤーマスクは立ち上がった。
「は?」
顔を上げた栄吉の背中をどす、とかなり強めに踏みつけてファイヤーマスクは続けた。
「今回は大目に見る。が、単車をここに置いたままならすぐに割れる。鍵はオレもどこに投げたか判らん。さっさと消えろ」
消えろ、と言いながらファイヤーマスクはしつこく栄吉の背中を踏みにじっている。多分相当に頭に来ているに違いない。
「次に、ちらりとでもオレの視界に入ったら、報告か、ぶちのめすか、どちらかだ。その時貴様が何もしていなくても、だ。判ったら二度とこの辺をうろつくなよ。ちなみに昭次が友達なのは嘘じゃないからな。ファイヤーマスクって知り合いがいるか訊いてみるといい」
そう言ってファイヤーマスクは栄吉の背から足を上げるとパンパンと手を払った。
「う……」
負け惜しみの捨て台詞でも吐くかと思ったけれど、喧嘩でも完全に敵わない上に弱みまで握られたとなるとそれすらもできないようで、栄吉は黙って連れの二人と公園を去って行った。あの連れから見ても大分株が下がっただろうな。いやはや、ちょっと怪我はしたけれど、他に巻き込まれた人もいなかったし、爽快な気分だ。でもマイクスタンドは壊れちゃったし、機材のことは明日にでも謝りに行かなくちゃ。
などと考えている隙に、ファイヤーマスクも走り去ってしまった。ま、まぁそれも仕方がないわね。
「行っちゃった……」
「そりゃあ、ねぇ」
我に返ったのか美雪がそんなことを言うので私もつい嘆息交じりにそんなことを言ってしまった。
「え?」
「ん?」
ヤバイ、気付かれたかな。
「羽奈ちゃんあの人知ってるの?」
「知る訳ないでしょ!ファイヤーマスクなんて!」
「でも」
実際に『ファイヤーマスク』という怪人のことを知らなかったのは本当だし。う、嘘は吐いていないわよ。わたしが正体に気付いていなければ、の話なのだけれども。
「や、助けてもらったとはいえ、これだけの騒ぎで警察まで来るかもだし、あんな覆面被ってたら職務質問上等でしょうよ」
咄嗟に思いついた言葉を並べる。咄嗟に思いついた割には整合性のある言葉で良かった。
「あ、そっか……。あ!血が出てる!もう!無茶するから!」
私の顔を見て美雪が声を高くした。やっぱりこめかみのあたりも地面にぶつかっていたんだ。気持ちが高ぶっていたせいであまり痛みも感じていなかったのに、改めて言われると痛覚が戻ってきてしまった。
「ん?あ、いた!いたた!」
美雪が持っていたポシェットからハンカチを出してポンポン、と拭いてくれるけど、い、痛い!それにハンカチに血が付いちゃう!
「膝も血、出てるよ……」
しゃがみこんで吉原さんも心配そうにしてくれる。ちょっと嬉しいな。
「それにしても凄いんだね香椎さん……」
ま、まぁ私もちょっと怒りにまかせて我を忘れていたけれど、今になってみると結構とんでもないことをしでかしていたかもしれない。この程度の怪我で済んだのは運が良かった。
「羽奈でいいよ、楓」
これも友情の証。元々美雪を気遣ってくれていた人だもの。根は優しい人なんだって私にだって判る。だから、ちょっと恥ずかしかったけれど、吉原さんにそう言ってみた。
「あ、わたしも美雪でいいよ、楓ちゃん」
やっぱり美雪も乗ってきてくれた。これで大分恥ずかしさが薄れるわ。
「うわー、なんか照れくさい!でもおっけ、羽奈、美雪!」
元々はこういう明るい性格なのだろう。うん、吉原楓。気に入った!
「うん!」
美雪とも蟠りはもうなさそうに見える。あとで個人的には話そうと思うけれど、美雪もまた楓と仲良くやれるんだったら嬉しいな。
「と、とにかく水道行こ。顔も膝も洗い流した方が良いよ」
「う、ご、ごめん……」
楓が肩を貸してくれる。ロフストランドクラッチは曲がってもいないようだったので少し安心した。これだってかなりお高い代物だから、流石に高校生になって親の手からも少々離れたとはいえ、喧嘩に巻き込まれてロフストランドクラッチ壊しちゃったぁテヘペロ、なんてやっちまったらお母さんだって卒倒してしまう。
「いいって!しかし一匹狼の香椎羽奈があんな気骨のある女だったとは知らなかったなぁ」
「え、なにそれ」
一匹狼の香椎羽奈。なんだか通り名みたいなんですけれども。
「羽奈って美雪と仲良くなる前はいつも一人でいたでしょ。だから結構アチコチで言われてるのよ、一匹狼って」
なん、だと……。
いや、確かに一人でいたし、その方が気楽だと思ってはいたけれども。私なんて誰にも気にされることなんかないと思っていた。
でも、それも自覚が足りないってことか……。
「なんかちょっとカッコイイ!」
美雪がちょっと嬉しそうに言う。
「や、ダサいでしょ!」
第二二話:炎の勇者、ファイヤーマスク、定刻通りにただいま見参! 終り
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