七本槍市 七本槍中央公園
「樋村さん、お疲れ様でした!」
「ありがとっ」
やっぱり樋村さんの演奏は凄い。あんなに綺麗でのびやかで美しい声を持っていることは勿論だけれど、何よりも自分の声の特性をしっかりと理解して、どの歌でどんな声を使えば良いか。それを本当に良く理解している。
「今入れ替わりに眠ちゃんに聞いたけど、このあとやるの?」
「はい、やります!」
なんだかとても嬉しそうに樋村さんは言う。本当に私と美雪の演奏を楽しみにしてくれているようだ。
「楽しみ!ちょっと旦那にwire入れるね!」
「あ、や、何もそこまで……」
そういえば確か樋村さんにはまだ小さい娘さんがいて、ソロ演奏もバンドも旦那さんに色々と協力をしてもらいながらやっているとリンジくんから聞いていた。
「そこまでして聞きたいの!なぁに羽奈ちゃん、莉徒には聞かせたのにわたしには聞かせてくれない訳?」
そんな可愛い言い方されても対応に困る。私たちの演奏を聞いて旦那さんに怒られでもしたら立つ瀬がない。
「い、いえいえ、そういう訳じゃなくて……」
「ふふ、冗談よ。でも聞きたいのは本当だから。それにもう娘も来年は幼稚園だし、ちょっとくらい夜遊びしても大丈夫」
そう言いながらスマートフォンをぽちぽちと操作し、恐らく旦那さんにwireでメッセージを送ってしまったようだった。
「ひ、樋村さんのご迷惑にならなければ……」
「ん、大丈夫。ほら!」
そう言って私にスマートフォンを見せてくれる。ディスプレイには『あんま遅くなんあいようにな~』と誤字混じりのお気楽な返事が返って来ていた。きっと信頼されているのだろうな。その一文を見て少し気持ちが軽くなる。文字だけのやり取りは難しい。表現の仕方一つで、受けて側の印象はがらりと変わってしまう。だからこそお互いの信頼感は必要で、そうした簡単なやり取りを済ませられない、まだ信頼感が育っていない間柄の人とのやり取りは気を遣わないといけない。
「それなら安心です」
私はそう返し、笑顔になる。どことなく、お互いに信頼して、信頼されている感覚が微笑ましかったのかもしれない。樋村さんの笑顔からそんな雰囲気を感じる。仄は勿論のこと、美雪やリンジくん、楓もわたしはまだ気を遣っているかもしれない。それは悪いことではないのかもしれないけれど、やっぱり夫婦という関係とはほど遠い信頼関係なのかもしれない、とも思ってしまう。
「あ、そうだ美雪ちゃん、羽奈ちゃん」
「はい」
「は、はい」
少し改まったように樋村さんは私たちに呼びかける。
「呼び方、樋村さん、って堅苦しいから夕衣って呼んで欲しいな」
「う、あ、りょ、了解です!」
その方が呼ばれ慣れていること。あとは夕衣さん自身がその呼ばれ方を気に入っていること。だからかな。だとしたらやっぱりそれには従うべきだろうな。まだほとんどきちんと話したことがない相手だけれど、本人がそれを望んでいるということは。
「あ、そうだ、リンジくんもやる?ギターなら貸すけど」
「いえ、今日は僕は遠慮しておきます」
夕衣さんのお気遣いをやんわりと遠慮してリンジくんが私と美雪を見る。つまり、自分が演奏するよりも私と美雪の演奏を見たいということでいいのかな。いやもうそうしておこう。
そしてせっかくのチャンスだ。夕衣さんと色々話してみたい。
「ひむ、ゆ、夕衣さんはどんな音楽がお好みなんですか?」
判ってはいるものの、やはり少し緊張してしまう。本人は本意ではないだろうけれど、長年音楽をしてきて、これだけの実力を持っている人相手に気安く名前呼び、というのは簡単ではない。
「わたしは一番影響を受けたのは早宮響さんね」
「おお、なるほど……」
元々はアイドルとして芸能界デビューをして、シンガーソングライターに転向した人だ。アイドルの時代から歌唱力には定評があって、同時期に大人気だった何とか言うロックバンドとのコラボレーションまでしたとか何とか。わたしもシンガーソングライターになってからのCDは数多く持っている。ギターでもシンセでも弾き語りをする人だから、夕衣さんのスタイルにも、私のスタイルにも合っている。
「バンド系は結構激しいのとか聞くけど」
「そうなんですか」
「うん。-P.S.Y-は勿論だけどsty-xとか。海外だとGunsとかMötley Crüeとか」
「え、そ、それは意外です……」
海外のアーティストは知らない名前だったけれど、-P.S.Y-はかなり激しいハードロックやLAメタル、ロックンロールを主軸としたバンドだ。私はCDは持っていないけれど、聴く分には嫌いではない。そしてsty-xというのは、いわゆるガールズバンドの走り。昭和後期から平成前期にかけて爆発的に売れた、ガールズバンドの先駆者的な存在だ。当時、もう少しポップ寄りな曲をやるPrecious Tearsというバンドと人気を二分したバンドでもあり、今ガールズバンドがこれだけ自由に表現できているのは、前時代的な男尊女卑の中、sty-xとPrecious Tearsの二つのバンドに所属していた女性たちが時代を変えて行ったからだ、という話まであるほどのもはや伝説的なバンドでもある。Precious Tearsは期間限定で復活したけれど、その期間のみで、sty-xは二〇〇七年から第一期メンバーで復活している。つまり今でも現役のバンドだ。
「やっぱりそう?でも一時期コピーもしたことあるのよ。莉徒と貴さんと諒さんと組んでね」
「え、すごっ」
夕衣さんと柚机さん、それに諒さんと貴さんだなんて、私自身がバンド者ではなくても見たい!
「なんも凄くねぇぞー。最近やれてねぇけど別に解散もしてねぇしな」
「え、そ、そうなんですか!じゃ、じゃあ!」
「八月も余興だけどちょろっとやろうかと思ってるしな」
「そ、それは是非見たいです!」
何が何も凄くないのかは主観の相違なので無視させて頂く。だってまず-P.S.Y-のお二人のお眼鏡に叶うところが凄いし、夕衣さんも柚机さんも歌い手として素晴らしい二人だ。それをして凄くないというのは、諒さんだから言えることであって。
「おー、そうかそうか!じゃ練習入るぞ夕衣。莉徒にも言っといてくれよ」
「かしこまりです!」
く、とサムズアップ。八月は参加させてもらうだけではなく、聞くだけでも実のあるライブになりそうだ。
「あ、そろそろ始まるかな」
歩さんと綾崎さんのセッティングもそろそろ終わりそうだ。歩さんの弾き語り、凄く楽しみ。
「歩さん……!ゴイスー!」
「マジデスゴイ!」
凄すぎて二人揃ってカタコトになってしまった。
「カタコトになってるわよ美雪ちゃん」
「すすすすみません!」
「謝ることじゃないけど、バンドの歩ちゃんしか見てなかったら驚くわよね」
ということは夕衣さんは何度も歩さんのバンドも弾き語りも見ているということなのかな。
「あ、美雪はバンドも見たことないよね」
私の言葉に何度も頷く美雪が可愛い。
「そうなのね。歩ちゃんの歌はホントに凄いと思うわー。あんなにメリハリ付けて色んな曲歌えるのは、ひとえに研鑽の賜物、ってだけじゃ収まりきらないと思う」
「確かに……」
それは私も感じた。何と言うか、普通ではない気がする。ちょっと大げさかもしれないけれど、まるで歌うために生まれて来たかのような声帯を持っているのではないだろうか、とさえ思ってしまう。
「えと、どういうことですか?」
「自分の声をきちんと理解して、この曲ではどの声を使うのが一番の武器になるか、ってきちんと判ってるのよ」
「曲に依っての声……」
歩さんは基本的にパワーのある声をしている。たまに声量のある歌い手さんがマイクなしのアカペラをライブで行うことがあるけれど、歩さんはきっとそれも出来てしまうほどパワフルな声の持ち主だ。単純に声が大きいこととは少し違う。
「美雪ちゃんはバンド見てないから判らないかもだけど、バンドの時はね、物凄いパワーがあるの。うちもパワーっていう点では莉徒も負けてないけど、静かにしっとり聴かせる唄ってなると、歩ちゃんほどの声の変わりようまではいかない感じかな」
「その曲の本質と、自分の声の本質を理解する、ってこと、ですか?」
「うん、そんな感じ」
美雪も自分なりの解釈は持つようになってきたということかな。これは嬉しいな。確かに夕衣さんの言う通り、使っている声帯が同じ人間のものなのか、と思うほどに声の質が変わる。これが出来るボーカルは中々いない。
「多分、色んな歌を歌ってきて、その歌と自分の声の照らし合わせみたいなことをずっとやってきたんだと思う」
「多分そうね」
きっと夕衣さんや歩さんほどではないけれど、私も歌というものと向き合ってきたから判る。
「なるほど……」
「わたしも色々やってきたけど、わたしにはやっぱり莉徒や歩ちゃんほどの声量がないのと、激しい曲の歌い方が、自分の声が乗らないのとかあって限界は感じるわね」
努力では補えない部分。極端に言ってしまえば、女性では男性の声は出せないのと同じくらいに、どれだけ頑張ろうと、研究しようと努力しようと、変えられないものはある。だから私の曲が私の曲であり、夕衣さんの曲は夕衣さんの曲でもあるということだ。それ以上も、以下もなく。
「夕衣さんの本領発揮はやっぱり夕衣さんの曲、ですよね?」
「うん、そう。それがわたしの武器。歩ちゃんはちょっと言い方アレだけど異常ね」
「い、異常……」
美雪が苦笑する。でも私も同じことを考えた。歩さんの声域や声の使い方は、広い。
「あそこまで色んな声を、勿論歩ちゃん自身の声のままで使い分けられるっていうのは、プロのボーカルを見たって中々いないわ」
「私が知ってる限りだと……。冴波みずか、ですかね」
思い浮かべつつ私は言ってみた。デビューした時はROGER AND ALEXというバンドのボーカルをしていた人だ。ROGER AND ALEXはパンクロックとポップロックを融合させたような、可愛いけれど、しっかりタイトな音楽をやるバンドだった。女性ボーカルバンドとしては、sty-xやPrecious Tearsが活動休止や解散をしてから台頭してきたバンドで、今でも曲をコピーするバンドも多い。そんな冴波みずかでも、夕衣さんのようなクリアで綺麗な声音は出ない。だけれど、彼女自身の声域を目いっぱい駆使して、しっとりと綺麗に歌い上げることは出来る。
「そうね。あの人も凄いと思う」
まるで知人を語るかのように言う夕衣さん。いや-P.S.Y-の二人と懇意にしているのだ。もしかしたら知り合いでも不思議はない。
「冴波みずかって、元ROGER AND ALEXのボーカルですよね」
流石に美雪も知っていたようだ。美雪が好きなLayNaとは全く異なる唄い方だけれど、LayNaも不思議な歌い手だと私は思っている。LayNaの真骨頂もどちらかと言えば静かな曲だとわたしは思っているのだけれど、彼女は激しい、ロック調の曲も歌う。そして静かな曲では、もしかして声量があまりないのかと思うと、実はとんでもない声量を秘めているのだ。有るから使う、では脳がない。とでも言わんばかりに。
夕衣さんも、歩さんも、冴波みずかも、LayNaも、まるで違うタイプの歌い手だ。そして多分私も。私は特別なものは何も持っていない。特に高音域が出せる訳ではない。特に低音域が出せる訳でもない。クレッシェンドやビブラートだけで個性を付けるようなこともしない。ただ、何も考えず、思った通りの声を出す。言ってしまえば歩さんとは真逆のタイプなのかもしれない。
「そ。今はロジャアレみたいなロックな曲は殆どないけどね」
「ですね」
ROGER AND ALEXが解散して、冴波みずかはソロ活動を開始したけれど、あまりロックに傾倒した音楽はやっていない。R&Bに近いゆっくりとしたポップな曲を多く発表している。なので、今のスタイルの方が好きな人と、ROGER AND ALEX時代の方が好きだった人、両方良いじゃん、という人、様々だ。
「ふぁー緊張した!」
「歩さん、綾崎さん、お疲れ様です」
ギターケースを抱えて歩さんが戻ってきた。こんな言い方をしてしまうと身も蓋もない上に失礼だし、親友のお姉さんなのだけれど、歩さんがこんなに才能ある人だったとは、本当に意外だった。いや巧いことは今まででも充分に判っていたのだけれど。
「うぇい!ありがと羽奈!美雪!」
ぐ、と拳を突き上げて歩さんは笑顔になる。はわー、可愛い。何というか、輝いて見える。好きなことを目いっぱいやって、ただの一つの曇りもなく、やりきった充足感をその笑顔から強く感じる。
「歩は名前なのに私は苗字?」
「う、あ、眠さん」
つい、と側頭部を人足し指でつつかれた。う、うむ、これは従わざるを得ない強制力を感じてしまう。ま、まぁ夕衣さんと同じく、名前呼びの方が慣れるまでは恥ずかしいけれど、距離を縮めるには良い気がするし。
「ん、よろしい。一応セッティング変えて、連弾でも同じ音階が出るようにしたけど、音色はピアノで良かった?」
「はい!ありがとうございます!」
うおぉ、至れり尽くせりで涙が出そうだわ。何て親切で美人なのかしら。
「羽奈は何を使ってるの?」
「あ、私はRolandのJUNO-DS61です」
そうなのだ、わたしが普段使っているものは眠さんが使っているシンセサイザーよりも鍵盤が少ない。なので連弾するには少し不便でもある。
「私のもちょっと古いけどJUNO-STAGEだから、ある程度使い方は似てると思うわ」
「JUNO-STAGE!結構評判良いですよね!今でも買おうと思うと中々いいお値段だった気がします」
同じRoland社製のシンセサイザーだ。ライブでの使い勝手は随一、と言われた名機でもあるし、そもそもJunoシリーズは初心者でも扱いやすいと昔から評判のシンセサイザーだ。もしも美雪がシンセを買うことがあったら私もJunoシリーズをお勧めする。
「私はちょっと口利きしてもらって格安で買えたんだけどね。キータッチも良いし多分羽奈なら問題なく弾けるはず。……美雪は?」
「あ、わ、わたしはまだ、持ってない、です」
しゅ、と下を向く。いや、意味が解らないぞ美雪。始めたばかりで楽器を持っていないことなんて当たり前だし、しゅんとする必要性なんて一つもない。
「始めたばかり?」
「は、はい」
眠さんはそれを判って言ってくれている。経験者から初心者へのそういう気遣いはとてもありがたい。中には初心者をカモにして馬鹿にする経験者もいるけれど、始めたばかりで右も左もわからない初心者を笑いものにするような経験者なんて、音楽なんかやめちまえ!と言いたいくらい大嫌いだ。
「今はまだコードで伴奏くらいですけど、凄く筋が良いんですよ」
なので、私が自慢げに言ってやるんだ。断言してもいい。美雪は絶対に素敵なアーティストになる。
「は、羽奈ちゃん……」
「そうなのね。もしキーボードでもシンセでも買う時が来たら、EDITIONがお薦めよ」
「EDITION?」
あ、いや、聞き返しててしまったけれどお店のことは知っている。七本槍商店街にあって、楽器店と練習スタジオを経営しているお店だ。もしかしてシンセサイザーやキーボードに強いお店だったりするのかな。最近は楽器店と一口に言っても、ドラム専門店やエレキギター、クラシックギター専門店など、多岐に渡るジャンルの楽器が専門店として存在しているとも聞くし。
「ここの商店街にある楽器屋さん!」
歩さんが言って、これもEDITIONで買った!とギターケースを指差す。ちなみに歩さんのギターはバンドで使っているものと同じだった。確かジャズマスターというソリッドギターだ。濃い青で木目がシースルーで見える、凄く綺麗でカッコイイギター。今回の音色は歪み系統は一切使わずに、空間系でまとめていた。アコースティックギターとは異なる、エレキギターのクリーントーンがとてもきれいに出ていて、それもまた歩さんの声に合っていたし、眠さんのシンセもそれに合わせた音色を使っていた。
「オレのかみさんがやってる店だ」
ぬ、と背後にいつの間にかついていた諒さんが言う。
「え!そ、そうなんですか」
「そうなの」
流石にそれは知らなかった。だということは、あのお店はGRAMの息がかかっているということだ。つまり。
「美雪が買うんなら値引きしてもらえるように言っとくぞー」
やはりそういうことになるだろう。でもこれはありがたい。練習スタジオも時々使った方が良いかしら。個人練習ならどこのスタジオでも金額は同じだし、一駅電車で移動するだけだ。それほどの手間でもない。美雪が楽器を買いに行く時には同行して会員登録をしておいた方が良さそうだ。
「ええええ!あぁ、あ、よ、宜しくお願いします!ありがとうございます!」
バキィ。
「だからその会釈よ……」
苦笑して諒さんは言う。
「や、こ、これは割と正当な……」
まだ買うと決まった訳ではないけれど、恐らくこの先音楽を続けて行きたいと思っているのならばいずれは通る道。何だったらすぐにでも手に入れて、自分の楽器でライブに出たいと言い出しかねない。それはそれで良いことだけれど。
「ま、それもそっか。でも座り悪ぃんだよなぁ」
「それを言ってしまうと、感謝されるようなことをするから、って言われちゃいますよ」
ふふふ、と眠さんがお上品に笑う。でも確かに眠さんの言う通りだ。
「感謝されてぇからやってる訳じゃねんだけどな」
うーん、判らないでもないけれど、親切にしてくれた相手に感謝するな、というのはもっとおかしな話だ。
「でも、誰かを喜ばせたいっていう行動は、それをしてくれた相手に有難いって思いますし、それが感謝の気持ちになるのは当たり前じゃないですか?」
「確かに本末転倒なんだけどなぁ」
夜空をふり仰いで諒さんは頭を掻く。要するにむず痒いのだろうことは、判る。世の中には、感謝されることをしたのだから当たり前のように感謝しなさい、という人が多く存在する。つまり……。いやでも、何かしらで施しを受けたり、助けられたりした場合、その人に感謝するのは人として当たり前のことだ。
「喜ぶ顔は見たいけど、別にお礼を言われたい訳じゃないのよ」
「涼子先生」
聞き覚えのある声の登場だ。
「そ、それただの我儘って言いませんか」
私たちの所へ歩いてきた涼子先生に私は言う。背後には娘さんのみふゆさんもいる。母娘揃って恐ろしい可愛さを誇っている、七本槍商店街きっての美人母娘だという噂は絶えないらしい。
「そ。要するにただのへそ曲がり」
諒さんの後ろから貴さんも出てきてそう笑った。
「まぁそうなんだけど、それ言われると身も蓋もねぇんだよなぁ」
「夕衣ちゃんも歩ちゃんも終わっちゃったみたいねー」
夕衣さんと歩さんの姿を見て涼子先生が残念そうに言う。確かに夕衣さんと歩さんを見逃したら私もかなり落胆するだろうな。
「涼子先生、みふゆさん、こんばんは」
「やほ、羽奈ちゃん、久しぶり」
みふゆさんは今年で二四歳になるけれど、制服を着ればまだ女子高生で通りそうなほど可愛い。聞いた話だと、高校は瀬能学園で、学園のアイドルとまで言われていたこともあったらしい。そんなもの、漫画かアニメかラノベでしかお目にかかれないと思っていたけれど、実在していたのだ。香椎、驚きである。
「お久しぶりです」
考えてみたら水沢一家勢揃いか!これは中々に凄いことなのではなかろうか。
「そちらが噂の相棒、美雪ちゃんね!」
「あ、こ、こんばんは」
美雪はみふゆさんとは会ったことがないんだった。そう言えば。みふゆさんも涼子先生のお店をきちんと継ぎたくて、今は涼子先生の知り合いのお店で修業中らしいので、あまり涼子先生のお店には顔を出せないでいるそうなのだ。
「涼子先生の娘さん」
「む、むすめぇ!……あ、し、しつれいしました!」
ぎょる、と目を見開いて美雪が驚く。すんごい顔してたな。写真撮りたかった。まぁでも美雪の気持ちは判る。涼子先生とみふゆさん、見た目は姉妹だし。
「ふふ、良いよ別に。良く言われるしね。バケモノみたいに若い母親を持つと娘も苦労が絶えないわ」
「あら、良く言うわね」
言っていることはちょっとおばちゃんチックではあるけれど、言っている本人がまるで少女。いやまぁ少女は言い過ぎだけれど本当にお腹を痛めて産んだ子ですか、と思ってしまう。と、ともかくそこは考えていても仕方がないので、夕衣さんと歩さん達の演奏を見逃してしまった水沢母子に朗報だ!……た、多分!
「あの、これから私たちやらせてもらうんで!」
「あ、そうなの!羽奈ちゃんの歌久しぶり!来た甲斐あったね、お母さん」
たしかみふゆさんもピアノ、シンセ、キーボードのプレイヤーだ。バンドもやってるんだっけかな。
「そうね。美雪ちゃんの歌も楽しみだわ」
「が、頑張ります!」
ふんす、と鼻息が聞こえそうなほど美雪が気合を入れる。私も負けていられない。
「眠さん、お借りします」
ぺこりと一礼して、私はステージに向かった。
「うん、楽しみ」
にこり。美人過ぎか。
第三六話:歌と声 終り
読み終わったら、ポイントを付けましょう!