七本槍市 七本槍南商店街 楽器店兼練習スタジオ EDITION
「おー、まいどありー」
省吾さんが実に無感動に、でも笑顔で美雪にお釣りを渡す。
「即決……」
まさか今さっき話して、もう購入するとは思いも寄らない。美雪の中では以前から考えていたことなのだろうけれど、シンセサイザーを買えるくらいのお金をいつも持ち歩いてたってことなの?なんて危険な……。
「だって羽奈ちゃんと同じものだし、香憐さんお墨付きだもん」
そう、美雪が買ったのは私とまったく同じ型のものだった。わたしのは黒だけれど、美雪のは白。白可愛いな!
「うん、DS61はリーズナブルだし、初心者にも向いてるし、慣れてからでも良いシンセだと思う」
うん、香憐さんと夕香さんの説明を美雪のすぐ横で聞いていたから、それは判る。というか、私も知らなかった機能があってびっくりしたくらい香憐さんの説明はとても丁寧だったし親切だった。
「美雪、下調べとかしたの?」
「うん。ちょっとネットで色々。白いのが可愛かったのと、操作も簡単だって書いてあったし。まだわたしは複雑な機能よりも使い勝手かなって思って。それにすぐ近くに同じものを使っている人がいたら判らないこととか訊き易いでしょ」
「ま、それは確かに」
でも美雪は私がRolandのJUNO-DS61を使っていたなんて知らなかったはずなんだけど、美雪め、羽奈ちゃんと同じ云々は私と同じものだと判ってからの後付けだな。
「それにしてもケース、スタンド、ケーブル、諸々込みで六万ならわたしも買おうかな……」
キーボード、シンセサイザー担当の香憐さんが顎に人差し指を当てて、首までかしげる。確かに安い。私が買った時は諸々セットで九万円近かった。まぁもう三年も前だから金額に関しては仕方がない。
「でも香憐さんだってメインで使っているもの、あるんじゃないんですか?」
「あるけど、気になるのが出て、ちょっと触ってみちゃうと欲しくなっちゃうじゃない」
「それは、確かに……」
うん、新しいモデルが出ると聞くと、少しうずうずする感覚は判る。買うまでには至らないけれど、今使っているものが壊れたら次は、という感覚が近いかもしれない。だけれど音色を作れるシンセサイザーでは、最新のモデルが出たとしても、やれることが増えるだけで特にすぐに買い替えなければいけないという不安も必要性もない。パソコンにつなげることが多い楽器なので、パソコン側の対応OSのことは考えなければならないけれど、それでもそう頻繁に買い替える必要はない。ただ、香憐さんのように、最新機器に触る機会が多ければあれも欲しいこれも欲しい、となってしまうのは、それはそれでとても良く判る話だ。
「でも香憐は基本KORG派だからねー」
「い、いやそれは夕香さんがKORGに個人的恨みを持ちすぎなんです」
苦笑して香憐さんは言う。綺麗で、控えめな笑顔。これで独り身だというのだから世の中判らない。背は一六〇センチくらいかな。さらさらのストレートで、ちょっと病的なくらい色白で、細い。ヤバいくらい細い。せっかく美人なのだから、もう少し肉付きが良いというか健康的に見えるともっとモテるのではないのかなぁ、などと要らぬことを考えてしまった。それよりもKORGに個人的恨みとはどういうことなのだろう。
「ま、それは確かにそうなんだけどさ。KORGにも良いシンセもキーボードもあるしね」
「そうですよ。涼子さんだって良いやつ持ってるじゃないですか」
涼子先生も確かに持っているけれど、何だったかな。Rolandだったのは覚えてる。だから私もRoland買おうと思ったんだもの。
「涼子はKORGもRolandも持ってるからね。それにま、フェンダーほど被害大きくなかったから、実際のところちょっとパフォーマンスでもあるんだけどさ」
私とのレッスンではRolandを使っていたということか。それにしてもパフォーマンス?全く話が見えなくなった。
「な、何の話ですか?」
私が恐る恐る聞くと、夕香さんはくるりとロングスカートの裾を翻して顎に人差し指を当てた。美人ポーズ!
「確か十年くらい前にさ、ガールズバンドのアニメ流行ったでしょ。あんたらじゃまだ見てないか……。え、待って、あれもう十年も前なの!恐ろしすぎない?」
ぎょるり、と音が鳴りそうなほどに目玉を動かして香憐さんを見る夕香さん。すっごい怖い目してるわ。
「お、恐ろしすぎますね……」
さぁ、と青ざめた感じで香憐さんも言う。確かにあのアニメのリアルタイム放映時では私は小学生だ。まだ音楽には興味がなかったころだから、当時は見ていなかった。でも最近は便利になったのよ。
「えと……無料配信されてるときに見ました」
「あ、わたしも!」
一応音楽を趣味としていて、アニメに登場するバンドメンバーに鍵盤奏者がいるので、気になってはいた。あれはどちらかというと『バンドをしている女の子、可愛い!』ではなく『可愛い女の子がバンドしてます』といった風体だった。それと、作者もあまりバンドについては詳しくないからなのか、ライブハウスでのライブの描写などは一切なかったし、機材の扱い方でもあまり詳しくないのは見て取れた。なので、バンドを一生懸命やろうと真剣になっている姿が輝いて見える!というアニメではなかった。それはどちらかというと去年あたりから始まったアニメの方が担っていると思う。
「あれでさ、作中のバンドのベースの子が、レフティだったわけ」
「……」
なるほど。何となく判ってきたかもしれない。
「レ、レフティ?」
「左利きね」
じゃあ右利きの人はライティというのかというと、それはレギュラーと言い表す場合が多く、なんだか私がもしも左利きだったら少し憤ってしまいそうな名称だ。確かに、世の中真っ二つに割ったとしたら、左利きよりも右利きの方が多いだろう。だけれどそれを標準と言ってしまうことに、私は傲慢さを感じてしまう。今の夕香さんの話には多分全く全然さっぱり関係ない話だけれども。
「あ、なるほど。楽器にもあるんですね」
「そりゃ勿論。でも需要は限りなく低いわね。で、まぁそのレフティのベース、本物のFenderよ!その予約が殺到したわけよ。聞いた話だとメーカーは順当にはけて二年分の物量だったって言ってたらしいわ」
「そんなに……!」
ブームとは恐ろしいものだ。音楽雑誌の記事で読んだことがあったけれど、三十年以上も前に起こったバンドブームでも数千円で買える粗悪なギターから、高額のギターまで様々な物が生まれては消えていったらしい。だけれど、今の夕香さんが話しているアニメの効果も、バンドブームほどではないにしてもかなり大きかったのだろう。
「そんな一気にバンド人口が増えるとかありえないですよね」
バンドブームとまではいかないにしても、そのアニメのおかげでバンドが、特にガールズバンドが盛り上がり、実際に同時期にアニメとは無関係で人気が高かったガールズバンドもあったおかげで、下火だったバンドシーンが再燃したのは確かなのだという。それでも、レフティのベースが二年先まで予約いっぱい、となった要因は恐らく別にある。
「当然左利きの人でベースやりたいって人が一気に増えるなんて有り得ないわよ。ま、中にはいたと思うし、今でもそれがきっかけで音楽の楽しさに目覚めてしっかり続けている人もいるだろうけどさ、でも内訳の大半はファンアイテムとして、大半はコスプレ用としての予約だったってわけ」
「なるほど……」
やっぱりそうだ。ここ数年で急激に一般的に認知されるようになった深夜枠のアニメやそういったアニメが好きな人たち。大手を振ってキャラクターがプリントされたTシャツを着て、キャラクターと同じアクセサリ付けて出歩ける時代になった。それは勿論喜ばしいことだし、絶対に虐げられて良いことではない。だけれど。
「ファンアイテムとしてならメーカーの本物が欲しくなるのは判らなくもないですけど、コスプレ用は……」
判らなくもないだけだ。無理やりに考えて。そのベーシストの女の子のキャラクターグッズだけでは飽き足らず、そのキャラクターが持っている持ち物にまで興味を示す、という人もいるのだろう。だけれど、コスチュームプレイ用ではいずれ不要のものになる。私は参加したことはないけれど、コミックマーケットなど、大きな会場でコスチュームプレイをして、偽物の、安物のベースを持つ人よりも、設定された本物のベースを持つ人の方が評価が高いということくらいは私でも想像がつく。
「でしょ。で、うちにもね、結構な予約が入ったのよ。レフティのベースだけじゃなくて、他のメンバーが使ってる楽器、GIBSONとかKORGとか」
「他のメンバーの楽器も同等ってことですね」
推して知るべし、と言ったところかな。
「そ。でまぁ、結局本当に楽器が弾ける人以外には無用の長物になる訳じゃない。そうじゃないにしたってじゃあ実際に憧れて弾こうにも右利きの人がレフティなんて扱える訳がない、ブームは去る、置き場所も食う」
「中古に売りに出された楽器が山ほど……」
指折り数えた夕香さんの言葉を続ける。
「そゆこと。別にあのアニメを恨むわけじゃないんだけどね。実際に女性演奏者やガールズバンドは増えた訳だし」
そう、アニメ作品はどこまで行ってもアニメ作品だ。ブームを巻き起こそうが、いつかは沈静化して飽きられてしまう。それでも、そのアニメをきっかけに音楽の、本当の楽しさに目覚めて続けている人は実際にいるのだろう。夕香さんの口ぶりでは。でもやはりアニメはアニメだ。現実の様には絶対にならない。
「でも、ああいう風に練習も特訓もしないでライブしたり速弾きしたり、っていうのは、挫折する人も生みますよね」
言っちゃなんだけれど、アニメを見ただけで簡単にできる楽器なんてただの一つもない。別にあのアニメが好きな人を馬鹿にするつもりも責めるつもりもまったくないけれど、実際の楽器演奏者はみんなあのアニメのように最初から楽器が弾けた訳ではないし、初心者が努力もしないで楽器ができるようになるなんてことは絶対に、ない。
「そうなのよ!あんな簡単に、アニメの中で歌われて実際に売れた曲みたいなもの出されちゃったらさ、やってみたい!って思う人も多いわよね」
実際に作中のバンドが作曲、演奏したという体裁で、何曲も明るく楽しく、演奏するには難度が異様に高い楽曲が発表された。中学生から僅か一年かそこいらの初心者があんなにも高難度の楽曲など実際には弾ける訳もなく、ましてや作曲などできもしないことは、音楽の授業でしか楽器に触れてこなかった人には、判らないのかもしれない。
「で、Fで挫折」
多くの初心者ギタリストの心を折ってきたFコード。音階で言えばファだ。ベースの場合は単音弾きなのでコードで躓くことはないのだろうけれど、問題となった楽器はレフティだ。右利き用に無理に弦を張り替えれば音は鳴るかもしれないけれど、正確に音が出るかまでは判らないし、ましてや初心者にその判断が出来るかどうかも怪しいものだ。
「Fの壁は、高いわよね……」
夕香さんも苦笑する。それほど初心者のギタリストにとっては鬼門であり、ごく普通の、いわゆるあるあるだ。コスプレ用かファンアイテムかで本物のGIBSONのレスポールを買った人は、折角だからやってみようにも、今までに全く音楽に触れてこなかった挙句、Fが弾けずに中古に売りに出す。
「Fってファ、ラ、ド、ですよね?」
こともなげに美雪は言う。そうよ、シンセサイザーやキーボード、ピアノは鍵盤三つしか押さなくて良い。
「だれかギター持って来て!」
夕香さんが声を高くする。こともなげに言った美雪に、地獄のFコードを体験させるつもりか……!
「呼んだかね」
「た、貴さん……」
どういう訳か、ギターを肩に下げ、ギターコーナーから貴さんが現れ、しゃらん、しゃらん、とFコードを鳴らしながら近付いてくる。なんかちょっと怖い。
「また暇つぶしに来たわね」
半分呆れつつ夕香さんが言う。い、いや暇つぶしって。貴さんは株式会社GRAMの副社長で-P.S.Y-のベーシストだ。何かと多忙なはずだし、そんな……。
「うむ!今日は涼子さんがお出かけで、みふゆは愁とデートだ!あ!香憐じゃん!おっちゃんとイチャコラす」
「しません」
やんわり、にこにこ。本当に暇つぶしだった!
「……寂しくて死にそうだぞ。ほぅら美雪、この寂しきおっちゃんを構え。さぁ、このギターを持つんだ」
「え……」
多分あれ、売り物だろうけれど、貴さんは肩に下げていたギターを美雪の肩にかける。
「さぁFを弾け!音が全部、ちゃんと鳴るまで帰れまテ」
「こうだぞ!」
今度は歩さんが貴さんの台詞を遮って、左手で自分の右手の前腕をFのコードを押さえる形で掴みながら現れた。それを美雪に見せつつ、ズンドコ美雪に詰め寄って行く。
「歩さん、バイト中じゃ……」
私たちの練習終わりまでスタジオにいてフロア清掃などもやってたはずだったけれども。
「これも仕事のうちよ!」
え、それはギターのFコードがどれだけ大変かを素人である美雪に教えることによってギターを買ってから中古に売りに出さないようにするため!
「なわけあるか」
ずびし、とエアツッコミをする夕香さん。そりゃそうですよね。そんな訳がない。
「えぇー!」
「……こ、こう?」
歩さんの抗議の声も他所に美雪がギターの一フレットをバレーする。
「マジメか!」
「異なる!こう!こうこう、こう!」
言って歩さんが美雪の左手の指をFの形に矯正して行く。ちなみに私もギターは弾けないのでFは無理。
「あ、だ、だめです!つりそ、ていうか、何で左利き用なんですか?」
「いやいやこれが右利き用よ!右利き用は左手でコード、右手でピッキング!」
そう、勘違いされがちだけれど、レフティは右手でコード、左手でピッキング。音階を変え、コードを変え、繊細な作業を必要とされるのが、利き手と逆、というのは弦楽器の不思議だ。
「あひゃー!」
「攣った」
そんなに力を入れなければ攣らないはずだけれど、軽く触れる程度では今度は音が鳴らない。しっかりと押さえなければ勿論ギターだって鍵盤楽器だって音は鳴らないものだ。
「ギタリストの人っていつもこんな苦行みたいなことしてるんですか?」
手をプラプラと振って美雪が言う。他の楽器を体験してみて初めて判ることがある。私はドラマーに同じようなことを感じたことがある。右手左手、右足左足、総てリズムは同じだとしても動かし方が異なる。でもそれを言うならば、鍵盤楽器は右腕一本、左腕一本ではなく、左手五本、右手五本の指と足まで使う、と言われたこともある。経験したことのない楽器の難しさを知るのは楽しいし、他の楽器のプレイヤーをリスペクトする一つの要因にもなったりする。
「や、慣れりゃ攣らないわよ」
「攣らないし楽しいな!」
「ですね!」
今はギタリストとして普通にギターを演奏できる歩さんでも、最初は苦労しているはず。普通に弾く、ということがどれだけ大変で、どれだけ特別なことなのかは、普通に楽器を弾ける者同士ではあまり認識することがない。だけれど楽器を一つ、普通に演奏できるようになるためには、練習が必要だし、根気だって要る。それは音楽だけではない。スポーツでも同じだと思うし、絵を描くこと、お話を書くこと、総てに通じることだ。小さな壁を、努力の末に少しずつ、一つずつ超えて行った先に普通に弾けるが生まれてくる。アニメでは、そこが表現されることは少ないし、表現されたとしても軽視されている。
「はいはい、歩は仕事戻んなさい。ジジイは家に帰れ」
ぽんと手を叩き夕香さんが取りまとめる。いやジジイって。
「酷い!」
せめておっちゃんと呼んでくれ、と喚くように……いや、喚く。
「今日は歩も来てくれてるし、やることなんかないわよ」
「いやいやいや、何かしらあんでしょー。洗濯とか洗い物とか、ゴミ拾いとか掃除とか」
え、貴さん暇な時にそんなことしに来てるの?私がアルバイトを始めてからは一度もなかったけれど。いやそうか、今は学生アルバイトがいるから来ないのか。てことは本当に、相当に暇なのかもしれない。
「GRAMの副社長がする仕事はない、つってんの!立場弁えなさい!」
つまり、旦那様の会社の副社長になんという仕事をさせているのだ、という対外的な事だろうか。
「社長副社長とかいう肩書で仕事を差別すんの、貴ちゃんは良くないと思いまぁーす!」
「じゃああんた、アルバイトの子らに社長業させてもいいって言うのね……」
確かに貴さんの理屈で言うならそれはそうかもしれない。
「それは差別じゃなく区別、区分だと思いまぁーす!」
「喧しい!あたしが言ってんのも区別でしょうが!」
せ、成論です……。
「歩、神がお怒りだ」
ひぃ、とわざとらしく言って貴さんが歩さんの陰に隠れる。
「貴さんが怒らせたんじゃないですか……」
「だって暇なんだもん」
何という屁理屈だろうか。貴さんの暇つぶしで毎回こんなことがあるのでは夕香さんが呆れるのも判る。
「暇だから神を怒らせに来るってもうイミフなんですけど……。ていうか我も神罰は恐ろしいのでこれにて!ニンニン!」
「あいつ、忍者でもあったか……」
しゅたた、と口で言って事務所に戻る歩さんを見送りつつ貴さんが言う。
「全く人を何だと思ってるのよ……。もう少ししたら六花のとこでも行ってきなさいな」
夕香さんもあれで本気で怒っていないのだから、何と言うかこの二人の関係も中々面白い。
「それも悪くない提案なんだが、まだ開いてない!」
六花……。知らない人の名前が出たけれど、何かお店をやっているのだろうか。この時間でまだやっていないとなると、お酒を呑むお店か何かかもしれない。
「りっか?さん?」
あ、美雪が反応した。
「あぁ、あんたたちにはまだ無縁なところだけど、ショットバーやってるオーナー兼バーテンダーよ」
な、なんだか本当に無縁だ。バーテンダーってビリヤードするんだっけ?あとショットバーって何?ただのバーとは違うの?
「ショットバーのオーナー兼バーテンダーっていう肩書がめちゃめちゃカッコイイですね」
え、何、美雪はショットバーが何か判るの?お酒飲むところくらいしか想像できないけど、美雪はそう言うところに行ったことがあるってことなの?
「そうね、本人も美人だし、お酒飲めるようになったらそこのジジイに連れて行ってもらいなさいな」
「ちゃんと成人なったらなー」
随分な言い様に貴さんが幾分か落胆した声で言う。
「こ、これから少しだけ涼子さんのとこ、行こうと思ってますけど……」
「おぉ、やるな羽奈!だがさっきも言ったが涼子さんは外出で今日は閉店まで眠しかいないぞ」
あ、そうかさっき言ってた。え、でも眠さんてアルバイトのはずじゃ……。お店任せられるくらいに仕事ができるってことなのかしら。いや、眠さんなら充分に有り得そうね。一歳しか違わないけど。
「あ、そうなんですね。でも眠さんともお話してみたかったので!……で、あの、ご一緒します?」
私たちは軽く駄弁りに行くだけだ。貴さんともゆっくりお話できる良い機会かもしれないし、こんなに寂しそうにしているのを放っておくのは流石に忍びない。
「それはジジイとして流石に忍びない……」
「誰も遊んでくれなかったから女子高生についてきちゃいましたぁ」
やけに嬉しそうに夕香さんが言う。
「それな!だっせぇ!」
「ていうか眠一人なんだったら手伝ってやんなさいよ……」
夕香さんも眠さんを知っているということね。まぁこの界隈でバンドや弾き語りをしているのなら、私たちのように何かしらの縁があって繋がっているのはもう不思議でも何でもないような気がしてきた。そもそも歩さんと同じバンドのメンバーだし、知っていて当たり前か。
「おいおいおれを誰だと思っていやがる!もちろん最初に言ったさ!」
ですよねぇ。やることがないならまずは奥様のお店を手伝うだろうし。
「邪魔なんで遊びに行ってもらって良いですか」
眠さんの真似なのだろうか……。いやに身体をくねくねさせて、ニヤニヤしながら夕香さんは言う。
「そこまで言われてないけど!あ!wire来た!神か!」
ポケットからスマートフォンを取り出し、貴さんが歓喜の声を上げる。
「……」
と、思ったら眉間にしわを寄せ、眉がハの字になって口までへの字になってしまった。
「な、ど、どうしたんですか?」
あまりの豹変ぶりに理由を訊かずにはいられなかった。なんだか心底嫌そうな顔だったので。
「酷くつまらない野暮用が……。行ってきまふ……」
「お、お疲れ様です……」
話すまでもない野暮用、ということなのかな、それは。ま、まぁ話す気がないならそれでも構わない。ともかく貴さんには用事ができたようだし、私たちはvultureに向かうとするか。偉くバタついた気もするけれど。
「じゃあ美雪はとりあえず色々いじってみて判らないことがあったらあたしでも香憐にでも訊きなさいね!」
貴さんがとぼとぼと取お店を出て行くのを確認してから夕香さんは気を取り直すように言った。
「あ、は、はい!」
夕香さんの言葉に美雪がぺこりと頭を下げる。
「よし、じゃあまた明日!解散!」
「お疲れ様でした!」
「お疲れ様でした!」
二人ともパワフルなアラフィフだなぁ……。私も見習いたい。
第五三話:美雪ちゃんの楽器購入 終り
読み終わったら、ポイントを付けましょう!