七本槍市 七本槍南商店街 楽器店兼練習スタジオ EDITION
「や、はい、真佐人さん達は勝浦から勝田へ向かってください。マップだと三時間以上ですけど多分三時間弱で到着できるかと」
パソコンのディスプレイにマップが映し出され、出発場所と目的地に青いラインが引かれている。到着まで三時間二十分。これは法定速度での時間計算らしいので、実際に走ればもう少し早く着くはずだ、と歩美さんに教えてもらった。
『誰か一人二人でも電車で行く?電車の方が速いでしょ』
電話の先で真佐人さんが言う。真佐人さんはもう大ベテランで、ピアノの調律もできるし楽器のメンテナンス、リペアまでできるEDITIONにはなくてはならない人だ。フェスが多くなる時期にはこうしてローディー班の職長を務めている人なので、一から十まですべてを判ってくれる人だ。
「いえ、電車の方が時間かかります。今のところ車のルートだと目立った渋滞もないので……」
『え、ホントに?電車の方が時間かかるの?』
都内であれば電車の方が早く着くのは当たり前かもしれないけれど、千葉から茨城の移動においては海岸線に近い地域では直線で目的地に行ける訳ではない上に、電車の本数も都心ほど多くない。そういうことが相まって、結局高速道路が使える車の方が早く到着するみたいだ。
「はい。多分電車の方がタイムラグはあまりないかと思うんですが、三時間四〇分て出てます。四〇分のロスは結構大きいですし……。とはいえ勝田はゴセッタがトリなので今からなら充分間に合います」
ゴセッタというのはGRAMに所属するGold Sex Helicopterというバンドの略称だ。ガレージバンド系の激しいロックをやるバンドで、若い男性から中高年まで人気を集めている。今日の勝田の漁港近くにある野外音楽堂でのトリを務めるくらいに人気のあるバンドだ。
『一応二人くらいは電車にしておくか……。予期せぬトラブルも考えられない訳じゃないし』
「ですね、そこは真佐人さんにお任せします」
私よりもよほど現場のことを知っている真佐人さんの判断だ。真佐人さんの班は六人。二人が四〇分遅れたくらいでは大きな問題にはならないだろうし、仮に車で移動する四人に何か問題があったとしても、二人なら何とか周りに協力を仰げば動ける。ここは真佐人さんの判断を信じた方が良さそうだ。
『了解。助かったよ、ありがとね、羽奈ちゃん』
真佐人さんは良い人だなぁ。今年で三六歳らしいけれど、中々格好良いし仕事もできる。彼女がずっといないみたいけれど、仕事ばっかりしていて女に目を向けようとしない、というのは夕香さんの弁だ。
「いえいえ、では!……はいEDITION、香椎です」
真佐人さんとの通話を終えた途端にまだ電話が鳴る。あぁもう忙しい!
『よーぅ羽奈!どっかトラブったって?おれ回ろうか?』
貴さんだ。プロのアーティストなのに裏方にまで気配りしてくれるのは本当に有難いけれど、そうは香椎が卸さない。
「貴さん、お疲れ様です。ダメです」
『や、おれ今日ライブ入ってないよ』
そういう問題じゃあないのです。
「かもしれませんが、-P.S.Y-は明後日お台場に出ます。もしものことがあるといけないので、お気持ちは大変ありがたいですが自粛お願いします」
怪我でもしてベース弾けません、なんてことになったら大変どころの騒ぎではなくなってしまう。
『えぇ……』
「貴さん?」
『りょ、了解……』
本当は判ってるんだろうけれども。自分たちの世話をしてくれているローディー班に報いたい気持ちは貴さんも諒さんも凄く強いから、時々物凄く困る。なのでそのお気持ちだけは有難く受け取りましょう。
「大変よろしい。他のメンバーの方にも共有お願いしますね」
『あらほらさっさー』
言っておかないとギターボーカルの川北さんや朝見さんまで俺も手伝う!なんて言いかねないところが-P.S.Y-の恐ろしいところだ。
「では!……はいEDITION、香椎です」
貴さんとの通話を終え、受話器を置くとまたすぐに電話が鳴った。あぁもう!
『おーっす羽奈!日比谷巻き巻きで一時間は巻きそうだぞ。勝田行くか?』
「ワルタさんお疲れ様です。ちょっと待ってくださいねぇ……。あ、日比谷からの方が全然早いですね。終了時間どれくらいの予定ですか?」
なんと、それは朗報だ。ワルタさんというのは勿論あだ名で、本当は渡瀬亘という名前だ。リンジくんと同じく元暴走族だったらしいので、悪ガキワルタというあだ名がついたそうなのだ。EDITIONに入ったばかりの頃は、あちこちで理不尽なことが怒ると我慢が効かずに問題を起こしたこともあったらしいけれど、それも仕事優先でのことだったらしいので、真面目な人だということは良く判る。今は結婚もして落ち着いたらしく、真佐人さんに次ぐ貴重な人材として働いているらしい。
『多分三時には終わりそう』
ふむ。となると真佐人さんの班よりも全然早く勝田に到着できる。真佐人さん達に危ない橋を渡らせなくても済むということだ。総額ン百万という機材も積んでいるし、少しでも早く着くために速度は多少出すだろうし、ということを考えるとやはりワルタさんの班に動いてもらう方が安全だ。交通事故なんて一番最悪なトラブルだし。
「三時、と……。了解です、じゃあ勝田の方へお願いします。真佐人さんには私から連絡入れますね」
『おぅ、よろしく!』
受話器を置くと、短縮番号に登録されている真佐人さんのスマートフォンの番号をプッシュする。程なくして真佐人さんが出てくれた。
「……あ、真佐人さん、香椎です。ワルタさんの日比谷が巻くそうなので、勝浦のバラシが終わったら撤収してください。ワルタさんの班の方が一時間半くらい早いので」
返事を待たず要件を言う。仕事の電話ではそれが大事だと歩美さんに教えてもらった。挨拶は勿論だけれど、まずはこちらの意図を速やかに伝えることが先決だ、と。そもそも何のために電話をするのかが判っていればおのずとそうなるはずなのだけれど、そうではない人も世の中にはたくさんいる。
『お、助かるー。それで今日はおしまい?』
「はい、とりあえず大丈夫そうです」
他にトラブルがなければ。なのは言わなくても判ってくれているだろうから言わない。
『おっけー、バラシはゆっくりやるわ。何かあったら連絡宜しく』
「はい、お疲れ様です」
『じゃねー』
バラシというのはどうも業界用語らしく、現場を綺麗に片づけて、撤収して、レンタルした機材なども全部返す作業のことを言うらしい。あとは、計画を立ててはいたけれど、計画が実行できないと判明した時に、その計画を白紙に戻すこともバラシというらしいから、恐らく、組んだものをばらして片付けて、元に戻すという意味合いが一番大きいのだろう。
……業界用語難しい。
「羽奈ちゃん凄いね……」
などと考えていると歩美さんが声をかけてくれた。私がローディー班の調整ごとをしている間も発注書の打ち込みや納品書の発行もしてくれている。なるほど、私がバッチリ働ける訳だ。これは正直に言って本当にありがたいぞ。もっと頑張って歩美さんや夕香さん達の気持ちに報いたいと思えてくる。
「そんなことないです!夕香さんのお手本があったのと、ローディー班の方たちがみんなフランクなので助かってます」
周りの人たちの気働きあってこその動きだ。その気働きがなければきっと私は委縮して思う通りには動けなくなってしまう。私が凄い訳では決してない。
「そうね、みんな上下関係とかに緩いから……。でもそれにしても凄いわ」
「でもここまでわちゃわちゃになることってあるんですね」
あまり覚えのないことで褒められるのもなんだか立場がないので少しだけ話題の矛先を変えてみる。
「毎年必ず何回かはあるわね」
「そ、そうなんですか……」
割とあるのか……。あんなに電話が連発で鳴るなんて通常生活ではずないことだ。
「去年までは莉徒ちゃんがやってたけど、莉徒ちゃんが動けないのもちょっと痛手だからね」
「課長ですもんね。私みたいなアルバイトでもできる仕事させてたら確かにもったいないです」
しかもイベント一つ動かしてしまうような行動力のある人だ。確かに会社としてそういう人材を遊ばせておくのは痛手でしかないのだろうことは、アルバイトを始めたばかりの私にだって判る。
「アルバイトの時はローディー班やってたみたいだけれどね」
「え、女の子なのにですか?」
今真佐人さんやワルタさんがやっているようなことをあんなちっこい莉徒さんがやっていたというのは想像つかないけれど、何と言うか本当に体全体で元気!みたいな人だからそれも充分あり得るのか……。
「夕衣ちゃんと夕衣ちゃんの旦那さんとかと交じってアチコチ飛び回ってたんだって」
「夕衣さんも……。すごいなぁ……」
色んなことを我武者羅にチャレンジしていたのかな。多分今の私もそうだ。肉体労働かそうでないかの違いはあるけれど、自分が好きだと思うことを一生懸命やって、そのために少しでも自分でお金を稼いでそれに使いたい、ということは社会的に見ても健全な行動だと思うし、素直に胸を張れることなのだと思う。疲れていても公園での演奏もしたいし、もっと曲をブラッシュアップしたいし、普通に遊びにだって行きたい。そのためにはやるべきことをやる。それが当たり前だと思うけれど、中々全部をきちっとできる訳ではない。でも今はやれている。だから今は気を抜くことなく、一つ一つをちゃんとこなして行きたい。
「凄いよね。今日は現場に出て職長してるし、莉徒ちゃんのバイタリティには驚かされちゃうわ」
私には到底できないなぁ。あまりやりたいとも思わないのが事実だけれど。でも莉徒さんのような人がいるから、私たちが演奏できる場があるというのも一つ、確かな事実だ。
「確かに……。二四日のイベントも主催者なんですよね」
「そうね。基本的には普通のイベントと変わらなかったんだけど……」
「どういうことですか?」
普通のイベントと変わらない、というのが何を意味するのか少し掴みそこなった。
「羽奈ちゃんsty-xって知ってる?」
「一応、名前だけは」
確か日本においての女性ロックバンドの始祖というとなんだかとても古い感じがしてしまうけれど、活動休止から復活して今も現役バリバリの女帝とまで言われる、女性だけで編成されたロックバンドだ。当時はもう一つPrecious Tearsというバンドもsty-xと比べると一般受けしそうなロックをやる女性バンドもいた。この二つのバンドが活躍してきたからこそ、女性バンド者が増えたとまで言われている、先駆者的なとんでもないバンドだ。
「前にイベントをやった時にsty-xとか呼んじゃって、結果的に軽いフェスみたくなっちゃってね」
「ちょっと大きくなりすぎちゃったっていうことですか?」
ていうかsty-x呼んじゃって、ってどんな政治力を持っているんだ莉徒さんは……。いや恐らく諒さんや貴さんにパイプがあったのだろうけれども、それにしたって莉徒さんはプロという訳でもないのに、そんな凄いバンドが出てくれるなんて確かに色んな意味でとんでもない。
「うん。だから、今年もやるなら、きちんとしたイベントとして、GRAMが面倒みるよ、っていうことになったみたいなの」
「な、なるほど……」
結局莉徒さんが一つのレーベルを動かしてしまったということなのだろう。やっぱりとんでもない人だ。自覚は無さそうだけれど。
「勿論出演者にギャラとかは出せないけれど、ノルマを設定してノルマ以上はバック、っていう形はとるみたい」
「じゃ、じゃあ集客も頑張らないとですね……」
なるほど。形式的にはライブハウスが行うライブイベントと同じだ。中央公園の占用にかかる費用や設営、機材費用、利益を賄うために参加アーティストにノルマを設定して、運営側の費用とする訳だ。商店街も協賛しているというから出店も出るだろうし、運営側としても協賛側としても利益は確保できるようになっているのだろう。アーティストの方もノルマ以上のお客さんを呼ぶことができれば、それがギャラとして支払われるということだ。それはつまり、通常ライブハウスで行われるライブと同じことだけれど、頑張ってお客さんを呼べば、私たちでも利益が上げられるということになる。
「だね。皆で盛り上げられるといいよね」
「はい!……それにしてもプロまで出しちゃうって、莉徒さんって凄いんですね」
今年も一組出るらしいけれど、-P.S.Y-との繋がりがあったとしても、-P.S.Y-を動かしてしまう程のバイタリティ。ただの元気っ子とは訳が違う。心の底から好きなことを楽しもうという気持ちが強すぎるのか、ただ単に純粋なのかそれは良く判らないけれど、とにかく一直線な人なのだろう。
「諒さん達とはたまたま出会ったみたいなんだけどね」
「そうなんですね」
強運も持ってそうだなぁ。そういう点で言えば私も同じか……。私も涼子先生の旦那さんが-P.S.Y-のベーシストだったなんて知らなかった訳だし。
「そこから諒さん達とはずっと友達で、一緒にバンドしてみたりイベントしてみたり、色々楽しくやってるみたい」
「いいですね、そういうの」
私もその輪の中に入ったばっかりなのかな。まだ莉徒さんとはゆっくり話せてはいないけれど、莉徒さんはわたしを認めてくれている。だから莉徒さんの気持ちにも報いたい。
「そうね。そこから少しずつ、夕衣ちゃんが加わったり、歩ちゃんが加わったりして、いろんな人たちが係るようになって、今の形があるっていう感じかな」
私たちみたいになし崩しと言ってしまうと少し乱暴だけれど、でもそうして仲良くなっていった人もいるんだろうし。歩さんなんてきっとそうだ。絶対そうだ。必ずそうだ。
「今回は私たちも加えてもらって、っていう感じですね」
「うん。どんどん広がってる感じ。諒さんや貴さんが若いアーティストたちを元気にしたいって言ってるのがどんどん実現されていってるんじゃないかな、って思う」
「そんなこと言ってるんですねー。凄いな……」
なるほど。社長自らローディーをやる訳だ。現場の空気感が好きな人たちなんだろうなぁ。自分たちの肌で、今の世代がどんな雰囲気で音楽をやっているのか、とかそういったものを感じ取りたいのだろう。実際に、夕衣さんや私たちの演奏を本当に楽しそうに見てくれていたのは凄く印象深かった。
「諒さんも貴さんも地元ラブな人たちだから」
「なるほどです。盛り上げないとですね!」
私たちが盛り上がれば盛り上がっただけ、うおー負けるかー!ってなるに決まってる。あの二人なら。それが相乗効果になってもっともっと盛り上がると良いな。
「うん。当日はお店閉めて、総出になると思うから、私も応援に行くね」
「はい、ありがとうございます!」
私はその時は何かやる仕事あるのかな……。いやあるのかなじゃなくて自分で探さないとダメね。アルバイトだからって何かを指示されるのを待っているだけなんて駄目だ。きっと会場は騒然としているだろうし、やれることはきちんと気を配って探さなくちゃ。
「それまでにいろいろ頑張らないとね」
「で、ですね……。宿題も大分進みはしましたけどまだ終わってませんし……」
まだ時間に余裕は有るから大丈夫だとは思うけれど、しっかりやらないと。
「あ、そっか、今年はそんな縛りもあったわね、そういえば。さすがに高校生の勉強はもう教えられないから、が、頑張って……」
流石に歩美さんに仕事のことをたくさん教えてもらって、勉強まで見てもらう訳にはいかない。自分の力でやれることは頑張らなければ!
「はい!」
第四四話:管制塔、香椎羽奈 終り
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