川元さんなら、母の再婚相手として非の打ち所がない人だと思ったのだけれど……。仕方ない、諦めるとしよう。
「まあ、加奈子さんは魅力的な女性ですから。絢乃さんたちがヤキモキしなくても、きっといい方に巡り合えますよ。恋なんてそういうものでしょう?」
「そうですね」
「僕もそう思います」
わたしと貢だって、周りがどうこうしなくてもきっとこうして恋に落ちていたはず。どういう形で出会っていたとしても……。
「――ところで、彼女さんとはどうしてご結婚なさらないんですか?」
「あ、絢乃さんっ! それは」
何気なく疑問を口に出すと、貢からたしなめられた。
「ああ、いいんですよ桐島さん。――それは、今の関係がいちばん心地いいから……ですかね。結婚という形に拘らなくても、僕は彼女と一緒にいられるだけで幸せなんです。今日び、三十路で独身の男なんて珍しくも何ともないですし。ま、彼女が妊娠したら、その時はちゃんと籍を入れようと思ってますが」
川元さんはあっけらかんと話して下さったけれど、わたしはようやく貢にたしなめられた理由を理解した。
「……何だか、野暮なことを訊いてしまったみたいで。ゴメンなさい」
「いえ、大丈夫です。僕は気にしてませんから」
心なしか、食事中の雰囲気が気まずくなった気がする。もちろんわたしが原因だ。砂を噛むような気持ちでお肉を頂きながら、わたしは猛省していた。
「――ところで、お二人は神戸に二泊されるんでしたっけ」
川元さんが機転を利かせて話題を変えて下さったので、わたしは少しホッとした。
「ええ。明日は一日、神戸市内の観光スポットを回ってみようかと思って。本当は貴方に案内役をお願いするつもりだったんですけど、明日は平日だし、ムリでしょうね」
「……ですね。ああ、市内観光をされるんでしたら、シティループという周遊バスを利用されるといいですよ。一日乗車券というのを買っておけば、その日一日何度でも乗り放題になりますから。僕はご一緒できませんが、観光を楽しんでいってください」
「へえ……、そんな便利なのがあるんですか。ありがとうございます」
さすがは地元民。わたしたち東京の人間が知らなかった情報を、川元さんは親切に教えて下さった。
「明後日からは淡路島に泊まるんですよ。わたし、行ってみたい場所がたくさんあって」
「淡路島ですか。僕は淡路島の南あわじ市出身なんです。本当にいいところですよ。残念ながら、ご一緒できませんが……」
「ああ、そういえば去年そうおっしゃってましたよね」
その事実を始めて知った時、わたしも貢もビックリしたものだ。だって、川元さんがあまりにも都会的な人なんだもの!
「なんか意外でした。川元さんはてっきり、神戸市内のご出身かと思ってたので……。南あわじ市っていうと、うず潮クルーズの船が出ている福良港のある市ですよね? わたしたちも明後日、うず潮クルーズを申し込んであるんですよ」
あと、動物と触れ合ったり、農業の体験ができたりするテーマパークもあるらしい。これはガイドブックからの情報だけれど。
「それはいい。自然の神秘に触れるいいキッカケになりますよ。食べ物でいうと……、今の時期じゃ三年トラフグは旬じゃないか。でも加工品が土産物として売られてますし、鯛なんかの海の幸も名物ですね。島全体で言えば、あとは玉ねぎかな」
淡路産の玉ねぎは有名で、加熱すると甘みが引き立つのだとか。インスタントの玉ねぎスープは、淡路島のお土産の中では大人気だとわたしもTVやネットで見たことがある。
「わぁ、スゴ~い! それだけ名物があれば、お土産には困らないですね」
少なくとも、母や会社の人たちへのお土産にはいいかもしれない。甘いもの好きのわたしたち夫婦とは違って、母はお酒が好きなので、おつまみになるものの方がいいかなと思っていたのだ。
「南あわじ市だけじゃなく、淡路島には観光スポットがたくさんありますからね。国生み伝説にまつわるパワースポットや、テーマパークや、洲本温泉も有名ですね」
「洲本温泉なら、わたしたちが淡路島で泊まる宿もそこに取ってあるんですよ」
淡路島にも二日間滞在することにしているので、二日かけてあちこち回ってみよう。プライベートな旅行だと、のんびり過ごせるからそういうこともできそうだ。
「そういえば、川元さんはどうして神戸まで出てこられたんですか?」
彼の話からは、出身の島が大好きだという気持ちがダダ洩れだ。とても、島の暮らしがイヤで都会に出てきたとは思えないのだけれど……。
「それは、たまたま島の中に僕が進みたい学部の大学がなかったからです。進学を機に明石海峡を越えて、十八年神戸に住んでますが、今でも長期休暇の度に故郷には帰ってますよ。同じ兵庫県内ですし」
「そうなんですね……。わたしも彼も東京生まれ・東京育ちなんで、〝ふるさと〟っていえる場所がないんです。いいなぁ、ふるさとがある人って……」
生粋の都会っ子同士であるわたしたち夫婦。この旅行をキッカケに、淡路島が〝ふるさと〟と呼べる土地になったらいいなぁと思った。
お喋りに花を咲かせながら、美味しいデザートまで平らげてお腹いっぱいになったところで、わたしたち三人はお店を後にした。
「――川元さん、今日はお付き合い頂いてどうもありがとうございました。ここの支払いは、わたしに持たせて下さい」
わたしが愛用のピンク色の長財布からブラックカードを取り出すと、川元さんが遠慮がちに首を横に振られた。
「いえ、この店をお二人に紹介したのは僕ですから。僕が支払いますよ」
彼はやっぱり、自分がもてなす側なのだから、支払いも自分がすべきだと思っているらしい。
でも、仕事での接待ならともかく、これはわたしと貢だけのプライベートな旅行でのお食事。お誘いしたのもわたしなのだから、支払いもわたしがするのが筋だと思う。
「ううん、いいから! これは接待じゃないし、お誘いしたのもわたし。だから、ここの支払いもわたしが。お願いします、川元さん!」
「……分かりました。会長がそこまでおっしゃるなら、素直にご馳走になるとしましょう」
渋々みたいだけれど川元さんも折れて下さって、わたしは無事に食事代の支払いを済ませた。
「会長、ブラックカードをお持ちなんですね……。あの若さで」
「スゴいでしょう? 僕も最初にあれを見た時、ビックリしましたから」
支社長とはいえ、川元さんもただのサラリーマンである。クレジットカードはお持ちみたいだけれど、さすがにブラックカードを目にする機会なんてあまりないのかもしれない。
「――それじゃ、わたしたちはこのままホテルへ戻ります。明日からは観光を思う存分楽しんできますね。川元さん、おやすみなさい」
「おやすみなさい。今日は本当にありがとうございました」
「会長、桐島さん、おやすみなさい。お母さまによろしくお伝えください」
川元さんと別れたわたしたちは阪急電鉄の神戸三宮駅前からタクシーに乗り、チェックインを済ませていた新神戸駅前のホテルに着いたのは夜の八時過ぎだった。
カードタイプのルームキーを使って入ったスイートルームは広くてキレイで、寝室の大きな窓からは神戸の夜景が一望できる。
「わぁ……っ! ねえねえ貢、見て! すごくいい眺めよ!」
目の前に広がる百万ドルの夜景(今はこんな言い方しないのかな?)にわたしは歓声を上げ、窓際に貢を手招きした。
「うわ……、ホントだ。キレイな夜景ですねぇ。東京の夜景もキレイですけど、神戸のはまた違いますね」
「うん。なんか、温かみがあるよね。町の雰囲気のせいかしら」
この温かみの夜景に包まれて、わたしは今夜、貢との新婚初夜を迎えているのだ。
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