ねっとりと絡みつくような闇の中、俺は地べたにうずくまっていた。
ひたひた、ひたひた。臓物の塊のような何かが,ゆらゆらと身体を揺らしながら近づいてくる。
逃げなければ。アレには敵わない。そう思いながら、しかし血を流し過ぎた体には力が入らず、まともに動くことが出来なかった。
腕をもぎ取られ,足はあらぬ方向に曲がっている。へたりこんだまま左手をなんとか持ち上げ、全力の<火の玉>を放った。
人間の頭部ほどの<火の玉>は燃え盛りながら怪物に命中し、肩口をえぐった。
大きく陥没した肉塊にはわずかに火が移り煙があがっていたが、ボコボコと内側からふくれあがり、すぐに元の形を取り戻した。
ソレは笑っていた。
人とも獣とも虫とも見える部品を左右滅茶苦茶につなぎ合わせたような顔はぐちゃりとゆがみ。ゆっくりと,ゆっくりと覆いかぶさる。逃げようにも、足元が滑って、立ち上がることも出来ないままで。
腐った肉と、血と、熟しすぎた果実の臭い。
無数の目玉が、俺を舐めまわすように見て、
左右に開いた鋏のような顎が俺の首に齧りつき、
鮮血が舞った。
血と化け物の唾液が混ざりあい、生温かい液体で肩の周りが酷く汚れていた。
ぐちゅぐちゅと音をたてながら俺を捕食する化け物。
視界は霞み、もはや触覚や嗅覚は何も感じる事は出来なかった。意識を失う寸前、俺の瞳は、化け物が眼球に齧りつこうとする瞬間を映しーーー
◆◆ローラン
「...ぁ!...っはぁ、はぁ、はぁ!」
夢を見ていた。
季節は二月。外は雪が降り積もっているような寒い時期だというのに、じっとりと汗を書いていた。窓の外はまだ暗い。
ちらりとアンドウを見ると、ぐっすりと寝ていた。まだ真夜中の様だ。
嫌に鮮明な夢だった。腕には鳥肌が立っており、震えが止まらなかった。
もう一度目を閉じて眠りに落ちるのは躊躇われ、俺はベットのなかで朝が来るのを待った。
◆◆ローラン
「また同じ夢を見たんですか?」
「ああ。最悪だ」
「ふーん」
以前にも似たような夢を見たことがあった。その時は頼れる人間が居なくて、どうしようもなくなって『アンナの心霊相談事務所』に相談に来た。
アンナは、ゾッとするような青く美しい瞳、冷たく輝くストレートの黒髪を腰まで伸ばし、陶器のように白い肌を持つ、身長百五十センチに満たない小柄な女性だ。
アンナは名の知れた天才≪黒魔術師≫であり,特に<死霊術>に関しては国内に右に出るものがいないほど。そのため≪役割≫は≪死霊術師≫と診断されているが,本人はいつも名探偵を名乗っている。
結局,専門は何なのか。良く分からないやつだ。
アンナの心霊相談事務所は探偵業に加えて<退魔師|エクソシスト>としての仕事を請け負っている。
俺の事件の時は天才≪黒魔術師≫のアンナでも夢解析は成功しなかったのが、別な事件が発生し,その解決に <世界の小記録簿>が役に立った。
それ以来助手のような役割を果たすことが増えるようになり,たまに手伝って小遣い稼ぎにしている。
今日は道具屋で色々と買った帰りに、近くまで来たので立ち寄ったてみたのだ。
事務所は首都ブルタニアの雑多な区画の一角にある狭い建物にあり、二部屋ある。
部屋は入口側に二人掛けのソファが二つ、小さなテーブルに向かい合うように置かれていて、そのスペースをアンナは客間と呼んでいる。
奥側は事務スペースになっていおり、事務用の机、ランプ、書類を詰め込んだファイルが並ぶ棚が二つ。窓は大体開けっ放しになっており、<結界>によって雨風や虫は入って来れなくなっており、<使い魔>のヤタガラスだけが出入りできるという便利仕様。
そこまでが一部屋で、もう一部屋は魔術用の倉庫兼研究室になっているが,客は立ち入ることはない。<認識阻害>の魔術によって隠されているのだ。<認識阻害>は意識されることを妨げる魔術だ。存在感が薄くなるというか、気にされなくなるし、忘れられ易くもなる。
本当は倉庫の方が広いのだが、一部屋に資料や生活スペースの全てを押し込む形になっており,『相談室』はかなり狭いしごちゃついている。
今俺達は客室でお茶を飲みながら、差し入れに持ってきた焼き菓子をむしゃむしゃ食べていた。
「嫌な予感がする......なあ、頼むよ。調べてくれないか?」
「えー。私も忙しくなりそうなんですけどね」
「?」
なんでも,貴族たちの間で<幸福の実>というのが流行っているらしい。幸せな気分になれる何かなのだが,それが危険だということで,調査を頼まれているとのことだ。
幸福とかいう名前のものって、全て胡散臭く見えるよな。不思議だ。
「マジで嫌な予感がするんだ。何とかならないか?」
「ふーむ......仕方ないですね。<幸福の実>の前に解決してしまいましょうか。......『占い師の夢』ですか」
「お代は弾むよ」
「勿論ですよ」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!