アンナが口を開いた。
「それでは、視点を変えましょうか。『精霊憑き』は、<扉>が現れる際に近くにいる必要はありますか?」
「ない。砦の<結界>の中なら、どこにいてもいい」
ローランの答えは簡潔で、そして絶望的だった。
「それって、逃げられないってこと!?」
トレイシーが騒ぎ出した。それとは対照的に、答えは淡々と帰ってきた。
「そうです。でも、反撃策はありますよ」
ローランは懐から何かを取り出した。
それは灰になった<御守>だった。
「昨晩、俺も襲われたんだ」
「<御守>は有効なようですね」
アンナは少しだけ安心したように、小さく息を吐いた。
「<御守>を持っている獲物を襲うのはかなりのエネルギーがいるらしい。だから、一晩に壊せる<御守>は一つだけだ」
「それは確かですか?」
「ああ。どの夢でも、二枚も破壊されたことは無かったし、<御守>を壊された『人間』が同じ晩に犠牲になったこともなかった」
「さすがは私の<御守>、といったところでしょうか。......ということは、『精霊憑き』は、<御守>を持っている『人間』を一人襲って<御守>の数を減らしつつ、<御守>を持っていない『人間』を襲うのが定石ということになりますね」
「そうだな。<御守>の数は減らした方が『選ぶ』のが楽だからな。そして、もう一つ。『精霊』は人を殺すと、その晩の殺意が治まるらしい。つまり、<御守>を破壊する前に<御守>を持っていない『人間』を襲うと殺してしまい、その晩に<御守>を破壊できない。そして、<御守>を持った人間を二度襲ってしまうと、力を使い果たし、『精霊』は崩壊する」
怪物は初め、ローランを襲った。しかし<御守>を持っていた彼は生き残り、彼は別な誰かを『選ん』だ。結局犠牲になったのはクラーク自身だった。
どういう基準でローランを選んだのだろう。
もし、『精霊』の気まぐれなのだとしたら......。
今生きていられるのは、単なる偶然なのかもしれない。そう思うと、背筋に冷たいものが走った。
その時、ずっと黙っていたジョンが突っかかった。
「そいつの言ってることは確かなのかよ」
ローランは頷いていたが、ジョンは納得できないような顔だった。
「さっきから、妄想を垂れ流してるだけかもしれないだろうが」
間に入ったのはアンナだった。
「ローラン君は『人間』です。私の知人だから庇っているわけではありませんよ。
アンドウ君殺しの事件が起きた夜、『精霊憑き』はクラークさんでした。アンドウ君の身体には、『精霊憑き』であった痕跡が残っていなかったからです。これは、オリヴァーさんと二人で確かめました」
ちらりとアンナがオリヴァーに目を向けると、オリヴァーは静かに頷いた。
「ですから、アンドウ君を殺したのはクラークさんで間違いありません。そして、昨晩の『精霊憑き』はクラークさんで、ローラン君は<御守>に守られていました。<御守>を破壊した後、もう一度ローラン君を襲うことは出来ません」
「もし、<護符>の効果があったフリをしているだけだったらどうするんだよ!」
つらつらと説明を続けるアンナに、ジョンは苛立った様子だった。
「<護符>が壊れた理由として考えられるのは三通りで、それぞれ魔力紋が異なります。
一つ目、『精霊』の干渉を妨害したことで<御守>が壊れたなら、私の魔力紋と『精霊』の魔力紋が残ります。
二つ目、<御守>を<火属性の魔術>で燃やした場合、<火属性の魔術>の使用者の魔力紋だけが残ります。
そして三つ目、<御守>の効果とは関係なく『精霊』に破壊された場合は『精霊』の魔力紋だけが残ります。
実際には、私の<月光の魔眼>には、私の魔力紋と『精霊』の魔力紋が映りました。<護符>の効果があった証拠です」
「お前らがグルだったら? ローランが言ってることもアンタが言ってることも全部嘘っぱちだったらよぉ」
きっと、ジョンは不安なのだろう。
しかし、彼の言い分もあながち間違いとは言い切れない。
<御守>の魔力紋についてはアンナの自己申告だ。昨晩の<扉>が出た瞬間にアンナは違う階にいたことに関しても、<扉>が遠距離から起動できるなら、アンナが『精霊憑き』でも矛盾が無いということになる。結界師が『精霊憑き』になれば結界が崩壊する、というのも、ローランの嘘かもしれない。この中には『精霊憑き』と『狂信者』がいるのは確実なのだから。
だんだん混乱して、よく分からなくなってきた。
アンナは目を細めた。
「それを明確に否定することは出来ませんが......私が<御守>を配ったのは何のためとお考えですか? 時間稼ぎや、思考を誘導するためでしょうか?」
「お、おう」
「そのためにわざわざ小道具を持ち出した、というのは、説得力が薄いように思いますが」
「......それだけか?」
「じゃあ、今晩から、私の魔道具は<御守>と<結界用具>以外全てジョンさんにお預けします。いいでしょうか?」
「分かった、それでいい」
「<御守>は?」
ダニーが口を開いた。
いつも喧嘩腰なダニーには珍しく、やけに静かな口調だった。
「クラークも<御守>を持っていたはずじゃないのか? なんでアイツは死んだんだ」
「......クラークさんは<御守>を持っていませんでした」
「は? どういうことだよ!」
「『精霊』の精神汚染じゃないですか?」
ローランがつぶやいた。
「クラークさんは『精霊憑き』になったなら、『精霊』に味方するような行動を取るようになります。だから、<御守>は捨ててしまったんじゃないですか」
説明するローランをダニーが睨んだが、アンナが説明を受け継いだ。
「昨晩は『選ばれし者』に『精霊』が移動して、旧『精霊憑き』は『精霊』が出ていったために犠牲になったということになります。そういう場合、あの<御守>は効果を発揮しません」
ダニーは腕を組んで黙り込んだ。
アンナはみんなを見回して続けた
「それと、謝らなければならないことがあります。私が持っていた御守の数は十枚でした。しかし、メンバーは十一人ですから、一枚足りませんでした。しかしそれではパニックになってしまう、と考えました。なので巾着袋に入れて、誰が持っているか分からないように渡しました」
「てめぇ、人に偽物を渡しておいて、自分だけは確実に本物を選べるだろうが!」
「すみません」
ついにダニーの怒りが爆発してしまった。
いつもイライラしているような雰囲気の彼だが、怒気に燃えるその目は昨日までの怒りとは全く違っていた。
ローランが遮った。
「待った、ダニーさん。結界を扱えるアンナが死ねば、結界が崩れて全員竜の餌食だ。アンナは確実に<御守>を持っているべきだ」
「それも嘘かも知れねぇんだろうが!」
今にも殴りかかりそうな様子に空気が張り詰めたが、ダニーはなんとか堪えたらしい。
その怒りも、もっともだ。
もしかしたら、『ハズレ』を引いたからこそクラークは亡くなったのかもしれない。それを隠すために、アンナはクラークが『精霊憑き』だったと言ったのかもしれない。
アンナさんがそんなことをするとは思えないが、精神汚染は性格を変えてしまう。
もしかしたら、私たちは二人に騙されているだけなのかもしれない。
そんなふうには考えたくないけど......。
「はぁーっ......クソ」
ダニーは深く息を吐くことで、怒りを押し殺すことに成功したらしい。
それでも、アンナを敵を見るような目で睨んでいた。
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