「五百だ、五百賭ける!」
「強気だな。良いぜ、やろう!」
答えた日系アメリカ人、リョウ・エドワーズは横に並んだ大きな物体に目をやる。
長さ四・四メートル、幅一・七メートル、高さ一・三メートル。クーペ型のガソリン式自動四輪車だ。黒い車体に細い目の如きヘッドライト、そして大きなリアウイングが特徴的な、このスポーツカーは“本当は”百年以上も昔に生産が終了しているものである。
ドアを開け、バケット型のシートに深く座り込むリョウ。
「一マイルで良いんだろ?」
「勿論だ。作戦があるんでね」
自信ありげに言った同年代くらいの男。リョウの左隣の車両へ乗り込む。
相手のも同じく、容量が発達したキャパシタバッテリー自動車か水素燃料自動車が一般的な、現代においては廃れ、あまり生産もされていない、旧式の内燃機関による自動車だ。
この時代の技術では、ボディはCG設計とカーボン材料による大型3Dプリンタで再現し、オリジナルの旧式自動車よりも強度がありながら、より軽量な車体を作る事が可能だ。
エンジンは耐熱性を考えて昔と変わらず鋼鉄製。これは金属電気接合式3Dプリンタが用いられる事が多い。
ボンネット内は、高出力高回転のエンジン用にプログラムを書き換えられた燃料噴射制御装置や、化学反応式バッテリーよりも遙かに充放電性能の優れた電気二重層コンデンサ等、現代らしく時代違いな物で多数埋められている。
技術は進歩したが、自動車の構造は発明された二百年以上前から基本的に変わっていない。
右足でブレーキ、左足でクラッチを踏みながら、エンジンを噴かせるリョウ。回転数を示すメーターが毎分六千回転を示し、マフラーからヘキサン燃料、不純物を一切含まない人工ガソリンを燃焼した事による二酸化炭素と水蒸気を吐き出す。ブオオン!――空気が震える。
相手も競うようにエンジンを鳴らす。若干音が高いのは吸気を圧縮するターボファンによるものか。
乾いた土の上に無愛想に引かれた横線に沿って、二台が車の先頭を合わせ、止まる――歓声が上がった。
主に若者で構成された観衆が声援を送りながら側面に集まる。その中から一人の若い女性が二つの車の前に現れた。
「二人とも、準備は出来てる?」
「オーケイ!」
「当然だ!」
長い金髪が特徴的な女は、右手で後ろにロングヘアを撫でながら、もう片方の手で、
「レディ!」
まずリョウを指差す。アクセルを一層踏み込んだ。
「レディ!」
次に隣の対戦相手。エンジンが爆音を奏でる。
女が右手を高々と上げ――エンジンの回転数を示すメーターが一定の位置を保つ。
「ゴー!」
女が腕を下ろした。ブレーキとクラッチから足を放す――座り心地の良いバケットシートに押し付けられる感覚。バックミラーが砂埃に覆われる。
あっという間に回転数メーターが毎分七千回転に達し、左足を踏み込んでギアを一段――緩くなった加速が増す。
続けて三速。隣の車とはまだ並んだままだ。段々と景色が速くなる。更に四速。
戦争時代からまだ残る廃墟群を走り抜け、スタートから二百メートル目、最初の交差点が奥に見えた。ギャラリーと赤い三角コーンが右に曲がれと示している。
「悪いが今日は俺が勝つぞ!」
突然、右側に居る男が叫んだ。横目には相手がハンドルを押すように体を前傾させるのが見える。
バシューン!――ニトログリセリンの爆燃音と共にマフラーが炎を吹き、車体が前へ。
「んな無茶な! 負けてられるかよ!」
ぼやくリョウはブレーキを踏んで減速し、四速から三速へ、ハンドルを右に切る。
ギギギギギ!――砂煙を上げ、タイヤと地面が擦れ合う摩擦音。
外側へ投げ出されそうな遠心力を受けつつ、ハンドルを左に傾ける。車の向きを変えつつ、コーナーからの脱出加速を同時に行うドリフト走行だ。
曲がり終えた時、相手の車両は十メートル先。
三速、四速、そして五速――しかし距離はジリジリと突き放されている。
前のコーナーから二百メートル先にあるコーナーが見えた――バシューン!
「クソッ! 四駆にツインターボに、スピード違反だこの野郎! おまけに序盤ニトロなんて贅沢過ぎるぜ甘ちゃんよお!」
「残念ながら俺は何時までも負けてられる程甘くはねえ!」
相手の車が九十度のカーブをギュンと曲がる。無理にグリップを利かせたタイヤ痕が、通った道を示していた。
ブレーキを踏みながら、五速、四速、そして三速――廃墟の角を抜け、アクセルを力強く踏み込み、タイヤの摩擦音。
ここから直線四百メートル先には折り返し地点がある。そこをUターンし、来た道を辿って出発地点にまで行けばゴールとなるルールだ。
「俺が貰うね!」
相手の強気な発言と同時に燃焼音。突き放される。
「いいや、今回も俺だ!」
強く言い返し、リョウはシート横のサイドブレーキの後ろにある、ボンベの口から伸びたホース根元にある栓を開けた。
ハンドルに付いているボタン、ニトログリセリン噴射スイッチを、力強くプッシュ――体が後ろに引っ張られ、景色が引き延ばされる。
リョウの車の先頭が、相手の車の尻に追い付いた。
両者がギアを、それぞれ最大の六速へ――互いのスピードメーターの針は時速二百キロメートルを示している。
「速え?!」
二台の先頭が並んだ。
「ワンターボ二駆舐めんな!」
中間の折り返し地点を示す赤いカラーコーンが、半壊した建物達の奥に見えた。
カラーコーンは左に曲がるというルールを予め決めている。現在リョウの車は右側、相手は左側。
慢心した左の男が勝ち誇るように言った。
「俺の勝ちも同然だぜ! 四駆を見くびったな!」
「どうかな? まだ終わっちゃねえぜ!」
強く反抗。次の瞬間、リョウはブレーキも踏まずにハンドルを思い切り左に回していた。
「危なっ?!」
「これがドリフトだ!」
相手は減速し、内側をスリップ気味だった。一方、リョウの車体はスピードを維持したまま外側から攻める。
百八十度のターン。同時に観衆の歓声――あと半マイル。
コーナーから抜けた瞬間、二台の先頭は横に並んでいた。
最短距離を重視した相手はギアを低くし、低速状態から加速し始める。速度を維持したまま、リョウは突進。
「どうした? カーブじゃ負けないんだよな?」
「何を、これからだっての!」
相手が、数メートル先に出たリョウの車に向かって吠えた。
ヘアピンカーブを滑るように曲がった二台の車を見て、歓声を上げる若者達。
後ろでその様子を眺めていた、一人の大柄なスーツとサングラス姿の男は、呆れてため息を吐いた。
(戦争だというのに警戒心が無さ過ぎる。まるでパーティ会場だな。これじゃあ仕事が楽過ぎて話にならん)
群衆から離れ、人気の無い廃墟群へ向かって歩き出す。体格が大きい筈の彼に、目を向ける人物は誰一人として居なかった。
(聞こえるか? 作戦開始だ)
『了解』
『分かった』
念じると、頭に二つの声が入ってくる。耳の穴に取り付けられたテレパシー送信型の通信機によるものだ。装着者の思考を読み、暗号化した電波を味方の通信機に送信する。音は耳の中で鼓膜を直接振動させるので、外には漏れない。
(では予定通りに行こう)
『任せた』
『さっさと済ませて帰るわよ』
やがて開けた場所に来た。荒野の奥には、都市中央部の高層ビル群。
特にその真ん中のビルに向かって、手を伸ばす。まるでその掌から何かを送ろうと……
「させねえよ!」
頭上から若い男性の声――跳び退く。
突如にして地面に出来上がったクレーター。中心部には、誰かが片膝を着いて立っていた。
「ロスにようこそ。検問だ、パスポート見せな」
(もう気付かれたか。若いが相当の手練れと見た。飛行能力持ちか?)
「コラ、無視すんなよ。ロスから地獄への観光案内してやるぜ」
心の中で感心したサングラスの男は、無表情を保ったままだ。立ちはだかるラテン系の青年、レックス・フィッシュバーンも、冗談を交える程の余裕を見せていた。
青年がジャケットのポケットから携帯端末を抜き、耳へ。
「ハンさん、今敵に……」
レックスは急に黙った。何故なら、スピーカーから聞こえたのは意味を持たぬ雑音だけだったのだから。
「何でこんな良い仕事してる時に限って……お前の仕業か!」
ノイズを発する機器を投げ捨て、愚痴と共に叫ぶ。
返事の代わりに、“エネルギー”塊の大群の飛来――その奥ではサブマシンガン型の銃がこちらを狙っている。
上昇。回避し、宙で停止した。
(念動力系の能力か?)
「喰らいな!」
何処からかアサルトライフル型の銃を持ったレックス。空中から銃弾の雨を降らせる。
砂の上に弾痕が出来ると同時に、巻き上がる砂煙から跳び退く相手。向こうは銃を再び構え、上空に振り上げてトリガーを引く。
体を錐もみ回転させ、躱しながら撃ち返す青年の姿は、まさしく戦闘機そのもの。
「避けんなよっ!」
指を引き金から外し、相手に右掌を差し出したレックス。表面には“エネルギー”が輝いている。
“エネルギー”が作用し、周囲の空気を掌の上に集中させる。外側から見れば、高圧の空気がレンズのように背後の景色を歪ませている。
突如、空気塊が発射される。見切った相手が瞬時に体をスライド。
ドバン!――空気塊が地面を削り、破裂した。空気分子が拡散し、圧力が逃げたサングラス男の背中を押す。
青年が狙い直した銃口、銃弾が飛び出る。一秒当たり百発。
相手は崩れた体勢から地面を転がり、前進し避けながらお返しに銃弾を送りつける。こちらも秒間百発。
「気体操作」によって生み出された圧縮空気が、青年の身体を上空に飛ばす。弾を避けながら空中で方向転換し、重力加速と空気流を合わせ、正面衝突。
「負けねえよ!」
ラテン青年の操る気流は、衝突後もなお自身を加速する。結果、相手だけが吹っ飛んだ。
男は岩に背中を叩かれるものの、破片と砂を払いながら平然と立ち上がった。
一切ブレないサングラスに隠されている表情も、一切変わらない。「マジかよ」と青年。
ふと、レックスは十メートル先の人物の周囲を、“不可視の輝き”が覆っているのが見えた――“彼ら”にしか見えない“エネルギー”。
“それ”は周囲へ広がり、廃墟一帯どころか都市部にすら流れている。その流れを辿り、発信源がこの男である事を青年は突き止めていた。
(妨害とは汚ねえや。しかし、俺が気付く位の『エネリオン』だ、こっちに気を取らせる陽動かもな。ジャミングは本命を隠すためか?……しかし、リョウの奴まだ遊んでんのかよ!)
近くの廃墟群でスポーツカーを乗り回しているであろう親友の事を考えながら、心の中でまたもや嘆くのだった。
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