四角い廊下を歩きながら少年は考え事をしていた。
この建物は医療施設かと思ったが、違うらしい。少年の前方を歩く少女によれば、この都市の中心部に位置する二十階建ての建物は、彼女達が所属する「組織」の事務等を行う支部だという。医務は一応可能といった所か。
その「組織」とは何か、と訊くと彼女は「これから会う人が教えてくれるわ」とだけ言い残し、ゆったりとした歩き方で先頭を歩き続ける。
廊下の窓から景色が目に飛び込んでくる――まず大地から伸びる建つ大小様々な建築物。離れた場所には古い自然光栽培式の農業地帯の緑色。更に遠くには砂色に染まる廃墟や荒野――一度文明が崩壊し、その上で再建が行われている模様だ。
「あっそうだ」
明るい声によって意識が引き戻された。正面では、少女が長い灰髪を揺らしながら百八十度振り返り、こちらと目を合わせる。釣られて立ち止まった。
「もう聞いたと思うけど、私はアンジュリーナ・フジタ。これから色々私も教える事あると思うから、改めてよろしくね」
「分かった」
返事されてアンジュリーナが眉をひそめて少し黙ったのは、少年の反応があまりにも薄情だったからに違いない。それでも少女は気を取り直して言った。
「アダム・アンダーソン、それが貴方の名前なんでしょ?」
「そうらしい」
「……貴方の事はアダムって呼んで良い?」
「分かった」
「じゃあ私の事はアンジュって呼んでね」
「分かった」
少女は柔らかに話し掛けているが、少年は表情一つ変えず平らな声で、聞き手によっては冷酷に返す。当のアンジュリーナもそう感じていた。
(やっぱり怒ってるのかな?)「……アダム君、貴方に言っておきたい事があるの」
「何だ?」
少女は微笑みから一変、悲しみを帯び、俯く。灰色の髪と目に暗さが追加された。
「私は、貴方を助けたかった。苦しそうな貴方を見て……でもそれが貴方を傷つけてしまう事になって……ごめんなさい!」
勢い良く頭を深く下げたアンジュリーナ。相手は立ち尽くしたまま、手を差し伸べも突き放しもしない。ただ無言で観察している。
(アダム君、やっぱり……)
嫌な予感。アンジュリーナは頭を下げたまま、硬直していた。
「何故頭を下げる?」
突発的な疑問。それ以上は何も無い。冷えた声はかえって少女を緊張させた。
「だって、酷い目に遭って怒っているでしょう……」
「どうでも良い」
断言。思わず顔を上げる。冷たい言い草が、この時の彼女にとっては救いだった。
「アンジュリーナ、君は戦場で不思議な顔をしていた。今のその顔と似ている」
「へっ?」
「……いや、何でもない」
言われた事が分からず、拍子抜けた声を上げた少女。一方、少年は混乱したように首を振って話題を打ち切った。
少女に先立って歩き始めたアダム。アンジュリーナがそれを見るや否や、自分が先導する役割である事を思い出し、慌てふためきながら追い越した。
無言のまま歩き続ける。
「アンジュリーナ」
先に沈黙を破ったのは、アダムだった。
「アンジュ、で良いわよ」
「……アンジュ、知りたい事がある。君の分かる範囲で構わない。頼んだ時で良い、教えてくれ」
相変わらず無表情で、ものを頼むにしては無愛想な、淡々とした口調。
「分かったわ」
それでも少女の方は、単に頼まれたのが嬉しかったのか、それとも愛称で名前を呼ばれたのが良かったのか、灰色の髪と目は明るさを取り戻し、微笑んでいた。
弾んだ足取りのアンジュリーナに誘導され、途中で階段を何階分も登り、歩く事数分。
「ここよ」
重そうな金属製のドア。装飾は無く、上部に【EXIT】と赤く光った文字だけ。
扉が開く――奥から向かってくる空気の流れ。灰のロングヘアが揺れ、ドアが開き切った。
打ち付ける空気が一層強くなる。空調設備や非常階段の降り口があるのを見ると、ビルの屋上らしい。
中央には一辺二十メートルはあるだろう正方形の囲みと、その中央で円に囲まれた【H】の文字。
目線を集中する――隅の方、屋上の転落防止柵。そして、それに手を掛けている人物。
バタリとドアが閉まる。しかし、奥の男性は振り向かない。
「あの人はトレバーさんっていうの。トレバーさんの話は難しいけど、頑張って」
「あの人物が教えてくれるのか?」
「そうよ。私はここで待ってるわ」
扉の元に立つ少女。後から出て来た少年は真っ直ぐ前に進み始めた。
少年はヘリポートマークを横断し、男性の正面一メートルで止まる。
遠くからは分かり辛かったが、寄ってみると少年よりも頭一個強も背が高い事が判明した。肌も浅黒く、顔の彫りも深い。
「アダム・アンダーソンか」
「そうだ」
向きを変えないまま、間髪入れぬ言葉。少年は動じない。
「お前を待っていた。チャックかアンジュリーナから聞いただろうが、俺はトレバー=マホメット=イマーム。お前に教えるべき事を教える」
「何をだ?」
「分かっている筈だ」
そう言ったトレバーは手すりから手を放し、黒い目でアダムの青い瞳孔を睨む。
「……」
「……」
何も言わぬ両者。ただ、少年の方は口元が力んでいた。
「……それは疑問だ。感じた事が府に落ちない、起こった出来事が信じられない。そうだろう」
「ああ」
まるで自分の事のように断言するトレバー。何が疑問なのか、少年はそれを理解していた。
「お前が疑問に思ったのは、“真実”だ。普通の人間には疑問にすら思わない。だがお前のように“疑問”を持つ者が稀に居る。疑問を持った者だけが突き詰め、真実を知る。何を感じた? 説明出来るか?」
僅かな記憶を思い起こす――昨日医療テントで起きてから戦場に出た事、そして感じた事……
ひょっとしたら、目覚めたのは“あれ”の力なのかもしれない。不思議としか言いようがない出来事だった。例えるなら光の筋が、見えない筈のものが“視え”た。
否、“感じ”た。あの輝きは、それを操る人物に途轍もない力を与えた。
「分からない。説明出来ない。“あれ”は何だ? “あれ”によって力が得られたとしか思えない。“あれ”を認識した瞬間、全てが“視え”た」
表情に変化は無かったが、声にはただ「知りたい」という純粋な強さがあった。
「説明するより実際にやった方が早い。これを見ろ」
トレバーは右手を前に出し、向かい合う頭へ掌が向く。“普通の人間”にはそれだけにしか見えなかったに違いない。
だが、アダムには見えていた。いや、“感じ”ていた。
相手の掌に纏う輝き――可視光線ではない。無意識に直接頭の中へ叩き込まれる。
「これだ。これと同じものを見た。分かる」
「やはり、間違いない」
何が間違いないのか、何も言わず、掌の輝きが一変した。
「輝き」は顔面に向かって一直線。発射された、とでも言うべきか。
命中――「輝き」は少年の皮膚から身体の中へ、溶け込む。
次の瞬間、視界が眩んだ。耳が痛い。皮膚に何か触れる。体が揺れ……
“それ”が流れ込み、身体を駆け巡る。一瞬が何千何万倍にも引き延ばされる。
次第に感覚は引いていった。それでも尚、少年の心臓はまだ毎分九十回の速さでビートを刻んでいる。
「今のは?」
「簡単な幻覚だ。“あれ”を操り、お前に作用させた。“あれ”が分かるならお前も操れる可能性がある」
アラブ人の表情は次第に鋭さを帯びていた。心拍が落ち着き、息を整えたアダムは更に問う。
「今の幻覚も使えるのか?」
「人によって違う。俺の場合は、今のように幻覚を人に見せる。お前の『能力』が何なのかは、自身で探さなければならない。お前が何なのかは、お前が知るべき事だ」
「どうやって行う?」
そう訊かれたトレバーは自分が居た位置から二歩だけ下がり、言った。
「まずは覚えろ。俺に攻撃を当ててみろ。やり方は分かるな」
足を肩幅に開き、右手を平手に、胸の前に出したトレバー。
「格闘なら分かる」
対するアダムは、左半身を前に後ろ重心、右拳で顎をガードし、左拳を胸の高さに。
「来い」
コンクリートの床を一蹴り。
カルフォルニア北部の荒野の何処か。前日襲撃を受け、修復中のとある施設の地下奥深くの一室にて。
「只今掴めました。このビルです。現在は屋上に居ます」
「ご苦労。早速戦力の確認をしろ」
ポール・アレクソンは、オペレーターの操作するモニターに映し出された、建物の立体CGを見ながら、急かすように次の命令を出した。
丁度、指令室のスライド式ドアが、音も無く開いた。振り向き、青い瞳で観察する。
入ってきたのは赤毛の小柄な男性、中佐だ。手にはアタッシェケース。
「仕事熱心で結構だな、アレクソン君。今はどんなだ?」
「中佐、はい、たった今アンダーソンの居場所を特定しました」
「よし。それとアレクソン君、私から提案があるが良いか?」
「勿論です」
表情を変えぬポール。中佐は言う前に目だけをチラチラと横に動かした。
「実はだな、戦力はそんなに集められなさそうでな、想定より少数による計画になってしまうが、大丈夫か?」
「問題ありません、合わせます」
ポールは想定から外れても動じず、断言する。中佐の方は何故か意外感を隠せていなかった。ポールは気にも留めなかったが。
「埋め合わせに、とでも言うべきか、ステルス能力を持つ者を招集させた。作戦にはうってつけだろう。それと、三機だけだが『変圧器』も用意した。作動テストは終えてある」
すると、中佐は片手に提げていたアタッシェケースを机の上に置き、それを開ける。中にはブレスレットのような輪状の物体。それも三つ。
「まあ三人も居れば十分だろう。しかし、長時間の使用は負荷が強い。非常時用といった所だろうな」
続けて言った中佐はケースからデスクに置いた腕輪を後にし、指令室から出て行こうと戸を開いた。
ふと、彼は足を止めた。ドアの向こうに誰かが居るらしく、外に向かって何かを話しているのが見える。
「噂をすれば来たらしい」
そう言うと、手振りで扉の向こうに何か合図をし、中佐は部屋の向こうに姿を消したのだった。
入れ替わるように、誰かが入ってくる。まずは背が高く、少なくともポールの五センチメートル以上はあり、体格もガッチリしている男性。七三に分けられた短めの暗い茶髪とサングラスが、ボディガードのような印象を与える。
次は、肩まで掛かる明るめの金髪に赤いメッシュの女性。やや小柄だが、その顔つきは「舐めるな」と主張していた。
最後に入ったのは、人相が全く読めない黒一色のフルフェイスヘルメット。服や靴や手袋まで黒に統一されており、肌が一切見えない。癖なのか手をジャケットのポケットに突っ込んでいる。
「到着しました」
三人は来た順にポールの目の前へ並び、ヘルメットの奥から低い声が漏れる。
ポールは、まるで石ころを見るが如く三人を観察すると、背中で手を組み、自分の後ろのモニターを向いて口を開いた。
「お前達へ命じるのはアンダーソンの奪還もしくは破壊だ。現在この『反乱軍』が管理する建物に居る。詳しい現在位置は無人機で特定済みだ。任務に関するデータは中佐に貰っただろうが、向こうの『トランセンド・マン』に関する情報もあるからもう一度見直しておけ」
「はい」
代表して返事したヘルメット男。バイザー越しでは何処を向いているのか読み取れない。
「それとお前達に渡す物がある。わざわざ集まってもらったのはそのためだ」
モニター横のブレスレットを三つ、ポールは取りそれぞれに渡す。三人共少しの間物体を
眺めていた。
「これ何です?」
と、金髪赤メッシュの女性。平坦で、何処か馬鹿にするような冷たい言い草だった。
「『変圧器』だ。少数人数作戦には持ってこいだろう」
「もう完成したのですか?」
「その三つだけだそうだ。やはり生産にコストが掛かるのは仕方ないだろう」
三人は揃ってこれを腕、ではなく首に巻き付けた。
「別に疑うつもりは無いのですが、性能は確かでしょうね」
「個人差によるが、『活性率』はおおよそ二倍にまで跳ね上がる。だが持続使用は禁物だ、負担が大きい。主に断続使用か失敗時の逃走用だけにしろ」
ヘルメットの男の質問に、ポールは無愛想ながらも丁寧に答えた。
「出来るだけこの作戦は向こうに知られない事を優先に行動する事だ。今後予定しているロサンゼルス掃討作戦も延期せざるを得なくなるだろう」
「分かっています」
ヘルメットの人物を先頭にして三人は部屋から出て行き、最後にボディガード風の男がドアを閉めた。
「さて、盗んだ財宝を取り戻すぞ」
残ったポールは退屈そうに指を鳴らし、オペレーターの横に立つのだった。
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