魔女と百合とそしてあたし

Cecil C
Cecil

プロローグ

新たな世界

公開日時: 2020年9月2日(水) 14:30
文字数:1,396

この世界が最後の地であって欲しいと願いながら、マリアは新たな世界へと足を踏み入れた。

 神埼マリア、見た目は中学生くらいにしか見えないが、実際は魔女として数百年も沢山の世界を回り各地で人々を苦しめる悪しきもの、あやかしでも魔のものでも呼称は何でも構わないが、人々が人々の醜い心が作り出した悪意の結晶を消滅させてきた。

 何故普通の少女であったマリアが、魔女になり多くの世界を回らなければいけなかったのかは、後々説明するが、全ての世界で嫌と言う程に人間の醜さを嫉妬深さを垣間見てきたマリアだが、それでも人間を嫌う事は出来なかった。

 自分も人間である。そして、人間の歴史は醜い争いと嫉妬と裏切りの歴史だと言う事は、この数百年の旅でマリアは理解した。

 全ての命を救う事が無理であると言う事も。

 魔女になった当初は、全ての人間を救いたいと全ての人間を救うのだと強く思っていたマリアであったが、僅か数年の旅でそれが不可能であると悟った。

 それ以降は、子供や女性やお年寄り等の社会的弱者を中心に救ってきた。力や権力のある者はあまり救う事はなかった。助けたところで、弱者を蔑ろにするのがわかっている。

 そんな奴らを救っても、社会が良くなるとは思えない。それなら、未来ある子供達を子を産める女性を救った方が、世界にとって有益だと考えたのだ。

 それが正解なのか、不正解なのかはマリアにはわからないしどうでもいい事であった。どうせ長くいる訳ではない。

 自分にとっての終焉の地は何処にあるのか、本当に終焉の地があるのかもわからずに、それでも必ず自分にとっての終焉の地は存在すると信じて、マリアは数百年もの長きに渡って旅を続けて来た。

「ここにも、やはり悪しきものは存在している」

 どの世界にも必ず存在しているんだなと、本当にどうして人間とは争いを嫉妬する事を裏切るという行為を止める事ができないのだろうと思う。

 人間が存在している以上は、必ずそう言った醜い感情が生まれる事は理解は出来るが、問題なのはその醜い感情の量である。

 一定の量で収まっていれば、悪しきものが生まれる事はない。

 しかし残念な事に、どの世界でも悪しきものはあやかしと呼ばれる存在は大量に発生していた。

 その都度マリアが退治しては、悪しきものが人々を襲わない様に結界を張ってはきたが、それにも限界はある。人々が、他人を妬んだり、恨んだり、殺人等の悪事を止めない限りはいつまででも悪しきものは生まれ続ける。

 マリアは、どの世界でもその事は伝えてきたが、マリアに出来るのはそこまでである。

 後は、その世界に住む者がどう考えるかに掛かっている。

 完全に醜い心を失くす事は不可能である。

 それでも、人々が思いやりの心や他人を慈しむ心を持てば悪しきものの数は減少する。

 マリアは、あくまでもその手伝いをしてきたに過ぎない。それ以上の事は出来なくもないが、それはその世界から、人間と言う存在を消す事になる。

 人間が居なくなれば、醜い心から生まれる悪しきものも生まれない。そして存在する事が出来ないのだから、究極の解決方法は人間を全ての世界から消し去る事だが、それはやってはいけない。

 マリアもそれをわかっているから、悪しきものを退治して結界を張ってあげて、あとはその世界の人間に任せると言う方法を取っているのだ。

 正直疲れていた。

 この世界を最後に出来ればいいなと思いながら、マリアは一歩ずつ歩を進めていった。

 

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート