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──“エリニュスの狂乱”
「改めて告げよう。私の名はフォーラント。復讐を司る者だ」
死体のない部屋の中でフォーラントがそう告げる。
「だが、私に復讐対象を呪い殺せ、などと言っても無駄だぞ。復讐とは自分の手でなすものだ。他人の手でなすものではない。貴様がこれから復讐していく人間の息の根を止めるのは、貴様のなすべきことだ。分かったか?」
「しかし、私には復讐をなすための力がありません」
エルザは無力な魔族の娘に過ぎない。
魔術は基本的なものしか使えないし、腕力もない。戦ったことなどこの人生で一度もない。そんなエルザが戦うことができるというのだろうか。復讐者として復讐すべき人間を殺すことができるというのだろうか。
「貴様は常に逃げ腰だな。あれはできない、これはできない。それならさっさと死んでしまえ。そのポケットには毒薬が入っているのだろう」
「しかし……」
「分かっている。今の貴様では復讐をなすことはできない。それは確かだ。だからこそ、私がいる。私が力を貸してやろう」
そう告げるとフォーラントは自らの影に手を突っ込んだ。
そうしてそこから取り出されたのは長い長剣。刃渡りは70センチほどはある。
鞘は黒塗りで、柄も黒塗り。そして、フォーラントの抜いたその刃は漆黒の刃だった。どこか禍禍しい気配すら感じられるものである。
「“エリニュスの狂乱”。起きろ。仕事だ」
「はいはい。またいきなりですね。今回不毛な行為に手を染めるのは誰です?」
“エリニュスの狂乱”とフォーラントが呼ぶと、長剣の中から返事が返ってきた。そのことにエルザが目を丸くする。
「おや。初めまして、お嬢さん。俺は“エリニュスの狂乱”。もっと短い名前の方が呼びやすいと思うけど、これは呪術的な意味がある名前だから変えられねーの。ごめんな、呼びにくくて。それでフォーラント様。復讐を望む馬鹿野郎はどこに?」
「目の前だ」
「冗談でしょう? いくらなんでも……」
“エリニュスの狂乱”はそこで沈黙した。
「お嬢さん。復讐なんてやめた方がいい。馬鹿を見るだけだ。復讐したって名誉は回復しないし、死んだ人間も生き返らない。ただただ、死人が増えるだけだ。それも連鎖的にな。復讐なんて馬鹿げたことはやめにして、もっと楽しいことを考えよう。な?」
「私は復讐をなしたい。騎士を殺された。友人知人を殺された。家族を殺されえた。私が守るべきだった臣民たちも殺された。それもゴミのように。私は復讐しないわけにはいかない。なんとしても復讐します」
「そうかい……。つらい道のりになるぜ?」
「覚悟はできています」
“エリニュスの狂乱”は長剣の癖にため息のようなものをついた。
「“エリニュスの狂乱”。貴様から説明するか。それとも私が説明するか?」
「お願いしますぜ、フォーラント様。こんな子供に俺を使わせるのは酷だ」
フォーラントが尋ね、“エリニュスの狂乱”がそう告げた。
「いいだろう。この“エリニュスの狂乱”は貴様に力を与える」
「どのようなものでしょうか?」
「剣聖のごとき戦闘力とあらゆるものを切断する切れ味、敵の攻撃を受けきる力、エトセトラ、エトセトラ。貴様が復讐のために必要な力はほぼこの“エリニュスの狂乱”一振りでなすことができる」
夢のような力だ。
「私は剣を振るったことなどありませんが大丈夫なのですか?」
「貴様が望めば“エリニュスの狂乱”は貴様の体をコントロールし、その筋力などを超えた力を発揮させる。剣を振るったことがなかろうが、戦ったことがなかろうが、人を殺したことがなかろうが、“エリニュスの狂乱”は復讐を果たす力を与える」
フォーラントはそう告げてエルザを見る。
「だが、トドメを刺すのは貴様だ。貴様が相手の命を奪う。“エリニュスの狂乱”そのものは復讐をなさない。復讐をなすのは“エリニュスの狂乱”の主である貴様だ」
「分かっています」
人の命を奪う。
それがどういうものなのか、エルザはまだ知らない。
「そして、“エリニュスの狂乱”の力には対価が伴う。その対価とは貴様の命だ」
「命……」
フォーラントが告げた言葉に、エルザが呆然と繰り返す。
「“エリニュスの狂乱”は使用者の魂を燃やして動く。超人的な動きを発揮するためにも、あらゆるものを切り裂くためにも、敵の攻撃を受けきるにも、魂が消化される。普通の人間ならば1度の使用で息絶える代物だが、貴様は半竜人だ」
「悪く思わないでくれよ。俺だって好きで人の魂を奪ってるわけじゃないんだ」
「黙っていろ、“エリニュスの狂乱”。で、貴様は半竜人であることからその魂はより大きく、何度もの燃焼に耐えられるだろう。だが、決して無限に力が振るえるのだとは思うな。限りがあることを自覚し、その魂が朽ち果てる前に復讐を成し遂げろ」
「分かりました」
ここまで来てエルザにもう迷いはない。
自分の命など失われても構わない。それでヴェルナーたちの仇が取れるならば、構いはしない。自分は既に死んだも同然なのだ。
ならば、やってやる。
魂を全て燃やし尽くしてでも、この惨劇を招いた人間たちを殺す。殺しつくす。
全員殺しやる。
「では、貴様に“エリニュスの狂乱”を授けよう。血の誓約をもってして、私から貴様に“エリニュスの狂乱”を貸し与える。ここに血判を」
フォーラントはどこからともなく契約書を取り出し、エルザに手渡した。
血の誓約はその人間の魂をかけて行われる契約だ。裏切れば死が待っている。
だが、フォーラントの契約書に書かれていた条件はひとつだけだった。
『“エリニュスの狂乱”を与えられしものは、復讐を必ず成し遂げる』
ただ、それだけが書かれていた。
既にエルザの覚悟は決まっている。エルザは鋭い犬歯で親指から血を流すと、血の誓約に血判を押した。次の瞬間、契約書は輝き、それから光が収まってフォーラントの手の中に消えた。契約は成立したということだ。
「では、“エリニュスの狂乱”を貸し与える。“エリニュスの狂乱”、この半竜人の娘を主人として、復讐のために仕えよ」
「気乗りはしないですがね」
フォーラントの手から“エリニュスの狂乱”がエルザに手渡される。
その重々しい見た目と異なり、“エリニュスの狂乱”は驚くほど軽かった。
「よろしくな。えーっと、名前はまだ聞いてなかったよな?」
「エルザ・デア・バロールです」
「それじゃ、よろしくな、エルザ。いろいろと長い付き合いになりそうだ」
“エリニュスの狂乱”はその禍禍しい印象を受ける長剣とは異なり気さくだった。
「貴様はこれで力を得た。復讐するに足る力だ。だが、これだけは覚えおけ。復讐とは決して癒されぬ渇きのようなものだ。いくら憎い相手の血を流し続けようが、その復讐に満足などという言葉は存在しない。貴様はより多くの血を求めるか、目の前に流れたおびただしい血を前に怖気づくだろう」
「そんなことは!」
「貴様はこれまでどれほどの復讐を見てきたというのだ? 私は見てきた。何千万という復讐を。だが、どのものも決して癒されぬ渇きを前に苦しみ続けた」
フォーラントが冷たく告げる。
「だが、貴様は復讐を望んだ。ならば、やり遂げろ。途中で投げ出すな。最後まで復讐を続けろ。渇きが癒されようと癒されまいと、憎き敵を殺し続けろ。それが貴様の定めだ。貴様の選んだ定めだ」
「そう、私が選んだ。私は復讐をなします。必ずや」
エルザは胸に手を当てて、これまでのことを思い出した。
出世など他所において自分に忠誠を誓ってくれたヴェルナーとの楽しい日々。どこまでも優しかった両親。親切にしてくれた臣下たち。王太女となる前から自分を慕ってくれた臣民たち。
そして、無残に殺された彼ら。残酷に、冷徹に、徹底的に虐殺された彼ら。
彼らのためにも復讐をやり遂げなければ。
エルザから彼らを無慈悲に奪い取った連中に報いを受けさせなければならない。奴らがのうのうと過ごしていることなど決して認めてはならないのだ。
「よろしい。それが貴様の選んだ定めだ……」
そう告げるフォーラントの口ぶりは何か憂いているようだった。
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