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──自分にできること
「考えろというのは何を考えろと言うことなのでしょうか?」
エルザは砦の壁に背中を預けて、そう呟いていた。
「さてな。俺が思うにあの姉ちゃんは王族に凄い恨みを抱いている。それを解決する手段を考えろってことじゃないか」
「ですが、どのようにして?」
「さてな。それはそれこそ嬢ちゃんの考えることだ」
“エリニュスの狂乱”はただため息をついただけだった。
「王族であることを捨てる。既に捨てているようなものです。ならば、どうすればミリィさんを納得させられるというのでしょうか……」
エルザが王族であることから彼女を忌み嫌っているミリィ。だが、ミリィの下で戦わせてもらわなければ、決して復讐など果たせないだろう。今の人間に怯え、向けられる敵意と殺意に恐怖するエルザでは不可能だ。
だが、どうすればいい?
エルザは結論が出ない考えの中で、眠くなってきた。
無理もない。今日もいろいろとあった日だった。目の前で人間たちが虐殺され、砦まで肉を運んで歩き、傷病兵の面倒を見て、傷病兵の死を見て、ミリィと話した。
精神的にも肉体的にも疲弊したエルザは外套の中で丸々と“エリニュスの狂乱”を横に置いて、深い眠りについた。
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朝の訪れとともにエルザは目を覚ました。
「やあ、昨日は眠れたかい?」
「はい。温かい食事もいただいて感謝しています」
「気にすることはないよ。同じ魔族なんだ」
エルマーはそう告げて哄笑した。
「朝ごはんができてる。食べてくるといいよ」
「はい」
朝ごはんは馬肉のパイだった。
エルザは空腹ではなかったが、体を作るために渡された全てを綺麗に食べきった。
「いいぞ。そうやってよく食え。食える時に食っておかないと戦場ってのはどう変動するか分からんからな。それに食事は体を作る。復讐には体力が必要だ。俺を使うにしても、体ができておいて損はない」
“エリニュスの狂乱”は満足げにそう告げた。
「しかし、昨日の問題の答えが出ていません」
「まあ、それはおいおい考えていこう。考えろと言ったからにはまるきり拒否するつもりはないと見たからな。どうにかなるだろ」
“エリニュスの狂乱”のどこまでも楽観的な意見にエルザは少し励まされた。
「野郎ども!」
ミリィの声が響いたのは次の瞬間だった。
「北東の街道で偵察隊が敵を捕捉した! これから敵の殲滅にかかる! 戦えるものは武器を取れ! いくぞ!」
「おう!」
ミリィがそう告げるとエルザも大急ぎで立ち上がって“エリニュスの狂乱”を握ろうとした。だが、ことはエルザの思ったようには進まなかった。
「そこの王族は来なくていい。砦で待っていろ」
「しかし……」
「指揮官はあたしだ。部下もあたしが選ぶ」
エルザは戦場には出してもらえなかった。
「残念だったな」
「やはり、何かしなければならないのでしょう。しかし、何をすれば……」
砦からは予備の戦力を残して、戦える魔族たちは出撃していった。
残っているのは女子供と傷病者、そして留守中の守りを任された魔族。
「できることから始めましょう」
エルザはそう告げると仕事にかかった。
エルザの始めたのは傷病兵の介護だった。
水を汲んできてそれを煮沸し、包帯を消毒する。そして乾燥して新しくなった包帯を傷口に巻きなおしていく。簡単なような作業だが、傷病者の体全体に巻かれた包帯や酷く膿んだ傷口の包帯は消毒するのも一苦労だ。
傷口の膿が服に飛び散ることもある。それでもエルザは気にせずに作業を進めた。包帯を消毒し、巻きなおしていく。その繰り返し。
「ありがとう……」
「いえ。当然のことですから」
傷病者の介護をするのは初めてではない。エルザは国境で小競り合いが起きていた時代にも傷病者の介護をしていた。地道な作業だが、傷病者たちからは喜ばれた。
後方で傷病者を癒すのは前線で戦うのと同じ。父であるフリードリヒはエルザにそう告げていた。前線で戦友の命を救うことは誉であり、後方で味方の命を救うのもまた誉であると。王族であるならばそのようにして義務を果たせと。
「ふう。これで包帯は交換し終えましたね。新しい包帯の準備をしましょう」
エルザは使用されていない包帯も消毒しておく。何せ、保管環境が湿った通気性の悪い場所だ。どのような雑菌が繁殖しているのか分かったものではない。長く使われていない包帯でも、虫やネズミが雑菌を運んできている可能性がある。
「教わったことがここで役に立つなんて」
エルザに応急手当の方法を教えていたのは、侍医だった。気のいい魔族でエルザが前線に傷病者の手当てに行くときは必ず同行していた。
「帰ったぞー!」
ミリィたちの声が響いたのはエルザが包帯を消毒し終えたときだった。
だが、今回は血の臭いが濃い。
「どうしました!?」
「エルマーがやられた。他にも大勢。こっちの待ち伏せは見抜かれていた」
負傷者が担ぎ込まれていく横で、魔族のひとりがそう告げた。
「エルマー! 大丈夫ですか!」
「ああ。肩に矢が刺さっただけだ。それも貫いているからすぐに抜けるよ。死ぬほど痛いけれどね。でも、死ななかったさ」
エルザが駆け寄るとエルマは貫通した矢を見せてそう告げた。
「エルマー。抜くぞ。食いしばれ」
「ああ」
仲間の兵士が矢の先端を追って取り外し、エルマーが歯を食いしばる。
「1、2、3!」
ズルッとエルマーの方に刺さっていた矢が抜ける。
「はあ。死ぬほど痛い」
「出血が始まったようです! 止血を! ここを圧迫してください!」
エルマーが振るえた声で告げ、エルザが叫ぶ。
「ここか?」
「はい。そこです。軟膏を塗って包帯を巻きますから待っていてください」
エルザはテキパキと指示を出し、血管を圧迫して出血を押さえている間に、傷口にワセリンを主成分とする軟膏を塗り込み、エルマーの肩に包帯を巻いた。
「これで大丈夫なはずです。傷口が膿まないように定期的に包帯は交換しましょう」
「ありがとう、エルザ。助かったよ」
「いえ。あなたは友人ですから、エルマーさん」
エルマーが微笑み、エルザも微笑んだ。
「こっちの兵士も見てくれ!」
「はい!」
それからエルザは必死に負傷者の治療に当たった。
中には傷が深すぎて助からなかった兵士もいたが、誰もエルザに恨み言は言わなかった。エルザは死んだ兵士がいる一方で多くの兵士を救ったのだ。
服は血で赤黒く染まりながらも、エルザは懸命に負傷者を癒していった。国境線の小競り合いで生じた負傷者たちを治療していた経験を活かし、ひとりでも多くの仲間を、ひとりでも多くの兵士を救おうとした。
「ミリィ姉さん」
「なんだい、エルマー。傷は大丈夫なのか?」
「ああ。エルザに治療してもらったおかげでね」
「エルザにねえ」
ミリィは砦の上層から下層で必死に負傷者の手当てをするエルザを見ていた。
「認めてあげてもいいんじゃないかな。彼女、留守の間にも大勢の傷病者の手当てをしていたって話だよ。そこまでしてくれるんだから、俺たちの仲間ってことでいいじゃないか。それはミリィ姉さんが王族を嫌っているのは知っているけどさ」
「王族は嫌いだ。奴らは口だけだった。必要な時にいやしなかった」
ミリィは犬歯をのぞかせてそう告げる。
「でも、ミリィ姉さん。エルザは必要な時にいてくれている」
「そうだな。王族も遅ればせながら義務を果たしているということか」
ミリィはそう告げて天を仰いだ。
「それとも本当にもう王族ではないのか」
ミリィはそう呟いて再び下層を見下ろした。
多くの兵士たちが手当てを受けてエルザに感謝の言葉を述べている。
「いや、今でも王族だ。それでも必要な時にいてくれる王族だ。そんな王族なら私も認めよう。次に戦闘に向かう時にはあの小娘の同行を許可する」
「小娘じゃないよ。エルザだよ」
「ああ。エルザの同行を許可する。ともに仲間として戦ってもらおう」
ミリィはそう告げて下層に降りっていった。
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